夜半の授業
「別に泊まっていっても大丈夫でしたのに」
俺が言うと、ジゼルさんは静かに首を横に振った。
「嬉しいですが、色々とやらなければいけないこともありますので」
「それじゃあ仕方ないですね」
「はい」
それで俺達家族とジゼルさんは微笑みを交わした。手を振りながらふわふわと飛んで去っていく。リュイサさんと違うのは突然出たり消えたりするような「はしたない」ことはしないところだ。
「さて、それじゃあ片付けて明日に備えるか」
はーいと返事をするみんなを家に入れて(ルーシーは“お姉ちゃん”のところへ走っていった)、俺は家の扉を閉めた。
窓からは月の光が差し込んでいる。ベッドから体を起こして外を見ると、月明かりに照らされた庭がなんとも幻想的だ。
俺は寝ていて目を覚ましたわけではない。そもそも寝ていなかったのだ。
ゆっくりと、足音を立てないようにベッドから抜け出して部屋の扉を開ける。いつものベストなんかも今は着ていないし、履物も柔らかいものなのでほとんど無音で部屋から出た。まぁ、無音だと思っていても、サーミャあたりが聞けばかなりの音がしているのかも知れないが。
そのままそーっと、やはり足音を立てないように家を出る。まるで女性と密会をするかのようだ。いや、密会であること自体は間違ってないか。
そっと家の扉を閉める。こういうとき、うちの扉に鳴子が繋がっているのが恨めしい。幸い鳴子はガラガラと派手な音を立てることもなく、扉が俺と家の中を隔てた。
これで小さな任務が一つ片付いた。ほっと胸をなでおろす俺に、鈴の鳴るような、そして小さな声がかけられた。
「こんばんは」
「こんばんは、さっきぶりですね」
声がかかるのは予想していたので、「ぎゃあ」などと声を上げてしまうこともなく俺は挨拶を返すことが出来た。そこにいたのは帰ったはずのジゼルさんである。
「作った地図を元にリージャさんでもディーピカさんでも良かったのに、ジゼルさんが来たってことはそう言うことかなと思ってましたが、やはりそうでしたか」
「エイゾウさんの察しが良くて助かりました」
「私が来なかったらどうするつもりだったんです?」
「その時はそのまま帰るだけですねぇ。睡眠はどうとでもなるので……」
「なるほど」
身体のほとんどが魔力だ、ということは実際には睡眠はいらないも同然だったりするのだろう。待たせてしまったことは申し訳ないが、これも“大地の竜”の頼み事だからなぁ。仕事としてお互い割り切ってやっていこう。
「さて、何からお伝えしましょうかね……。希望ってあります?」
「私達にとっては未知の情報ですからねぇ……」
「そりゃそうですね。じゃあ……」
俺は“蒸気機関”について掻い摘んで話をすることにした。湯を沸かすと蒸気が出る。その蒸気の圧力で物を動かすことが出来る仕組みである。蒸気をタービンに当てて回転させるものと、シリンダーで往復運動をさせるものとに大別出来るそれは、前の世界では前者は大小様々な発電機関に、後者は名前からそのままだが蒸気機関車に用いられている。
今回は蒸気機関車に用いられるようなやや複雑な機構の話はせず、蒸気の圧力でタービンを回して仕事をさせる部分についてだけ話をした。全部話してるとそれこそ夜が明けるからな。
「風の代わりにお湯を沸かした湯気で風車を回す仕組みと考えてもらえれば、そんなに違いはないかと。理屈は先程お話したとおりです」
「エイゾウさんのいたところには、そんなものがあったんですねぇ……」
「まぁ、“内燃機関”と言ってもっと複雑なのもありましたが、これはまた今度にしましょうか」
「ええ。今日はもうなんだかお腹いっぱいです」
ポンポンと自分のお腹を叩いてみせるジゼルさん。思わず大声で笑いそうになって、慌ててそれを引っ込め、2人でクスクスと笑う。ジゼルさんはその後すぐに「それじゃあ、本当に帰りますね」と言って去っていった。
こうして、1回目の深夜の授業は終わり、俺はちゃんと寝るべく、そうっと家の扉を開けた。
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