こころの目の桜、、、そして、永遠の春


 四月初めの某日、

 慎一は、新年度早々の有給二連休、土曜日曜の休日に合わせた、その初日の遅い朝を、ひとり自宅で迎えていた。

 妻の匂いが消えた空間は、人影も疎らな住宅街そのままの、寂しさに動けないような、無気力なしずけさになずみ、慎一の動作を緩慢にする。気配さえ隠さんばかりであった存在の、いなくなった部屋は、それだけに無闇むやみにがらんとして、締まりがない空室が、それっ切り放ったらかしの身の上を、嘆いている。そんな環境に馴染もうとしている自身は、いまだ妻帯者の顔を作る、独身の中年男に過ぎなかった。

 昨夜の内に作って置いたサラダと、子供の頃から劇飲している牛乳を、冷蔵庫から取り出し、ダイニングテーブルで朝食である。椅子の背凭せもたれが、体との深い密着を招き、オーブントースターで食パンを焼く。テレビの旅番組が、全国各地の桜の便りを映して、東京地方も、今が見頃である事を、改めて客観的に確認し、自身の実物目撃体験の、主観を擁護したい。今春も出来るだけ長く、満開の笑顔を見せていて欲しいと、願わずにはいられない。桜前線は、北関東まで、北上を続行していた。柔らかな桜色の花信風かしんふうが、日本を染め上げてゆく。

 ……今朝、目覚めた時、、、

 まだ、夢の続きを観ているような、ふわり浮き立つ心地が、慎一の手を引き、朝へ連れて来ていた。ひとりの空間に横臥して沈む、ひとりっ切りのいつもの朝は、今日に限っては、例外的に軽やかで、鼻歌のひとつもじるのは、年甲斐としがいもない。そんな自戒も、今ではどことなく懐かしい。無関心の仮面を脱ぎ棄てた現在、その代わりに待っていた、この静寂との邂逅かいこうとがめるものは、何ひとつなかった。自由であった。薄ら寂しい自由に、解放されていた。

 焼き上がりを知らせる、小気味良い無機的なチャイムが、響く。が、想い出したように席を立った。玄関の鍵を持ち、若者向きの流線形のサンダルを、素足に突っ掛けると、焼きたてのトーストの香ばしい匂いが、慎一の後を追うように、重い扉の開閉を包んだ。鳴りを潜めて施錠し、廊下からエレベーターへ、長年の自制心は、まだまだ健在であった。エレベーターの狭隘きょうあいな小箱の、一時の辛抱、、、そして、脱出。一階エントランスの静謐は、つい先日までの帰宅時の睥睨へいげいを諦め、あの別離わかれの日以降、常に無条件で、慎一を受け容れる態度を保証している。

 郵便受けに配達されているであろう、新聞を取りに、下まで降りて来たのであった。このマンションに自宅を構えて以来、身に付いた役目も、当然、ひとりになった自身の仕事である。トーストが冷めてしまっても、ゆっくり新聞を読みながら、朝食を摂りたかった。パンを焼く前に、そうすれば良さそうなものであったが、何せ実に久し振りの、食事作りなる作業、こんな単純な順序でさえ、暗い。今までの要領は、相手を過剰に意識し、波風を嫌う目的に縛り付けられた生活の、閉鎖的なそれであった。漸くその出口を見付け、常に出口が存在する、一方通行ではない、当たり前のひとりの道理、取引を、自由に行使したかった。波風は散り過ぎ、暗さもまた、気ままに移ろい、些細な事は見逃す事を許され、気に留めなかった。

 三○二のダイヤルを暗証番号に合わせ、小さな扉を開くと、いつもの新聞が、三つ折りの裾を揃え、居住まいを正して披露目を待っていた。そんな見慣れた朝の挨拶を交わし、取り上げた。すると、、、床面にはまだ、一通の白い封筒が遺っている。

 ……やや大きめのサイズの、その封筒の表が上を向き、佇んでいた。切手が貼られ、消印に認められた白いおもてには、黒の細字の油性ボールペンで、見おぼえ床しい達筆が、、、縦の数列に端座している、、、



 東京都目黒区ーー


 周藤慎一様


 ……手に取り、裏面に返した。



 周藤由美子、、、の文字が、、小さく、溜め息をいた……。



 ……言葉を発する気力が、瞬時でえ、追従して、食欲が散り始める、、、この空間の静謐が逆戻りするような、睥睨へいげいの冷たさのひと塊まりが、、兆す。自身が不在時の引っ越し以来の、音信である。忘れ難い寂しさが、この、白いなりに封じ込められている、由美子の香りを、、煽る。気付かなかった互いの想いが、、仄めく。この手紙の詳細はわからない。にもせよ、その、一途な、雪を欺くが如き白い顔が、ひとりぼっちの男の懐を、、せせる。言葉少なで繊細な、さればこそ頑なに、内向を集中させていた表情が、悩まし気に、慎一なる扉の周りを、、徘徊はいかいする。白皙はくせきおもてが、涙に濡れ染めた悲しみを、黒い文字の細さに、それでも乱れのない筆づかいに、譲り渡している。左上隅の切手が、白一面の余白におごらず、澄まし顔で見下ろし、文字を牽制している。短い宛名書きの肉筆が、切り取られ、エントランスを彷徨い、、流れ出した。中から滲み出して来そうな、言葉の流れ、その、色合いは、如何なるものであろうか? 慚愧ざんきえないかつての無力、不自由が、今日の自由に、何を語ろうとしているのか? ……。

 みはると省子から、由美子との対面、その中身を聞き及んでいる。控えめな大人の女の、コアのうずきを教えられている。その感情、その表白行動、そのひとつの、手紙であろうか? ……。正直な所、


〈何等かの、意趣返し? ……〉


 その不安に、息が、潜まる。

 些事ではない。大事である。


〈どうあれ、出来る限り穏便のうちに、正式離婚を確定し、夫としての責任をあがない、誠意を示すべく、この自宅マンションの所有権放棄を実行したい……〉


 慎一には、それしか、ない。

 新聞と一緒に右手に携え、再び、エレベーターに乗り込む。郵便受けの扉は、しっかり施錠している。あえて抑えたひと呼吸の内に上昇し、三階で停止した。扉がき、サンダルを静かに滑らせて廊下を歩き去り、解錠して、玄関へ逃げ込んだ。呼気と吸気の制約を解除した。が、トーストの微香が、最早冷めてしぼんでしまった事を仄めかすのは、さに非ず、慎一の翳りを示している。

 ダイニングテーブルの上に、ふたつの配達物を置き、ペーパーナイフを用意した。左手に納めた封筒を、利き手のくすみ掛けた銀色の一線が、裏面の天辺てっぺんさらうと、更なる不安を用意せざるを得ない。舟型に揺らぎ裂ける隙間から、白妙しろたえの含羞を諦めるように、数枚の、、、白い紙の端辺はしべが覗いた。さっきから隣席を押さえている、朝食類に、先を越された手付かずの無駄骨を、嘆かせるべくもない。

 ……既に、揺らぎが行き渡っている、その指先が、、戸惑う、、、その指先が、、揺らぎを自身のうちへ押し戻そうと、戸惑う、、、動きが、逃げてゆく、、、。抗し切れず、白旗の如き封筒を、テーブルの上に手離した。忽ち、開封されたままの、中途半端な黙殺の、その白さが、、、畳み掛ける。

 それは、テーブルに向かって立ち尽くす、足下にも伝わり、満身の憂色は、食事どころの話に非ず、濃厚な陰影と連れ立ち、部屋中をい回る。散らばり放題のそれは、内容物の想像を曇らせ、現に足をすくい、慎一のシナリオを崩そうと、にじり寄って耳打ちする。

 憂色の手を鬱陶しがる、慎一の指先、、、その手は、慎一の指先に触れたがっていた、由美子の、たおやかな白い手であった。触れたい、その、手を、、、慎一は、、拒んだ、、、。かつて、自身の触れたい手を、由美子の指先が、拒んだように、、長年互いに、手を延ばしつ延ばされつ、拒みつ拒まれつ、繋げなかったのだ。だから、、終わってしまったのだ。最期に通じ合った想いと、そして、由美子のコアを知る所となった今、それを、受け容れられなかった、白い肌触りに知らぬ顔をしていた個人主義の、カルマに怯える、その、指先であった。


〈……ぎこちない指先は、今度はカルマを、受け容れなければならない。逃げている場合ではない。清濁せいだく併せ呑み、憂色のその手、手紙の内容を確かめねば、、為すべき時に、為すべき事を為さねば、、、もう、後戻り出来ない。退路など、ない……〉


 自らの深奥の囁きが小々波さざなみ、尚も、波立つ。波は波を喚び集め、想いの丈に届かんばかりに、背伸びしてたぎり、その頂きを溜め込み、やがて、うねる。弓張りしない、押し展げながら身をじって抱き寄せ、もがき転げ回る他流との迎合の、繁吹しぶくに任せる、泡立つ過渡転換の渦を成し、悉くをも、その、紙一重の潮目に、巻き込もうとする。

 主流と傍流が入れ替わる、さながらの収束帯は、刻々とその位置を変え、消えもしよう。ひとつの流れの終息と、もうひとつの流れの優勢は、この潮境で触れ合う。そして、、過日、、由美子と省子は、対面したのである。


〈双方を架け渡す自身が、その橋に怯え、躊躇するばかりでどうする? この橋を架けたのは、他ならぬ、自分自身ではないか? ……けりを付ける。自分自身に。他人の事が気になる、細かい目。その目を、自らの懐の、奥深くへ……》


 いわずとも、顔に書いてある、顔を見ればわかる、その、想いを。盲目から目覚めた、その、想いを、、、。

 これっ切りの想いで、漸く手にした封筒は、滑らかにもせよ、ひどく、冷たい。

 そっと撫でるように引き出す紙の束が、そっと撫でられるように引き出され、面差しを見られたくない、ここでもやはりのじらいに、文字を隠して内側に折られた、二通の書面が、裏のおもての無垢の白地に尚も明るみ、慎一の瞼を引き上げる。

 そして、


〈……引き上げざるを得ない、ストレートにそうするしかない、そうさせる予感を、、否めない、、、予感を、、確信に変えたい……〉


 ひとりっ切りの、会話の必要のない、薄ら寂しい沈黙が、、、俄かに、そして、明らかに、、、異質の、沈黙に変容した、、、。


 その予感は、

 取りも直さず、まだ午前中であるのに、暮色染みた憂色の春陰しゅんいんを、春本番の瞬風が掻っさらい、押しけ、強かなインパクトでは不足である。

 その、折り曲げ重なる、裂け目のような微空間を、由美子の肉筆の整列が、塗り潰してこぼれそうな、、、もし、落としてしまったら、文字もバラバラに壊れるかも知れない程、黒く、短い線が密集している。宛名書きと、同じボールペンを使ったものと想われる。


