疾風
黒い疾風が地を駆けていき、そして戻ってくる。
「わん!!」
疾風は咥えていたものをカレンの前に置くと、きちんとおすわりをして尻尾をパタパタと振った。疾風とは言うまでもなくルーシーのことである。
再びカレンが縄で作ったボールを筋肉痛にやや苦労しながらも放り投げる。ルーシーは放物線を描いて飛ぶボールの落下点を見極めて走っていき、地面に落ちる前にキャッチした。
「いつの間にか随分と成長してたんだなあ」
俺は渡り廊下として敷く木の板を肩に担ぎながら、カレンとルーシーのやり取りを見て言った。いや、その体躯が大きくなっていることは分かっていた。普段は彼女なりに遠慮して抑えていたのであろう能力を、解き放てばどうなるのかを実感する瞬間が今になったのだ。
同じく木の板を担いでいたヘレンが、またボールを投げてもらい全力で走るルーシーを見て言う。
「狩りのときに毎回連れてってるからなぁ。地面がガタガタなのにすげぇ速度で走る。山岳には連れてってないからわからないけど、森の中を含めた平地なら、とっくにアタイより速いはず」
「そうだったのか」
ヘレンは頷いた。かなりの間合いでも一瞬で詰めてくる速度を誇る彼女だが、それよりも速いとなると疾風だと思った俺の感覚はおかしくないってことだな。
作業を続けながらも様子を伺っていると、あの速さで何往復もしているのに、ルーシーはあまり疲れた様子もない。おそらくは魔物化していることが一番の要因だろうと思う。
俺がルーシーの遊び相手に任命したカレンも「ただの狼にしてはやたらとスタミナがある」ことにはとっくに気がついているはずだが、何も聞いてこないということは、ここが“黒の森”であるからと自分を納得させているのがありそうだ。
まぁ、それは誤解ではなく真実も含んでいるので、今のところルーシーがどうであるか、カレンに説明はしないが。
しかし、ずっとボールの遠投というのも疲れるだろう。休み休みやっているので、ある程度維持できてはいるが、やはり徐々に到達距離は短くなっている。
そうするとルーシーが戻ってくる時間も早くなり、ボールを投げる回数が増えるという循環が出来てしまっているようだ。あんまりやってると、身体への負担になってしまうだろう。
俺はヘレンに断って、一時作業の手を止めた。材木置場にしているところから、半端の木材を拾い上げ、ナイフで加工する。生産のチートがきいてくれて、思った形に加工するのはすぐに出来た。
出来上がったのはごく薄い木製の円盤である。俺はそれを持って、ボールを投げているカレンの元へ向かった。
俺が行くと、カレンはちょうど休んでいるところで、傍らでルーシーが尻尾をパタパタ振っていた。俺は苦笑しながら声をかける。
「遊び相手を命じたけど、もっと休んで良いんだぞ」
「はいぃ。私も休みはしてるんですけど、ルーシーちゃんにキラキラした目でまだかまだかと見られるとですね……」
俺は「それな」と言いかけるのを呑み込んだ。ルーシーが遊んで欲しいと待っているのに休むと、なんか悪いことをしているような気になってしまうのはよく分かる。
「とりあえず、これを使ってみてくれ」
俺は手にした円盤をカレンに見せる。彼女は小首を傾げた。
「これは?」
「これはな……ルーシー」
円盤を今度はルーシーに見せると、おすわりしていた彼女がスッと腰を上げ、「わん!」と吠えた。彼女の準備が出来たので、俺は円盤を胸に抱え込む感じで構え、手首のスナップも効かせて勢いよく前方へ投げる。
手から離れた円盤はスーッと滑るように空中を飛んでいく。飛び方は優雅に見えるが、その速度はなかなかのものだ。それをルーシーがものすごい速度で追いかける。
疾風と化したルーシーは円盤に追いつき、ジャンプして空中でキャッチした。距離にして40メートルほどだろうか。その距離を再び疾風となってルーシーが戻ってくる。
「よしよし、えらいぞ」
ルーシーが咥えた円盤を受け取りながら、頭をなでてやると、振っている尻尾の勢いが格段に増した。
「よし、次は待ってからだ」
「わん!」
俺は再び円盤を投げ、すぐに「待て」とルーシーに命じる。分かるかどうか一瞬不安がよぎったが、ルーシーは実にお利口さんに、すぐに走り出せる体勢で続く俺の号令を待っている。
円盤が20メートルほどを過ぎたあたりで、俺は次の命令をした。
「行け!」
ルーシーは一声も発さずに、疾風となる。円盤との距離がぐんぐんと近づいていき、やがて60メートルほどだろうか、それくらいの距離で高度を落とし始めた円盤をキャッチすると、行ったときと同じような速度で戻ってくる。
「よーしよし。本当にお前はお利口さんだな」
「わんわん!」
さっきと同じように頭を撫でてやると、さっきよりも更に勢いよくルーシーの尻尾が振られる。俺はずっとこれをやっていたい衝動を抑えて、カレンに言った。
「じゃ、続きはカレンに任せた」
「あ、はい。同じようにすればいいですか?」
「うん。休み休みでいいから」
そして俺は作業に戻る。聞こえてくるカレンの「待て」「行け」の声に羨ましさを感じながら、日暮れまでそれは続くのだった。
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