第15話 C.C0058-12.6 それでも最期は
〇本話に登場するお題
・なし
父の記録の話は、もちろん誰にも言えていない。今もハルと俺の中だけの秘密で、あれ以来このことについてことさら二人で言葉を交わすこともなかった。
だが、いつも俺の頭の中には、表出することの出来ない思考が渦を巻いている。
父の記録には「あくまで予想として」と但し書きされた上で、このようなことも書かれていた。
まず、ユーリの余命は通常の遊撃士よりも短いであろうということ。これは人間側が寄生体であることによる、負担の大きさからだ。第二に、人間としての生の終わりは、完全な鉱性生物への変貌によりもたらされるだろうということ。
遊撃士を生み出すための実験――人間への鉱性生物の定着実験では、全て人間側の拒絶反応と鉱性生物の脱落により失敗していた。しかしユーリを生み出す元となった鉱性生物に人間を定着させる実験では、人間が鉱性生物に吸収され、完全な鉱性生物化してしまうことにより失敗している。
つまり、そう遠くない未来、ユーリは人としての意識や体を失い、完全に鉱性生物化してしまうだろうと父は考えていたようだ。
もしかしたらユーリがあまり物を食べなくなっていたのもその兆候だったのかもしれない。鉱性生物は食事を必要としないことが知られているから。
俺の乱れた心中とは裏腹に、淡々と訓練は続いた。月面都市からは鉱性生物との戦況に関するニュースが減った。だが軍の事情通の噂によると、鉱性生物たちは地球を目指し着々と進軍を続けており、軍の作戦行動は無人兵器と宙間機雷等を中心とした勝つ気のない遅滞戦に終始しているらしい。
また、俺たち下っ端には全く情報が下りてこないものの、敵の親玉と予想される超巨大鉱性生物――参謀本部では暫定的に「旗艦級」と呼称されているらしいが――の光学映像も既に入手されているという。
静かな、色の薄い日々だった。あの激戦の毎日が嘘のように。
俺たちはこうして訓練を繰り返して、そのまま実戦を迎えずに、いずれ鉱性生物の波に飲み込まれてしまうのではないか。これは死病に罹った人間の、尊厳的な余生の一場面なのではないか。そう思えるほどに。
だが、そんなものは幻想に過ぎない。きちんと、現実は現実を俺の前に示してくれる。ありがたいことに、そう皮肉も言いたくなるような内容の、気の利かないリアルを。
ニシヤが俺を呼び出したのは久々のことだった。
「シン少尉。君に参謀本部から招集がかかっている」
そうニシヤが告げた時、最初に考えたのは父の記録を見たことが露見したのだろうか、ということだった。
だが、何にしろ招集が掛かれば出頭しないわけにはいかない。理由をニシヤに尋ねたところで、知らされてもいないだろう。
「分かりました」
俺は平然を装って、静かにそう返事をした。
統合宇宙軍参謀本部。月面直衛の第二艦隊司令部に併設されたその場所に、直接足を踏み入れるのは初めてだった。
受付で名を告げると、小会議室の一室に通された。二十席ほどが並ぶ会議机に、座るのは俺一人だ。
しばらくして、軍服ではなくスーツ姿の男が姿を現した。髪を後ろにぴったりと撫でつけた、鋭い目をした男だ。彼は低い声で、歩きながらこう自己紹介をした。
「統合宇宙軍参謀本部作戦部次席、ホイット・ヴァンデンバーグ大佐だ」
言い終えたと同時に壇上で立ち止まる。
彼の目が、貴様の資料は見ている、自己紹介は時間の無駄だ喋るな、と物語っていた。
ヴァンデンバーグが共有スクリーンを開く。
「シン・アサト少尉、これから君に話す内容は現在極めて高度な軍事機密に当たる。それを心得て聞くように」
ヴァンデンバーグは俺の返事を待つこともしない。
スクリーンに表示されたのは、アステロイド・ベルトから月、地球に至るまでの広域宙図だ。
