連載2周年記念特別編 森の家族

「パパ! 早く!」

「おとうさん!」


 緑の髪に緑の服の少女と、灰色の髪に黒い服の少女が俺の手を引いている。いつもの森の中、俺は2人に抵抗することなく、引かれるままに足を進めた。


 俺の後ろからは複数の笑い声と、


「そんなに引っ張ったらお父さんも危ないわよ」


 という誰かの声。俺はそれを聞いてなぜか「ああ、いつもの風景だ」と思った。


「ようし、それじゃあ」


 俺は引かれる手を逆に引っ張ると、2人の少女を1人ずつ右手と左手に抱きかかえた。

 2人の少女は「きゃーっ」っとはしゃいでいる。


「おとうさん力もち!」

「力持ちー!」

「はっはー!」


 俺はそのまま川へと向かって走り出す。釣りに出かけた勝手知ったる道である。

 背後からは呆れるような声と、笑い声。楽しい休日の始まりだ。


 川原に到着して、敷物を広げる。少女2人もキャッキャとはしゃぎながら手伝っていた。昼食を詰めたバスケットや、茶を入れた水筒をそこに広げたら準備完了。

 移動中は森の中を進んでいたので被せていなかった麦わら帽子も、日差しの強いこの川原では必要なので2人に被せる。それが嬉しいのか、2人で顔を見合わせて喜んでいた。


「よし、それでは2人に道具を与える!」


 俺は釣り竿を手に娘たちの前に立って宣言した。2人とも手をパチパチ叩いている。


「お父さんのお手製だから安心して使うように!」

「お父さん、作るとき気合い入ってたものねぇ」


 俺の言葉にディアナが茶々を入れる。つい興が乗って過去一番の出来映えになってしまった。いるならリヴァイアサンも釣れるかも知れん。さすがにこんな湖からほど近い渓流にはいないだろうが。


「使い方と注意点はサーミャお母さんとリディお母さんに聞くように」

「なんでー?」


 緑の方の少女が無垢な瞳で尋ねてくる。俺の顔を一筋の汗がつたった。


「お父さんは釣りがあまり上手じゃないからね」


 クスクスと笑いながら、アンネが言った。大物狙いなのだろうか、大きめの針を器用に結びつけている。

 それを聞いて、頷きながらヘレンが続ける。彼女は既にエサもつけて、軽く竿を振っているところだった。


「お父さんは殺気を隠すのが下手すぎる」

「ヘレンお母さんから見れば、世界の大半は下手じゃないか?」


 俺は口を尖らせて言ったが、お母さん’Sの意見は変わらないようで、「はいはい」と軽く受け流されてしまった。


 各人それなりに距離をとって釣り糸を垂らす。サーミャとリディの隣だけは別だ。それぞれに娘が張り付いている。


「おりゃー!」

「おー、うまいうまい」


 緑の娘が振るった竿は上手く目的のあたりに針を運べたらしい。サーミャはああ見えて教えるのが上手だからな。


「よいしょ」

「そうそう、そっとですよ。お魚さん逃げちゃいますからね」


 一方、黒の娘とリディは静かに事を運んでいる。サーミャの方とは対照的だ。

 やがて、どちらからも歓声が上がった。


「釣れたよサーミャママ!!」

「おー、いいのが釣れたな!」

「えへへ」


 緑の娘はサーミャに頭を撫でられて、モジモジしている。


「リディお母さん、釣れた!」

「はい。上手ですね」

「うふふ」


 黒の娘もリディに褒められて嬉しそうにしている。

 しばらくするとそこかしこから水の跳ねる音が聞こえはじめるが、俺の竿はピクリとも動かなかった。


 朝一番から釣りを始めて昼過ぎ。川の一部を堰き止めて作った生け簀には十数匹の川魚が泳いでいた。数的には大漁と言っていいだろう。

 そう、あくまで数的には、だ。少なくとも家族全員の腹を満たすのに十分な数が釣れているし、何匹かは昼食に彩りを添えるべく、焚き火の炎で炙られている。

 ただし、そこには俺の釣った魚は含まれていない。この時点まで、ただの1匹も釣れていないのだ。

 まぁ、この狭い範囲でこれだけ釣れていれば、俺が釣る分がいなくなることも考えられるか。うんうん、そうだ、そうに違いない。


「パパー」

「お父さん」


 2人の娘から差し出された焼き魚を頬張りながら、俺はそんな風に現実逃避した。

 午後も俺は釣りを続けた。リディやヘレンは近くの果物や野草を摘みに出かけていった。娘2人は飽きたらしく、サーミャ、ヘレンと追いかけっこをしている。

 この森で恐らく最速と言っていいだろう組み合わせに対応できているあたり、我が娘ながら末恐ろしいものがある……はずなのだが、なぜか今の俺はそれも普通の出来事として捉えている。あの2人なら当たり前か、というような。

 そんな違和感を抱えながら、何投目になるか分からない竿を振った。


 ボウズが続き、しばらく休もうかと敷物の上にゴロリと仰向けになる。空は抜けるように青く、白い雲が自分の存在を忘れさせないためであるかのように、まばらに横切っていく。

 俺の体の上を風がそっと撫でていく。魚が釣れなくてのぼせていた頭を冷やすにはそれで十分だった。

 落ち着いてくると眠くなってきた。ウトウトとしていると、


「あー! パパお昼寝!」

「私もー」

「あちしもー!」


 2人の娘が両脇にペタッとひっついてくる。2人はすぐに、俺よりも早く寝息を立てはじめ、俺もそれにつられて意識が遠のいていった。

 最後に、うちの家族ではなく、どこかで聞いた少女の笑い声が聞こえたような気がした。


 ふと目覚めると、そこは自分の部屋だった。さっきまでいたはずの川原はどこにもない。


「ああ、クソ」


 起き抜けの胡乱な頭で窓から外を眺めると、日が昇るほんの少し前だった。空が暁を迎える頃、つまりはいつもの起きる時間だ。

 ずいぶんと変な夢を見た。昨晩はいつもよりほんの少し酒を飲み過ぎたが、それのせいだろうか。

 俺は着替えを済ませると、水を1杯飲んでから、娘たちが待っている外に向かった。

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