ココロの終焉

深夜太陽男【シンヤラーメン】

第1話

     ○


 それは人類に訪れるかもしれない未来。科学技術は進み、優れた人工知能を備えたロボットが人間に代わり仕事をし、人間は特に知能も労力も必要とせず生きていける時代になった。そんな中、世界中で『心を失くす病気』が流行りだし、人類滅亡とまで言われるほどの問題になっている。


     〇


「そんなわけで私もそろそろロボットにでもなろうと思うんだ」

 今日の晩御飯の献立でも決めるかのように博士は発案した。またいつもの、研究が滞っている現状に対する逃避なのか、冗談なのか。聞き流すわけにはいかない。

「どういうことですか?」

「またいつもの現実逃避だと思ってるんでしょ?」

「それ以外の理由をお聞かせ願いたい」

「助手よ」

 彼女の目が僕を睨む。呆れたような物言いだ。

「そうやって理由理由って、それじゃあ自分の思考をどんどん狭めていることになぜ気づかない」

「世の中の現象に理由付けして、それを解明して発展させて人類に貢献するのが僕たち科学者の仕事です。博士、予算は無限に沸くものじゃないんですよ」

 博士は長い長い溜息と共に椅子にずんぐりと沈んでいく。

「ああ、あの教授が君を私の助手に選んだのは正解だよ。カタブツくん」

「理由、ないんですよね。さあ馬鹿なこと言ってないで、目の前のおもちゃ片付けて研究に励んでくださいよ」

「助手よ」

 今度は、諭すような声だった。

「理由は、あるんだな。しかしそれを簡単に説明しては面白くない。想像をしたまえ。君に一番足りないことだ」

 博士は机上のガラクタの中から数枚の書類を抜き出し僕に手渡した。

「リストの残り必要なもの揃えといて。それじゃあまた明日」

 彼女は部屋を出ていく。書類の内容は、人間がロボットへと移行するための壮大な夢想話を簡素に現実的にまとめた計画書だった。馬鹿げている。しかし真面目にこれは実行できるレベルのものだ。博士はどうも本気らしい。

 理由などわかるわけがなかった。


     〇


 古い洋館の一室が彼女の研究室だった。大学院を出る間近の僕に教授が『心を失くす病気』についての第一研究者の助手をして欲しいと依頼してきた。世話になった教授であるし、その友人である研究者は学会でも噂の実力者と聞いていたので興味があった。

 返事をしてすぐにその研究室へ向かったが、僕は驚きを隠せなかった。

 まだ少女と呼んでもおかしくない見た目の女性が、机の上でガラクタを積み上げては崩して、また積み上げては崩していくを繰り返している。

「何をしているんですか?」

「やあ、君が新しい助手くんだね? これ、見てわからない? ピタゴラ装置。ちょっと手伝って」

 ピタゴラ装置と研究に何の関係が? それにこの部屋はざっと見るに一世紀以上前の骨とう品で散らかっていた。使い道のわからない道具や解読不明な文字の古書たち。

 それが博士との出会いだった。それから僕は博士と大学や研究機関とのパイプ役を務めたり、散らかった研究室を片付けたり、研究に取り組まない博士を叱咤しているうちに博士の突拍子もない思い付きに巻き込まれたりと、あまり助手らしくない生活を送っていた。


     〇


 翌日、洋館の地下施設に案内された。そこには大学でも見たことないような最新設備たちを内包した巨大な実験室であった。

「こんな場所があったんですね。いつも上の研究室でふざけているだけかと思いました」

「馬鹿にしてるね、君。いやまあしかし使うのはコレで三回目なんだけど」

「全然活用してないじゃないですか」

 博士は手術着で手術台の上に腰かけて足をブラブラとさせていた。

「じゃあ後は機械のスイッチを押すだけだから」

「本当にやるんですね。人間に未練は?」

「ないよ。それにロボットが嫌になったらまた人間に戻るし」

 そんな簡単にできるわけ、と言いかけた。この人ならそれすらやってしまえそうだ。

「じゃあ寝るわ。終わったら起こしてね。よろしくー」

 博士は横になるとそのまま寝息を立て始めた。僕は部屋を退出してスイッチを押す。ロボットになってしまった彼女に、僕は何を思うだろうか。


     〇


 博士の計画は『テセウスの船』と名付けられた。船の壊れたパーツを取り変えてていくうちに元々のパーツが一つもなくなってしまうがそれは果たして元々の船と呼べるのかどうかという話。まあ人間でさえ毎日細胞が入れ替わっているのだ。