「これより説明する作戦は、機密保持の為現状正式な作戦名は定められておらず、参謀本部では仮称として『五号作戦』と呼称している。五号作戦は地球防衛に当たる第一艦隊を含む、統合宇宙軍のほぼ全戦力を投入した敵旗艦級撃破作戦となる……これが、現在の敵旗艦級の位置と、予想侵攻ルートだ」
宙図に表示された旗艦級は、既に俺たちの居た第13宇宙基地よりも遥か内側に潜り込み、真っ直ぐに、着々と月、そして地球を目指している。自称事情通たちの噂話も、あながち間違いではなかったらしい。
「統合宇宙軍技研による敵旗艦級の演算能力試算値と、参謀本部の敵行動パターン予測とこちらの作戦成果想定に基づけば、現在の遅滞戦闘を継続しても一ヵ月を待たずして敵は月面宙域に直接ワープアウト攻撃可能な距離に到達する」
それはつまり、そこまでに延命以外の一手が打てなければ人類は滅亡する、という未来を示している。
「そこで参謀本部が立案したのが『五号作戦』だ。まず、統合宇宙軍10個艦隊と遊撃士二名を主力とする本隊を第一作戦宙域に集結、強固な防衛線を敷き、敵第一次侵攻部隊を撃滅、その後総力を持って反転攻撃を仕掛け、第二作戦宙域まで進出する」
10個艦隊は、統合宇宙軍の現有戦力ほぼ全てだ。それだけの戦力を投入すれば、確かに一回目の攻撃は退けられるだろう。しかし敵の戦力はこちらよりも遥かに多いのだ。それなのに反転攻撃とは、ただの無謀だ。
「本隊は全力を持って敵前衛部隊に突撃、敵部隊を釘付けにすると同時に、可能な限り敵の持つ戦力を前線に誘引する……つまりは陽動だ」
スクリーン上に、更に別の艦隊が表示される。
「二個分艦隊と四個機兵連隊、遊撃士三名で構成する強襲部隊をこの間に、破損したと見せかけ埋設していたワープゲートを用いて、敵旗艦級付近に設定した第三作戦宙域にワープアウト、陽動により手薄になったところを一気に突く」
……要は主力部隊全てを犠牲にした囮を使って、巨大な敵の心臓に、一針で止めを刺す、といったところか。虫の良すぎる作戦ではあるが、失敗すれば全てが終わりなのだとすれば、どれだけ犠牲を払っても、どれだけ成功確率が低くとも、やらなければならない。それは俺にも理解できる。
しかし、ゼロならばやっても仕方がない。
「一つ質問をさせて頂いてもよろしいですか?」
「許可しよう」
ヴァンデンバーグが頷いたのを見て、俺は話す。
「作戦は理解しました。まず、強襲部隊二個分艦隊をワープさせることは可能なのでしょうか」
これまで、一機のワープゲートでワープ可能なのは機兵母艦一隻と乗艦した機兵一個連隊が限界だった。しかし二個分艦隊となれば、通常編成で機兵母艦四隻に巡航戦艦八隻、これまでのワープゲート性能と演算処理能ではとてもじゃないが不可能だ。
「条件付きで可能であると技研は判断している。八機のワープゲートと十二艦全て、そして遊撃士三名の演算処理能を全てクラスタリングすることで演算処理量及びワープ限界エネルギー量を満たせる計算だ」
「条件とは?」
「クラスタリングにはコアとなる高度な演算処理能が必要だ、それが可能なのは現状、ユーリ・アサト中尉以外にはいない」
……やはりそうか。どちらにしろ、強襲部隊にはユーリの力が不可欠のはずだ。ユーリは、決死隊への配属、ということになる。
「もう一つ。敵の戦力はこちらよりも遥かに強大です。陽動が成功しても、敵旗艦級及び直掩部隊との絶対的な戦力不利は覆らないでしょう。作戦の成功にどれほどの試算があるのですか」
作戦批判と取られてもおかしくない質問だった。が、ヴァンデンバーグはこともなげにこう答えた。
「物理的に沈める、という意味では成功の試算はゼロだ」
スクリーンの映像が切り替わり、旗艦級の姿が映し出される。
嘘だろう。俺は絶句した。
大きすぎる……直径は約10km。これでは艦というより小惑星だ。
