入浴
完成した湯殿は早速今日から使いはじめることになった。完成したけど使わないと言う話はないしな。
まず先に使った道具をすべて片付けた。もう少ししたら日が落ちてきそうなので、バタバタと急ぎ足なのは仕方がない。一応魔法の明かりも用意はできるし、今日は晴れていて月明かりも十分だと思うが、日が完全に沈んでからの入浴はあまり考えていないのだ。
井戸水で道具を洗ってから水気を切ったあと、鍛冶場に並べた。そろそろメンテナンスも必要そうだし。
「整理整頓と倉庫にしまうのはまた今度、だな」
「そうね」
俺が言うと、ディアナが頷いた。雑然と接客スペースに道具が並んでいて、妙な生活感を出している。客が来たら少し困るが、そのときはみんなで物置にでも放り込んでしまおう。
片付けが済んだら、みんなで渡り廊下を歩く。期待からか、みんなの足取りは軽い。それは俺も変わらない。クルルとルーシー、ハヤテは迷ったのだが、「来るか?」と聞いてみると、3人揃って小屋の方へ向かったのでディアナとも話して連れて行かないことにした。明日の朝にキレイにしてやらないといけないな。
念の為、魔法の明かりを男湯と女湯に1つずつ用意した。男湯はもちろん俺がつけられる。女湯の方も、リディが「特に問題ないですよ」と言っていたので、リディに任せることにした。
「それじゃあ」
「おう」
サーミャが片手を上げて女湯に引っ込む。俺も手を上げて応じた。前の世界の歌みたいに上がった後に待っていると言うことはない。基本的には順次帰宅……と言うにも距離が短いが、まぁとにかく家に戻るのだ。
ただし、念には念をという事でリケとリディ、そしてカレンは、サーミャ、ディアナ、ヘレン、アンネの誰かと一緒に帰ってもらう。カレンについてはお目付けも込みなので、おそらくアンネがつくことになるはずである。
ガラリと戸を開けると、規模は小さいが女湯と同じように脱いだものを入れておく棚と、下足箱代わりの棚が備え付けてある。俺は靴(ブーツ)を脱いで下足箱に放り込むと、テキパキと服も脱ぎ、軽く汚れをはたき落としてから畳んで棚に放り込んだ。
前の世界で時折スーパー銭湯に行っていたことを思い出す。サウナの「ととのう」感じは結局分からずじまいだったな……。冷たい井戸水と温泉があるので、いずれこちらの世界で「ととのう」ことができないか試してみる価値はあるかも知れない。
浴場に入ると、控えめの湯けむりが出迎えてくれた。風の通りが良いことと、温泉の温度があまり高くなく、周囲の気温もそこまで低くはなっていないのが理由だろう。
浴槽には音を立てて湯が流れ込み、溢れている。ここに辿り着くまでに女湯にも湯が回っているはずなのだが、それでも結構な湯量だ。
湯を桶に汲んで、頭からひっかぶる。いつもの湖の冷たい水とは違う、温かい湯が身体を流れていく感覚。こっちに来て半年かそこら、湯を沸かしてもそれで体を拭くくらいなもので、贅沢にぬるま湯にして被るなんてことはしてこなかった。
ザバッと再び桶に湯を満たしてかぶる。久しぶりの感覚に、そうそう、こんなだったと感慨深くなった。欲を言えばシャワーが欲しいような気もする。
確か前の世界でも古代ギリシャだか古代ローマくらいには牛の膀胱か何かを使ったシャワーヘッドがあったらしいし、この世界で似たようなものを取り入れるのは問題ないようには思うので、ちょっと考えておこう。
いつもは沸かした湯を含ませて身体を拭いている布を使って身体を洗っていく。少しずつ冷めていく湯を少しずつ使うのではなく、温かい湯をそのままザブザブと使えるのはありがたい。
数度身体を流しても落ちきらなかった汚れは、これで綺麗になった。石鹸を使ってないので多分そんなことはないのだが、いつもより綺麗になったように思えるのは致し方のないことだろう。
ゆっくりと身体を浴槽に沈める。思わず「あぁ~」と声が出てしまうのも致し方のないことだ。なんせ中身は40のオッさんなのだし。
半年ぶりの湯はじんわりと、身体を溶かすかのように染み渡る。高い濃度の魔力が含有されていることと関係あるだろうか。体中のコリがほぐれていく気がする。
前の世界にあったら、整骨院で「岩のよう」と評された肩を持つ俺が週3で通っていたことは間違いない。
見上げると、暮れてゆく森の空が広がっていく。青かった空は一部をオレンジに侵食され、わずかばかり木々の緑に縁取られている。
「思ったよりいい眺めじゃないか」
俺がそうひとりごちたとき、
「もうちょっと綺麗にしないと浸かっちゃ駄目ですよ!」
そんな声が女湯の方から聞こえてきた。キャッキャとはしゃいでいるのは先程から聞こえていたのだ。なんせ他に人のあんまりいない森の中。男湯と女湯の間の壁は覗いたりできないように高さがあるし、足場になるようなものも近くにないが、上は空いていて声は素通しである。
声の主はどうやらカレンのようだった。その後少しだけ聞こえてきた不平の声から察するに、サーミャが湯をかぶるのもそこそこに浴槽に突入しようとしたのだろう。北方人的なマナーとして看過できなかったことは容易に想像がつく。
基本他に入る人もいないので、あんまり気にしなくてもとは思うのだが、それはそれとして基本的なところを教えていてくれるのは、たとえ誰であろうと助かる。
というか、先に俺が教えておくべきだったような気がしないでもない。
「まぁ、良いか」
不満が飛んできたら考えておくが、今はとりあえずこの気持ちよさを堪能しよう。全ての悩みを湯に溶かすべく、俺は浴槽に深く身を沈めた。
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