第3話 C.C0058-1.4 人類の歴史から「戦争」の二字が消えたことはない

〇本話に登場するお題

・ビー玉(比喩)

・第4次厚揚げ大戦(歴史的事件)



 年を越した。今年は、一人での年越しだった。

 特に何をするでもなく、一人家で過ごした。考えなければならないことがあった。

 1月4日、ユーリから通信が入った。

「やっほ、お兄ちゃん」

「おう」

「明けましておめでとうございます。本年もよろしくどうぞ」

「こちらこそ、明けましておめでとうございます」

 そんな変にぎこちない挨拶を交わしてから、画面のユーリが苦笑した。

「ごめん、年末くらい帰れるかなって思ったんだけど、無理だったね」

「仕方ねえよ」

 それに続く言葉を――なぜ仕方ないのかを、俺は飲み込む。言ったって、それこそ仕方ない。それに、ユーリが俺の口から聞きたい言葉とも思えない。

「……うん」

 俺の返事がないのを見て、安心したようにユーリが頷いて見せた。

 虚数空間技術を応用した超長距離通信は鉱性生物さまさまのテクノロジーだが、お陰で月から小惑星帯までの距離でもタイムラグがほとんど発生しない。ただし、これはユーリからの一方通行、こちらから掛けることはできない。

「そういえば、お兄ちゃん放送見てた?」

「見てたよ、お疲れ……小型級のレーザー、もらってたな」

「うぅ……それ大佐にも叱られたんだからさ、わざわざお兄ちゃんまで言わないでよ。ばーか」

 視界のモニターに大写しになったユーリがすねたようにそっぽを向いて、俺は思わず笑い声を漏らす。

「あんま、無理すんな。ファンサービスまで仕事ってわけじゃないんだ」

「うん、ありがとう……でも、大丈夫だよ。応援メッセージとか、プレゼントとかいっぱい届くしね、案外、悪くないんだ、みんなのアイドルも。ほら、私、強いし、かわいいし」

 そう、少し寂しそうにユーリは微笑する。最近、鉱性生物のワープアウトが頻繁になっているらしい。防衛線の戦力も不足しているのだろう。

 だから、士官学校で打診を受けてから、ずっと迷っていた。

「いつになるかわかんないけど、タイミング見つけて、ちゃんと帰るよ」

 でも、今決めた。それでいい。俺は頷いて、ユーリに告げる。

「いや、いい。多分近い内に、俺もそっちに行くことになる」

「え、それ、って……」

 ユーリの顔が喜、哀、と一瞬に移り変わって、それから、どうするのが正しいのか、みたいな、真顔ではない真顔で固定された。俺は頷いて答える。

「ああ。機兵操縦士課程の士官候補生の繰り上げ任官が始まるらしい。俺も、打診を受けた……志願するつもりだ」

「いいよ、別に来なくて……急いでなるもんじゃないって、操縦士なんて」

 ユーリが首を振る。俺は笑って答える。

「別にユーリの為に行くんじゃない、俺がそうするって決めたんだ」

 ユーリは戦っている。けれど、それに負い目を感じて行くんじゃない。

 戦っているということは、いつ死んでもおかしくないということだ。そんな場所に、一人でユーリを置いておくのは、嫌だ。ユーリは強い。そんな簡単には死なないかもしれない。俺は弱い、実戦に出ればすぐに死んでしまうのかもしれない。それでも。