〈更に、、、もっと、、予感を、確信に変えたい……〉


 予感。

 その、現下自身の最大の投資材料を成す方の、一通を持ったまま、もう一通の、四枚の便箋と封筒を、テーブルへ置いた。掌中にある、内容が透けて見える程の、新聞同様、三回折り畳まれた、清白の薄紙の、その、裂け目に、、さっきから、目を剥きっ放しの視線の矢を、、、突き刺した。かくなる攻勢に観念する、投降の意思を速読したい慎一の、もつれる指先に、薄紙は、屈するが如く、ひもとくが如く、ぱらりと、、、擦過痛さっかつうを具申する、遠方から届けられた小息と共に、、全容を、開示せざるを得ない……

 予感は、

 目に飛び込まれ、その目を疑う一方で、開封時からの明察に安堵し、かかる事実が、確信に至るプロセスを、この一瞬、ほんの一点に過ぎないタームに於いて、余りにも劇的な変貌を完成させた。正に、確信を得る所となったのである。その裏付けは、突然舞い込んだ、さるにても希薄な、淡白な一編の事実によって、予感を、儚くも終章へとくくらせた。一陣の春疾風はるはやての残痕は、まばたきひとつの呆気なさに、安堵はそこで喚び留められ、むしろ無味乾燥な、やり場のない虚しさに、身の置き所もない。


〈ただ、、、何かに、すがり付きたい、、カルマが、そうさせているのか? ……それも、筋書きの内なら、、たとえば、、や、忘却へ向けた旅路の、壮途に就いたという事か? ならば、自身の懐奥深く、見つめる無言にぼかされ、時間は流れてゆくのだろうか? ……〉


 間違いなく、もう、それは始まっている。

 目に見えない潜行性の、複眼思考にけた世界を創造する、記憶という名の動きが、呱々ここの声を上げたのである。その、時の、彷徨い流れるままに。想いの、赴き馳せる徒然無聊とぜんぶりょうに、、、。

 慎一は、ただ、喚び留められていた。

 自身を喚び留めるもの、そして、喚び留める人が、あった。慎一の懐に触れんとして、手を延ばしていた。その手は、戸惑いを隠せず、春の空に棚引く雲の雁行がんこうのように、控えめな自己主張を、五月雨さみだれて差し出し、振り返った慎一は、止まり木を見付けた懐かしさそのままに、そこで、立ち止まった。ふと、、立ち止まってしまった。

 懐かしい感傷は、そこから更なる道、喜びへの集中を立ち止まらせ、慎一は、それに納得したのだ。この手紙によってもたらされた事実を、喜んではいられなかった。喜ぶべきではなかった。自身が最も良く知っていた、されど、最も良くわからなかった、長年、素顔を見せてくれなかった、その人が、、彷彿と、する。


〈……その人の、コアを、知っている、、その人の、コアを形成する一翼を担った自身である。喚び留められてしまったら、、、他に、どうすれば良かったのだろう? ……〉



 立ち止まるしか、なかった。

 納得するしか、なかった。

 ……こんなにも、突然に、、、

 由美子の、想いの結実を見た。

 春泥しゅんでいに戸惑う、

 ふたりである。


 

 そして、、、

 喚び留める人の、喚び留めるものが、もう一通、遺っている。

 薄紙の表を内に、一回折っただけで、便箋の束と交換した。その、かすれるようにうめく、カサカサした声が、さっきより引っ掻き傷に痛がり、重た気である。それは、四枚分の戸惑いに、薄紙が後を譲り、テーブルへ手離され、新たに手にした不安が、事実に煽られ、不本意な、四枚分以上の戸惑いを、準備せざるを得ず、まだ、内容がわからないにもかかわらず、偏見を持たれた便箋の、悲しみの声を想わせる。

 横に三等分に折られ、衿元をじらい隠す、かさねの前合わせの如き、頑なな裂け目に、偏見に満ちた視線の矢を、、二射目を、、、突き刺した。薄紙に気を取られてわからなかったが、今度は、横の罫線上に、黒の精緻な繡文しゅうもんの、懐の裏地にて、澎湃ほうはいたる姿態が窺える。

 戸惑う者同士の馴れ合いが、互いの偏見によって成立していた、時間の長さが、千呼万喚せんこばんかんの如く、慎一を、遮る、、、


〈終わったはずなのに、忘れようとしているのに、なぜ? ……俺を喚び留める、、、立ち止まってしまう、、、やはり、俺は、弱いのか? だから、君には何も、、、いえなかったのか? ……〉


 慎一の想念は、着実に進行している現実の時間に、この時、追い付いてゆけず、解離という、相対性の海を漂っていた。どっちが裏切ったか裏切られたか? ……中立を善しとしたい、曖昧さをうべなう想いに、現実の時間は費やされ、自由を差し出していた。自由は、想念なる主役を託され、傍らに控える体で、ひたすらもがき溺れるこころを、助けようともしない。それも、自由の自由と、いわんばかりに、、、。

 さるにても、


〈ただ、ひたすら、、空虚である……。こんなにも、空っぽになってしまった、いや、してしまった俺自身の行動に、哀切を抑えられない。本当に、、、空っぽになってしまった、、、ひとりぼっちに、、なって、しまった……〉


 現実を受け容れ難く、あの、、、孤独の波濤が、、その、頂きの丈を弥増いやまし、、たけり狂う。反抗的な態度で、かたちのないたてを取り、、襲う。そして、追い駆ける。

 一個の人間としてのプライドは、人としての幸せを見据え、仕事に精を出し、それに耐え、責任を果たし、、云々うんぬんしつつつちかわれる、社会人としてのプライドに並走する、ひとりの人間としての自由、その、ポテンシャルである。仕事を離れ、一家庭人に帰った時、そこに愛が、幸せが、自由があればこそ、、寛容にも、謙虚にも、なれる。この、豊かな正のスパイラルが、たまさかのイレギュラー、塵芥ちりあくたの如き不都合を、ただそれとして、何等問題なく許せる、そんなゆとり、「こころの目」 を育てる。目に見える事にはざっくりとした、目に見えない事にはこまやかな、そういう、、網の目、、、。

 そこかしこに落ちている、喜びの芽に気付き、無抵抗に拾い上げ、スパイラルの糧として、その増殖を図り、結び付けたがり、それ以上の充実を求める。芽は、、積もる、募る、遺る、そして、、育っ。

 たとえば、もしそこに、愛がなかったら、、どうだろう?

 真逆の、負のスパイラル、、、。些細な事も気になる、嫌がる、許せない、個人主義の芽は育つが、喜ばしき芽は、儚く夭折ようせつして育たず、満たされない、ひとりの人間としてのプライドは、その分の不足を、社会人としてのプライドへ、過剰な欲求を燃やして固執し、自身の意義を、価値を、り替えんばかりに分散させる。目に見える細かい事が、気になって仕方なく、目に見えない細かい事に、無頓着というより愚図。そんなプライドはプライドを欲しがり、非寛容な、謙虚に非ぬ、一個のプライドが完成してしまう。


〈……身勝手な偏見に埋め尽くされ、時間の自由は拘束され、無意味もどきの抵抗の雨は止まず、結局、本丸の周りを堂々巡りして、長い道のりを歩いてしまった、、遠回りをした、、疲弊し、自由を、使い果たした、、、。既に家庭から、本来とは正反対の、贋物にせものといわざるを得ない自身をさらけ出し、他を欺き、傷付けた。嘘をいた訳ではない。虎の威を借るきつねが、その、不面目、自身をも傷付けたカルマに泣いた、そんな、、虚ろな日々が、、遠ざかってゆく、、、。幸せの芽に気付かず、不本意ながら、非寛容な寂しい芽を、拾い上げてしまった。ふたつにひとつの分かれ道は、いつ、どこだったのだろう? あの頃の、あの時の、あの、、、失ったものは、、余りにも、大きい。それでも、だけど、時間は止まらない。それでも、まだ、動かせる。俺が動いているように、君だって、きっと、動かせる。時間とて、動いている。ならば、動かねばならない。動かして欲しい。全てが、終わった訳ではない。再び、芽を、 拾い上げて欲しい。自由の芽を、、、。由美子、、君は、強い。君なら、出来る。こころの網の目を繊細たらしめれば、見た目など、ざっくりで構わない。そのこころは、自然に、そう流れる。流れのままに、素直な想いのままに、必ず、見付かる、、、諦めないでくれ。賛否両論あれど、いなを投じた君のこころに、今、こころから、賛の花を……〉


 慎一の、千呼万喚せんこばんかんの無言劇に応えて、便箋は、開衿かいきんした。

 忽ち、引き付けられずにはいられない、初見の視点が、序章からの、流麗な黒い文字に導かれ、彷徨い出す。左から、右、折り返して、、また、左から、、右、、、。

 四枚分の往き来の意味が、仄かに、文脈のアトモスフィアを醸し始め、如何にしても、、果たして、、慎一を惑わす。仕事の、長年の立哨りっしょう業務に慣れ切っているはずの、時下佇立を決め込んでいる足下が、しぼられ、素っ気なく奪われてしまった、こころの隙間、そこにし挟まった寂栞さびしおりが、尚も、全身へい上がろうとするや否や、、得意淡然、失意泰然としていた、、ふたりの生活が、、懐かしさの余り、それでも、慎一に乱暴し、ぎ取るように掴み掛かる、、、。文字の匂いが、はたと、展がる面影を連れて来る。それは、郵便受けでこの封筒を手にした時とも、薄紙の事実を知った時とも、、似て非なる、人の、美しいばかりではない、生命の飢餓の、潰れたように濃厚な匂いにまみれた、発酵臭であった。

 引き付けて置きながら、そっぽを向いてなす、照れ屋のふたりの、開衿かいきんじらうばかりの、同類の懐に、この時、隙間から浸入され、焚き付けられ、山と成し、今の慎一の、今の自由に拮抗きっこうしようとする。そして、今の慎一は、、敗色を、、認めざるを得ず、文脈という山並みの、山襞やまひだ深く分け入る底知れなさに、、怖れ、、、立ち止まった。

 その挙句、致し方なく、斜め読んでゆくのだが、最後の救いを初見に求め、目線を、書き出しに戻した。



〈……どうしても、、、読めない……〉



 一枚目途中で、挫折した弁明は、、今尚、惰弱であったのか? ……。



 連名の宛名。



 周藤慎一様。岡野省子様。



 省子と、、、一緒に読みたいと、想った。



 ……畳み直して、その便箋だけ、封筒に戻し入れ、薄紙と交換に、テーブルへ載せた。久し振りに、意識の命令系統を巡らせた、まだ目覚めたばかりの足取りで、薄紙を持ったまま、自室に入った。空気の抵抗に孕む白いおもては、そっと、机上に吸い付かれ、その隣りに置いてあった、日頃手帳代わりの、B5サイズのファイルノートと、革製の黒いバックパックを持ち、再びダイニングに戻った。そのファイルに、封筒を保管するように挟み込み、バックパックの中へ納めた。