 時間をかけて、博士は体一つ一つのパーツを交換していった。人工臓器、人工筋肉、人工皮膚、人工器官、そして人工脳。それらすべて人間の彼女と同じ形だ。見た目だけなら彼女がロボットになってしまったことなど誰も気づかないだろう。部品を入れ替えながら彼女は起きて、自分を認識して、また眠り、処置をする。延々とその作業を繰り返した。いったいどこまでが人間でどこからがロボットなのか。その境界線はわからないまま彼女は機械化していく。今までと同じように会話できるというのに、その肉体の下にはもう血液が流れていない。

 最後、脳の一片の差し替えが終わったとき、オリジナルの彼女は消えた。魂とはどこに存在するのだろう。僕はとある期待を彼女に寄せていたのだ。


     〇


 しかし期待は裏切られた。彼女は相変わらずあの研究室でガラクタの山を使い、成功しないピタゴラ装置を錬成していた。今までと何も変わらない生活が続く。いったい何のために彼女はロボットになったというのだ。僕はてっきり、彼女が肉体を捨てることで人間以上の思考速度と体力で研究に没頭するためだと思っていた。それに付き合う気でいたのに、僕の心はポッキリと折れてしまった。

「助手よ、ロボットなのに腹が減るんだ」

「助手よ、ロボットなのに眠い」

「助手よ、ロボットでも酒に酔っぱらうんだな」

 博士は世界で一番人間らしいロボットだ、たぶん。泥酔した彼女をソファーに移す。この軽さも、やや汗ばんだ肌も、髪の柔らかさも何一つ人間の頃と変わりない。それでも彼女をロボットだと思ってしまうのは、いつまでもこんなに若い姿のままだからだ。自分も年齢を重ねた。大学の同期たちは准教授や所長という肩書になっていくというのに、僕は相変わらず助手のままだった。


     〇


 僕と博士は珍しく外出していた。珍しく白衣ではなく黒い服を着ていた。喪服だ。大学時代に世話になった教授が亡くなったらしい。随分と早くに『心を失くす病気』を発症し、身動きが取れなくなってからあっという間に老衰していったらしい。

 葬儀が終わり、僕は車で博士を送っていた。博士は助手席でぼんやりと過ぎ去っていく風景を眺めていく。

「助手よ、随分とこの街も人が減ったものだな」

「この街だけじゃないです。この国、いや世界中で人口が減っています」

「あの教授と初めて学会で会ったときな、私は言われたんだよ。『心を失くす病気』なんかで人口増加現象が終わるはずないって。あの時は逆に増えすぎた人類をどうするかが大きな問題だったんだ」

「それが今じゃ、もう世界の三分の一の人間が心を失っています。……博士、いい加減『心を失くす病気』の解決方法を発表してください」

 雲行きが怪しい。フロントガラスに水滴が落ちる。その数が増える。視界がぼやける。ワイパーを動かす。雨音で外界は騒がしいというのに、車内は静寂だった。二人の声だけが空気を震わせる。

「博士、あなたほどの人がこの研究で立ち止まっているはずがない。ふざけているようで実は解決策がもうおありなんでしょう? ロボットにもなって何の成果もないんじゃ笑い者ですよ。もしくは発表できない理由があるんですか? 教えてください! でないと、もう、あなたを信用できなくなる」

「最初から信用なんてしてなかったじゃないか」

「僕とあなたの時間は全部無駄だったんですか」

「助手よ」

 彼女は口を開き、言いかけて、その言葉を飲み込んで、小さく吐き出す。

「『心を失くす病気』は治せない。ロボットにでもなって得られた結果だ。笑えばいいさ」

「笑えないですよ」

「人間は死ぬ。それは絶対だ。テロメアの数が減り細胞分裂が抑制されて老化する。これは『個』の話だ。それが『種』にも適用されるとしたら。人口は癌のように増え続けるかと思った。しかしそこにキルスイッチはプログラムされていた。人類を効率よく減少させるにはどうしたらいいだろうか。戦争を起こすか、地球の環境を激変させるか。いいや、それくらいじゃ人間は絶滅しない。生存本能が人間全体をここまで生き永らえさせてきたんだ。じゃあその生存本能自体を消失させたらどうなるか」

「そこまでわかっているなら」

「そこまでわかってしまったんだ! この研究の最初でとっくに気づいていた。でもただの仮説だった。研究を重ねて、ロボットにもなってマザーコンピューターともダイレクトリンクしてみた。結果、絶望的なくらい確証は確かだったんだ。覆せない真実なんだ。私でも、神様になろうだなんて無理なことはわかっている」

