第13話 C.C0058-10.15 それでも、やらずにはいられなかったんだろうな

〇本話に登場するお題

・うんこから出てきた大学生が踊りだし目から殺人光線(描写・映画内)

・穴という穴から豆乳を垂れ流し狂喜乱舞するゴジラ(登場怪獣・映画内)

・恋人が殺人鬼の主人公(登場人物・映画内)

・親戚は宇宙人とラクダ(設定/登場人物・映画内)

・甲子園(舞台/地名・映画内)



 ――統合宇宙軍第13基地『ジム・ラヴェル』を放棄する。

 その決定が俺たちにまで通達されたのは、一週間前。敵の比較的大規模な攻勢を何とか凌ぎきった後のことだった。

 理由は二つ。一つは単純に、ここを防衛できるだけの戦力が人間側から失われたこと。アステロイド・ベルト域までの防衛線を維持し切るだけの戦力がもうこちらにはない。このままだと残存戦力が各個撃破されかねない。そうなる前に月周辺に戦力を集結させようという狙いだ。

 もう一つは、敵がアステロイド・ベルトの内側に直接ワープを仕掛けてくるようになり、基地の戦略的価値が消失したこと。この基地はあくまで、防衛線に迫る敵に対して迅速に戦力を展開するための拠点だ。防衛線の内側に直接迫られるのであれば、ここは敵に近いだけの、ただの棺桶と変わりがない。

 そういうわけで、俺たち第16機兵連隊を含め第13基地を根拠地とする全部隊はきっかり一週間で撤退を完了しなければならない。これまでの鉱性生物の攻撃パターンから推測するに、前回の規模の攻撃から再攻撃までの安全圏と言っていい数字がそれぐらいらしい。整備科や施設科部隊は大忙しなわけだが、身辺整理をしたら後は身一つで済む俺たちパイロットは、存外に暇だ。

 あれ以来ハルとは、仕事のために必要な最低限の会話以外はしていない。

 踏み込まないようにしているんだと思う。多分、お互いに。

 無意識に溜め息を吐いている。

 やることがない時間というのは、辛い。

 目の前に何もないと、どうしても考え始めてしまう。ハルのことも。

 ……ユーリのことも。

 テキストをよく読むようになった。小説なんかじゃない。もっぱら読むのは父が残していった論文だった。どうせ逃避するのなら、空虚な物語の中よりもそっちの方がまだ建設的だ。