 用意してあった牛乳を、グラス一杯だけ飲み、冷めたトーストは棄て、サラダは再びラップをして、冷蔵庫へ入れた。折角用意した朝食を、食べ損ねた。それでも、良かった。それでも、、、。

 洗面所で服を脱いで全裸になり、バスルームへ飛び込む。

 熱めのシャワーが、溢れそうで溢れなかった、やはり、こらえていた熱いものを誘い出し、流している事に、今更ながら、気付いた。湯気立つ箒目ほうきめの熱い慰藉が、音と共に、由美子の影を洗い流してゆく。それに乗じたのかどうかは、もう、問題にしたくなかったが、動きだした新しい流れの如き、この熱いシャワーの、その、熱の現実感、確かに、熱さを感じる、その現実の中に、、、


〈今、俺は、生きている! ……〉


 事改めて、強く、そう想った。

 悲しみの涙も、それを乗り越えようとする、喜びを求めようとする、熱い想いが掻き消し、忘れさせ、流そうとする。熱さは、冷たさをかばう。熱いが故に、冷めもし、冷たく迷い、さればこそ熱を求め、熱はそれに応じる。温度の摂理、循環を知っている。由美子にも、その、熱さのプロセスを、輪廻を知って欲しかった。誰だって、いつでも何度でも、熱くなれる事を、願って止まないのである。

 こうしてシャワーを浴びるのも、朝食を食べ損ねて良かったのも、実の所、これから省子と、桜の花見のデートを控えているからであった。結局、省子の要求通り、お腹をかせた状態で、臨む事と相成った。省子は今頃、自宅でお弁当作りの真っ最中であろうか。今朝の手紙と食事以外は、予定の行動であった。場所もコースも決めてある。ふたりだけの春に、この手紙は場違いとも考えたが、省子の為にも書かれたものである。流石に薄紙は持参出来ぬまでも、その事実を踏まえた余情の赴くまま、一緒に読みたかった。省子とて、見知る所となった由美子の、真筆の求めに、、、


〈最早、、構える事なく、触れられもしよう……〉


 温かな、祈りのように。

 そして、その前に、この事実を受けて、ちょっと寄り道がしたくなった。しなければいけないと、想った。

 ……全身を洗うボディーシャンプーの香りに、更に目覚め、生き返ってゆく。自室の机の上で、ひとり留守を預かる、任を帯びた薄紙の、その、空欄が、記載の主を待ち侘び、戒慎を諭すように、白んでいるかも知れないだろう。



 その、由美子側の、署名捺印が施された、行き着いた先の、、、離婚届の。




 唐ヶ崎通り、東横線高架下、省子と慎一は、ここで待ち合わせていた。

 ふたり共、自宅を出て、今、自転車を駆って、そこを目指している。省子の茶色い革製のバックパックには、手作りの花見弁当が、慎一のバックパックには、例の手紙が、それぞれしまわれている。休日の街角に降り注ぐ春陽が、薄絹うすぎぬ一枚めくられて、それでもさして気に留めないような、仄かににじらう春色を、人々に手ほどきしながら、悉くを染め上げる。為すがままの微風に、ありのままの面貌をさらしても、それも構わぬとする、さりとて隠し所は守る、緩やかな相互意識の息づかいが、そこら中に散らばっている。許され、そして、放たれた、春暖の休日に、駆られる想いを溜め込んでいるのは、何も、このふたりだけではないと、素直に、そう想わせる、それが、この時候の本懐であった。

 たまさか、、、互いに、反対方向から近付いて来る、自転車のその人を、既に見付けていた。

 申し合わせた訳でもなく、共に似たような紺色の、春物のジャケットを着て、省子は細身のホワイトデニム、慎一はブルーデニムの両膝を、上げつ下げつ送りながら、や、相好を崩すばかりである。揃って多少息が弾んでいるのは、運動不足でも歳の所為せいでも非ず、ただ嬉しさの余り、口からこぼれたのであって、慎一に関していえば、正直な所、、腹が減っていたのだ。そんな慎一を知る由もない、省子の白いボトムの光沢に、あたかも光を孕み、わたの原を滑り流れるが如き、春帆しゅんぱん船脚ふなあし長閑のどかさを、夢想せずにはいられない、慎一のその理由は、


〈やはり、、空腹か? それとも、、寄り道の提案か? 〉


 何れ弁えの付かない、心地良い照れ笑いのまま、ほぼ同時に、合流地点に到着した。


「おはよう! 」

 声を揃えるふたりは、、どこか、、牴牾もどかしい。揃って真似るように、左脚を地面に置き、跨がったままである。その脚の感触には、正に流れにさお差す、この時の到来をする、決して無駄ではなかった、辛抱の健脚たるを知るに充分な、漲るものがあった。確かに、慎一は、空腹を否めないにもせよ。

 互いの口元を、上目づかいに瞥見べっけんするのがやっとの、含羞はにかむ挨拶の陰に纏めた想いを、なだらかな風が、そっとこころ配るように、ふたりの間をなかだちして、通り過ぎてゆく。それは、煽られる程の風ではない。さりとて、けしかけられるような風であった。なぜなら、この時、風の粒子が、目に見えそうな限界まで達し、たまさかそこに留まる一点の煌めき、小さな桜の飛花ひかひとひらの、薄紅色の囁き、しかも、時に一点に非ず、無理からぬ花風道はなかぜみちの、合流の饒舌を以て、、ふたりの距離を、、縮めた。

 春は、ここに集い、自由の芽は、ここから始まると信じられもしよう、朝桜あさざくら吹き迷う、街頭にて、触れ合った。


「良いお天気ーっ! 花見日和だねえ! 」

「ううん、本当に……」

 省子は、上がりっ放し伸ばしっ放しの語尾を躊躇ためらわず、いつもらしい、嬉しそうな笑顔に復するままに、やはり、慎一を唱導するが如くである。その、屈託のない明るさに、動かぬものとて動くような、事実、動かしてしまった、未知なる力を具有する可能性、それに疑念をいだくべくもない自信が、仄見えていた。春日影に、喚ばれるに任せた想いが、時として、慎一を揺り動かす。省子とて、瞳の灯は玉響たまゆらの春の情けに潤み、揺らめき、過敏な吐息を、がすようにちりばめている。

「省子……」

あに? 」

「提案があるんだけどさ」

「うん」

「ちょっと、ママの所へ寄って行こうよ」

「うん、良いよ」

「話があるんだ。ふたりに、聞いて欲しい……」

「ううん、わかった」

 省子が先んじてペダルを踏み始め、その後に続く慎一である。省子の電動自転車の、人力一辺倒に非ぬ、伸び放題の出足の速さにまごつく、慎一を慮ったのか、半身のポジションを決め込み、前後に注意を払いつつ、ゆっくり進む省子。慎一は、その省子越しに、前方の注意を補うべく、先の視程を確かめていた。こんな都会の街中では、視程というには大仰おおぎょうな、忽ちにしてぶつかってしまう視線の先、そこにあるはずの今年の桜に、ふたりのこころははやり、うに桜人の想いが、馳せ赴かずにはいられない。

 慎一の、その視線の道筋を満たす、省子の髪の寛ぎが、そこかしこで煌めき揺れる、風に流れ、はたとばらけて光を喚び留め、金色に透き通って小々波さざなむ輪郭の、その中心で安らぐ笑顔を、惜しみなく、後続車両の視野に飛び込ませる。省子は慎一の、慎一は省子の、目の役目を担っていた。見えるものは更に見え、見えないものは尚も見ようとする、相携えた想いの目は、薄紅色の擾乱たる主張に、何を見付けるだろう? ……。それを探す期待が膨らむ、自転車の桜人であった。

 慎一はかつて、、このロードスポーツタイプの自転車で、良くひとり旅をしたものだ。

 久し振りに跨がったサドルの硬さに、連れて来られた懐かしさが、時を経て今、省子を連れ、あの、目に焼き付いて離れなかった、悉くを奪われてしまった、山河田園の風景を、おぼろに蘇らせる。記憶の旅路を遡行し、薄らぐ姿にさえ満足するが如く、蒼かった時代が、たまらなく愛おしい。


〈……過去は、裏切らない、、、過去の上に、今こうして、俺達は、立っている。それが、、現実……〉


 平日と違い、疎らなゆき交いの高架沿いの道を、二台の自転車が低徊ていかいするが如く、彷徨う。いつも頭上にて、泡を食って駆ける東横線が、突として、退屈紛れの欠伸あくびよろしく、間延びした警笛を響かせ、堅苦しい走行音の、虚をかんばかりの、のんびりとした沿線風景を潤筆する。目に見え、音に聞こえし、そして肌に触れる、数多の事情が、こぞって一様に、春の気にくみする態度を憚らず、それにあずかる人それぞれの想いの丈が、それぞれの春を染め上げる、淡く微温ぬるい連環を、知る由となろうか。

 舞い渡る春塵しゅんじんに、つつかれほどけた学大の小景を経巡る、二点の日溜まりに、尚もほだされ持てはやされた、休日の駅前の小賑わいを抜け、〝みはる〟 の前に降り立った。

 ……ランチ時間帯の、営業直前である。

 まだ、暖簾のれんも商い中の木札きふだも出ていない、歓迎前の仕切りに余念がなさそうな、静音稼働振りを感じさせる、その引き戸の脇に、二台揃え置いた。当初、今日のこの花見に、省子は、勿論みはるを誘った。しかし、逆に冷やかされ、ふたり水入らずの初観桜となり、みはるのみならず、アルコールも不在の、スポーツ好きのふたりらしい、サイクリングの名を借りた、今春の花見を想い立ったのであった。


「おはようございます! 」

 ふたり重ね合わせた息が、いつもながらの午前の店内の気を、、潤す。本日一番乗りの珍客? に、目を丸くする女店主は、最早哄笑するしかない選択の余地を、隠せない。カウンターの中で立ったまま、時間を見計らう手を休め、ホールのテーブル上には、紺色の暖簾のれん木札きふだを待機させている。万遺漏ばんいろうなきを整えた、フレキシブルな匂いがせ返る当たり前が、不意の来店を歓迎する、〝いらっしゃいませ〟 を変容させた。


「あら! おはよう。どうしたの? これからでしょ? 」

「うん」

 を一致させたふたりは、その直後に続けて、

「そう! 」

 の省子と、

「まあ……」

 の慎一に、意見が分かれた。

 畳み掛けた訳でも、圧倒された訳でもない、賑やかな挨拶に、開店数十分前の時間が、微動した。それも全て春の所為せいにしたい、三人の笑顔が、その想いをもっと用意している、語り尽くせない喜びを知らせている。母娘おやこは、この上とも華やぐばかりである。見切り発車の予感を、とがめるものは見当たらず、赴くままの自由を、むしろ口説くかのような目線を、交換し合っている。

