“黒の森”の湖

「さて、それじゃあ出発するか」


 カタギリさんとハヤテちゃんも含めて、全員から了解の声が返ってくる。クルルとルーシーも今日2回目のお出かけが嬉しいらしく、2人とも跳ねるように歩いていった。


 皆のんびりと森の中を歩いていく。先程、荷車から見ていたのとは違う景色。見通しが少し悪くなり、この森をよく知らない人であれば恐怖を感じるというのは仕方のないことなのだろう。俺やヘレンでも徒手空拳の無警戒でぶらぶら散歩できるようなところではないわけだし。

 カタギリさんがキョロキョロと辺りを見回しながら言った。


「それにしても随分と深い森ですねぇ」

「やたら広いらしいですからね」


 俺も見回しながら答えた。俺の場合は周囲の警戒だが。


「私もまだ反対側までは行ったことないんですよね。あの工房は“黒の森”全体から見ると東側にあるんですが」


 工房の位置は厳密に言えば東南東といったところか。サーミャがチラッとこっちを見た。彼女はもともと西から北にいたのだが、その湖を回り込むように東に来て……俺と出会うことになったわけだ。


「北と西の外はアタシも出たことないから、どこに出るのかは詳しくは知らないけど、あっちもこっちとそう変わらないとは聞いた。山があって、それは見えたことがある」


 サーミャが続ける。その山は湖からも見えたことはないし、北方では常に雪が溶けない山があると聞いて驚いていたので、そう高くはないのだろうが。

 しかし、“黒の森”の近くの山か。“大地の竜”も絡んでいることだろうし、必要がなければあまり立ち寄らないほうが良さそうな気がする。


 小竜に効く薬草や好みの果実があるなら今後採集の時に確保することを考え、道々それらが生えている辺りをカタギリさんに教えながら、湖の岸辺にたどり着いた。


「うわー、広いですね!」

「ええ。正確な広さはうちの家族では誰も知らないです」


 驚くカタギリさんに俺は頷いた。山が見えないのはともかく、この湖も向こう岸が見えないくらいに広い。東から中央にかけて存在するらしいのだが、サーミャも南側の方へ回ったことはないため、正確な広さは分からないのだが。

 この森の西側を散策するためにボートでも作って測量もするべきだろうか。その時にうまくチートが働いてくれたらな。

 でもそうなると、桟橋を作ってボート小屋も整備して……となると結構な作業量になるから、確実にまた今度になる。それに、このあたりにはないだけでどこかにはボートを運用している人もいるだろう。

 最初は湖をグルっと回ってボートを使っている人がいないか探すのも悪くないな。この湖固有の形式があるかも知れないし。


 そんなことをぼんやりと考えながら、俺はサーミャを手伝って獲物を引き上げた。今日は樹鹿だ。体高にして1メートル80センチはあろうかという大物である。

 そもそもが相当重たい上に毛皮が水を含んでいるが、それでも力自慢の我が家の面々は岸辺への引き上げを難なく完了した。


「ひゃー、こんなデッカいのがいるんですね」


 カタギリさんはこの森に着いてからずっと驚き通しだ。北方にないような環境だろうからなぁ……。

 獲物をリケが切り出した丸太で組んだ運搬台に乗せるのを手伝いながら、「北方の鹿はせいぜい、ここで言う角鹿くらいの大きさだ」と説明するカタギリさん。

 その彼女が帰り道、ふと運搬台を指差した。


「あれ、そう言えば、これっていつの間に切り出したんですか? 引き上げるまでそんなに時間なかったですよね? 前日までにいくらか切り出しておいたとか?」

「ふふん、親方の斧ですからね! どんな太い木も一撃ですよ!」


 カタギリさんの質問に、リケが斧を担いだままふんぞり返った。以前は気持ち悪いくらいだなどと散々だったが、性能については誇らしいようである。


「……じ、常識外……!」


 俺はまたもや驚くカタギリさんを見て、今後この人がどれくらい驚くことになるだろうか、と益体もないことを考えるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る