 そんな風に、俺が自室で父の研究論文を読んでいる時だった。

 呼び出しのブザーが鳴る。億劫だと思いながらも立ち上がり、ドアを開けた。

「よお、シン。御機嫌麗しゅうだ」

 そこに立っていたのはミヤビだった。俺は嘆息する。こいつの話はどうせろくでもない。

「あ、お前、今どうせろくでもない用なんだろうなって思っただろ?」

 じとりと俺を見ながらのミヤビの言葉に、軽く目を見開いて俺は答えた。

「ミヤビの割には鋭いな、その通りだ」

「だからお前はひでえよ、シン」

「褒めたつもりだったんだけど」

「全く褒められてねえし……で、今お前暇?」

 まあ、無論暇だ。

「別に、暇ってわけじゃない」

 だがミヤビの問いに素直にそうだと頷くのも癪なので、とりあえず否定しておく。しかし。

「いや、嘘だな。暇な人間はのんびり自室にいたりはしない」

「なるほど……一理ある」

 俺が思わずそう答えると、ミヤビは何だか気持ち悪そうな顔をした。

「なんだよ、その顔?」

「いや、お前が素直に褒めるなんて、って思って」

「いや、別に褒めたわけじゃない」

「……なんなんだよ」

「それで、暇ならなんだって?」

「ああ、想像通りろくでもないことだけどさ。ちょっと外に出ないか?」



 そう言ってミヤビが俺を連れ出したのは、市街区の映画館だった。

「何だよ、今さら……」

 くすんだ外観。わざとだろうか、古めかしい造りをしたその建物を見て、俺はそう呟いた。

「だって、お前ほとんどこんなとこ使ったことないだろ? でも、俺たち兵士の為に用意されてたんだぜ、何もしないでさようならってのもなんかもったいないじゃんか」

「第一、やってんのかよ。こんな時に」

 もちろんこういった娯楽施設も撤退対象。生活に必要最低限の施設以外はほとんど稼働していない。

 だがミヤビは胸を張って返事をする。

「心配すんな、リサーチ済だっての。今日、この次のが最終上映。最後だから最新のじゃなくて館長の好きなやつ掛けてるらしい」

「ふうん」

 映画なんて、久しく見ていない気がする。というかそんなものをこのご時世にまだ作っているのか、という驚きすらある。

 俺は小さく息を吐いてミヤビの方を見た。

「……そうだな、基地をおいとまする前にこんなのもいいかもな」

 当然だが、映画館の中はがらんとしていて人の姿はまばらだ。最後に上映されるのは三種類の映画だった。

「で、どれにするよ?」

「俺が決めていいのか?」

「お前に見せようと思って連れてきたんだ、シンの好きなやつでいいよ」

 ミヤビの返事に、俺は一頻り三つのタイトルを見回した。

 二つは俺でも名前を知っている、名画と呼んでいい作品だった。残る一つが……

「ゴジラ対最終兵器の彼女対クソ大学生……」

 ……明らかにクソ映画だ。タイトルにも書いてあるが、間違いなくクソに違いない。

 だが。

「……これにするか」

「本気で言ってんのかよ」

 ミヤビが呆れた声で言うが、俺は頷く。

「他の二つは俺でも名前を知っているくらいだ、さぞかし良い映画なんだろう」

「ああ、俺が思うに人生の終わりに見るにしても悪くないレベルの作品だぞ。館長は良い趣味してるな」

 そうミヤビは自信ありげに答える。こんなんで、案外映画通なのかもしれない。

「だからまあ、俺の中の『素晴らしい』の範疇は超えないだろうと思う。それに引き換えこいつはどうだ、こんな香ばしいタイトルを晒して堂々館長最後の三枠に居座ってやがる……逆に気になるじゃんか。なんで最後の一枠に、ここの館長はこれを選んだのか」

「……言われてみれば、確かに」

「だろ?」

 そう言うと、ミヤビは仕方ないなという感じで小さく笑った。

「じゃあ、ま、いいんじゃねえの? 残りは俺は見たことあるし、クソだって覚悟してクソ被るぶんには止めはしねえよ」

「じゃ、決まりだ」



 中に入る。暗くてはっきりとは見えないが、客の姿は確認できる限りでは一人しかいない。ただでさえ少ない客に、このタイトルだ。俺たち以外にコイツを見ようという気概がある人間が一人でもいる、と考えるべきなのかもしれない。

 広い、がらんとした座席の中で、俺たちはその客の斜め少し後ろ、中央の席に座った。

 暗闇の中、スクリーンは淡々と『ゴジラ対最終兵器の彼女対クソ大学生』を映し続けた。俺も、ミヤビも、もう一人の客も。一言も発さず、終始その物語を眺めていた。

 控え目に言って、酷い映画だった。率直に言えばクソ映画だった。



 筋書きは、こうだ。

 主人公である日本の大学生サノ=テツには、ミスキャンパスに輝くかわいらしいガールフレンド、ストーレンがいる。しかしサノ=テツは酷いラクダ顔で、彼女の容姿に自分が見合っていないことに強いコンプレックスを抱いていた。

 ある日ストーレンはただ一言「探さないでください、さようなら」と手紙を書き置いて、サノ=テツの前から姿を消してしまう。サノ=テツは、きっと彼女は自分のラクダ顔についに嫌気がさしたのだと絶望し、大学に休学届を出して放浪の旅に出る。

 しかし、ストーレンが姿を消したのには重大な訳があった。彼女の中に眠っていた食人鬼としての血が覚醒し、人を喰わずにはいられなくなってしまったのだ。理性を失ったまま数人を手にかけてしまい、その己の所業を見た時、彼女が最初に胸に抱いたのは後悔でも、自己の正当化でもなく、最愛の人、サノ=テツだけは手に掛けまいという一念だった。彼女もまた、己の内なる欲望と衝動を堪え、当てのない旅に出る。しかしその旅の中でストーレンは実の叔父に出会い、父が人食いの性を持った宇宙人であったことを知る。叔父との壮絶な修行を乗り越えて、ストーレンは食人鬼の血をコントロールすると共に宇宙に名を馳せた戦闘民族としての力の解放にも成功する。

 サノ=テツもまた旅の中で親縁と出会い、自身のルーツを知ることになる。サノ=テツの出会った、父の血縁だという男――いや、オスは、本物のラクダだった。サノ=テツはただのラクダ顔だったのではない、紛れもなく、ラクダの血を引いたラクダ人間だったのだ。この事実はサノ=テツを更なる絶望の奥底へと突き落とす。彼はもはや生きる価値もないと思いを定め、ラクダの親類が本能のままに自宅の隣に作り上げたという、糞を積み上げたクソ塚の中に顔から潜り、命を断とうとする。