 さりながら、、、自身の、開口一番の意見の不一致に、捉われる慎一は、その輪の中に、参加し切れていない自覚を、そっと噛み締めていた。背負っているバックパックの中身の、その事実に、正直、喜んでばかりはいられない、責任が発生した、目に見えない負荷が、鍛えられた双肩に食い込んでいた。自身の発した「まあ」 という反応に、縛られてぎこちなく、今日のデートに水を差すかの如き、自身の不始末の溜め息の促迫を秘した。千切れてぼかした息づかいを、それと察せられる事に、怖れがあった。喜びと相半ばする想念が、時間の微動に、、、


〈一点のブレーキを、もたらそうとしている……〉


 それでも、、、和やかな華は、、開花を加速させ、誇らし気でさえある。時候の趨勢すうせいに抗する不毛こそ、自由の空費といいたそうな、ただ素直に、春を愉しめば良いだけの、生命いのちの自然な力感溢れる、叙情を愛誦あいしょうするが如く。


「あの、、、ママ、、仕事中、ちょっと良いかな? 申し訳ない……」

「ううん、何? 」

「省子も、聞いて……」

「ううん」


「……実は、、、由美子から、、離婚届が、送られて来た、、、。妻の欄は、署名も印も、全て埋められ……」

「ええぇっ?! 」

 みはると省子の重低音の喫驚が、、慎一の言葉の最後を呑んで、消した、、、。心底を叩かれ、孤影悄然たるを隠せない。春の喜びも、一気に消散せざるを得ず、沈黙との取引を、忽ち完成させるしかない。項垂うなだくずおれたまま、佇立を強いられ、奪われた自由の小息が、開店時間の迫る、みはるのルーティンワークを嘆き、その悉くを省子とて、遺り僅かの時間の所為せいにしたがる。濡れぎぬを着せられた壁掛け時計は、それでも忠実に時を刻んでいるのだが、その精密機械音が、やけに白々しく、三人の懐を、刺す。時の流れの怒りを買ったかのような、空疎な論争に、その相対性の意趣返しをこうむる、人の世の無情を、案の定、時間は、睥睨へいげいと嘲笑を露わに、見下ろしていた。何事に付け、自然摂理に言寄せしたい、人の真情を、時に、宇宙空間の原理原則は、厳しい横顔を覗かせてたしなめる。甘い顔ばかりではない。春の喜びの布石として、冬のモラトリアムを呈するのも、その底流する所には、豊饒たる寛容が存在している。寛容故の、寛容たらしめる為の、その前の厳しさ、喜びに至らしめる為の、自然摂理のおきて、自然淘汰とうたというパラダイム、との推測も許されよう。

 そして、何れが掴まえたのか、掴まえられたのか、そんな事はどうでも良い、今更いわずもがなの、内観上の一線が、ゆくりなくも、慎一に助け舟を差し向けた。仄暗い逡巡へと、押し雪崩れそうな自身を、束の間の躊躇ためらいに押し戻す手掛かりを、省子の眼差しの中に、、見付けた。それは、拭い難い寂栞さびしおりし挟まれ、アンバランスに揺らぎ、映っていた。華やぐ笑顔の体で放っていた光彩が、急変した、遠慮がちな息づかいが、慎一の春愁しゅんしゅうを引き寄せ、過去へ押し流れそうな想念を、玉響たまゆらの今というタームからは外せない、越えるべきに非ぬ、壁の如き一線を、示唆に富む瞳に浮かべていたのである。


〈俺の二の舞を、省子に、踏ませてはいけない。責任がある。省子の寂栞さびしおりは、俺の感傷の目が、掴まえたのだろうか? だとすれば、それも春夢の為せる儚い生命いのちの如き、省子とて、気付いている、故に、通い合う、証左だろうか? 俺達は、、それぞれに携えている、、寂しさで、、繋がっているのだろうか? ……。今という時を、手離しては、いけない。今、寂しさの中にいる、省子の手を、掴まえていなければならない。袋小路から出られなかった由美子の、致し方なく燃え遺った寂しさに、じかに触れたが為の、省子の紡ぐ寂しさとて、それも、また、、真実である。たとえ、真実から離れようとしても、何れ今は、悉く、、過去へ遠ざかり、全てが、おぼろに、霞む。今は、余りにも儚く、一瞬で、昔へ、、雪崩れる。そこで生き続ける命脈もあれば、尽きる忘却とて、、ある。生き続ける。生きるという事。無関心ではいられない、曖昧にしたくない、自然の摂理。それは、まだ見ぬ、必ず訪れる未来に於いても、同じ、、んなじこころ……。ならば、今という刹那のタームを、大切にすれば、そのまま、果てしなく永遠に、生きられるのではなかろうか? 過去も、現在も、未来も、ひと繋がりの、無常の輪廻の下にある。今日の現状を選択した責任がある。今に始まる喜ばしき夢は、維持継続せねばならない。悪しき夢を蓄えたままで、どんな意味がある? どうせ風塵ふうじんの如き今に、寛容にならずして、愛も自由も幸せも、そして、生命いのちも永遠も、意義をせばめてしまうだろう。こんなに悲しい事は、ないではないか? 何の為に、生まれて来たのか? ……。幸せになる責任、その為に。ただひたすら、その為に……〉


 慎一は、

 そんな想像盛んなるまま、これから省子と、、春を、見付けに行こうとしている。それもきっと、、桜の笑顔綻び揃う、春のこころの所為せいである。


〈ふたり、、、生きてゆきたい。寂しさもいつかは、、喜びに、変わる……〉


 若いふたりは、そう、想った。

 そして、みはるも折り重なる、三人の祈りは、由美子へ、


〈いつかきっと、、変わる、、新たな愛に、巡り逢える……〉


 ただ、信じたかった。


「実はね……」

 みはるが、手元を見つめていた視線を、持ち上げながら、語り出す。


「昨夜、閉店間際に、、由美子さんが、、、お見えになったの……」

「ええっ?! 」

 省子は立て続けに、慎一にとっては、今朝の手紙以来の再びの、共に二度目の、卒爾そつじな問題提起を持ち込まれた。

 さっきから、全身の硬さを排除出来ない省子は、尚も翳り、慎一とて、それに呼応するが如く、今朝の顛末てんまつを蘇らせざるを得ない。ふたりしてその続きの内圧が、見る間に高まり、身構えた。こころの底を良く知る由美子の、こころの全域までは到底知る由もない、民法上の離婚の決断に至る、プロセスの吐露の予感に、息を、呑んだ。前回の一件がある。そして、慎一に限っていえば、背負う手紙の、序章からの開示が、始まった事を意味している。故に、元夫の緊張振りに、省子を凌駕りょうがするものをくつがえせない。揃って、昨夜のその一部始終の披瀝ひれきを、みはるに期待するしか、ない。今週末の、突として些末な渦流にせよ、春潮しゅんちょう澎湃ほうはいたるを以てすれば、事もなげにひと呑みであろう圧倒は、圧倒に非ず、些末は、些末に非ず、時恰ときあたかも慈悲深い理解を、牛歩ぎゅうほの前進の如く、広大無辺に押し展げる、春という季節の営為にすがる、人と自然の共存、相互意識への期待に、、り替えた。

 ふたりの異口同音、、、念じるが如く。


〈たとえ何があろうと、それは、、春だから、、、良い事も悪い事も、、全ては、春の仕業、、、そう、言寄せすれば、済むはず……〉


 や、体中潤えるみはるから、、こぼれた。


「……『先日は、大変失礼致しました』 って、、その、、テーブルにある菓子折を添えて。目は、潤んでたけど、『私も頑張ります。本当に、、、どうもありがとうございました』 って……。由美子さん、綺麗だった、、、素敵な人よね……」

 三人で、静かに、泣いた。

 その、菓子折が、それぞれの目を洗う、祈りの小々波さざなみに浮かび、幾重にも、斯程かほどの温かな瀬もありなんと、洗われた想いを合わせた。慎一は、周藤家ではすっかりお馴染みであった、その、横浜の銘菓の、可愛らしいかたちに、、どうしても、、嗚咽おえつを、抑えられない、、、。離婚決定同然の前妻なのに、繋がっていた糸が、か細いのに、、好物を切らさなかった、その、想いが、、甘いもので慰めていたのかも知れない、、生活の匂いが、、こんなにも、、、泣かせる……。ただ、、、時雨しぐれる……。男なんて、、偉そうにしているけれど、、体裁ばかりで、何かに付けて理を立てて、しかもその理は大抵屁理屈へりくつで、だから女を怒らせて、、、されど、女は、、切り替える。強い。静かな、強さがある。いつまでも煮え切らない、男の強さなど、男のつらを利しているだけで、実際、大した事はない。男なんか弱虫。男の方が良く泣く。本物の男は、如何せん、そうざらにはいない。

 省子は、そんな慎一を、そっと、、抱き締めた。その、省子の、抱擁する温容、それでも芯の通る、むしろ毅然とした、負けない女の、気高い優しさに接したみはるは、省子の、「泣かないで……」 のこころを裏切る、自身の弥増いやます涙を以て、詫びるように、泣いた。しかし、、省子の目にも、透明の煌めきが、溜まったまま、、、。真っすぐ辿り着いた先の、だから温存、されば通り過ぎるような、悲しさや寂しさだけに非ぬ、喜びにも開花し得る、種の雫が、、こぼれ落ちた。

 過日、、みはるは、泣いても良いと言った、、最後に笑うなら、泣いても良いと言った、、それが、涙の意味と説いた。だから、、、今、こうして、泣いているのか? ……。まるで子供みたいに泣きじゃくって、、泣き疲れた後に目覚めた時の、それまでとは違う景色、新しい世界との遭遇が、真に求めていたもの、涙の変貌の理由を語ったのだ。今というタームに於ける最期の、それは確実に惜別の、願わくば謝意の、冷たいばかりではない、青陽せいように温もる末頼もしい、果敢な涙であった。大丈夫、慎一とて、気付く。この春が、、そのままには棄て置くまい。歯車は動いている。二人三脚の、相棒がいるではないか、、男たるもの、いつまでもめそめそするな!

