第12話 C.C0058-9.7 貴方の傍にいられない

〇本話に登場するお題

・なし



 ユーリが、基地から姿を消した。

 異動だ、そうニシヤは言った。どこに行ったのかは分からない。機密だ、ともニシヤは言った。もしかしたらニシヤにも知らされていないのかもしれない。

 俺たち基地襲撃の生き残り組は、順番の前後はあったが続々と正規兵として連隊に配属された。いや、配属せざるを得なかった、という方が正しいだろう。

 あの襲撃以降、敵の侵攻頻度は増加し、その規模もますます強大になっている。どこも戦力の補充が間に合わない。たとえ俺たち訓練生でも月からの補充兵を即戦力にするよりはずっとマシ、上等な部類に入る、ということだろう。

 戦っている時間と、戦っていない時間。この二つだけで日常が構成され、消費されていく。

 何も考える暇がない。

 いや、考えないようにしている、のだろうか。

 余計なことを考えた奴から、順々に死んでいく。

 朝一緒に飯を食った奴が夜には居ない。三日後には知らない奴が一緒に朝飯を食っている。そんな生活。

 いちいち頭を働かせていたら、おかしくなる。



 その日も、大規模な攻勢があった。俺たち第16機兵連隊と機兵母艦ノーチラスは、遊撃士二名を擁する中央主力部隊の攻撃を支えるべく、敵反攻部隊の阻止を任務としている。俺たちの仕事は機動防御――こちらの防衛線を突破した敵部隊を逆襲し、撃破することだ。

 こちらの戦域には遊撃士が一人もいない。命を切り売って時間を稼ぐ、死地だ。

「【ノーチラス】より【ヘルハウンド】。左翼防衛線が崩壊、敵二個大隊規模が追撃しつつ侵攻中。【アリアンロッド】【ディアーナ】の突貫まで左翼防衛線を支えよとのことです」

「既に崩壊した防衛線を『支えろ』とは、簡単に言ってくれる……ヘルハウンド・リーダーよりオール・ヘルハウンド、聞いての通りだ、左翼に急速展開するぞ! 左複縦斜線陣、敵の勢いを逸らしつつ横腹に喰らい付く、先頭は第二小隊!」

「ヘルハウンド5了解、小隊続け!」

 三か月前まで訓練兵だった俺が、今やニシヤ直轄の第一小隊に次ぐ、第二小隊の二番機――ヘルハウンド6だ。

 いや――俺たちが、と言うべきか。

「敵の斥候に頭を取られたか、予想より速いな……高機動級だ、気を引き締めろ!」

 敵の高機動級――最近になって投入された、高速戦闘を得意とする小型級の亜種だ。こいつにこちらの機兵は大量に喰われている――の斥候小隊がこちらの展開位置に先んじるべく迫る。

「ヘルハウンド5より小隊各機、敵斥候部隊を駆逐し大隊展開の橋頭保を確保する、フォメーション、ライト・エシュロン!」

「了解!」

 ライト・エシュロン――右斜線陣は、左前方から右後方に向かって斜め一列に並ぶ隊形だ。戦闘速度を維持したまま前からミヤビ、チハヤ、俺、ハルの順番で素早く隊形変化する。

 距離を詰める。敵小隊の知覚範囲に突入する。

「コンタクト! 6、7、牽制しろ!」

 チハヤが指示を出すと同時に遅滞反応弾を射出、敵陣中央、最適位置で炸裂する。

 ミヤビとチハヤはそのまま左へ、俺とハルのエレメントは逆に右を取る。

 戦闘速度を維持したまま突貫、ヘルハウンド7――ハルの構えたレールカノンが先制射撃を加える。敵の回避機動、フィールド防御の厚さまで読み含めたハルの長距離射撃は隊でも並ぶ者のない腕だ。

 連続で放った質量弾がフィールドの一点に立て続けに着弾、貫通。早くもこの距離で一機を撃墜して見せる。

 敵が反撃態勢を取る。今度は俺が前へ出る。

 敵の攻撃の寸前、重金属チャフを前方に集中展開。レーザー火砲を凌ぎつつ、チャフの霧を迂回して更に上を取る。

 チハヤとミヤビのエレメントも敵に迫る。敵の攻撃をチハヤが俺と同じように重金属チャフで受ける。その隙にヘルハウンド8――ミヤビが今度は下を取って迫る。

「ヘルハウンド8、突貫成功!」

「全機、クロースコンバット!」

 ミヤビの機動には迷いがない。この2エレメントでの挟撃からミヤビの突貫、近距離戦に持ち込むまでの流れは、対小隊戦闘ではパターン化された手筋だ。一度懐に飛び込んでしまえば、味方誤射の恐れがある上攻撃準備に時間がかかる相手の方が不利になる。

「ヘルハウンド5よりヘルハウンド・リーダー、敵斥候小隊殲滅、橋頭保を確保!」



 大隊に死者は出なかったが、連隊では4人死んだ。

 最初の頃は、戦闘から帰ってくると、震えたり、吐いたりしていた。けれど、もう慣れた。

 自室のベッドの上で壁にもたれかかる。暗闇の中に、白い天井がおぼろげに漂っている。

 考える暇はない。そんなことをするくらいなら、寝て体力を回復した方がいい。

 それでも戦場にいない時は、気が付くとユーリのことを考えてしまっている。

 ユーリが基地からいなくなった後、一度だけ、戦場で見かけたことがある。

 あいつはもう、別の機兵母艦と行動を共にしていた。そして圧倒的な戦闘力で敵を退けていた。俺のことに気づかなかったのか、気付かないふりをしたのかは分からない。だが俺が一方的に、あいつを見かけた。それだけだ。

