湯治客……?

 後ろにヘレンがついてくる気配を確かに感じながら、俺は閂を外し、そっと扉を開けた。そこにいたのは、


「リュイサさんじゃないですか」

「どうもー」


 リュイサさんは相変わらずの軽いノリでやってきた。よく考えたらリュイサさんは突然出たり消えたりできるんだし、“黒の森”の管理者なんだから、直接この家の中に出てこれるんじゃないのか。

 テーブルに案内しながら、それとなく水を向けてみると、


「だってそれはお行儀が悪いんでしょう? ジゼルが言ってたもの」


 とのことだった。それは確かにそうなのだが。ジゼルさんにお説教されるリュイサさんかぁ。


「それに、生きている植物が近くにないとちょっと大変なのよ」

「へぇ、そうなんですか?」

「私、樹木精霊ドライアドだしね」

「ああ、なるほど」


 どうにも不思議お姉さん感が先に立ってしまうが、樹木精霊だから生きてる植物が近くにあったほうが良い、と言われれば納得である。俺のイメージの通りの言動をしてくれているだけかも知れないけど。


「今日はどういうご用件で?」

「別に大したことじゃないのよ」


 前の世界のおばちゃんの如く、リュイサさんは手を振った。俺よりも遥かに、へたをすれば1000年単位で年上なので、おばちゃんでも間違いはあんまりないのだが、そう言ったり思ったりするのは憚られるので、うっかりしないように気をつけよう。


「温泉ができた、って聞いてね」

「ああ」


 なんだかバタバタして報告をし忘れていた。掲示板は今日も「何もありません」の伝言が書かれているはずだ。いつもの納品でも、出かけるときは書くようにするか……。「急患」があるかも知れないのだし。


「別に黙って入っていって貰っても平気でしたのに」

「いやぁ、流石に私が最初だったら気まずいじゃない?」


 あ、そういうところ気にするのか。なんかもっと傍若無人なのかと思っていた。さすがに排水用の池で動物たちと浸かるようなことはすまいとも思ってはいたが、知らない間に勝手に湯殿に入るくらいのことはあるかと想定には入っていたのだが。

 そして、俺達はそこまで気にするような人間達でもないし。まあ多少の残念さを感じただろうことは仕方ないが。


「完成してから夕方頃には毎日入ってますから、入ってもらって大丈夫ですよ」


 今日も帰ってきて、色々と済ませた後に一旦入浴している。なので、リュイサさんに入ってもらうのは問題ない。なんなら今からジゼルさんを呼び出して一緒に入ってもらってもいいくらいである。

 しかし、俺の言葉にもリュイサさんはもじもじしながら、少し困った表情をした。


「入り方がわからなくて」

「なるほど」


 これはアレだな、そのへんの泉に毛が生えたくらいのものなら黙って入って帰ろうとしていたが、思いの外立派な建造物があったので、何かやらかしてはいけないと思ってこっちに来たんだな。

 失礼な想像かもしれないが、大筋では外れてないだろうという予感もある。そして、その配慮は素直に受け取るべきか。


「……皆でついていってやってくれないか」


 俺が頼むと、全員あっさり頷いてくれた。2回めの入浴にも関わらず、あっさり頷いたのは気に入っているということだろうか。男の俺は、種族はともかく女性のリュイサさんを手伝うことはできない。

 魔法のランタンに光を灯し、それをリディに預けて、湯殿に向かう皆を俺は見送る。ほわほわと、柔らかな光が遠のいていったのを確認して、俺は一旦家に入ろうとした。


 バサリ、聞いたことのある翼の音がした。見やると、掲示板のところに見覚えのある小竜の姿があった。ハヤテではない。アラシのほうだ。足元には手紙らしきものがついている。

 そう言えば、あの店を出るときにアラシの姿を目にしなかった。北方使節団が都に連れていき、直接ここへやったのだろうか。

 カレンに聞いた話から言えば、アラシはここの場所を覚えている。航続距離が十分なら、ここへ来ることもできるだろう。


 俺ののんびりしきっていた頭はどっかに飛んでいき、思わず生唾を飲み込む。そして、アラシの足元にある手紙を手にとったのだった。


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