 肩を震わせる慎一の揺らぎを、ふと、立ち止まる春のうぐいすの小羽根が、甲斐甲斐かいがいしくかばい、吸収してさえずり、憩う。

 これから、ふたりは夫婦になる。生涯を捧げ合う。省子の想いは慎一の想い、慎一の想いは省子の想い、こころは、自分自身の為だけのものではなく、それでもまだ、自分自身の中にとどまろうとする、自我を持つ。自分自身の為のものでもある、自分のこころから最初に発した、出来たての想いを、誰よりも、伴侶が欲しがる。であるから、冷めない内に、それを伴侶へ供さねばならない責任が、自分自身には、ある。伴侶は、とどまりたい、相手の主体性を汲みつつ、伴侶自身の内部にて、それを消化したい、双方向の流通を望む。元々他人同士の関係性の非可逆が、たまさか巡り逢い、気脈を通じ、可逆性の関係が芽生える。そして、時に、愛に恵まれ、育み、関係性の悉くに、可逆性を成立させようとする。人間関係の成熟度は、その可逆性の完成度と一致する。故に、その自我の主体たる大元の、一個の独立生命体としての存在を、当然、尊重しなければいけない。なぜなら、たとえ血縁であろうと、自我と自我の出逢いは、偶然でしかない。もし、相手を選択して出逢ったとしても、自我をも選択した訳ではない。自我など、知る由もない。知り合った途端に、可逆性が芽生えるとは限らない。人と人の関係は、どこまで行っても、まだ、わからない事だらけである。知り合う以前の未知なる存在であった頃から、その人の、伴侶の、何を知り得ただろうか?人のこころの未知なる部分は、余りにも、大きい。知らないものを、人を、非寛容に扱う、道理も自由もない。未知という概念は、元来、非可逆的な、畏怖すべきものである。

 そして、その可逆性を芽生えさせる、ただ唯一の手段、それはいうまでもなく、愛である。愛を介するが故の、介してこその夫婦、家族である。人間関係、社会である。ひとりも大切、ふたりなら、もっと大切なのだ。本来の共同作業を、ひとりで成立させようとする行為は、最初から矛盾を建設する事であり、出来上がった建造物は、砂上の楼閣に過ぎない。愛しているから、結婚する。夫婦になる。ひとりでは、なくなる。共同の意識が、スタンダードと、なる。

 ……慎一は、漸く人心地ひとごこちが付き、殊更のように、それら自らの理想を反芻はんすうしていた。正に、愛の可逆性そのものであった。体験的に、非可逆を怖れていた。桜の儚い生命いのちとて、輪廻なる無常の流れが、無に帰するのも、可逆性営為の証しかも知れない。その、一点の必然の可変振りを待望するこころは、ひとつ。小さなうぐいすにしろ、羽根を休めたかろう。

 かつて、、自身の部屋中を、探すように彷徨っていた、視線、、、窓の外の、雨を数えつ雪を追いつしながら、籠もって待つだけの視線は、省子のこころを見付け、尚も自らを重ね、是非もなく、それを透過する事によって、何ものとて見つめたい、、見つめようとしていた。内に細かく外に粗い、こころの網の目の、その、視線を以てして。たとえば、愛という自由が、、責任を見失い、プライドだけの優越なる盲目に、強か酔いれ抜け出せない、シンプレックスを憂慮するだろう。

 ……可逆の桜は、ほんの一時自由を得て、かつての散華さんげが報われたように、懐かしい往時を連れ、薄ごころ匂やかに、、今年も、、蘇る。



 今年もまた、、

 逢いたい、、逢いたい。

 元気だった。

 生きて、いた。

 また、逢える。



 そうして、、、省子に宥められている折も折、慎一は、、ジャストタイミング? といおうか、不覚といおうか、りにって、、大きめの腹の虫が騒いだ。鳴き細るその尻尾しっぽてがうような、三人の耳目を引かざるを得ない軽笑が、幸運にも、、涙の流れを、変えた。

「もうお腹いてるの?! 」

 とか、

「朝、ちゃんと食べて来た?! 」

 とか、

 みはるも省子も、口々に慎一を突っついて揶揄からかう。この、慎一なる男は、本当に良く人を笑わせる。三人の目頭を拭う、男臭い皺くちゃのハンカチのような、飾り気のない、格好悪くても構わない人柄が、母娘おやこを、どれだけ癒して来た事か、ふたりはどんなにか、、それが、、愛おしいか、、、。幸せを教える、腹の呼びりんとでも、いい得ようか……。

 冗談ではないにせよ、冗談になってしまった、その、腹の虫の理由を、母娘おやこは勿論察している。時に、意地を張って無口になるけれど、涙脆い、芯の優しさを、良く、わかっている。照れ笑いして黙ったままの、慎一とて、預ける事もあずかる事も、良く、、わかっている。逆に、目に見える事にこだわる訳が、良くわからない。三人の間柄の可逆反応の応酬は、更に、春という季節との関係性にまで、同様の、興趣の目を向けようとするのも、至って自然な成りゆきである。

 元に戻った店の開放区は、この時節、どこへ行っても同じであろう。それも、また、人の世の常である。

 腹の虫こなし? の花見が始まる。



 ……揃って表に出ると、予想以上に眩しい光が目に集い、長居をしたがる。流れの名残りを惜しむように、まだ、乾き切っていない目元を確かめ合う、三人の微笑が、今度は、光を称えて映える隙間に、みな、物言いた気な、気ずかしさを干渉しながら、向日性に言寄せる。手ごころを加えられた緩やかな風が、それを許す機嫌で、囁く。誰が見ても聞いても、鷹揚おうように頷いてしまう、三羽のうぐいすの親子のさえずりが、小径を引き延ばすように、縫い合わせる。こま切れの歓声が弾け、辺りを巡った。早くついばみたい、一羽の大きな背中に、春日影の風聞する所の融合が、二羽の女振りをいざない、些少の心配を、寄越す。

「周ちゃん。、ご馳走になって来なさい! 見て! この、、重たそうな荷物、、、省子ちゃん、張り込んだなあ?! 」

「エヘヘヘヘッ! 」

 してやったりの省子。

「行ってらっしゃい! 」

「じゃあ、行って来まあす! 」

 岡野さんのお転婆てんば娘が、婿を連れての実家への帰省を終え、束の間の団欒だんらんを想い遺す、出発の挨拶を交わした。

 省子も、そして、慎一も、みはるに送り出されると、千人力せんにんりきの元気が湧く。それぞれの実家の両親ならいざ知らず、他人様に、かくの如き存在は、二人といない。正しく、唯一無二の育ての親である。従って、この人のお陰を以て、ふたりの現実は成立を見ている。なだらかに、さして騒がずに、春潮しゅんちょうたらんとして通り過ぎる、優しい過去の風景の中で、みはるは、いつも、笑顔で、待っていた。ふたりは、、そんな夢を、良く観る。省子との付き合いは、まだ浅いにもせよ、


〈もう、、母が、恋しくて、、恋しくて、、たまらなく懐かしくて、、たまたま早朝に目覚めると、夢で、、泣いていた、、頬が、枕が、濡れていた……〉


 そんな事も、一度や二度では、ない。

 過去といいしてしまえば、現在進行形の関係の実母に対し、はなはだ不敬ではあるものの、分けても慎一にとり、不遇の時代を支え、客とはいえ、食事の面倒を見てくれていた人である。今日までの自身を、見守ってくれていた人である。辛く寂しい日々を送る、そんな自身でも、母は、多くを語らず、聞こうともせず、ただ、優しく笑って、受け容れてくれた。どれだけ、、癒されたか、、、許されてゆく、想いがしたか、、、どんなにか、融けてしまったか、、、ありがたかったか、、、計り知れない。母に、生かされていた、、、救われた、、、。三人のお弁当作戦がきっかけで、更に、省子との仲も深まり、結婚という、かたちを成すまでに至らしめた。ただ、激しく、、『感謝』 の一言に尽きる。鳥越の両親に負けないくらい、全力で、


〈〝ありがとう〟 そして、こんな俺の為に、、、〝ごめんなさい〟 と、叫びたい。昔も今も、これからも、生き続ける母を、こころから、称える。あなたがいたから、今の幸せがある。今こうして、生きている。真に、大切なものを、与えてくれた……〉


 嗚呼ああ、、親とは、何と偉大で、感謝すべき存在だろう。かかる存在を、越えられるはずがない。斯様かような存在に、勝てるはずがない。

 それは省子とて、全く以て同感、片っぱしから共有する所であった。これ程の恩恵を享受するばかりで、何ひとつ、親孝行していない想いもまた、同様であった。

 親孝行。

 親の願いを、叶える事。

 健やかで、平凡で良いから、極く普通に、幸せになって欲しいという、親の希望、それを実現する事。世の中、普通だらけ。故に、押し並べて、平和。親孝行に、高度な困難は伴わない。ふたり共、まだまだ若いつもりでいるが、実際、おばさんおじさんと呼ばれる年齢になり、その事に、気付いた。何事にかかわらず、固定観念のハードルが下がってゆくのも、経験的にして精神的な、加齢現象の代表であろうか、それも、大切なもののひとつと、考えるのであった。生涯に亘る普通の幸せを得る。恩返しを、そう、位置付けた。上を見上げるばかりではなく、足下が、見えて来た。

 省子は、ゆくりなくも、季節外れではあるが、、、幼なき頃の、クリスマスイヴの夜の情景が、彷彿とする、、、。

 子供が寝静まったであろう、深夜、省子は寝た振りをして、時折薄目うすめを開けて待っていると、枕元に自身が用意した、真っ赤な大っきい毛糸の靴下の中に、父と母が、、そっと、、お菓子やら、プレゼントを入れていた。寝まなこを我慢する子供ごころに、、「お父さんお母さん、ありがとう……」。

 サンタクロースは、毎年、父と母であった。今にして想えば、、クリスマスは、小っちゃい子にもわかり易いように、愛を教える、おとぎの国の素敵なたとえ話に、聞こえる、、、。

 子供時代、蒼かった時代から、歳月は流れた。ひと息で駆け抜けて来たような、多少の息苦しさが遺る感覚は、まだ若さの中に置きたかった。こうしてふたり、自転車を押して歩く後ろ姿を、みはるは、目をすがめて見送っている。頭上からの日射しの暖かさが、風圧の如く背中を押すのは、やはり、背負う荷物の重さとて、くみしているのだろう。その、くすぐったさに振り返るふたりを、光を反射する鏡たる、みはるの両の掌が、左右に揺れ、、、

「気を付けてね! 」

 手を振る所作は、過熱した想いを冷ます、自己防衛であったのか。省子も慎一も、そのこころに理解を示す、笑顔の黙礼で応える。いつもながらに、、ただ、嬉しかった……。掌に温められた、二羽のうぐいすの眼差しには、その鏡の反射のように、一途な光が宿っていた。そっと、見つめ合えば、んなじ、普通の幸せを願う、優しい光のありを知った。幸せは、人の中に、あった。かたちも勿論大切、人のこころは、もっと、大切。なぜなら、こころが、かたちを作り出す。責任というこころは、かたちにさえこだわる。そしてそのかたちは、更に、こころを、輝かせる。経験上、それを痛感するのであった。

 巡り逢ってから、まだ、一年も経っていない。にもせよ、、実に、こころが揺れたものだ。本当に、、色々、あった。多くのものを、人生に於いて濃密なタームを、ふたり、いや、三人で過ごして来た。省子は、慎一と出逢わなければ、みはるとも、出逢えなかったと想うと、いつも、ひとりでに、涙が溢れてしまう事を、まだ、慎一に、伝えていない、、、


