IF物語
観月 穂張
絆
その音は、聞く者全てを魅了する。
演奏が始まると一帯は静寂に包まれ、美しい音色だけが鳴り響く。
数分間という短い時間が、三十分にも、一時間にも感じられ、この瞬間が永遠に続くかのような気にさえなる。
微かな余韻を残し演奏が終わった刹那、壮絶な拍手喝采が辺りを埋め尽くし、その演奏に最高の終止符を打つ。
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僕がピアノを始めたのは三才の時だ。
早生まれで、学年としては三学年上の兄がドラムを習い始めたのがきっかけだった。
僕の目にはドラムを演奏する兄の姿が格好良く映り、僕にも習わせてくれと必死に親にせがんだのだが、まだ小さいから、楽譜を読めた方が良いからと、ドラムは習わせてくれなかった。大きくなってから母の知人に聞いたことだが、母が、指の長い僕にはピアノを習わせたいという理由で、ドラムではなくピアノを習わせたそうだ。
とにもかくにも、結果的には習いかったドラムではなく、ピアノを習うことになったわけだが、不本意ながら始めたピアノの魅力に、僕は直ぐにのめりこんだ。
そんな僕に転機が訪れたのは、小学三年生の時だった。
三才でピアノを始め、ピアノの楽しさを知り、没頭してきた僕は、初めて参加したとあるコンクールで金賞を取った。
正直に言って、賞を取るために参加したわけではなかった。さらに言えば、僕が参加したいと思っていたわけではなかった。
ピアノは趣味であり、僕にとってはピアノを弾くことが遊びだった。
自分の思うとおりに音が鳴るところだとか、自分にしか出来ない表現ができたりだとか、とにかくピアノを弾くことがたまらなく楽しかった。
そんなある日ピアノを弾いていると、母から話し掛けられ、長年ピアノを弾いているのだから、実力試しにでもコンクールに出てみないかと言われた。今まで考えもしなかった事を言われ少し戸惑ったが、出ているところを見てみたいとも言われ、そこまで言うならとコンクールに参加した。その結果、金賞を取ることができたのだ。
ただただ嬉しかった。
自分に実力があると知り、幼心ながら優越感も感じた。
その日から、ピアノを弾くことが〝遊び〟から〝練習〟になった。
それからというもの、僕はピアノを弾くことに生活のほとんどの時間を割いた。両親の離婚と時期が重なったためか、母からも練習に励むよう耳が痛くなるほど言われるようになり、毎日毎日ピアノの前に座り鍵盤を叩いた。有名なピアニストを雇い、次から次へと何度の高い楽曲を弾いた。おかげで腕前はかなりのものになり、いつしか世間からは天才ピアニストと囁かれるようになった。しかし、ピアノの実力が上がるのとは相反して、ピアノを弾くことに楽しさを感じなくなっていった。
中学に上がる頃には、楽しいから練習するのではなく、賞を取るために練習なった。数々のコンクールで賞を取り、同世代にはライバルがいなくなった。そこまで上達しても尚、僕は練習に明け暮れた。
中学校といえば、楽しい行事がたくさん思い浮かぶはずだ。
日帰りで行く校外学習に泊まりの修学旅行、文化祭や体育祭と、普通の中学生なら楽しめるであろう行事が盛りだくさんだ。だが僕は違った。
母に言われ校外学習や修学旅行は全て休み、文化祭は他の人より早めに帰宅し、体育祭は手が怪我するといけないからと、出場種目を極限まで制限した。
ここまでしてしまうと学校側も黙ってはいないはずなのだが、僕の功績を知っていたため強く言ってはこなかった。僕も僕で、練習をすることが当たり前になっていたため、嫌気が指すことはなかった。
高校は有名な音楽科のある学校に進んだ。
当然のごとく首席で入学した僕は、腕に更なる磨きをかけていった。
参加するコンクールでは金賞以外取らなくなった。
その日もピアノを弾いていた。
突然家の固定電話が鳴った。
家には僕しかいなかったので受話器を取ると、聞いたことのない男の切羽詰まった声が、はっきりとこう告げた。
君のお母さんが轢かれた
と。
何を言っているのか直ぐには理解できず、電話越しの人に何度か呼ばれるまで意識は蚊帳の外にあった。
その後教えてもらった病院にすぐさま駆け付けたのだが、時はすでに遅く、母は息を引き取っていた。
今何が起きているのか自分の中では消化しきれていなかったが、何故だか物凄い喪失感に襲われた。
放心状態にあった僕に、電話越しに聞いた声と同じ声で、その男は語りかけた。
彼は通報を受け、現場に赴いた。
そこには血だらけで倒れる女性が横たわっていた。
彼はその女性を救急車に乗せ、急いで病院に向かった。
病院に向かう救急車の中でその女性は、消え入りそうな声で何度も『陽』という人物に、ごめん、ごめんと誤っていたらしい。
==
僕はこの瞬間がとても好きだ。
僕の手によって奏でられた音が幸せを分け与える、この瞬間。
やっぱりピアノを弾くことは楽しいなぁと思いながら、感謝の意を込めてお辞儀をした。
IF物語 観月 穂張 @Hohari
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