「見ての通りだ。敵の質量から考えて物理的な攻撃で致命傷を与えることは不可能だ。だが……一つだけこの化物を消し飛ばすことが出来る方法がある。この旗艦級には、これだけのサイズでありながら『自分自身をワープさせることができる』だけの演算能力がある。つまり、こいつの持つ演算処理能のコントロールを奪い取ることが出来れば、旗艦級自身を自爆的にワープさせ、虚数空間の彼方に葬り去ることができる」
……ちょっと待ってくれ。
――ハッキングのようなものだ。
そう、いつかユーリは言っていた。だが、そんなことを言う遊撃士はユーリくらいしかいない。演算処理能を奪い取る、強襲部隊に参加するユーリ……
嫌な。吐き気がするような想像が俺の中で加速する。
「……その任務を担当するのは、ユーリ・アサト中尉でしょうか」
「その予定だ」
……あの巨体の中枢に潜り込み、そして、そんなことを――あの旗艦級自身をワープさせるなんてことをしたら。
「作戦成功後、ユーリは……」
思わず、軍人としてではなく、妹としてその名を呼んでしまう。だが、ヴァンデンバーグの声色は微塵も揺らがなかった。
「ユーリ・アサト中尉は旗艦級と共に虚数空間に飲み込まれることになるだろう。尊く、掛け替えのない犠牲としてな」
「ふざけるな! そんな馬鹿げた作戦があるかっ!!」
最初から、たとえ成功させたとしても100%生還が望めない作戦なんて許されてたまるものか。俺は思わず激高し、机を叩き立ち上がった。
しかし、そんな俺の様子にも、ヴァンデンバーグはちらりと冷淡な視線を向けただけだった。
「……口を慎みたまえ、私は上官だ」
「んなもん知るか!」
別に軍法会議掛けられようが、こんなことを許すなら構わない。そういうつもりだったが、ヴァンデンバーグはやれやれといった様子で、小さく息を吐いただけだった。
「……まあいい。こちらも背に腹は代えられん、ユーリ中尉と同じく貴様も必要な人材だ。今の言動は不問として説明してやる。第一に、古来軍事作戦において決死の作戦は幾度も実行されている。第二に、ユーリ中尉だけでなく他の作戦参加部隊の大多数も事実決死であることに変わりはない。第三に、この作戦をユーリ中尉自身は理解し、その上で参加を志願している。貴様が何と喚こうが彼女は、彼女自身の意志でこの作戦に参加する」
俺はまたも、言葉を失うことになる。
……ユーリが、自分で決めたというのか。自分が死ぬことになる作戦への参加を、自分で?
俺たちから引き離され、たった一人で、そう決めたというのか。
一体、どんな思いで、それを決断したと言うのだろうか。
自分の命を捨てて、皆を守る。ユーリのその静かな決意を思うと、血が引いたみたいにすっと、俺の頭は冷静さを取り戻した。
「まだ、何か言い足りないかね」
「……いえ」
俺は首を振った。するとヴァンデンバーグはどこかと連絡を取ると、俺に退室を促した。
「説明の場所を移そう……これから統合宇宙軍技術研究所へ向かう。そこで、君が呼ばれた理由を話そう」
高い塀に囲まれたその敷地に初めて足を踏み入れる。その物々しい名前が嘘のように、緑の豊かな土地だった。しかしそれはカモフラージュで、実際の施設の大半は地下にあるという。
統合宇宙軍技術研究所。遊撃士や機兵、虚数空間テクノロジー、あらゆる鉱性生物対策が生まれた深淵の地。
そして、父の居た場所。
ヴァンデンバーグがパスを見せると、その門は口を開いた。広大な敷地の中を車で走り、辿り着いたのは地下格納庫への入り口だった。
エレベーターを使い、降りた先。漆黒の虚を強力な白色灯が切り裂く。その光の下に鎮座した『それ』。
……機兵、なのか。いや、だがそれにしては巨大すぎる。通常の機兵の6倍、いや、7倍? 全高はそれくらいだ。しかし全長は、後方に伸びた巨大なスラスターによって更に大きいようだ。戦艦副砲のようなサイズのレールカノンが異様さを際立たせる。
「……これは」