〈今日の花見で、、言おう……〉


 たった今、決めた、、、すると、不思議と、背中の荷物が、尚も重たく感じた。料理の上達も、みはるのお陰である。花嫁修業を、させて貰った。

「じゃあ、行こう! 」

 脚を伸ばし、軽やかに自転車に跨がる省子に、

「OK! 」

 遅れじと、慎一もサドルに腰を預け、、駆る、、、。

 真夏の、強烈な日射しに非ぬ、是非もない、中庸たる春の陽光に、衆生の共感する所の、甘い感動を探す道ゆきの、その、旅立ちである。桜の、、人情の機微に、あり触れたその手を延ばす、互換を想わせ振るにせよ、白地あからさまな互恵主義を躊躇し、自立を仄めかす、温かいようで、されど触れないで欲しい、透き通る低濃度の身ごなしにとり、桜人の、甘い感動以上の感動たるや、さぞ、耐え難かろうか。ふたりは、由美子を想いやり、そう、胸に秘めた。慎一が携えている、由美子からの手紙の存在を、省子は知る由もない。ただ、過ぎ去った人と時への謝意が、桜の微笑の、包み隠すもみ出す、それと知りつつ気付かぬ体の、淡く寂しいこころを、桜人たるこころの目が、や、忖度そんたくしていたのかも、知れない。

 目黒通り、目黒郵便局前交差点を目指す省子の後を、慎一は追走する。省子の日々の通勤ルート、唐ヶ崎通りではない。たまらず顔を出してしまった、汗と白い歯は、春暖ばかりの所為せいに非ぬ事は、最初から承知の上、故に、通い慣れた省子が先頭、殿しんがりは慎一があずかる事も、暗黙のコンセンサスである。嬉しさの余りの顔見世かおみせは、無論、省子の案内を求めている。飛び飛びの日向を繋いで前方へ延びる、一本のカーブの乾いた路面を、滑らかな車輪の回転と、ふたりのかすかな息づかいが制し、本線にて追い抜こうとする車は、徐行せざるを得ない。狭い目黒では、人も自転車も車も、互いに充分注意し合う事が実に大切、出逢い頭の危険が無数に存在し、信号無視など以ての外である。危険予知の意識を、研ぎ澄まさなければならず、矢鱈やたら後ろを振り返るのも、けだし危険行為である。

 幸運にも青信号で、そのまま目黒通りを横断した。が、郵便局の角の駐輪スペースで、省子は停止した。すぐに慎一も追い着いた。交番前で立哨りっしょうする若い男性警察官が、眩しそうにこちらを見ている。

 省子は、辺りを見りながら、

「やっぱり、今日は人も車も多いね」

「うん。やっぱり今日が、花見のピークだよな。それにしても省子、、荷物重くない? 前カゴに入れた方が良いんじゃない? 」

「大丈夫、平気! 」

「なら良いけど……」

「電動チャリだもん、楽ちん! 慎一さんは大丈夫なの? お腹は……」

「大丈夫だよ」

「ね、五反田に着いたらさ、速攻で食べようね! 」

「うん! 」

 際限なくれ違う、豊富な交通量の目黒通りから、二十六号通りを東進するべく、再びふたりは、駆る。その、車道の端のふたりの側方を、折々追い抜く一台の車は、折々挨拶を交わすように、一台の車とれ違い、目黒本町五丁目方向を目指していた。それにならうふたりは、車に追い付かんとする意思に関しては、完全否定した速さで、急がず、むしろ、歩道をゆく人が連れている小型犬の、完全にこだわりのない表情に、ペースを委ねるかのようである。人々の休日は、春の陽に晒し干され、ひと回り大きくふっくらするも、その所為せいかして肩が触れる程の行客を、いとう様子もなく、密集振りが誇らし気にさえ見える。通り沿いに東西に建ち並ぶマンション群の、光に映える俯瞰ふかんの眼差しの下、つがいのうぐいすは、揃ってくちばしを突き出すようにあごを上げ、緩々ゆるゆると泳ぎ、両膝の上下屈伸運動を止めない。急ぐ必要のない、されどネガティヴに非ぬ道ゆきは、最早、、駆けてはいなかった。正面に受ける風が、それを知ってか知らずか、勝手気ままに左右に枝分かれ、、流れる。耳元を、、かすめる。ふと、、緑の匂いが、仄かに、、漂う。目的意識が、、止まり掛ける。

 ただしそれは、この時に限っては、省子の方が顕著に表出されていた。知り合ってからのやり取りの中で、当然、日々の自転車通勤に、話題が及ぶ事もしばしばで、慎一はさっきから、左折のこころ積もりでいる。何かしらの合図がある事を、期待していると、、想いに差異なく、省子はスピードを緩めながら、後ろを振り向き、、、

「この次、左斜めに入るよ! 」

 図書館前歩道橋通過直後、コンビニ手前左折の、慎一の予想と符合する、まだ一度も通った経験のない、狭隘きょうあいな道路が、、見えた。省子の通勤話が、事前レクチャーに変わるとは、ふたり共、想いも寄らなかったにせよ、省子は、案内のひと言も怠らない。その響きに、てて加えて促されるように、慎一は、かつて数回訪れた事のある、林試の森公園の緑の匂いを、、届けられた。

 省子が、斜めに分け入るように折れ進むと、慎一も続く。正に、生活道路をゆけば、秘し切れない足音や食べ物の匂いやらが、家々の窓からふたりを掴まえそうな、ありのままが、静かな通行の責任を訴える、この地域のアトモスフィアを形成している。それは、慎一の地元、下町に代表される、過密都市東京の、日常の顔であった。初めて通る道なのに、どこか懐かしい風情が、忽ち、、慎一を和ませる。そんな想いを知るように、ゆっくり巡る省子の速度は、道の狭さに相応しい。併せて、つがいは、や桜人の想いを、隠し切れずにいる。既に始まっていたのか? ……浮き立つものを、認めざるを得ない。今年の花見のメインは、、かむろ坂の、、桜の回廊コリドーのダウンヒル、、、。自転車で、のんびり下りながら、


〈……桜の、、息吹きに抱擁され、、今の自身の素直な想い、ストレートを大切にするも、それだけに非ぬ、それ故の、、多様性を是認たらしめる、こころを、、重ねたい、、映して、、それも、知りたい、、夢のひとつだった……〉


 ふたりは、想い描いていた、その、実現の道ゆきを、今こうして、ただそれだけを浮かべていた。伴侶とでる桜は、如何ばかりか、、、。

 人は、桜の花影に、自らの成長の跡を見る。

 その人の世代観に、桜の面影は、移ろう。桜は、生きている。幼ない桜とて、やがて、熟す。そして、散る。当たり前を良く知らない当たり前は、いつか、当たり前を知り、当たり前の熟した存在となるも、何れどうあれ、当たり前の如く、静かに、散り失せる。盛んなる燃焼は、一点。一点の、微細な時間でしか、ない。

 ……今は、、どうせ。それでも、さるにても、、どうせ。どうせそれならば、折角の時間を、ひとつやるからには、いっそ燃焼させようか。遠慮しないで、気持ちを込めようか。つがいのうぐいすの、さえずりも羽搏はばたきも、どこまでも自由に、駆け巡りもしようか。この道をゆけば、、もうすぐ、、かむろ坂が見えて来る。ふたりを、待っている。

 左手に展がる、森の緑の溟海めいかいが、都会の桜を想わせ振り、後の事を気にさせる、上向きの風に、車輪ごとふわり舞い上がりそうになる。緑の匂いが、途切れない。

 省子は、とにもかくにも、母という存在に対し、憧れが強い。愛に溢れる家庭の真ん中で、潤むような手を差し延べる、そんな自身を、夢見る。真澄とみはるみたいに、なりたい。故の同居願望、加えて、みはるへのひた向きな涙であった。最高の師をふたりも持つ、恵まれた環境を愛して止まず、普遍的なありきたりのそのかたちをして、饒舌にさせる。黙ってはいられない。言葉だけに非ず、体中からこぼれてしまうのも、極く自然である。

 しかるに、折しもの風が運ぶ、押し黙らせようとする、それを自身も納得する、甘い約束を諭される心地は、何だろう? ……。強からず弱からず、掴めそうで掴めず、指と指の間をり抜け、甘くかわされる、微温ぬるい風、、、。弾けそうな気持ちを抑え、余人の嘘も、無言も、許してしまう、それでも良いと、やり過ごしてしまう、さればこその、人ひとりに底流する所の、人と人との想いの連環、可逆性を希求する、一個の孤独を示唆していた。人ひとりの、本当の寂しさを諷示ふうじしながら、どこかへとどまりたいにもせよ、それでも流れる、流れてゆくしかない、逃げ惑うような、想いの風、、、。

 左手に流れる風景は、小山台小学校の平夷へいいに、ふたりの視野を誘導する。前方の赤信号が、はやる左折を制すると同時に、かむろ坂通り到着を告知した。ゆっくりスピードを落とし、信号手前の歩道で停止し、揃って左脚を接地した。つがいは、暫しの無言のせ我慢を諦め、憩いさえずる。


「ハァ、、、ここまでで、大体半分かな? 山手通りまで、真っすぐよ」

「うん。この通りは、車で何回か通ったけど、それにしてもさ、、省子の通勤の愉しさがわかった! 良いルートだよなあ……」

「でしょ? 」

「うん。健康的だ、羨ましいね」

「ふふん、良いでしょ。下りに入ったらさ、ゆっくり往くけど、、危ないから、後ろを振り返らないからね」

「うん」

「上ばっかり、見れてちゃ駄目だよ」

「うん」

「本当にわかった?! 」

「だから、って! 」

「ハハハハハ! 」

 ふざけ合い笑い合う、省子と慎一の往かんとする先、小山台一丁目信号、かむろ坂の下り口が、もっと向こうへ往きたいように、、薄紅のアーチを拵え、信号に、もたれ掛かっている。巧遅を尊び拙速をける風のついでに、ここまで流れ着いたのだろうか、、たまさか省子の髪に留まる、桜の飛花ひかひとひらの薄玻璃うすはりが、、それを、見逃して欲しい、命乞いの涙のように、、ひと息の煌めきをともす。ゆきずりの、ひと春の出逢いの風の気紛れに、その一点を謝するも一点を嘆く、見知らぬ旅人の囁きを遺し、それさえ、、忘れて欲しそうに、、されば再び浮き上がり、時つ風を受けて消し飛んでゆく。

 慎一は、黙って眺めていたが、省子から離れてゆく、その、煌めきを追うまでもなく、虚空を流離さすらう、当ての定まらぬ視線を、省子とて、はたと気付いて継ぐように、青陽一眸いちぼうたるを覚え、ただ、眩しがるふたりだった。


〈……何事も、それで良い、そのままで良い、それだけの事、、、余計な事は言わず、黙って見ていれば良い。何事も、、それで良いのではあるまいか? ……許してしまえば、、許すしか、見逃すしか、、ないのではあるまいか? ……〉


