第22話 C.C0059-1.1 ここで、待っているから

〇本話に登場するお題

・なし



 ただ自分の、規則的な呼吸の音だけが響いていた。

 機体は完全に死んでしまっている。戦術データリンクとアクセスが取れない。レーダーも、長距離通信も使えない。

 死んだ機兵の中で、ただ自分の、規則的な呼吸の音だけが響いている。

 一人になってしまった。独りになってしまった。

 感覚が足りない。どこかに、捨ててきてしまったのだろうか。

 どれくらいこの闇の中を彷徨ったのか、分からない。輝珀のコクピットから見える景色は、静止画なのではないかと錯覚してしまいそうなほどに均質で、全てを失い虚と化した空間が、際限なく広がっている。

 アシスタンスAIが、生命維持装置のリミッターと機内に常備された非常物資から弾き出した俺の生存限界を、静かにカウントしている。――121時間48分34秒。

 120時間か……人間の技術は優秀なんだな。

 もっと短けりゃいいのに。

 俺は、味方に発見してもらえるだろうか。

 戦術データリンクと切り離されている以上、軍でもこの機体はロストしているはずだ。直接接近して発見してもらうしかない。

 この広大な宇宙の中で、ちっぽけな輝珀一機を、果たして見つけ出せるだろうか。

 ……いや、そもそも探してもらえるのか? 俺みたいに行方不明になった機兵の数は戦場全体で何千……いや、何万機いる? 第一、旗艦級を倒せたからと言って他の敵の攻撃が止まった保証もない。もう俺を探すことのできる軍人なんて、一人も生き残っちゃいないのかもしれない。

 悪い想像しか浮かばない。先が見えない。

 思考が重い。枷を嵌められたように、強い重力が圧し掛かるように、底へ、底へと沈んでいく。瞼も重い。目を、開けていられない。

 次に目覚めた時、残り時間はどれほどだろう。

 ……何時間でもいい。もう、俺は十分に生きたと思う。十分に守り、そして、十分に失った。疲れた。とても、疲れた。




 不思議な夢を見た。今、夢を見ているんだと、自分で分かる夢だった。

 家にいた。火星の基地じゃない、幼い頃からユーリと一緒に暮らした、月の家だ。

 部屋の中がオレンジに光っていた。月には無いはずの、資料でしか見たことのない、夕焼け色だった。

 ちょうど、ユーリが家を出ていく所だった。靴を履く背中、踵を引っ張って、整える。

「……どこに行くんだ?」

 思わず、俺はそう尋ねる。俺は怯えている。何を?

 ――どこへ? そうだな。

 そう、ユーリが呟いて、一頻り考えて、答える。

「ここじゃない、どこかへ」

 ユーリが扉に手を掛ける。俺は叫ぶ。

「待ってくれ!! 俺も、俺も一緒に行く!!」

「だめだよ」

 はっきりとした声色に気圧されて、俺は動きを止めた。

 ゆっくりと、ユーリが振り返る。

「だって」

 笑っていた。

「お兄ちゃんが一緒に来たら、私、帰る場所なくなっちゃう」

 そうか。そうだよな。


 ――私、戻ってくるよ。絶対、ここに帰ってくるよ


 あいつが諦めなかったのに、何で俺が先に諦めてんだ?

