第10話 C.C0058-6.2 幼年期の終わり

〇本話に登場するお題

・なし



 もう一度目を開いた時、視界に広がっていたのは、天国でも、地獄でもなかった。

 ――それは虹。黒を塗り込める、光彩。

 俺は、その輝きを知っている。

「……どうして」

 思わず、声が出た。

 俺の前に立ちはだかり光線を防いだ、その七色の翅の持ち主。

 それは、ここにはいるはずのない妹――ユーリだった。

 小さな背中が、大きく見えた。それは彼女の体よりもずっと大きな、四枚の翅のせいじゃない。

 悲しみ、苦しみ、怒り。分からない、分からないけれど。何か大きな感情のうねりのようなものが、波を伝えないはずの虚空を震わせる。びりびりと、響く。

 ユーリに向かって敵の小型級が一斉に砲火を集中する。

 ――邪魔をしないで。

 ユーリの声が響いた。でも通信じゃない。

 このコクピットの空間そのものが、鳴った。

 広げられた翅から展開した虚数空間転移フィールドが、レーザーの斉射を虚の中へと丸飲みする。

「……なんて出力だよ」

 ユーリの展開したフィールドの大きさに俺は驚愕した。後ろの俺だけでなく、味方の隠れたデブリ帯をすっぽりと覆うほどの、巨大で強固な防御壁。

 いくらユーリが強いとはいえ、一人の遊撃士の能力を遥かに凌駕している。

 ユーリの展開した翅が前方に向かって窄まった。次の瞬間。

 空間が裂け、弾ける。声にならない世界の悲鳴。光学カメラを打つエネルギーの渦。

 巡洋艦級主砲クラスの光線が敵編隊の中央を穿つ。小型級の群れに大きく穴を開け、その向こう側の揚陸艇級二隻もまとめて、跡形もなく消し飛ばした。

 俺にはユーリの背中しか見えない。なら、あいつは今、どんな顔をしているんだ。

 そう考えてしまった途端。俺は、たまらなく、どうしようもなく怖くなった。

 もう、これは人間業じゃない。

 もうこれは、人間じゃ……

 俺ははっとする。

 じゃあ、ここにユーリが居る理由は……

 ずっと遠くの宙域で戦っていたはずのユーリが単身戻ってこられる理由が、一つだけ考えられる。

 だがまさか、人一人分とはいえ、最強の遊撃士とはいえ、この距離を、生身で?

 そんなことが出来るのか? そんなことが、原理として、原則として可能なのか?

「ユーリの一人分の演算処理能力で、それも生身で……ワープ航法を使ったってのか?」

 ワープ航法を使うには膨大な処理能力――機兵母艦、巡航戦艦レベルの大型艦に搭載されている巨大かつ高性能な演算処理能を必要とする。

 ――お兄ちゃんたちはそこに居て。

 また声が響いた。翅が動く。まるで地球の空を飛んでいた、記録映像の蝶のように。

 ユーリは単身、突貫。敵の必死の迎撃を軽々と弾きながら小型級の群れを片っ端から消滅させていく。

 戦術データリンクに移る赤の光点がみるみる消えていく。撃墜、撃墜、撃墜。

 何かが変わってしまった。そう思ってしまう自分がいた。

 ユーリを恐ろしいと思ってしまう自分が、操縦席に座っていた。

 その気持ちを認めることも、否定することもできず。

 ただ見ているだけの、無力な自分がそこにいた。

 敗北を悟った敵鉱性生物が撤退を開始する。残った揚陸艇級の内の一隻がユーリを照準し、主砲を放った。俺たちが直撃したら塵一つ残らないであろう暴力的な閃光は、しかしユーリの目前で霧散してしまう。

 飛燕の光学カメラを望遠し、ユーリの姿をセンターに捉える。おもむろに突き出された右手の前に、虚数空間から引き出されたエネルギーが渦を巻いた。

「……消えてしまえ、お前らなんか、みんな、みんな」

 一拍間に迸る、数条の光刃。蛇のようにうねり、残敵を喰らい尽くしていく。

 レーザー光なのに直進しなかった。空間を歪ませて……射線を捻じ曲げたのか?

 理解が追い付かない。目の前で何が起こっているのか、いや、起こったのか。

 自分が助かった。助けられた、ということにすら、上手く思いが至らなかった。

 そして、俺が何一つ状況を受け入れることが出来ていないまま。

 ユーリの翅がゆるゆると力を失い、液体金属に戻り彼女の内へと還っていく。そして。

 ……様子がおかしい。

「……ユーリ? おい、ユーリ?」

 ユーリへと通信を繋ぐ。反応がない。

「ユーリ! おい、しっかりしろ、ユーリっ!!」

 俺は叫ぶ。

「……ユーリ・アサト中尉、バイタル低下が低下しています! 付近の機兵はただちに中尉を回収してください!」



 統合宇宙軍第13基地『ジム・ラヴェル』は史上初めて鉱性生物に直接襲撃された宇宙基地となり、同時に、史上初めてその襲撃を撃退した基地となった。

 最終的な被害は機兵18機、操縦士は全員死亡。正規操縦士3名、訓練生15名。敵の砲火により基地機能の18%を喪失。操縦士以外の戦死42名、重傷70名。軽傷多数。

 この程度の被害で済んだのは、奇跡、と呼ばなければならないのだろう。俺たちの心情や意思とは関係なく、事実として。

 戦闘から丸一日が経過した。ユーリの意識は戻っていない。

 身体的には何の問題もなく、バイタルも回収後十五分程度は不安定な状態にあったが、その後は正常。医者によれば、いつ覚醒してもよい状態だということだ。

 けれどユーリは、目を覚まさない。



「……この戦闘について、一切の口外を禁じる。本日の戦闘に関わる全てについて、第一級軍事機密とする」

 あの戦闘の後、この基地に残っていた全ての人間が――戦闘員、非戦闘員関わらず全員が集められ、基地司令からそう告げられた。第一級軍事機密は通常機密においては――つまり、機密であることすら機密、という特殊な事例を除いては――最上位の等級に当たる。関与如何にかかわらず、漏洩が疑われた時点で俺たちは全員が拘束されるだろう。

 ほとんど人間は、恐らく「この基地が鉱性生物に直接襲撃されたこと」が機密に当たるのだ、と考えていただろう。それも十分、第一級機密として扱われてしかるべきものだ。今まで「アステロイド・ベルトの前線内は安全」と考えられてきた。それが今日、破られたのだから。

 恐ろしい事だ。今日初めて見せられた戦場も、果てしなく恐ろしい事だ。

 だが、それらが全て、どこか他人事のように、遠く感じられている自分がいる。

 それは多分、軍が本当に隠したいのはユーリだと俺が知っていたからだと思う。単身、生身でのワープ。あの、既存の遊撃士が持つ戦闘能力を遥かに凌駕した火力と防御力。

 人が変わってしまったような――人を止めてしまったような、あの姿。

 ユーリにはきっと、何か重大な秘密がある。

「……なあ、お前。どうしたんだよ。ユーリ」

 でも、そんなことはどうでも良かった。

 とりあえず、何でもいいんだ。何でもいいから。

 目を、開けてくれれば、それで。

 もう一度、声を聞かせてくれれば、それでいい。それでいいから。


 ……ユーリ。

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