 そこで一旦、場面は移り変わる。二人の暮らす日本に危機が迫っていた。深海で眠りについていた怪獣ゴジラが突如として目覚め、本土に向けて進撃を始めたのだ。対怪獣特殊部隊Gフォースが上陸を阻止するべく果敢な防衛戦を展開するが、既存の兵器では手も足も出ない。

 同時に、ストーレンの人食いを奇怪な連続殺人として捜査していた警察庁の特務捜査班が彼女の存在に辿り着く。彼女の常軌を逸した力を知った日本政府は、彼女の罪を不問とする代わりにゴジラとの決戦に協力するよう司法取引を持ち掛ける。ストーレンはそれを了承する。この国を守り、せめてもの罪滅ぼしをと。勝っても負けても、自分自身はそこで命を断つ。そう覚悟を決めて。

 場面が切り替わる。サノ=テツはラクダのクソの海に溺れ、その中で、夢を見ていた。それはストーレンの夢だった。彼女が危機に陥っている。しかし、自分には何の力もない。彼女を救い出すことはできない。自分は……自分は、ただのラクダ顔の、無力な一人の男でしかない。

 ストーレンを……彼女を助ける力が欲しい。彼女から求められなくてもいい。ただ、彼女の力になれれば、彼女を守ることさえ、それさえできればいい。

 このラクダ顔の命だ。高望みはしない。一つだけ、あとは何も望まない。

 その願いが、天に通じたのだろうか。

 クソ塚の中から奇跡的に生還したサノ=テツは、踊ることで殺人光線を発することができる超能力を手に入れていた。そして報道で、ストーレンが怪獣ゴジラと対峙することを知る。場所は関西。近い。サノ=テツは手早くシャワー(サービスシーンらしい)を浴びクソを洗い流すと、約束の地へ向けて走り出した。

 ゴジラは太平洋から和歌山県に上陸、狂喜乱舞しながら全身の穴という穴から大量の豆乳を放出しながら北へ北へと進んでいく。ゴジラの歩いた後は豆乳の大洪水に襲われ、命は何一つ残らない白濁の海と化していく。

 決戦の地は兵庫県西宮、阪神甲子園球場。Gフォースは甲子園球場にゴジラを誘い込み、その豆乳で球場が溢れたところで大量の塩化マグネシウムを投入、豆乳を豆腐に変化させる(実際にはそんな風に瞬時に豆腐ができるわけもなく、化学考証は滅茶苦茶だ)ことでゴジラの動きを縛ることに成功する。そこにストーレンが攻撃を加えるが、ゴジラは豆乳をウォーターカッターの如く高圧で噴射、ストーレンは苦戦を余儀なくされる。

 しかしそこにサノ=テツが辿り着く。何も言葉を交わさずとも、二人の共闘が始まる。サノ=テツは軽やかなステップでパラパラを踊りながら目から殺人光線を放ち、ストーレンに迫る豆乳の刃を打ち払った。サノ=テツとストーレン、二人の前にゴジラはついに打ち倒される。

 しかし、物語はそこで終わらない。

 ストーレンに、抑え込まれていたはずの食人鬼の性が復活してしまったのだ。最愛の人と再会が、奇しくもその人を「食べたい」という壮烈な欲望となって、ストーレンの理性のたがを外してしまったのだ。もはやストーレンを止めることが出来るのは、ラクダのクソから覚醒し殺人光線の力を得たサノ=テツをおいて他にない。日本の未来を掛けて、サノ=テツは愛する人と対峙する。

 ストーレンの、360度全方位から隙を伺い迅雷の如く迫る踏歩と攻撃を、サノ=テツは高速ブレイクダンスからの破壊光線で迎え撃つ。その力は互角、次第に二人の距離は縮まり、接近戦へと移る。それに従い、サノ=テツのダンスも守りのブレイクダンスから攻めのヒップホップ、ジャズ、そしてクラシックへと鮮やかに移り変わる。

