味噌の味

「おかえり」

「おかえりなさい」


 手早く辺りを片付けた俺とリケ、そして小屋から出てきたクルルで皆を出迎えた。ヘレン以外は平気そうな顔だが、ヘレンは少し疲れているように見える。


「その様子だと、獲物をかなり長い距離追い回したみたいだな」


 俺は笑いながらヘレンに声をかけた。ルーシーが俺に駆け寄ってきたので、そのまま頭を撫でてやる。子狼だが今日一日狩りに付き合っていただろうに、体力あるな。


「疲れたぁ……。みんなはなんで平気なんだよ」


 一方、体力を使い果たして、たまらず地面に座り込んだヘレンが口をとがらせた。


「サーミャはこの森に住んでたし、リディはエルフで元々森に詳しいし、ここで暮らしてからちょっと経ってるからな。それに、見かけによらずおてんばで体力もある」


 俺が言うと、いつの間にかそばに来ていたリディがポフ、と俺の背中を軽く殴りつける。肩のHPを削り取っていくディアナのに比べたら、どうと言うことはない。


「ディアナは……よく知ってるだろ?」


 ディアナもリディに輪をかけておてんばだし、日々の生活やらで体力がついている。弓を持つ前は勢子をしてたからな。


「そうだった……」


 ヘレンはそう言いながら、そのままゴロリと仰向きに寝転がった。


「適応した、と言って欲しいわね」


 ディアナも拗ねた風に口を尖らせるが、すぐに噴き出す。そして家族の笑い声と、クルルとルーシーの鳴き声に辺りが包まれる。


「さあ、埃を落として晩飯にしよう」


 俺の言葉に賛成の声が上がって、俺たちは家に戻っていった。


 翌朝、全員で湖に向かう。全員で向かっても作業では人手が余るくらいだとは思うが、まぁ、軽いピクニックのようなものだ。

 道中でサーミャが鼻をヒクヒクさせている。気になったのか、ルーシーもまねっこしている。


「うーん、やっぱり近くなってるな」

「雨か」

「うん。明日辺りからだな」


 サーミャの答えに合わせて、ルーシーがワンと鳴いた。ディアナが抱っこして頭を撫でくりまわし、ルーシーの尻尾がブンブン振り回される。

 明日あたりから雨季が始まるわけか。備えはギリギリで間に合ったと言うべきだろうが、もし何か足りないとしても、今年の雨季についてはなんとか耐え忍ぶしかない。


「北方は雨季がないんだっけ?」

「いや、あるよ。こっちの雨季と様子が違うだろうけど。こっちのはシトシトしたのが長く続く」


 多湿は(元の世界で言うところの)アジアの特徴の1つである。こっちでも”北方”と呼ばれる地域は多湿傾向にあるらしい。気候は文化に強く影響を及ぼすから、日本風の地域の気候が似通うのは当たり前なことだけども。


「アタイも北方は行ったことないんだよなぁ」


 頭の後ろで手を組んだヘレンがそう言った。うちの中で1番あちこちに行くであろう元傭兵のヘレンで行ったことがないなら、うちの家族で行ったことがあるのはいないだろうな。


「昔に北方からうちを訪ねてきた貴族の人はいたわね」


 そう言ったのはディアナである。伯爵家であれば諸外国からの来訪者も多いだろう。その中に北方からの来客がいても不思議はない。


「変わった服着てただろ?」

「ええ、そうね。小さい頃の話だけど、変わった服だったからよく覚えてるわ」


 流石に長距離を移動するのにかみしもと言うことはなくても、裁付袴たっつけばかまのような袴に長着か短着か、それに羽織でも着ていたかも知れない。

 訪ね先に甲冑を着ていったりはしなかっただろうし。


「エイゾウもそう言うの着たのか?」


 サーミャとしては何の気なしに聞いたんだろうが、現代日本生まれの俺が自分から和服を着る機会はそんなになかった。成人式もスーツだったし。

 ただ、爺さんが和服派だったので、爺さんの家に行ったときは浴衣(だと思っているが、もしかすると子供向けの着物だったのかも知れない)を着せられたりはしたものである。


「うーん、爺さんに着せられたことはあるけど、うちの家は南方風の服を好んでいたからな……」


 俺はそう答えることにした。まるっきりの嘘ではない。サーミャは一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに納得したようだった。