「ユーリ……あいつ、今頃どこで何してんだか」

 一人で、大丈夫だろうか。

 俺は首を振る。俺に心配されるようなことじゃないか。俺よりも、あいつの方がよほど強い。戦場で死ぬなら、俺の方がずっと早いはずだ。

 ……俺のことを、心配しているだろうか。心配させてしまっているだろうか。

 あの日見た、冷然とした目で敵を見据えるユーリの横顔が頭をよぎる。

 心配、してくれるのだろうか。それとも……

 思考を断ち切るように、大きく息を吐いた。

 その時不意にノックの音が響いた。返事をせずにいると、一頻りして扉が開いた。四角く射し込んだ光に、シルエットが浮かび上がる。

「……先輩、戦闘の後、また何も食べなかったんですか?」

 夕食の載ったトレーを持って入ってきたのは、ハルだった。

「……入っていいって、返事してないだろ」

「はい。だから勝手に入りました、それが何か?」

 そう言って部屋に踏み入ると、ハルはトレーをテーブルの上に置いた。俺はため息を一つ吐いて、何も言い返さなかった。なんというか、ハルと話している余裕がない。

「最近、全然食べないですね、先輩」

 ユーリが居なくなってからだろうか。あまり、物を食べたいと思わなくなった。半ば無理矢理に、最低限度を口に押し込んでいるようなところがある。

「また……ユーリちゃんのこと、考えてたんですか?」

 らしくない躊躇いがちな口調で、ハルがそう訊いた。

 その態度が――下手に気を遣ったような態度が、嫌だった。

 ……そんな訊き方をするなら、最初から言わないでくれ。俺の心を踏み荒らす覚悟がないのなら、心配しているような顔をしないでくれ。口に出さず、頭の中で吐き散らす。

「考えたってどうしようもないことは、考えてもどうしようもないんです。私たちは、ユーリちゃんと違って弱いんです、だ……」

「お前、ユーリが強いって言うのか?」

 ハルの言葉尻を掴まえて、勝手に口が開いた。

 自分でも信じられないくらい冷たい響きが、ハルの言葉を遮った。

 それでも、自分の声じゃないみたいなその音は、止まらずに俺の中から流れ出していく。

「ユーリは強いから……ほったらかしでも、お前が何一つ心配しなくたってなんの関係もないって、そう言うのかよ」

「そんな風に言ったわけじゃ……」

 嘲笑うような声で、俺はハルの話も聞かずにこう言い放った。

「どうせ、お前じゃユーリと俺のことは分かんないよな、ハル」

 その時だった。

 開いたドアの白光の中に黒く浮かんだハルの、目の色だけが変わったような気がした。

「何ですか、それ……そうやって言っておけば、私には返す言葉がないって、そういうことですか? 馬鹿じゃないですか先輩、そんなの当たり前でしょう!? 私にユーリちゃんと先輩のことなんか、分かるわけないじゃないですか、一緒にいた時間が全然違うんだから分かるわけないでしょう!? そんな当たり前のこと今更、アホなんですか!?」

 罵声。俺は無言でいる。耐えかねたような足音が響いて、それから。

「……っ!?」

 ぐいと、両手で襟を掴まれて顔を引き上げられた。怒らせたハルの目の中に、虚ろな俺の顔が映る。

「私は、ただ先輩が余計なことに気を取られて、死んでほしくないだけっ!」

「余計……ユーリが、余計、だと?」

「ええそうです私にとっては余計です! ユーリちゃんは、もうここには居ないんです分かってるでしょう!? 先輩がどれだけ悩んだって、苦しんだって、そんなことじゃ帰って来ないし、取り戻せもしない、そんなの、いくら馬鹿の先輩でも分かってるでしょうっ!?」

 反駁しようとして、はっとした。

 頬に感じる冷たさ。

 ハルが、両手で、まるで敵の首みたいに俺の襟を掴み上げたまま、怒りに震わせ、俺を睨みつけている目から、ぽろぽろと、止めどなく、涙をこぼしていた。

 泣いていた。あのハルが、隠すこともせず、ただ、さめざめと、泣いていた。

「ユーリちゃんのことなんか、知らない……だって、私の目の前にいるのは、先輩だから。たとえ先輩が一番大切な人を失っても、そのせいで、私は、私の一番大切な人を、失いたくないから……だから」

 だから――

 その先を、ハルは言わなかった。

 それから、不意にハルの手から力が抜けて、すとんと俺の体が落ちた。

「……嫌な女ですね、私」

 ハルの顔が見られなかった。

 落とした俺の目線の先から、ハルの靴が動かなかった。

 ずっと、動かなかった。

 俺は、やっと声を絞り出して、言った。多分、ハルが待っていたのとは違う言葉を。

「……出ていってくれって、言わないとダメか?」

 一拍してから、目の前の靴がくるりと踵を返した。

「ご飯、ちょっとでいいから、食べてください」

 そう声がして扉が閉まる。真っ暗な部屋の中で、俺はベッドに倒れ込んだ。

「嫌な奴なのは……俺も同じだろ」

 ――そんなことじゃ帰って来ないし、取り戻せもしない。

 ハルの言う通りだ。

 ハルに当たって、あいつに、あそこまで言わせて。

 それで何になんだよ。

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