 そして最後には、戦っているはずの二人は、まるで社交ダンスを踊るように。瓦礫と出来損ないの豆腐に満ちた甲子園は、ボールルームへと姿を変えた。

 どちらかの死でしか終わることのない舞踏は、二人だけの世界を形作った。

 そこに満ちた感情は、悲しみか、苦しみか、それとも、愛か。

 その演武は、永遠に続くかに思えた。

 しかし、それは唐突に終焉を迎える。

 不意に動きを止めたストーレンの胸を、サノ=テツの破壊光線が貫いた。避けられたはずの攻撃だった。しかし、戦いの中でサノ=テツとシンクロし、その同調が奇跡的に彼女の理性を取り戻させたのだろうか。刹那に死を受け入れたストーレンは、その場に崩れ、絶命した。彼女にとって、初めから戦いが終われば断つつもりの命だった。最期、それを最愛の人に手を下して貰ったのか、手を下させてしまったのか、幸福だったのか、不幸だったのか、それは二人にしか分からないだろう。

 ストーレンの死を持って、世界は救われる。

 サノ=テツは慟哭する。荒々しくも、切ない、嘆きの声。

 サノ=テツはストーレンを失ってもなお、踊り続けた。天を仰ぎ、高速でチャールストン・ステップを踏み続けながら、宙に向かい殺人光線を放ち続けた。ただ真っ直ぐに放たれた閃光は、大気を奔り、雲を穿ち、漆黒の世界の中でも尚、煌々と、果てのない、迷いのない軌跡を描いた。

 サノ=テツもまた、自身の体に残された力の全てを光に変えて絶命する。

 彼は両足を大きく開き、頂点を見つめながら、右手の人差し指を立て、真っ直ぐに頭上に突き出した姿勢で、果てた。彼と、残骸と化した甲子園の瓦礫を、夕日が真っ赤に染め上げる。彼の放った光線の軌跡を追いかけるようにゆっくりと画面が上へ上へとスライドしていきながら、エンドロール。