「……だよな」

 そう言って、俺も笑い返した。必死で、ユーリに笑い返した。

「待っててね」

「ああ、待ってる」

「うん。またね、お兄ちゃん」

 そう言って、ユーリが扉を開く。眩い光が溢れる。

 ……光の中で声を聞いた。俺を呼ぶ声だ。

 俺にも、待っていてくれる人がいたはずなんだ。

 俺も、帰らないと。




「……い……ん……い…………」

 ――声がする。

「……ぱい……へん……い。し……」

 ――何度も、何度も響いている。今にも泣き出しそうな、女の子の声。

 ――答えないと。目を開けて、口を開いて。

 答えないと。

「シン先輩、返事をしてくださいっ! お願いだから……声を聞かせて……っ!」

 答えなくちゃ。声を絞り出す。

「……お前、結構恥ずかしいこと、時々言うよな」

「先輩っ……!? 生きてるんですかっ!?」

「ああ、俺は……なんとか」

 そこで、会話が途切れた。そのすぐ後、外からコクピットハッチが開けられて。

 立っていたのは、ハルだった。漆黒の宙を背景にして、純白のパイロットスーツに身を包んだハルは、何だか光っているように見えた。まだ焦点の定まらない両目に、怒ったような、困ったような、苦しいような、不思議な表情をしたハルの顔が映る。

 足場を蹴って、コクピットに飛び込んでくる。ハルが近づく。ヘルメットの内側に、水の玉を何個も浮かべて。

 ベルトに繋がれたままの俺にかきついて、こつんと、ヘルメットを合わせた。

「声を、聞かせて」

 通信機じゃない、ヘルメット越しに伝わる、微かな、本物のハルの声。

「ここにいるよ」

 堪え切れないような嗚咽が、俺のヘルメットの中にも響いた。俺は無言で、ただその叫びを聞いていた。

「……ユーリちゃんは?」

 一頻りして、怯えるような声でハルが尋ねた。

「……ユーリは、もういない」

 声に出してしまうと、その事実が力を得たように、俺を締め付ける。

 でも、もう迷いはしない。悲しみに道を見失いはしない。

 自分に言い聞かせるように、もう一度答える。

「ユーリはもういない」

 俺はどんな顔をしていただろう。ヘルメット越しのハルの顔が、氷が溶け出すみたいに、崩れる。

「……ごめんなさい、ごめんなさい……先輩」

「……何が?」

「ユーリちゃん、死んじゃったのに、それなのに……先輩が生きていてくれて、私、こんなに、喜んでる。こんなに、嬉しいって、思ってる。酷い女だ、だって私、こんなに……」

 泣きながら、ごめんなさい、ごめんなさいと何度も叫ぶハルを、ベルトを外してパイロットスーツ越しに抱き締めた。目を閉じて、ヘルメット越しに言う。

「ありがとう、ハル」

「ありがとうなんて、そんな……言われる資格……」

「あるよ。俺を、待っていてくれた」

 ハルの声にならない返事に、ただじっと、耳を澄ませていた。

 一頻りして、泣き疲れたハルが、ふっと顔を上げる。それに合わせて俺は囁く。

「最後に、ユーリが言ったんだ」

「え……?」

「帰ってくるから、待ってて、って」

 言葉って、不思議だ。ユーリはもういないって、そう口に出した時には俺の未来を閉ざそうと力を込めてきたくせに、今度は背中を押してくれるんだから。

 うん。本当に、ユーリは帰ってくるって、今は信じられる。

 信じたいと思う。

「だから一緒に、待っててくれないかな」

 ハルが涙を目尻に貯めたまま、目を細めて笑った。

「……仕方ないですね、先輩は、私がいないと、まるでダメなんだから」

 雫が弾けて、七色に光った。




 その後、ミヤビとチハヤとも再会した。あの直撃でもミヤビはしぶとく生きていた。緊急脱出装置の働いた方向が良く、機体が盾になって死なずに済んだ上、戦闘宙域の外まで逃げ延びられたらしい。

 人類の受けた被害は甚大なものだった。「オペレーション・ストロング・ゼロ」は総旗艦トライアンフを含む1000隻を超える艦艇喪失、戦死者約100万人、行方不明者約80万人という未曽有の損害の上で「歴史的勝利」を収めた。

 ――そして、人類は宇宙世紀59年を迎える。




「朝ですよ、さっさと起きて下さい」

「……もうちょっと、あと5分」

「人間には等しく24時間しかありません。有能な人間ならいざしらず、無能な人間は働いた時間で社会に貢献するしかないんです。先輩の5分は無能者の5分、挽回不能の、血の一滴の5分です」

