ようこそ“黒の森”へ
「ありがとうございます!」
ペコリと頭を下げるカタギリさん。彼女の黒く長い髪と相まって、一瞬前の世界に戻ったような感覚すら感じる。
俺はカタギリさんに言う。
「いえいえ、まだなにか成果が出たわけでもないですからね……。とりあえず、うちへ行きましょう」
カタギリさんは顔を上げて、「はい」と頷いた。
「“小竜”についてはもう聞いてるんだろ?」
そう言って俺がカミロの方を見ると、彼はぐっと親指を立てた。じゃあいいや。俺たちは1人増えた状態で、いつものように商談室を出た。
裏庭へクルルとルーシーを迎えに行く。うちの娘は2人とも人懐っこい。丁稚さんと遊んでいる間でも、他の店員さんたちが来ると駆け寄ることもあるそうだ。
なのでカタギリさんが増えていたとしても特に問題はないと思いたいが、こればっかりは会わせてみないことには分からない。もし、どちらかが完全にカタギリさんを嫌うようなら、一度良いと言った手前ではあるが、お断りをせねばならないだろう。
結論から言えば、それは全くの杞憂であった。2人ともカタギリさんを見るや、クルルは顔を擦り付け、ルーシーも尻尾をブンブンと勢いよく振って足元を走り回っている。
カタギリさんの肩に止まっている2匹の小竜たちはと言うと、クルルがカタギリさんに顔を擦り付ける時にクルルの背中に飛び移り、毛づくろいのように翼を舐めて手入れし始めた。クルルもそれで特に気にした様子はないし、ルーシーも2匹に向かって威嚇するようなこともない。
問題があるとすれば俺の肩のHPが順調に減っていることくらいだ。そろそろヒャッハーな肩甲でも用意したほうがいいだろうか。
「この2人がうちの娘……みたいなもので、走竜がクルル、狼がルーシーです」
「よろしくね」
カタギリさんがそれぞれを撫でて挨拶をすると、2人とも嬉しそうに鳴いて歓迎していた。
カタギリさんの荷物も荷車に積み込み、若干呆れたような視線を送る衛兵さんに軽い挨拶をして街を出る。もうお互いに慣れっこと言えば慣れっこになってしまった。荷車に女性を満載して男が俺1人という状況が周りからどう見られるか、は今更言うことでもあるまい。
「ええ!? 温泉ですか!?」
晴れ渡った空の下、緑色を失いつつある草原の傍らを走る街道で、カタギリさんは大声で驚いた。うちの話をしている時に、ディアナが「温泉がある」ということを言ったのだ。
「ええ。まだ使えるような状態ではないですが」
瓶に湯を汲んで来て家で使うくらいの事はできるかも知れないが、何もない野ざらしのところに源泉と排水のための池、それを繋ぐ水路があるだけなので、衛生面を無視したとしてもうら若い女性が入浴できる状態ではない。
「温泉に反応するとは、やっぱり北方の方なんですね。エイゾウさんも、温泉が出ると分かったときはものすごい喜びようでした」
しみじみとリディが言って、他の皆がうんうんと頷く。俺の場合は正確には北方人でなく元日本人だからだが、それは言わないし言えない話である。
サーミャが指を振りながら言う。
「あー、北方と言えばなんだっけ? 朝に鍛冶場でやってるアレ」
これにはアンネが答えた。
「カミダナ」
「え、神棚もあるんですか? あ、でも北方出身の方の工房なら当たり前か……」
ふむ、とカタギリさんはおとがいに手をあてる。
「まぁ、簡易なものですし、特に誰をお祀りしているとかはないので、気分だけみたいなものですけどね」
「いえいえ、出奔されても心意気を忘れないのはご立派だと思います!」
俺の言葉にブンブンと手を横に振るカタギリさん。サーミャが荷車の外を向いて肩を震わせているのは、警戒しているのではなくカタギリさんの態度がツボに入ったのだろう。サーミャは時々、俺をこうやってからかうのだ。俺はそれを見てため息をついた。後で覚えとけよ。
その後、家の習慣の話が続いた。水汲みを弟子であるリケでなく、俺がやっていることには驚いたようだが、運動と娘たちの散歩も兼ねていることを説明すると納得したようだった。
そうこうしているうちに、クルルの牽く竜車は森の入口に差し掛かる。“黒の森”の名は北方にも伝わっているらしく、
「こ、ここが“黒の森”……」
カタギリさんはゴクリとツバを飲み込んで、体を強張らせる。
「ええ、“迷えば二度と戻ってこられない”、“凶暴な獣がうろついている”」
俺は思わず小さく笑みを浮かべて、続けた。
「我が愛すべき家のある場所です」
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