第5話 C.C0058-4.1 たった二人きりの家族
〇本話に登場するお題
・笹かま(セリフ)
・やいゆえよ(セリフ・キーワード)
一年ぶりに二人で食事の用意をした。
「何これ?」
「え、笹かま?」
「何で、笹かま?」
「何でって言われても……安かったんだもん」
「宇宙基地って笹かま安いの?」
「いや、別にいっつも安いわけじゃないし。たまたまでしょ、お肉が安かったり、お魚が安かったり、笹かまが安かったり」
「そもそも、何で宇宙基地に笹かまがあるんだよ。普通のかまぼこでいいだろ」
「えー、そんなの知らないよ、別にあってもいいじゃん。なくてもいいけどさー。かにかまもあるしちーかまもあるもん」
「かにかまとちーかまは、味が違うだろ」
「笹かまだって違うし」
「どう違う?」
「えー、なんか、こう……もしゃあっ、としてる。普通のかまぼこは、ぷりーんっってしてるでしょ?」
「それ……味じゃなくて、食感だろ」
「別にいいじゃんそんなのさあ、こまかいなー、食感も味の一部だし」
「なんかなあ、うーん……」
「もー、まだ笹かまに文句あるの?」
「腑に落ちない」
「……何が?」
「なんか、ここで『笹かま』ってのがあまりに不自然なんだよなあ。こう、大きな力の介入を感じる」
「お兄ちゃんしつこいなあ……あげないよ? 笹かま」
「……それって『うわっ、ごめんなさい笹かま下さい!』悲しんだ方がいいの?」
「はあ……」
昔と比べると、ユーリは食べなくなったな、と思う。
俺はそれに、気付かないふりをした。
俺たちはたった二人きりの、家族だ。
父は統合宇宙軍の科学者だった。母さんは初めから居なかった。どこにいるのか、どうしていないのか、聞いたことはない。父は、常に忙しそうだったし、ほとんど家にいなかった。
孤独だった。
物心ついてからずっと、一人で生きてきたみたいなもんだった。
起きるのも、学校に行くのも、食事を作るのも食べるのも、掃除をするのも汚すのも、寝るのも。何で自分は生きているんだろうと、小さな頭で夜、ベッドの中で考えるのも。
全部一人だった。
友達はそれなりに居た。けど、あんまり深く関わろうと思ったことはない。一人が良かった。一人は、他の人たちと自分との間に横たわる、色々なものの差に悩まなくて済む。
家にいるときは、本を読んだ。お金は自由に使えた。だからデジタルテキスト・アーカイバから手当たり次第に読んだ。よく分からなくても、父の研究分野と関係するだろうと思うもの――鉱性生物について書かれた研究書も読んだ。
そうすれば、父のことが少しは分かるんじゃないかと思った。
父も、ほんの少しは俺のことを分かってくれるかもしれない。
あの頃は、そんなことを考えていただろうか。小さい頃の自分の気持ちなんて、もう、よく思い出せないけど。
父がユーリを家に連れてきたのは、俺が8歳の時だった。ユーリは6歳だった。
「妹だ」
唐突に、そう父は言った。俺はあんまり驚かなかった。父のすることにそんなに興味がなかったのか。もしくは、現実に関する感覚が少し麻痺していたのかもしれない。
多分、今思えば聞くべきことはたくさんあった。でも、父が手を握った、その少女の不安そうな顔を見て。
俺はため息を吐いて、一つだけ訊いた。
「……名前は?」
それから、ずっと二人だった。
ユーリには誰一人、肉親がいなかった。
俺たちは、一人だった。一人と一人が合わさって、二人になった。
だから俺とユーリにとって、お互いだけが、本物の家族だった。それは血のつながりとか、時間の長さとか、そういうんじゃない。
絶対的なものだ、誰にも、何にも揺るがしようのない。絶対的なもの。
俺たちはたった二人きりの、家族だ。
父が死んだのは3年前。俺が15歳で、ユーリが13歳。
軍の航宙戦艦に乗り込んでいた時に、ワープアウトしてきた鉱性生物の攻撃を受けて乗艦が撃沈、父も戦死した、と聞かされた。
その、死の航海に父が旅立つ前。久しぶりに父が家に帰ってきた。
「話がある」
そう父は言って、俺を書斎に通した。何度も勝手に入っていた書斎だけど、父と一緒に入るのは初めてだった。