 感情的に、悲痛を訴えるような叫びだった。初めて聞く、泣きそうな彼女の声。

「最初からわかっていたんだ。私は何も救えやしない」

 彼女はそれ以降何も喋らなかった。帰るまで沈黙の時間が続く。雨音は強くなるばかりだ。


     〇


 研究室に着くと、彼女は着替えに奥の部屋へ消えた。僕はそのままソファーに倒れ掛かった。もう何も考えたくなかった。

 呆けていると、いつもの白衣姿に着替えた博士が立っていた。

「最後の実験があるんだ。君にしか頼めない」

「何をしても無駄だと、博士はさっき言ったじゃないですか」

「うん、最後の悪あがきだ。今から私は自分の記憶を消そうと思う」

 彼女はそうやって、今日着る服を決めるみたいな簡単な物言いをしてしまう。聞き流せるわけがなかった。

「今度は、理由をちゃんと教えてください」

「うん、そもそも私がロボットになったのも一つの賭けだったんだ。人間の肉体を超えた研究に専念できる体。それ以上に思考に変革が起きることを望んだ。人間では思いつかないことをロボットなら、と。でも、大したことはなかった。思考は広がるどころか狭まってしまったような気がするよ。だから今度は、私自身という壁を破壊してみる。それが神様の意地悪に対する最後の挑戦だ」

「ゼロから人工知能を育てるということですか? また博士のような優秀な頭脳になるとは限りませんよ」

「だからそれは君次第なんだ。うまくいかなかったらまたリセットすればいいさ」

 博士は本気だった。研究のためなら己の肉体でさえ、そしてパーソナリティでさえも捨てる覚悟だった。

「スリープしてからきっかり一年後、私は再起動する。そのときは君が博士で私が助手だ」

 博士は僕の隣に座った。いつもよりずっと近くに、彼女がいる。

「博士、最後の質問。ロボットになっても心はありますか?」

「心ってなんなんだろうねえ。人間のときと何も変わっていないと思うよ。ピタゴラ装置は好きだし、成功はしないけど。あと、最後だから恥ずかしいこと言うよ。ロボットになったら君への恋愛感情は消えると思ったんだ」

「消えたんですか?」

「消えなかった。それが何の証明になるかは知らない」

 今から消えてしまうというのに、どうしてこんなタイミングでそんなこと言うのだろうか。

「僕も、博士がロボットになったら何も思わなくなると思ってました」

「どうだった?」

「いや、相変わらずだなって」

「相変わらず、何?」

「…………言いませんよ」

「やっぱり君はカタブツだな。ねえ、こんな世界の終わりに、子孫も残せない人間たちが恋だの愛だのに夢中になる意味なんかあるのかねえ」

「そういうのに、意味とか理由はいりません」

「ほう、君にしては珍しい」

「科学者以前に、僕はロマンチストなんですよ」

「そうか、君を真夜中にこっそりロボットにしようと思ってたんだが、やはりそうしなくて正解だった。君は人間らしい人間であれ」

「あなた本当に狂ってますよ」

「この関係性が、一番いいな」

 博士との会話も、もう終わる。

「じゃあ寝るわ。生まれ変わった私によろしくー」

 彼女はそのまま寝息を立て始めた。眠り姫に毛布をかけて、さて一年後に向けてどうしようかと考える。そういえば彼女はなぜああもピタゴラ装置に夢中だったのか聞けなかった。理由は自分で考えるしかない。

 僕も、やってみるしかないのだ。


     〇


 一年はあっという間だった。研究室の窓から日が差し込む。ソファーの彼女はモゾモゾと動き、目覚めた。

「おはようございます」

「おはよう」

 実は記憶はそのままの博士なんじゃないかとちょっと期待するけど、やはり様子は違って何も覚えてはいないようだ。

「僕は博士。『心を失くす病気』について研究している。君は助手のハル。よろしく、ハル」

「……よろしくお願いします」

 寝ぼけたままのような表情で彼女は周囲を見渡していた。教えることはいっぱいありそうだ。

「それは何ですか?」

「え? これはね、ピタゴラ装置」

「それが研究と何の関係が?」

 僕も、これが研究と何の関係があるか未だにわかっていない。

「理由はね、えーっと。簡単に説明しちゃ面白くない。想像してごらん。それが君の役目だ」

 彼女は首をかしげて必死に考え始めた。この子は、どんな風に育つのだろう。

 世界は終わらない。世界は続く。そしてココロは消えたりしない。僕は彼女の大発明に期待するのだ。

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