第14話 C.C0058-11.24 無知は罪なのだと

〇本話に登場するお題

・やいゆえよ(セリフ・キーワード ※5話で登場済)



 前線から離れ月に戻った俺たちを待っていたのは、休む暇もなく戦っていたのが嘘のように、訓練生時代に逆戻りしたかのような生活だった。

「――小隊戦闘教練パターン72B、状況終了。達成率72%です」

 オペレーターが告げる訓練結果の声。一人の操縦席の中で大きく溜め息を吐く。

 今まで呼吸を忘れていたんじゃないかというような、そんな感覚。窒息しそうな。

 けれど息を止めている暇なんて俺たちにはない。

 足りない。勝つのにはもちろん、守るのにも、生き残ることにすら、足りない。

 シミュレーターのハッチが開く。新しい空気が流れ込む。酸素。戦闘訓練でオーバーヒートした脳が再起動する。

 トライアル・アンド・エラーだ。残された時間の中で繰り返し、近づく以外にない。

「ミヤビ、今回のはいい加減踏み込み過ぎだぞ!」

 降りるやいなやチハヤの怒鳴り声が響く。それに今度はミヤビがすぐさま反駁。

「いやいや、隊長これは違うでしょ? 皆が退き過ぎなんですって!」

 訓練結果の検討会が即座に始まる。

「敵は無限だがこちらは有限だ、一機でも戦闘不能になったら持たないんだぞ」

「無限ってことは攻めどころで退いたらジリ貧っすよ。コイツは――輝珀は今までと違ってここで無理が効くんですって……オペレーター、今の戦闘ログ出してもらえますか」

「了解しました」

 俺たちの前に共有スクリーンが開き訓練結果を表示する。リアルタイムで味方小隊、味方各機、敵小隊、敵各機の行動を時間を追って表示し、また機体性能やパイロット能力から判断した別な行動を取ったパターンも分岐シミュレートできる。

「チハヤ隊長が指摘しているのは……この場面ですか」

 ハルが争点となった局面を表示する。2エレメントに分かれて敵高機動型小隊に迫った場面。本訓練ではミヤビの突出にチハヤとの陣形が乱れ、一旦後退を余儀なくされたことから強襲には失敗している。ここから再度合流して立て直したものの、褒められた小隊連携ではない。

「いいっすか? 俺の予想が正しければ――ほら、持ってますって!」

 シミュレーターの戦況判断はミヤビの突貫を「アリ」と判定した。

 チハヤはシミュレーターの弾き出した戦闘パターンを表示し、見入った。

「……私たちの方が、新型の性能に付いていけていない、ということか」

 チハヤは一転、冷静にミヤビの主張を検討し始める。

「シン、ハル、お前らはどう思う?」

 俺は一頻り考え、それからこう答えた。

「……怖いですけどね、俺はミヤビのようには踏み込めないです。ただ、守りに入ったらジリ貧、ってミヤビの意見には賛成です」

「シンが俺の肩を持つなんて……ドッキリか?」

「俺は真面目な話をしてんの」

 小さく嘆息して続ける。

「実際、今回のお前の攻め方……ディストーション・シールドを使って一機を盾にして無理矢理突っ込んで足場を作るってのは、ちょっと俺には無い発想だった。シミュレーターもアリって言ってるしな」

「ディストーション・シールドは使ってしまえば反撃ができなくなります。それで守りに入ってもいわば延命ですから、私もこういう風に積極的に攻めに転じる使い方を模索する方が良いと思います」

「ハルちゃんまで……やっぱりドッキリ?」

「バカは労働だけ提供して、黙っていてください」

「やっぱひどすぎる……」

 このシミュレーターで扱っている新型――試製五式機兵「輝珀」は、統合軍技研が遂に実用化した虎の子の新兵装「ディストーション・シールド」を搭載した月面日本製の最新型機兵だ。

 ディストーション・シールドは演算処理能の極限小型化によって実現した、簡易虚数空間転移フィールドとでも呼ぶべき防御兵装だ。

 虚数空間転移フィールドは、虚数空間にエネルギーそのものを移し替えることで攻撃を「なかったこと」にする。これは流石に、機兵に搭載可能なサイズの演算処理能では処理する情報量が膨大に過ぎ不可能だ。しかし演算処理能の小型化・高性能化により、攻撃を「逸らす」ことができるエネルギー量は引き出すことが可能になった。敵攻撃の射線上に強力なエネルギー場を生み出し、空間を捻じ曲げることで敵のレーザーの通り道を変えてしまう、というのがこの兵装の理屈だ。

 処理負荷を低減するため空間の曲げ方はパターン式だし、防御時にはシールドの演算処理に全てのリソースを回さなければならず、シールドを使いながら同時にレールカノンを撃つことはできない。

 それでも、限定的とは言え敵と互角と言っていい防御力を手に入れた、というのは俺たちにとって大きなアドバンテージだ。

「……確かにな、無理攻めを利かせなければならない場面もある、か。三十分後、もう一度72Bだ。そっちの攻め筋を試す。一旦休息とする」

「了解」



 訓練を終えて家へと戻る。また、月の家に帰ってきた。前と同じ、ユーリのいない一人の部屋だ。

 一人で、戻ってきてしまった。

 考えることが絞られているから、ここでの生活は楽だ。とにかく最重要事項は、輝珀をいかに使いこなし、鉱性生物に勝つかということ。それ以外の時はまた父の論文を読んでいればいい。父は鉱性生物を倒すことに自分の全てを捧げていたのだろう。父の残したテキストは、一生かかっても読み切れないのではないかと錯覚するほどの量がある。