 そんな、何が言いたいのか、何がしたいのか分からない、本当にクソみたいな映画だった。



「やっぱり、クソ映画だったな」

 エンドロールが終わり、ぼうっと明かりが点く。席に座ったまま、俺はそう呟いた。

「ああ、やっぱクソ映画だった」

 そう、席に座ったままミヤビも答えた。

「途中までまるで訳が分かんねーし、いや、結局最後まで訳わかんねーんだけどさ、そうなんだけど」

「ああ」

 俺が頷くと、ミヤビが俺の顔を意外そうに覗き込んだ。

「お、珍しく俺らおんなじこと考えてんじゃねえ?」

「奇遇だな、俺もちょっとそう思った」

 そう笑って、俺は小さく息を吐いてから、こう言った。

「クソ映画だったけど、綺麗な映画だったな」

「ああ、よく分かんねーけど、なんか綺麗な映画だった」

 良かったとは言わない。でも、今日こいつを選んで、悪くはなかったんだと俺は思う。

「わざわざこのジム・ラヴェルで最後に見る映画にコイツを選ぶとは、お前ら相当の変わりもんだな?」

 そう、少し髭の伸びた強面の男が突然に話しかけてきて、それがもう一人の客なのだ、ということに僅かに遅れて気が付く。

「でも、お兄さんも俺らと同じチョイスでしょ? 人のこと言えないんじゃないっすか?」

 そうミヤビは気軽な口調で笑いながら返事をした。こんなへらへらした調子ではキレられてもおかしくない風貌だが、そこらへんがミヤビの肝の強さなのかもしれない。

「良いんだよ、俺は」

「そりゃまたなんで?」

「だって、コレを選んで流してるの、俺だし」

「じゃあ……ここの館長って」

 俺がそう呟くと、当然という風に頷く。

「そう、俺」

「へー、こんなワイルドダンディなお兄さんが館長さんだったんすねー、知らなかった」

「俺はお前のことは知ってるけどな、ちょくちょく来てた機兵の操縦士だろ?」

「客の顔覚えててくれてるんすか? 嬉しいなあ」

 そんな当たり障りのない、ミヤビと館長の会話が続く。多分、そこで終わりで良かった。いつもの俺だったら、別に口を挟む気もなかった。

 だけど、なんだろう。おかしな映画を見たせいだろうか。

「どうして」

「……ん?」

「どうして、最後に流す映画に、これを選んだんですか?」

 こんな質問、自分でもらしくないなと心の中で苦笑する。

「変か? 三つあるんだ。二つは王道としても、一つくらい飛び道具じみたのがあってもいいだろ?」

「いや、そうじゃないですよね」

 俺は首を振る。本当にどうしてだろう。

「そういう選び方をした映画なら、貴方はここじゃなく、別のスクリーンにいるはずだ。でも、貴方は最後に選んだ三つの中で、その中で最後に見る映画にこれを選んだ」

 ミヤビみたいに、踏み込みたくなってしまった。理由がはっきりあるわけじゃないし。確かめたいことがあるわけでもないけれど。

 何でかって聞かれたら、分からないけれど。

 館長は遠くを見るように、僅かに目を細めた。一頻りの沈黙があって、館長は口を開いた。

「この映画、どう思う?」

「そうですね……相当なクソ映画だと思います」

 俺が正直にそう答えると、館長も「だよな」と頷いた。

「だけど……だけど、なんでか分かりませんけど。最後は、綺麗だと思った」

 館長は俺の言葉に、小さく笑って同じ返事をした。

「だよな」

 それから館長はこう続けた。

「この映画を撮った監督なんだけどな。昔はラブストーリーとか、家族物語とか、そういう人の機微で感動させるような作品が得意だったんだ。当時は高く評価もされていた。でもある所から……センスが狂い始めたのかな、こんな映画を撮り始めたんだよ。もちろん評価はガタ落ち、スポンサーも離れて金も出なくなって、売れていた頃に稼いだ金で映画を撮って、莫大な赤字に変えて、なんて。そんな生き方をしていたらしい」

「才能が枯れちまったのかな」

 ミヤビがぽつりとこぼした呟きに、館長は首を振る。

「それはどうだろう。俺は、この映画を撮った奴に才能がない、とは思わんね。なんて言うのかな、俺は凡人だから、はっきりとは分からないんだが……そうだな、この監督は、こんな作品じゃ駄目だ、ってのは、当たり前だけど分かっていたはずなんだ。多分、売れていた頃の作風に戻しちまうことも、能力としては出来たと思う」

 そこまで話して、それから館長は胸ポケットから煙草を取り出した。今じゃ珍しい、本物の煙草だった。

「何かの縁だ、お前らも吸うか?」

 俺たちが首を振ると「良い子だ」と言って、自分だけ火を点けた。それから一度、深く吸い込み、紫煙をくゆらせた。くすんだ壁と同じ色の煙が、深紅のシートに映えた。

「でも……それでも、やらずにはいられなかったんだろうな。駄目だ、見向きもされない、そう分かっていても、この作品を撮らずにはいられなかったんだよ、多分。コイツはクソ映画だ、間違いない。けどな、そういう苦悩と葛藤の中だから……いや、違うな、そういう苦悩と葛藤の中でしか生まれないんだよ。そういう美しさを持ってる。だからコイツは、クソ映画なのに、何故かとんでもなく綺麗なんだ」

 そう言って、館長はもう一度俺たちに笑いかけた。

「それにこいつは、その監督の最後の作品でもある」

「だから、映画館の最後にかけた、ってことっすか?」

「ああ、凡人の発想だろ?」

 そう言って、館長は俺たちに背を向けた。

「最後に一人で見ずに済んで良かったよ、ありがとう」

 そう言い残して、館長は仕事へと戻って行った。

「やらずにはいられない、か」

 二人残されたスクリーンの前で、ミヤビがふと、そう呟いた。

「どうした?」

「いや、俺たちも同じなんじゃないかと思ってさ。こんな戦い、多分人間は勝てないだろ。戦力が違い過ぎる、最初から詰んでんだ、勝てないって分かっていて、皆戦ってる」

 そう、俺たちが口には出さないできたことをあっさりとミヤビは口にした。一度口にしてしまえば、心が折れてしまいそうな、そんな言葉。

「死んじまったほうが、滅んじまったほうがよっぽど楽なんじゃないか?」

「まあ、確かにな」

 ミヤビの問いに、俺はあいまいに頷く。「でもさ」とミヤビは続ける。

「無理だ、駄目だ、って思っても。痛くても、怖くても、やっぱ俺ら、生きたいんだよ。だから、戦わずにはいられないんだ。最後に勝てる目が0でもさ、そこに1でも、0.1でも、0.01でも、あるって信じたいんだろ、俺たちって。あの監督も、そういうのを信じて、この映画を撮ったんじゃねえの、とかさ」

「だけど、結局この映画も売れなかった」

 我ながら嫌な言葉が、反射的に口を突いた。しかしミヤビは待ってましたとこう切り返した。

「だけど、少なくとも俺たち三人には売れたじゃんか」

 俺は思わず吹き出して、それからこう返事をした。

「なるほど。一理あるな、それも」

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