命の泉
前の世界には雨垂れ石を穿つ、という言葉があったな。現象として起こりうる以上、こっちにも似たような言葉はあるんだろうか。
今岩盤に落ちているのは雨垂れどころか、鋼の刃なのだが。
“岩砕き”は途中まではガイドに沿って落ち、途中からは自ら穿った穴へとその身を落としていく。全長はそう長くないが、まだ姿を穴に隠すほどではなかった。
しばらくその様子を見たら、サーミャとヘレンが穴の底へ降りていく。穴の中に貯まった岩(だったもの)を掻き出すためである。
前の世界だと圧縮空気で先端を動かしたあと、その空気で外へ排出する機構になっていたりするらしいが、この現場で使っているのはご覧の通りのものである。そんな洒落たことはできていない。
「気をつけろよ!」
「分かってるよー」
俺が声をかけると、サーミャは気楽そうに手を振って返した。彼女たちはそっと“岩砕き”のところまで近寄ると、スコップでササッと掻き出す。
この作業は何回繰り返していてもハラハラする。“その時”は確実に迫っているのだし、何かの拍子でドカーン、ということもあるかも知れないのだ。
作業の担当がサーミャとヘレンなのは「足が速いから」だ。そのドカーンのときにちょっとでも足が速いほうが良いだろう、ということなのだが、実際に起きたら多少足の速さに違いがあってもな、というのもそれはそれとしてある。
天に祈るような――この場合は素直にリュイサさんに祈るべきだろうか――気持ちで作業を眺めていると、無事に終えた2人がゆっくりと戻ってくる。
そんなことを繰り返していると、“岩砕き”の姿がかなり見えなくなり、それに合わせるかのように太陽もその姿を隠しはじめたので、作業を終えることにした。
これで明日頑張ってダメなら、別の場所を試すことになる。そうならんようになって欲しいところだが、それは神ならぬ“大地の竜”のみぞ知る、と言ったところだろう。
「ひゃー、結構汚れるもんだな」
「そりゃあ、サーミャならそうなるだろ。って、アタイも結構ついてるな」
「あはは、背中のほう叩こうか?」
「頼む」
後片付けの最中、サーミャとヘレンがパタパタと体を叩くと土埃が舞う。こういうときこそ温泉の出番なのだろうが、その作業での出来事であることに俺は妙なおかしみを覚える。
「こういうときに湯で体を流せるように、ってのが温泉のいいとこの1つだからなぁ。多分もう少しだろうから頑張ろうや」
湯殿の建造を含めてやることは山積しているが、湧いた湯を貯められて、目隠しが出来て、排水に問題がなければ使用開始できるのだ。
湯船さえ出来てしまえば、湯殿は建築中でも仕事上がりにひとっ風呂と洒落込むこともできるはずである。
しかし排水か。湧いた湯はかけ流しになると思う。となれば湯船に溜まりきった湯は森に垂れ流し、ということになる。家とここはそれなりに離れているので、凝ったものにしなくてもいいとは思うが多少は考えておくか。温かい川が新しく生まれる可能性もあるわけだが。
それまでにリュイサさんに確認しておきたいところなのだが……。やはり連絡手段の確立が急務だな……。
翌日、今日は出ると良いなと思いながら、穴へ向かう。今日でダメだったら場所を変えるわけだが、その前に納品やらの通常業務をこなす必要がある。一旦お預け、ということだ。
穴に到着した俺は、そうならないよう“大地の竜”に内心お願いしながら、今日の作業の準備をはじめた。
「クルルルルル」
クルルが縄を引っ張り、離す。何十度目になるかわからない作業だが、クルルが飽きていないっぽいことは救いだな。もちろんそれは、
「わんわん!」
お姉ちゃん頑張れ!とでも言うように、縄を引っ張るクルルの周りを駆けまわるルーシーの存在もかなり大きいだろう。娘たちが喜んでくれるのなら、時折、俺の肩のHPが減ることくらいはなんでもない。
ルーシーは俺たちが引っ張るときも同じようにして応援をしてくれる。多分、本人(本狼)も加わりたいのだろうが、それを控えているように見えて、一旦区切りがついたら思い切り甘やかせてやるか、などとディアナと話をしたりした。アンネが若干呆れ顔だったのは見なかったことにしよう。
作業を繰り返して昼を挟み、いよいよこれは変える場所の見当をつける必要がありそうだな、と思い始めたころ。
「クルッ」
パッとクルルが咥えていた縄を離す。スッと落ちていく“岩砕き”は自ら穿った穴に呑み込まれて姿を消し、すぐに鈍い音だけを響かせる。
何度も何度も見てきた光景。代わり映えがしなさすぎて、何事も起きていないかのようにすら感じる。
その時、今まで耳にしなかった「ピシッ」という音が響いた。
「お、おい、今の……」
「聞こえましたね」
俺が言うと、少しだけ耳を動かしてリディが後を引き取る。他の家族も頷いた。何か変化が……。
そう思う間もなく、変化は訪れた。
ドウドウと音を立てて、穴から湯が溢れ出して来たのだ。何メートルにもにはならないが、確かに噴出している。
その光景を見て、俺達は一斉に快哉を叫び、互いに体を抱きしめ合うのだった。
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