部屋

 温泉の湯は、魔力を含んでいるからだろう、汲んでから結構時間が経ったのにまだ十分に暖かかった。

 うちではそれぞれの部屋に湯を持っていって身体を拭いている。リケやヘレン曰く、それは「贅沢な話」であるそうだが、居間でうら若い女性がもろ肌脱いでってのは転生してきた身としては看過しにくいんだよな……。

 リディは個人の部屋だったらしいが兄と2人暮らし、サーミャはそもそも森を転々とする暮らしなので、この辺のことはピンと来ないらしい。いわば「どっちでもいい組」とでも言うべきカテゴリである。

 アンネはもちろん、ディアナの「お嬢様チーム」は実家では個人の部屋があったので違和感はないそうだ。なので、「身体を拭くのは自分の部屋でね!」って要求が俺が元貴族だった説を補強している状況なのである。


 そして夕食時カレンに聞いてみると、


「自分の部屋ですか? ありましたよ」


 とのことだった。家の様子を聞いてみると、概ね俺が想像したような“武家屋敷”と言った感じのようだ。つまり、


「えーっ!? 紙で仕切られてるの!?」


 ディアナが飛び上がらんばかりに驚いた。障子や襖のようなものが存在するのはこの世界でも同じらしい。この工房も鍛冶場だけは耐熱も兼ねてなのか石積みの箇所があるが、基本的には木製だからな。

 俺は苦笑してディアナに言った。


「木の骨組みの引き違い戸に紙を貼り付けてあるから、紙で仕切ってるてのはちょっと誤解があるな……」


 スマホなんかで実物を見せることが出来ればあっさり解決するのだろうが、想像だけではそう言った誤解も仕方のない部分はある。前の世界のマルコ・ポーロのようなものだ。


「もちろん、木だけで出来ているものもありますよ。私の部屋とかはそうです」


 いわゆる板襖で襖紙を貼らないタイプのやつかな。前の世界だと檜板に日本画が描かれているものがあったりして、なかなかいいなと思ったものだ。一般の(前の世界で言う)現代的なご家庭に導入するようなものではないが。


「うちに畳はないが、不便だと思ったらカミロに頼んでおくから言ってくれ。戸襖なら作れると思うし」


 爺さんの家では畳に布団だったのを思い出し、少し懐かしさを感じながら俺は言った。流石に壁を襖に替えるのは無理だが、扉を戸襖に替えるくらいのことはしてもよかろう。施錠はつっかえ棒とかで可能だろうし。いや、俺にとっては懐かしのねじ込むアレでもいいな。


「いえ、大丈夫ですよ。昨晩も寝る分には普通に寝られましたから。師匠だって慣れたんでしょう?」

「いや……うん、そうだな……」


 俺の場合は慣れたというか、実家も一人暮らしになってからも洋間にベッドだっただけなのだが。それは言わずに置いておく。洋間にベッドのほうが慣れてるのは事実だ。


「家にも板の間がありましたし、平気です」

「それならいいんだ。なんかあったら言ってくれよ」


 俺はホッとして頷いた。食うものと寝る場所は後から響くからな……。気持ちよく寝られないと、いずれ心身ともにガタが来る。しばらく会社での椅子寝を続けたことがある俺の実経験だ。


「それで、3週間……納品物の作業を除けば2週間まとまって空いてしまったわけだが、どうしようかね」


 俺は話題を切り替える。いつもの2週間なら1週間を納品物の製作にあてて、1週間でカレンの修行に付き合いつつ、俺もなにか新しい物をと考えていたのだが長く時間が取れるのなら、以前も考えたように今のうちに人手が欲しい作業――つまりは湯殿だが――を進めるのが得策なようには思う。

 だが、当然ながらその分カレンの帰還が遅れるわけで、一刻も早く帰りたいだろうカレンにとっていいことではあるまい。


「湯殿を作りましょう!」


 しかし、真っ先にそう言ったのはカレンだった。


「えっ、いいのか? 帰るの遅くなっちゃうだろ?」


 当然の疑問を口にしたのはサーミャだった。うんうんと他の家族も頷きながら心配そうにカレンを見ている。


「ええ! 先程の湯は大変良いものでした! 早く浸かってみたいです!」


 キラキラと目を輝かせ、今日一番元気なんじゃないかというテンションでそう言ったカレンに、俺たち家族は慈しむような、残念な子を見るような、そんな複雑な視線を送るのだった。


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