「今から大切な話をする。いいか、シン。よく聞け」
その時の言葉を、俺ははっきりと、一語一句、響いた声色も、その表情も、部屋の景色も、昨日のことのようにありありと思い出せる。
「ユーリは、将来遊撃士になるだろう」
反射的に父の顔をぶん殴った。何度も、何度も、父を殴り倒した。
父は止めなかった。反撃もしなかった。
「……どうして」
それしか言葉が出なかった。父はそのことに関して、何も言わなかった。
「ユーリは……ユーリは、知ってるの?」
「……ああ」
その時、僕はユーリをただの「家族」だと思って、ただの「兄」になろうとしていた自分の浅はかさを呪った。そして、俺に付き合ってただの「妹」を演じてくれていた――いや、演じさせていたユーリに、たまらなく、申し訳なく思った。
これは、多くの人は知らないことだ。口外も禁じられている。一部の軍人と研究者しか知らない。
月では、遊撃士は人類の敵を討つアイドルとして親しまれている。圧倒的な力、美しい姿、人々の憧れですらある。だが、この鉱性生物との戦いを「空の向こうのおとぎ話」に仕立てる喧伝は、その実体を覆い隠すためのプロパガンダに過ぎない。
人々は遊撃士が「鉱性生物のテクノロジーを使った兵器を運用する少女たち」だと思っている。
だが――本当は違う。
遊撃士の正体は「兵器として運用するために、鉱性生物を寄生させられた少女たち」なのだ。
彼女たちが「アイドル」であることにすら隠された意味がある。
鉱性生物は幼児――しかも、女性にしか定着成功例がない。第3次月面大戦で5人の遊撃士が投入された時、その5人を生み出す為に、アフリカを中心に世界で50万人の幼児が実験の為に殺されたという。だが、その尊い犠牲のお陰で適合させたい鉱性生物に対して、宿主側がどのような遺伝子を持っていれば定着しやすいのかもある程度分かった。父の書いたレポートによれば、50万人で5人も遊撃士を生み出せたのは奇跡と言って良かったらしい。
そして遺伝子が適合していたとしても、成功率は1%程度。100人に一人だ。そんなものを、神に祈って生まれるのを待っているわけにはいかない。
つまり遊撃士は皆、遊撃士になるために作られた命――デザイナー・チャイルドだ。
その上、鉱性生物の適合は完璧じゃない。戦える状態になるのは14~15歳くらい。そして戦えるのは長くて5年。短ければ3年。寄生させた鉱性生物が拒絶反応を示し始めると、もう長くは生きられない。
今までで最も長く生きた遊撃士の寿命は、24歳。
少女が戦っているんじゃない。少女しか、戦えないのだ。
これらの隠された事実を、俺は盗み見た父の研究レポートで知っていた。今思えば、わざと見せていたのかもしれない。
「いいか……今から言うことを、よく聞け」
俺に股がられ、顔を腫らしたまま、父は言った。
「お前ら兄妹は、特別な存在だ。人類の、希望だ」
殴った。泣いた。殴って、泣いて、わめいた。
「俺は……俺はユーリを、そんなくだらないもんにしたかったんじゃない」
「その時まで、お前がユーリを守るんだ」
「なんだよ、その時って……」
「お前たちは、日本人だ。だから、日本の言葉を使おう。何、意味はない」
「さっきから、何言ってんだ……」
父は、父さんは。その時初めて、俺に何かを伝えようとする目をした。
「や、い、ゆ、え、よ」
父は一声ずつ、丁寧にそう言った。
「やいゆえよ……?」
「そうだ、これを覚えておくんだ」
「だから、さっきから、何なんだよ、おかしいって……」
「さっきも言っただろう。意味はない、ただ、覚えておくんだ。俺がお前に、こう伝えたんだと、そのことを、覚えておくんだ」
それから、ゆっくりと俺を横に避けて、父は立ち上がった。そして言った。
「大切なことは口にしてはならない、だが、本当に必要な時には、口にしなければ伝わらない」
もう、何だ、とは聞かなかった。父の言葉が、暗示のように染み込んだ。
「……すまない」
それが、俺が聞いた、最後の父の言葉だ。もう二度と、父さんは帰ってこなかった。
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