 他人ひとひた向きさを、夢中を、、、黙って見ていたい想いが、、大きく膨らみつつあった。たとえそれが、寂しいこころで、あったとしても、、、。

 桜の美しさをもたらす、その風にはぐらかされ、かわされ、ふたりは、当初言いたかった事とて、忘れそうになっている。どうでも良いという事ではないにせよ、


〈また、、別の機会に委ねても、構わない……〉


 慎一は、、やはり、新居の件の不安があった。省子の意見を、聞かねばならない。省子は省子で、、例の、同居を提案したい。慎一を、説得しなければならない。何れにしろ、当然、新生活に関する話に、集中せざるを得なかろう。

 しかしながら、それも正しく、由美子の佳醸かじょうに成る、その風の所為せいであろう、ふたり共、かすれてしまった。風の手が、、甘ったるい口当たりの直観的な世界の、郷に入っては郷に従う、、旅人の心得の約束を、、迫る。そこに意義を、、持たせる。そうでなければ、自身ではないように想わせ振り、その手に、引かれてゆく、引きられる何ものかの感覚が、、兆す。引かれるままに、ただ、その為に、、、つがいは、あらがえそうに、、ない。桜の想いに、、全てを、許した。


〈言いたい事も、今日の所は、そっと呑み込むにくはない……〉


 ふと、、

 つい今し方の、花屑が舞い踊らんばかりの、時ならぬ一陣の風が立ち、時の今を知らせ、、明らかに、今が、どこかへ、、雪崩れようとしていた。

 省子も慎一も、漸く、ここまで辿り着いた。やっと、ここまで来た。事実、長い時間を、費やしたのかも知れない。さりとて、長い時を掛け巡って来た、皺立ち始めた、鈍く、そして甘い疲労が、長い道のりを遠回りして来たような、その分の、途中で置いて来たままの、遺留の主を待ちあぐねる、かつての記憶を、引きる……。前方の端辺はしべで懐を展げる、和気藹々あいあいたる桜花の雲門の、そこはかとなく、懐かしさを募る知らせに応じ、吸い寄せられるように、、ふたりは、、始走する。

 つがいの耳元を流れる風が、、くすぐる、、、。


〈遠回りを、して来たのだろうか? ……したのかも、知れない。それで、もう、仕方ない。往ってしまった時間は、、戻らない。過ぎ去ってしまっても、、最後に遺った、、、愛の、欠片、、、それでも、忘れられなかった、、、想い……〉


 十指に余る、言葉に出来ない後悔とて、ある。幾度も見送り、どれ程の沈黙の涙とて、ある。多くを失い、疲れもした。寂しさと、共にあった。さらでだに、棄て切れぬ、、思慕の情が、、かかる今であろうと、こんな自身であろうと、何ものかを作りたがる。日々の生活に忙殺され、目まぐるしい変化を見せられ、閉塞感にさいなまれ、孤独に怯えながらも、その中心に我れありて見つめる所、時あたかも、途切れ途切れの過去の記憶、その、連なり流れゆくままの、今を、、知る由と、なった。自然な流れのままの、ひと条の生に想い至り、無理からぬ自然の摂理として、ひとつだけの、底流と出逢った。


〈たとえ、どんな事があっても、過去に手向ける謝恩は、嫌みなく素直に、今という時を称えもしよう、それが、、愛、、、今を生きる自分自身よりも、無論、他者とて、称えられる。共に、生きている。なれば、許せる、信じられる、きっと、わかり合える、そんな日が、来る、いつか、、、やって来る……〉


 遠回りの果てに咲いたかの如き、桜の微笑は、在りし日の、往ってしまった記憶の、一抹の寂しさを連れ、けれど、、今に遺した愛の欠片と、薄玻璃うすはりのひとひらの想いが照応する、言葉少なの称美を交わし、坂ぎわに、侃然かんぜん悠々たるを以て霞立つ。待ち設ける謝辞を匂わせる、淡紅たんこうの皮膜の粒の演舞が、微温ぬるい風を孕む春陽に煌めき、回廊に曲流を架ける。それはともすれば、雪明かりが、含羞に朱を注ぐ頬のしなを作り、それさえ、甘く許してしまう、見逃してやりたい桜人の、旅愁をそそる。桜の中に、儚く消える春の雪が、一喜一憂に蕩揺とうようし、最後に口説き落とされ、千々に逃げ惑う、漂泊者の先触れたる、飛花ひかに化身して薫る。

 小山台一丁目信号、その、赤の表示に、ふたりは停止した。

 頭上から、、光を蓄えた淡紅色たんこうしょくの明滅の肌表きひょうが、眼前に撓垂しなだれ掛かる、、塞ぐ。されど、わざと隙を見せる融通を仄めかす、陽光の介入に託した淡紅たんこうの調べは、威ありてたけからず、招きの藹々あいあいを滴らせる。

 青に変わった信号で、走り出す省子に、追従する慎一。

 誘われるままに、、さっきの省子の言葉を想い出し、、上目づかいの非礼への理解を求めるように、静かに、滑り降りたい。慣れっこの省子とて、異論は、ない。

 柔らかな肌表きひょうが揺れる時、、、

 そこからみ出した甘露な光が、桜人に、悉くに、委細構わず散蒔ばらまかれ、花影とて、たけなわの酩酊におぼめき、映しては彷徨うろつき、重ねては這い回る。幾千に余り過ぎる、数えるも愚かな被せ合いに小々波さざなむ薄肌の、綾成すその肌理きめのひとつを、ひとつに見せたくない、女ごころを察する光風が、その、縁辺ふちべを透かして置きながら、寄せ震わせ、揺蕩たゆたう肢体の酔態を身贔屓みびいきして、煮こぼれ放題の婉容えんようを助ける。はたと、裾をまくり、忽ちしまい隠す素振りを流し目に伝え、潤みの光のかさを展げ延ばす、この時ばかりは、些少のわがままを許された集合体が、この上とも、傾斜面の回廊に群れひしめく。仄白い肌の小々波さざなみに埋め尽くされた、煌めく叙情詞を囁き、尚も呟きを抑え切れず、小息とてい交ぜがちのそれは、嘆美の長息に変わる。膨らんでは退がり、また押し出し、あるいは真下ましたに、あるいははすに戻り、たまさか他を横切りはす向かう所、そして退く所、寄せてれつつ外して受けつ、交わりの波及とどまる事を知らず、膨よかな点描画景の筆をふるう。触れ合うも辞さず、やぶさかに非ず、揺らめき移ろうその空隙を窺うが如き、間髪を入れず雪崩れ込む、日射しの照覧に浴し、顔を出したちっぽけな蒼天井あおてんじょうに、皮膜の薄らぎがどことはなしに、ふと、、悲し気に、映える。不意に、、ここまで辿り着いた道程の、春の空を、、想い描く、、、。

 桐ヶ谷通りを跨ぐ信号は、青、、そのまま通り過ぎる。うに、下っている。省子に、、あの夏の日、慎一と出逢った直後の、愛と自由への助走の想念が、再び、息吹く。生きとし生けるもの、ここに集う全ての生命いのち、そして、自然、、、人も、桜も、陽の光と、そよぐ風の微温ぬるさも、狭隘きょうあいな、空の蒼さと空間識も、悉く、正にそれが来ている、今を、今という刹那のタームに、ただそれしかない、燃焼行動を詰め込んでいた。その、輻輳ふくそうする個々の仕事は、この、桜の花ひとつの、精神的限界をちりばめたような鈴生すずなりの為に、桜は、悉くに応える為に、一堂に会していた。自らも潔く精一杯生き、そして、他に生かされる底流に連なる、一連托生いちれんたくしょうであった。それが来ている今を、生きている、生かされている。更に、必ず来る未来を、想起しているに相違ない。

 ふたりは、遅れ馳せながら、念願の、豊饒たる今を見付け、こころゆくまでとどまった。今春も、桜が醸成する円やかな気が、目に触れ、鼻をくすぐり、肌を撫で、終いには喉をも呑み込み、潤されてゆく千鳥足の桜人達の満悦が、回廊に優しくこだまする。それは、風も、木洩れ日も、桜の樹とて例外ではなく、どこまでも相身互あいみたがいの、限りない連関が横溢する、繋がりそのものを労い合う、静かなる感動の世界である。

 桜の専心は、火をも注ぐが如くのはずにもせよ、薄紅に色を成すにとどめる、血色を抑えたその姿は、、げに、覚悟の中庸。自戒の可逆。そして、最期の想いを秘す、故の色合い、、、我武者羅がむしゃらに非ぬ、寛容な姿勢をやんわり示して招き入れる。桜人はみな、その、本当のこころを知っている。さればこそ、斯様かような刹那の営為に、こころ寄せ、愛を添え、永遠を祈らずにはいられない。

 桜を、観よ、、、。

 それでもの想いを、抑えに抑えた中庸、自らの情とことわりを、黙して語らぬうちに匂わせ、いよいよ気高く、如何に慎しみ深く、今春も、あらがえぬ一点の運命を知らしめ、薄紅燃ゆる桜雲おううんの峰々が、あまの原と境を接する縁辺ふちべに、横臥褶曲おうがしゅうきょくして架け流れ、桜人の、届かんばかりのその手、掛からんばかりの数息観すうそくかんに、果報を恩賜する弥栄いやさかを、花弁の笑顔は朱を注いで照れまくる。春昼しゅんちゅうの空の青海せいかいに、春闌はるたくの暖色が群れ展がって押しとどめる、遅々とした日和の下、人と自然は、互いに約束を果たし合う。蒼蠅驥尾そうようきびに付して千里を致す。一点の責任から多くを成す、果報者にならいたい、機縁のその花である。こころの目ででる程に、見えないものとておぼろに浮かぶ、寛容なる薄ごころの、日本のその花である。

 桜は、美しい、、、。

 何よりも美しく、ただ、美しいまでに、儚く、、、さればこそ時は今、凜として、真っすぐ一本、咲いて立つ。

 そこかしこにわだかまる花屑が、つがいの羽搏はばたくような、下降遊覧の車輪の風に巻き上がり、婉娩聴従えんべんちょうじゅうと煌めき、回折円弧かいせつえんこを透かし彫って流れる、花影ごと踏んで走り降りる。ふたりして、そこに、永遠を、見付けた、、、確かに、、見えた……。そんな今が、匂やかに、溢れている、、、

 薄紅に微笑む、シースルーに囲まれた、愛する人の、、笑顔があった。


 いつまでも、

 この、幸せな愛が、、、

 続いて欲しい。


 暖かく柔らかい、浮き出して目に見えて来そうな、立体感のある風が、、しとやかに、、流れるままに、、、。

 衆目の求漿得酒きゅうしょうとくしゅたる、飛んでいってしまいそうな流覧は止まず、一致する目的意識に馳せ参じる喜びを、緩々ゆるゆると分かち合っていた。その中に紛れ込むつがいのうぐいすとて、何の違和も唱えず、本来口をいて出るであろう、感嘆符を伴う発言を、争われない笑顔にり替えるばかりである。

