第4話 C.C0058-4.1 おかえり/ただいま

〇本話に登場するお題

・なし



 エントランス施設の申し訳程度の飾り気、中に入れば効率のみが考慮された無機質で変化のない景色。雑然とした倉庫、逆に何もない空虚な部屋。無造作に置かれた、意味を見いだせない観葉植物。すれ違う、種々の制服、人種、階級章。

 清潔な空気、かき消された死の臭い。

 窓の外に見える、火星。

 最前線に来たのだ。そう思う。

 迷いながらも目的の部屋の前へたどり着く。

「シン・アサト少尉、入ります」

 連隊長室の扉が開く。現役15名中最強の遊撃士ユーリ・アサトを守る、日本の誇る最精鋭機兵連隊の隊長。その執務室にしては、質素に過ぎると俺は感じる。質実剛健、ということだろうか。俺は執務机の前に歩み出て敬礼する。

「先ほど着任式でも挨拶をしたが、改めて。統合宇宙軍第16機兵連隊連隊長、セイジ・ニシヤだ」

 犬公方、セイジ・ニシヤ大佐。本人も一人の機兵操縦士として統合宇宙軍最高峰の腕を持ちながら、同時に戦場指揮官としても卓抜の才を誇ると評される。狛犬のエンブレムは、統合宇宙軍にあっても忠義を尽くすは日本国、という意志の表れとも聞く。

「シン・アサト……君が、ユーリ・アサト中尉の兄、なんだな」

 俺は頷く。

「中尉は、よく君の話をしている」

「……そうですか」

 少し迷うような表情をしてから、それからニシヤは声を幾分和らげて言った。

「慕われているんだな」

「それくらいしか……兄として、自分には出来る事がありません」

「そうか」

 ニシヤは静かにそう言い、特に言葉を付け足すこともなかった。

「辞令でも聞いていると思うが、君たちにはこの統合宇宙軍第13基地『ジム・ラヴェル』で三か月の促成訓練課程に参加してもらう。アサト少尉……ああそうか、兄妹だものな。シン少尉、ということにしようか。君は士官学校では、操縦実技についてはほぼ全ての課程で主席と聞いている」

「いえ、学校の成績に過ぎません」

 とは言え、配属先としてこの部隊を選べたのは日本の士官候補生の中でトップだったからだ。成績も役に立つことはある。

「訓練結果を見て、充分実戦に堪えると判断されれば、正式に第16機兵連隊の操縦士として我々と戦ってもらうことになる。そこで、一つ聞いておきたいのだが……」

 そう言って、ニシヤは俺の目をじっと見た。見透かすような、試すような視線だった。

「先に言っておくが、この問いは私の個人的なものであって何の実効性もないものではあるが……君は戦うのなら、妹の――アサト中尉の傍で、戦いたいと思うか?」

 その問いによって、ニシヤが何を測ろうとしているのか、あるいは、何を確かめようとしているのか、俺には分からない。だが、答えは決まっている。

「はい」

 そのために、ここに来た。

「……そうか。明日から訓練に励んでほしい」

「微力を尽くします」

「用件は以上だ、下がれ」

 俺は敬礼し、連隊長室を退室した。



「……早速連隊長から呼び出しなんて、もう問題を起こしたんですか? 先輩」

 連隊長室を出たところで俺を待っていたらしいのはハルだった。

「心配になって見に来てくれたのかよ? ハル」

「心配なんて最初からしていませんし、する理由もありません」

「俺も案外信頼されてるなあ」

「どうでもいいだけです」

 俺は思わず笑ってしまう。どうでもいいなら何でここに居るんだ、とは聞かないことにしてやる。

 基地市街区を抜けて居住区へと向かっていく。市街区にはデパートやレストラン、映画館にアミューズメント施設。そんなおよそ軍事基地には似つかわしくないものが並んでいる。だけど似つかわしくないからこそ、ここには必要なものなのだろう。

「ハル……お前、何で志願したんだよ?」

 俺は小さく息を吐いて、そう尋ねる。基地内の温度や湿度は完全にコントロールされていて一定を保っている。そのはずなのに、なぜか肌寒さを覚える。

「俺に付いて来る必要なんてないんだぞ、とか思ってますか?」

 俺は返事をしない。すると、ハルが俺の前に回り込んで、足を止めて言った。

 ハルがじっと俺の目を見る。

 口を開く。

「……きもいんでそういうのやめてくれません? マジで勘弁ってやつです」

「……その、本気でゴミを見るみたいな目は、そっちもやめてくれるとありがたいんだけど」

 俺が辛うじてそう返事をすると、ハルはまたくるりと踵を返し、前へ進み始める。俺もそれに続く。隣に並ぶ。

「私は、私の意志で来ただけです。先輩は何も関係ありません」

「ふーん」

「自意識過剰は本当に気色悪いんで」

「はいはい」

 しばらく、無言で歩いた。それから不意にハルが言った。

「……ユーリちゃんも」

 足を止めて、ハルが俺を見る。今度は真剣な顔で。

「ユーリちゃんも、止めようとしたんじゃないんですか?」

 長距離通信の時の、ユーリの声が蘇った。

「どうせ先輩のことです。私と同じような返事をしたんでしょう」

 俺は答えずに、ただ苦笑する。その通りだ。

「ユーリちゃんに『自分の意志』は押し通しておいて、私の『自分の意志』は認めない。それは、フェアじゃないと思いますよ、先輩」

 ……正論だな。



 居住区。立ち並ぶ巨大なマンション群。基地内のほぼ全ての職員がここのどこかに住んでいる。三次元エレベーターに乗り継ぎ、あてがわれた一室の扉を開ける。

「お兄ちゃん久しぶりっ!」

 開けた瞬間に満面の笑みのユーリが立っていて、俺は変な声を出してのけ反った。

「ゆ、ユーリ!? ここって俺の部屋のはずじゃ……」

「うん。そうだよ」

 当然だ、という口調で言う。それから。

「それで、私の部屋。兄妹なんだから、一緒に住むの当然でしょ?」

 言われてみれば、まあ、確かに。軍属だから住む場所は分けられるのではないかと思ったが……

 ぼんやりとそんなことを考えていると、ユーリは俺の手を取って引っ張る。

「ほら、入った入った! 私今日お休みだったから、午前中に届いてたお兄ちゃんの荷物だいたい解いちゃったからね」

 細い廊下を進み、リビングの扉を開ける。

 あ、と声を漏れた。

 あの頃と――ユーリと一緒に暮らし、二人で学校に通っていたあの頃と、同じ空気があった。

 覚えていたんだな、と思う。俺が置こうと思った場所と同じ場所に、俺の持ち込んだ物が置かれている。

 覚えていたんだな、俺も、ユーリも。あの頃の暮らしを。

 たった一年だ。離れて、たった一年。それでも、ユーリが遠い遠いビジョンの向こう側で、歌に合わせて華麗に鉱性生物を討つ姿を見続けた一年は、アステロイド・ベルトもオールトの雲も超えて、何もかもがなかったことになってしまいそうな、遥かな、果てしない一年だった。

 それでも、忘れていなかったんだ。

「……帰って、きたのかな」

 思わず、そんな言葉が俺の口を突いた。うん、とユーリが頷いた。

「あの頃より、ずっと遠くに来ちゃったけどね。でも、帰ってきた、でいいんだよ」

 そう、ユーリが呟く。

「……ただいま、ユーリ」

「おかえりなさい、お兄ちゃん」

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