「行けるなら1度行ってみたいかも。貴方の故郷に」


 誰が言ったのか判然としないそんな声が、急に吹いた風に溶けて流れていった。


「うわ、でっかいな!」


 湖に沈んだ鹿を見て、俺は思わず大声を出した。前に2メートル位の鹿を引き上げた事があるが、こいつはアレよりもさらにデカい。

 前の世界でヘラジカが3メートル位になるらしいが、ゆうに4メートルはありそうに見える。


「だろ? 苦労したぜ」


 サーミャが誇らしげに胸を張ってフンスと鼻息も荒く言った。


「この大きさだから、仕留めるまでに時間がかかったのよね」


 ディアナがそう言って、ヘレンが状況を思い出したのか、顔を青くしてげんなりしている。


「森の主とかじゃないよな?」

「まさか。鹿はそうじゃないよ」


 サーミャの言葉からすれば、鹿以外でなら森の主がいる、というように聞こえるが、とりあえずはおいておこう。


 大きな鹿にロープを括り付けて、クルルにも結わえる。クルルはやる気を見せるように大きく鼻息を出した後、力強く一歩を踏み出した。

 さすがの彼女でも少し苦労しているようで、いつものようにスイスイとは行かないが、しかし引っかかることもなく引き上げた。


 クルルが引き上げをしている間でリケ達が木を伐って作っておいてくれた運搬台へと、俺たちも手伝って乗せる。

 家族全員の力があるのに、鹿はズシリと重い。肉そのものもあるとは思うが、体が大きい分毛皮、つまりは毛の量も多いわけで、そこに染み込んだ水の量も当然増えるし、その分が重量にひびいているのもありそうだ。

 うんせと鹿を乗せた運搬台を、「クルー」と一声鳴いたクルルが意気揚々と引っ張っていく。この子はホントに引っ張るのが好きだな。


 家に着いたら、木に吊るして皮を剥ぐ。吊るし上げるのにも重量が邪魔をしたし、デカいので2人ではなくて4人で手分けしたが、作業自体はスムーズに終えることが出来た。

 クルルを撫でて褒めてやると満足した様子だったが、流石に疲れたのか、のそのそと小屋に戻っていく。


「これだけあったらホントにしばらくは困らないな」


 大きかった鹿はその大きさに見合って、肉だけになってもかなりの量がある。度々こう言うのが獲れるなら、本格的に燻製小屋の作成を考えたほうが良いのかも知れないなぁ。


 昼は普通に焼いて食うだけにする。ルーシーには味をつけずに焼いて冷ましたものだ。昨日頑張った(基本走り回っているだけだが、いるだけでも十分だ)らしいので、ご褒美に分厚くて大きめの肉をあげた。

 彼女は食べている最中、ずっと尻尾を振り続けていた。


 そして夜。実は昼の間に薄めに切った鹿肉を醤油と味噌、そして酒(日本酒でないのが難点だが)を合わせた調味料に漬け込んでおいたのだ。

 熱したフライパンにそいつを投入すると、ジュウと言う音がして、香ばしい匂いがあたりに広がる。うむ、嗅ぎ慣れた匂いだ。


「変わった匂いですね」


 いつの間にか後ろに近づいていたリディが覗き込みながら言った。


「味噌と醤油だ。どっちも大豆と麦から出来てる」

「そうなんですね。私には美味しそうに思えます」


 エルフだからと言って菜食主義ではないが、どちらかと言われれば、やや野菜の方が好きと言う彼女には向いている調味料なのかも知れない。


 そろそろ出来上がるかなと言う時間、皆がテーブルについた。今日のメニューは鹿の味噌焼きと、無発酵パンと野菜のスープである。

 唐突に和風メニューが紛れ込んでいる。野菜のスープは味噌汁に仕立てようか迷ったが、皆の口に合うか分からないので取りやめておいた。いずれカミロが昆布や鰹節を手に入れたときにはチャレンジしたい。


 皆の様子を伺うが、とりあえず匂いは平気なようだ。発酵食品には違いないのでダメな人には耐え難いと思うのだが、幸いうちの家族に該当者はいない。

 俺以外の全員が味噌焼きを口に運び、もぐもぐと咀嚼する。


「ど、どうだ?」


 俺は恐る恐る聞いてみた。こんな心境になったのは資格試験の合格発表以来で、実に何十年ぶりかのことである。


「うまい!」


 大声を出したのはサーミャだった。他の皆もウンウンと頷いている。


「塩気がちょっと強めだけど、美味しいわよ」


 続いたのはディアナで、他の皆からも概ね好評なようである。俺はホッと胸をなでおろした。

 俺も一枚口に入れてみる。色々と足りない調味料の分は物足りない面もあるが、十分に味噌と醤油を感じられた。俺にとってはもうそれだけでも十分に御馳走なのである。

 ああ、米がないのが恨めしい。北方にはあるはずなのだが、ここまで輸送してくるとなると、どれくらいの値段になってしまうのだろうか。これもそのうちカミロに聞いてみなくてはいけないな。


 その後、夕飯を食べながら、北方の食材や調味料の話で盛り上がり、この日の夜は更けていった。

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