 そうしてまた、父の論文を読んでいた時だった。

「……何のリンクだ?」

 論文のデータの一部にリンクが張られている。それは内容の繋がりとは無関係の唐突なもので、ただ読み流しているだけでは気づかなかったかもしれない。

 俺はその部分をタッチする。すると。

「何だよ……これ」

 突然別のプログラムが走り出し、みるみるうちに論文を表示していたARビジョンが真っ黒に変わる。そして……

「パスワード……一体、何の?」

 代わりに表示されたのは、無機質な、パスワードの入力を求める画面だった。



「バックドア、ですかね」

 自分では訳が分からず、また事情を知らない人間には迂闊に相談することもできず、仕方なくこの手のことにも詳しいハルを頼ってみた。

「バックドア?」

「裏口。簡単に言うと、本来は入れない場所に入口を作って侵入する……コンピュータ・ウィルスの一種です」

 仕事と関係のない話をするのは、久しぶりだった。上手く話せるのか――そもそも、俺の話を聞いてくれるのか、不安だった。しかしハルは俺の頼みを何のてらいもなく引き受け、淡々と俺の疑問に答えている。

 ただ一つ、違う事。

「このウィルスが入り込んでいるのは……統合宇宙軍技術研究所の、秘匿領域のようですね」

 もうハルは今までのように、俺のことを小馬鹿にしたような、あの溜め息や辛辣な言葉を吐いてはくれなくなってしまったようだった。わざとそうしているのか、無意識にそうなっているのかは分からないが。

「秘匿領域って……」

「ええ。軍事機密、ってことでしょうね」

 そうハルは頷く。

「これ、お父さんの論文に仕込まれていたんですか?」

「え? あ、ああ。未発表の草稿みたいだったけど」

 未発表……そう呟いてから、ハルは一頻り考えて、こう言った。

「じゃあ、このバックドアは自分用。もしくは……」

 それからハルは俺の方を見て。

「先輩に宛てたものなんじゃないですか?」

 父さんから、俺に?

「何か、パスワードに心当たりは?」

 そう言われて、とりあえず思いつくものを手当たり次第に入れてみる。俺たちの名前、誕生日、住んでいた住所。

 好きな……

 俺ははっとする。

 よくよく考えてみると俺は、父の好きなものすら満足に知らない。

 父さんは、父親とは言えないと思っていた。けれど、それは俺も同じだったのかもしれない。

 家族を。俺は、ちゃんと家族を、やれていたんだろうか? 俺と父さんの間に、何が残っていたんだろうか?

 その時、不意に最後に父と交わした言葉が頭の中に蘇ってきた。


――いいか……今から言うことを、よく聞け。

――お前ら兄妹は、特別な存在だ。人類の、希望だ。


――その時まで、お前がユーリを守るんだ。


――お前たちは、日本人だ。だから、日本の言葉を使おう。何、意味はない。


「やいゆえよ……」

 俺はそう口にする。すると、記憶がはっきりと蘇る。

 父さんと交わした、最後の会話。その記憶。


――やいゆえよ……?


――そうだ、これを覚えておくんだ

――意味はない、ただ、覚えておくんだ。俺がお前に、こう伝えたんだと、そのことを、覚えておくんだ。


「そうか……やいゆえよ、だ」

「やいゆえよ?」

 怪訝そうな表情のハルに、俺はただ頷いて応える。ハルがパスワードを入力する、がしかし。

「……だめ、みたいです。先輩」

 何でだ? 間違いないと思ったのに。

 ……いや、違う。間違いないんだ、これで正しいんだ。

 何だ? 何が足りない……? 俺は、何を忘れている……?


――大切なことは口にしてはならない、だが、本当に必要な時には、口にしなければ伝わらない。


「音声入力か……!」

 俺は音声認識に入力を切り替える。

「やいゆえよ」

 すると。

「ロックが解除された……」

 それから表示されたのは、一つのテキストデータ。論文というよりは、記録を兼ねた日記のようなものだった。そこに書かれているのは、とある実験の構想と、その成功、そして、一人の少女の成長過程。

 この一連の情報を父が書き記したのは、第4次月面大戦の直後。

 遊撃士は、幼児期の女性に鉱性生物の一部を寄生・定着させることで、鉱性生物の持つ虚数空間に干渉する能力を宿主である少女のコントロール下に置くことを可能としたものだ。しかし、これでは元来鉱性生物が持っていた力を十全に引き出すことはできなかった。

 既にこの遊撃士を生み出す為におびただしい量の血を人類は流していた。もはや、人間という種から倫理のたがは外れていた。

 逆転の発想をしたのだ。

「先輩……これって」

 ユーリが他の遊撃士を遥かに凌いで強いことには、きちんと理由があったのだ。


 鉱性生物が寄生体で、人間が宿主だから――人が本体だから、鉱性生物側の力を100%発揮することができない。

 ならば、鉱性生物を本体にすれば。鉱性生物に人間を寄生させて、鉱性生物そのものを人間の脳でコントロールはできないか?


 鉱性生物に飲み込まれ、飲み込ませ、無数の失敗を繰り返し、生きるはずだった無数の命を握り潰し。

 そうして生まれたものが。

 その唯一の成功例が、ユーリ・アサト。

 俺の妹。


「先輩……こんなのって、なんで……」


 ――そこに書かれていたのは、ユーリが人の形をした鉱性生物だという、その事実だった。

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