「……朝から応援してるのか非難してるのか分かんねえ、難しいこと言わないでくれ……」

 やっとのことで思い瞼を開く。俺の眠るベッドに腰かけた、ハルの顔を見る。目を開けたのを見てハルが笑った。

「やっと起きました……ねっ!」

「うごわっ……!?」


 ……寝起きから酷い目にあった。シーツごと引っこ抜かれてベッドから転げ落ちた。ハルの馬鹿力め。

「今日から新しい工区でしょう? 余裕をもって行かないとだめですよ」

 リビングではもう、ハルが朝食を用意して待っていてくれる。こうして二人で暮らすようになってから、ハルには賢いことと美人なこと以外にも長所がたくさんあることに気づいた。料理が上手いのもその一つだ。

「ああ、そうだな」

 あの後、俺たちは軍を退役した。俺は機兵の操縦技術を活かし、宙間作業のオペレーターの仕事をしている。ハルはなんと輝珀を開発したメーカーからお呼びがかかり機兵用OSエンジニアに転身した。一体どれほどの才能を周囲に見せつければ気が済むのだろうか。

「……今日も旨いなあ」

「当然です。先輩と違って完全無欠なので」

「確かに、一緒に暮らしてみると、ハルのいいとこたくさん見えるよ」

 そう手放しに誉めると、ハルは少しきまりが悪そうな顔をする。

「一緒にいる時間が増えると、先輩は悪いとこばっか増えますけどね」

 ハルらしい物言いだな、と俺は笑う。

「はあ……あの時は、ちょっとだけかっこよく見えたんだけどな」

「あの時?」

「一緒に待っていてくれ、って言った時」

 ハルは一口コーヒーを啜って、上目遣いに俺を見る。

「あれ、プロポーズだと思ったんですけど、私」

「えっ? ……そういうつもりじゃ、っていうわけでもなくて……」

「グズ、死ね」

 俺は苦笑する。

「第一、女に『他の女を一緒に待っていてほしい』って言いますか?」

「女って、ユーリは妹だぞ?」

「でも、血は繋がってないんでしょ?」

「それはまあ、そうだけど……俺たち、兄妹なのに変わりはないし」

「……鈍感」

「はあ?」

 ハルは立ち上がり、食べ終わった食器を片付けてキッチンへ向かう。


 ――帰ってきても、負ける気はないけどね。ユーリちゃん。


「何か言ったか?」

「先輩はやはり一回死んできた方がいいな、って言ったんです」

 ……この毒舌だけはブレがない。だが、最近の俺は一個有力な反撃手段を見つけた。

「……あのさ、俺たち二人で暮らしてるわけだし、やっぱり先輩って呼び方はおかしいと思うんだよなあ」

「お、おかしくないです。先輩は先輩、これが一番しっくりきます」

「ほら、呼び捨てで良いって、名前で呼んでみろって」

「嫌です」

 俺はキッチンに立つユーリの隣までわざわざ歩いて言って、呟く。

「一回だけ、お願い」

 ハルがちらりと、真っ赤な顔をこちらに向けて、俺を見上げて言う。

「し……シン」

 俺は敢えて、何も返事をせずにじっとハルを見つめる。

「しっ、死ね!! 馬鹿っ!!」

 これも一緒に暮らして気付いた良い所。

 ハルは恥ずかしがると、8割増しくらいでかわいい。




 外に出て職場へ向かう。宙を見上げると、きらきらと、漆黒の闇の中に色とりどりの光が見える。あの光の中に、今日から俺が仕事をする現場もあるはずだ。

 負った傷は大きい。でも、人はまた立ち上がろうともがいている。

 俺は、俺たちは、ここで生きている。

「ここで待っているからな。いつ帰ってきてもいいぞ、ユーリ」

 宙の向こう側にいる、たった一人の家族に。俺はそう呼びかけてみた。

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