「試作高機動・高火力化外兵装システム『ジャガンナート』だ。機兵をコア・ユニットとして、外部装甲と兵装、高出力スラスターにより、駆逐艦クラスの火力と機兵以上の機動力を両立させている。更に、出力は劣るが自前の虚数空間転移フィールドも実装されている。作戦行動域が限定される上、戦闘可能な時間も極度に短いが、局所戦においては鉱性生物どもを凌駕することができるだろう。作戦の成功率を上げるには旗艦級に接触するまではユーリ中尉の演算能に負担を掛けない――つまり戦闘行動を行わない状態であることが望ましい。エスコートが必要というわけだ。少尉には、日本軍の『輝珀』をコア・ユニットとしてジャガンナートに搭乗、ユーリ中尉を同乗させて敵旗艦級に肉薄してもらう」
「……なぜ、俺なんですか」
俺よりも腕の良いパイロットは他にもたくさんいるだろう。それなのに、なぜ。
「君と一緒でなければ、ユーリ中尉が能力の全てを発揮できないからだ。技研の解析によると、ユーリ中尉の能力は君が近くにいる時、あるいは君の為に行動する時にのみ極度に活性化している」
「どうして、そんなことが……?」
ヴァンデンバーグは嘆息して答える。
「仮説はいくつか立てられるが、どれも十分な根拠を持たない……つまり、技研の連中は『そうであることは分かるが、そうである理由は分からん』と言っている。だが理由が分からなくともそうすることで成功率が上がるのであれば採用しない手は無い。君の操縦データも解析させたが、能力も経験も今回の任務に適する、と判断されている。君をこの任務に最適とする条件は揃っている」
一頻り考えて、もう一つ尋ねる。
「もし、俺が作戦への参加を断ったら?」
「君を作戦終了まで拘束し、操縦士として満足な別の人間に任せるだけだ……拘束されたまま鉱性生物に消し飛ばされんよう、せいぜい味方の奮戦を祈ることだな」
……だろうな。別に俺が居ても居なくても、作戦は止まらないし、止められもしない。
だとすれば、選択肢は一つしかないだろう。
繰り上げ任官への志願を決めた時の、あの時の気持ちを思い出す。
――守れるなんて思わない。
――でも、守られるだけなのは、自分が許せない。
――せめて、遠い月じゃなく、隣にありたい。
――ARビジョンでユーリが死ぬ所を見たくないし、俺が死ぬ時、ユーリだけが戦っているのも嫌だ。
――それなら、俺はユーリの近くで死にたい。せめて、近くで死んでやりたい。
ここで退いたら、ユーリにはもう二度と会えないだろう。そしてそのまま、ユーリは俺の知らない所に、この時空をも超越した遠く冷たい場所に、たった一人で行ってしまうだろう。
多分、ユーリは父さんが予見した、自分の未来も知っている。遠くない未来、自分が、自分でなくなってしまうことも、知っている。
それも全部、全部分かった上で、ユーリは決めた。一人で決めて、一人で逝くと。
俺は、それを許すのか?
そんなのって、無いだろう。最期にさよならを言うことも出来ない場所で、ただ見ているなんて、俺にはできない。
最期の瞬間まで、許される限り、俺の命が続く限り、俺はユーリの隣にありたい。
それなら。
「作戦への参加を志願します」
俺は決然としてそう答え、ヴァンデンバーグに敬礼した。
「よろしい。以降、貴官は参謀本部付士官となり原隊復帰は認められない」
そう言われた時、ハルの顔が脳裏をよぎった。
……心配するだろうか。まあ、するだろうな。
ハルも作戦に参加することになるだろう。俺に付いてこなきゃいいなと、そう思う。
そんな所、もうこの宙には無いのかもしれないけれど、出来るだけ安全な所で戦って、そして俺とユーリが人の未来を守れたなら、その先を生き残って欲しい。
俺たちの分まで、生きていて欲しい。
そこまで考えて、はっとした。
――再会したら、ユーリに怒鳴られるな、俺。
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