「お前の為じゃなくて、俺のわがままだ。危なくても、短い時間でもさ、俺が、ユーリのそばに居たいんだ……だって俺たち、お互いたった一人の家族なんだから」

 守れるなんて思わない。

 でも、守られるだけなのは、自分が許せない。

 せめて、遠い月じゃなく、隣にありたい。

 ARビジョンでユーリが死ぬ所を見たくないし、俺が死ぬ時、ユーリだけが戦っているのも嫌だ。

 多分、もう誰がいつ死んでもおかしくない時代に突入する。それなら、俺はユーリの近くで死にたい。せめて、近くで死んでやりたい。

「もう、決めたんだ」

 沈黙を守るユーリに、俺はもう一度はっきりと言った。ユーリの息遣いが聞こえた。

「喜んだ……方が、いいんだよね?」

 ユーリがそう尋ねる。

「ああ。そうしてくれると、俺は嬉しい」

「……うん、分かった。待ってる」

「ああ。またな」

「うん」

 長距離通信が切れる。もうユーリには聞こえていないことを確かめて、俺は大きく、長く息を吐いた。

「士官候補生の繰り上げ任官……か」

 第4次月面大戦以降、そんなことは歴史上一度もなかった。


――なら、ハルは100年後にはどうなっていると思う?

――人間はもうこの世界にはいないんじゃないですかね


 本当に、人類はもうまずいところまで来てしまっているのだろうか。





 Deep-flyer――ディープ・フライヤー。深宇宙から飛来せし者。

 鉱性生物という呼称が正式に定められる前はそんな風に呼ばれていた。

 こんな良い名前は勿体無い、というので、アメリカ出身の国連軍人がディープ・フライ・トウフで厚揚げだ(「fly」と「fry」は面白くない上にアメリカ人らしさも全くないが、一応洒落なんだろう)というから、当時の日本軍人の中には「厚揚げ野郎」と呼んで無理に笑う者もいたらしいが、とにかく、それと人間が初めて接触した記念すべき年は42年前、宇宙世紀15年のことで、それは同時に第1次月面大戦の幕開けだった。


 宇宙世紀15年4月9日。複数の隕石が月面に衝突。現場に向かった各国の宇宙軍調査部隊が全て消息を絶った。その隕石が宇宙船――後には、その隕石自体が敵の大型生命体であることが分かるのだが――で、そこに人間が初めて接触する地球外生命体、しかも敵性を持った生命体が搭乗していたことが分かるのは間もなくのことだ。


 敵の持つ桁違いの戦闘力。特に虚数空間転移フィールドの防御能力は驚異的なもので、原理が判明していなかった当初その守りを突破する方法は核兵器以外にはなかった。開戦初期は敵の規模自体がごく少数であったのが不幸中の幸いではあったが、それでも気が遠くなるような犠牲を出しながら戦線を維持し、敵の技術を少しずつ解明し、人類の反撃が成ったのは宇宙世紀38年、第3次月面大戦――初の鉱性生物のテクノロジーを用いた兵科「遊撃士」5名の実戦投入が行われた。虚数空間テクノロジーを用いた攻撃力と防御力を誇る遊撃士はたった5人でありながら圧倒的な戦果を挙げ、統合宇宙軍はやはり甚大な被害を出しつつも、初めて敵鉱性生物母艦級を撃沈。一次的ながら月面に上陸した敵鉱性生物群を完全に撃退する大戦果を上げた。


 そして更に大規模な戦力でもって月面奪還を狙った敵の再攻勢と、統合宇宙軍が月軌道宙域で激突したのが宇宙世紀42年、第4次月面大戦――言うなれば、第4次厚揚げ大戦か。この戦いでは遊撃士に加えて簡易的な虚数空間テクノロジー兵器を搭載した宙間戦用人型機動兵器「機兵」が本格的に実戦投入された。この戦闘においても敵鉱性生物群を統合宇宙軍は撃退することに成功。地球―火星間の宙域を支配下に収め、鉱性生物の展開したワープゲートを奪取。防衛線をアステロイド・ベルトまで押し上げることに成功した。


 それから15年。人類は逐次投入される鉱性生物群を退けながらなんとかアステロイド・ベルトの防衛線を維持している。しかし、敵はいくら倒しても無限に湧いて出てくる。俺たち人間はちっぽけな、ビー玉みたいな星に縋りついてこの宇宙を漂っている。それに対して鉱性生物は、本当はどれほどの規模を持っているのか、計り知れない。

 俺たち士官候補生が前線に招集されるということは、アステロイド・ベルトの拮抗が崩れる日も近いのかもしれない。

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