 山手通りが見える。

 それは、今日の旅路の序幕の詰めが、眼前に迫り来るを以て、幕間まくあいとせざるを得ない事を意味する、坂を下る人波の共通認識であった。ひとつの句点を打ちつつも、休日の逍遥しょうようの愉しみは、尽きない向きとて多かろう。省子も慎一も、仰視線を切り、今度はあごを襟元にうずめ、尚更ブレーキを操作して、徐行のラストに集中する。横たわる山手通りの車の往来が、視野を充たしゆく背後を、淡紅たんこうの波状が、来年もきっとの再会を、ふたりに先んじて告げる。勿論、両名約束を惜しまず、桜人の代表者的な、誇らしい気分に浸った。観桜を果たした満足は、当たり前に過ぎない、責任であるかのように。

 それでも、さるにても、、愛する人と眺める桜は、、格段に美しい。省子にとり、かくの如きかむろ坂は、初めての、今までとは異次元の、美への接近、正しく異空間体験であり、慎一と、軌をいつにした。

 かむろ坂下交差点、人波が沸騰している。

 時下の直進青信号に従い、山手通りを横断しなければ、自転車ごと呑まれてしまいそうである。東急目黒線《不動前ふどうまえ》駅の地元、この時季の賑わいは一際で、省子はそれも想定内である。可及的速やかに、大通りを横切りたい省子を救う、その青の表示は、まだ、点滅していない。このまま充分横断歩道を渡れそうである。坂下交番方向へ、ふたりは腰を浮かせずに流れた。自身の視線が人波に散らばり、注意の集中を寄越す。環状六号の混雑振りは、相変わらずである。

 歩道沿いに立ち並ぶ、露店の幟旗のぼりばたの商売っ気の、下町感に安堵する慎一を、先導する省子は、更に可及的速やかに、山手通りから離れたい。かむろ坂の感動に、後ろ髪を引かれる想いが、つがいの胸懐を潤す隣りに、忘れてはいけない、ついの存在に想い至った。これで、花見が済んだ訳ではない。美酒? 佳肴かこうのふたりだけの宴、省子の手に成るお弁当が待っている。その場所も、決めてある。ただ、、、

 ただ、、、殊に、省子は、

 滴るようなある想いを、こらえ切れずにいた。それは、、なぜかひと条の、静かな涙に濡れもしよう、小さなひとつのこころが、生まれていた。女であるならば、きっと誰もが秘めている、先般由美子と対面した折の、由美子のこころを読んだふうの、自身の言葉が、今、ほんの小さなひとつの棘に変わり、自らの胸に、刺さった、、、。小さくても、その痛みは滲むように展がり、過去と現在、そして未来との間を往ったり来たりした、甘酸っぱく滴るやっとの想いが、、胸懐を潤してゆく、、充たす、、、。ただ、それだけしか知らない、だから、深まり集中するしか術がない。ひとつ故の寂しさが、ふと、、、

 漸く人波が途切れて来て、省子は、き止めるように停まった。慎一もその横に並び、停まれるぐらいのスペースを捉え、停まった。互いに上気して、息も弾みがちである。省子の甘い香りが、自身の想いを婉曲えんきょくに表していたのだろうか、、慎一とて、男として、男であっても、同様の想念を否定するよすがもない。


「私、、こんなに綺麗な桜、、初めて……」

「俺も……」

「慎一さん、、、幸せ? 」

「幸せ、、、っごく幸せ! 」

「私も、幸せ……」

 跨がったままである。けれど、、、

 はたと、消えてしまうかも知れない、愛の素顔が、ふたりを揺さ振った所為せいかして、幸せなる概念を、事改めて飛翔させずにはいられなかった。共に泣き潤んだふうの瞳は、感動の熱気か、それとも、寂しかろう棘の、それ故か。桜の飛花ひかひとひらの、薄玻璃うすはりの如く。移ろう今を、惜しむが如く。


 省子と慎一は、風の如く風に乗り、風となって駆け降りるひと時を、ただいつに、充足の内に終了した。


 幸せとは、、、自由を遺す事。

 大きな自由を生かす為に、小さな自由を犠牲に供する事。なぜなら、小さな自由は、積もり積もって大きな自由を相殺そうさいする。全ての自由を使い果たす。自由を裏切ろうものなら、最後に、その失った自由から裏切り返される。たとえば、それも絆の自由にせよ、自由を無責任に扱うそういう自由など、最初から存在させぬべきである。自由には、責任と同時にプライドが伴う。プライドだけの自由、その過ちの代償は、怖ろしく、大きい。それを、不幸という。そして、幸せの為の必須条件、それが、愛である。自由と、幸せと、愛は、イコールで繋がる。その第一歩とは、自身をさらけ出す事と考える。故に、自身をも含め、人を大切にし得る、シンプルの真意である。本心を、真実を隠す事が、自身を、他人を守る事ではない。芯を外し、触れない逃亡者のこころは、惰弱狡猾に過ぎず、虚しい弥縫策びほうさくの域を出ない、非建設、無責任の水火すいかを踏まざるを得ない。自分自身という自由にも、責任なるものが存在し、忘れようものではない。人は、自身のみならず、他者に対しても責任を負う、道理を携えて生まれて来る。何の為に? 無論、共存する為に。自由に生まれて来た訳ではない生命は、足掻あがき消耗しつつ、自由に生きようとするも、他者の存在なる現実、共存という道理、責任に目覚め、個人主義から平和主義への転換を、ひとりに非ぬ自由、確かな愛、永遠の幸せの中へ、救いを求めるように手を延ばす、人のさがを以て完成を目指し、ひとりではない事を知る。自立を夢見る。プライドだけの自由は、負の可能性を展げるばかりである。そのような自由は、自由ではない。自身の過ち、弱さを知ろうとする、謙虚な精神こそ、是即ち寛容、いては責任感たり得る。

 プライドなる、とかく闇雲やみくもに走りがちな推進力、それを責任感の謙虚さが、慎重姿勢が、中和するが如き中庸を以てこそ、自分自身の主人あるじたる人として、かくあるべき責任追究、つまり、作る、守る、遺す、というかたちの概念から、生産実現しようとする。自他共に、人を守るという事、良い意味の管理、ホスピタリティなる責任、最も大切な事、本当に欲しいものは、真に、そこにある。プライドと責任感は、和して同ぜず、勝るとも劣らずしてこそ、一個の人倫が機能する。不本意な詰め腹を切らされる、かくの如き悲しい責任追究など、誰ひとり、望む者はいない。プライドしか遺っていない、そのプライドに獅噛しがみ付く、間違ったプライドなど、無責任ごっこに映る。自分自身の主人公は、他ならぬ、当の自分自身である。一回切りの、人間八十年を生きている。ひとりで生きている訳ではない。ひとりでは生きられない。自分のケツは、自分で拭かねばならない。他者のケツとて、拭いてやらんばかりの雅量、愛という、人に対する責任は、失くせない。

 たとえば、憎しみを、恨みごころを宿した時、あるいは、自己管理のままならぬ矛盾が、虚勢を欲しがった時、それは、立ち止まってしまうだろう。こころの平和の芽を、見逃してしまうだろう。幸せという自由を、遠ざけてしまうだろう。生きている以上、寛容なる可能性を、放棄してはいけない。人に対する責任を忘れ、他者だけでなく自身をも裏切り、悉くを閉ざす行為に等しい。忌み嫌う為に、噛み付く為に、孤独に絶望する為に、生まれて来たのではない。ただ、、、自由を信じるという事を、諦めないで欲しい。切に、そう願って止まない。

 自由を育てる。限りなく広大な、果てしなく続く世界が、、遺る。


 ……努力が報われる事を知らない、半ば諦め、無駄だと想っていた、かつてのふたりの無言は、冷戦をくぐり抜ける、最後の涙の果てに、、漸く、春が訪れ、本物の、こころからの笑顔に、、変わった。報われるという事は、寛容なる自由を知る事、、、。かかる自由が遺る事に他ならなかった。その笑顔は、乗り越え、そして掴んだ者の円やかな笑顔であった。それは、かくも饒舌で、無言でいられるはずもなく、また、そうでなければ作れない、率直な態度を表現していた。報われた今、他人の頑張りとて、、信じられもしよう。頑張っていない人などいるはずもない、その、他人を。

 つがいは、そんな和気藹々あいあいのこころを、桜に、見た。桜ひとひらの、薄紅色が織り成す春靄しゅんあいが、真に、日本の精神、慇懃謙譲いんぎんけんじょうを諭して底流する所、慈悲憐憫じひれんびんの情そのままを、容姿にとどめ、いざ、咲き揃う。

 桜は、小さな自由を犠牲にし続け、死んだように静まり返り、黙殺するしかなかった夢が、、今、大きな自由の花を咲かせ、ここに、、生き返った。死んだ意味を、、知っただろう。あの頃、あの時、そして、、あの、、、死ななければ、今は、ない。さればこそ、今が、ある。

 非寛容な自由を殺し、生まれ変わった大きな自由は、たとえば、愛、、あるいは、幸せと巡り逢う。他に寄り添い、もたれ合い、そして、、信じ合える、袖振り合うも多生たしょうの縁の、一期一会の、この、桜、、、。日本の、寛容社会が生き続ける限り、桜の美しさは、譲り合いに自我が薄らぐ、薄ごころを以て語り継がれる。愛に溢れる想いで見つめる桜は、かくも美しく、されば美しく、愛あればこそ、間違いなく、、美しい。

 桜は、人ひとりのものではない。されど、人ひとりの為にも、咲く。人ひとりが寄せ集まった、人々の為にも、分かち合うように、咲く。和を以てとうとしと為す、尚も和して同ぜず、同ぜぬを以て和するこころをして、とうとしと為す道理を、説く。確かに、花びらひとつ、成す姿かたちひとつは、小さい。されど、桜は、桜、、、桜たるべく、自らを深く根差すからこそ、流されず、寛容なる自由の花とて、開きもしよう、咲き誇りも、しようか。人ひとり、何れのうちにも眠る、とうとい可能性の芽を喚び覚ます、その、ありを、諭す。頭の良い悪いでも、知識のあるなしでも、勉強の出来る出来ないでも非ぬ、シンプルな徳性の問題を、気付かせる。

 風塵ふうじんの如き、微細な一点に過ぎない人倫は、たとえるも不届きなれど、いにしえ飛梅とびうめに見劣らぬ、桜の麗しい寛容との、たまさかの、ほんの一点の出逢いに相通じる、泡沫うたかたの儚い生命いのち、有為転変の無常なる、必然の輪廻の一端を垣間かいま見る、その、無力、無抵抗に、陶然自失たる歓びを覚える、桜人の季節感、日本人が具有する桜の原体験が、この時候ならではの、正しく日本らしさを彷彿として、日本を堪能させる。事改めて、日本人、たらしめる。

 自身のうちを静かに見つめるこころ、、、薄ごころ。本当に欲しいものが、そこに、ある。往々、発酵臭が漂い、美しいばかりではない。にもせよ、その人にとって、真にとうといものが、そこに、ある。こころから、笑顔になれるもの、それが、ある。


 ……山手通りに別れを告げ、市場橋を渡り、山手線のガードをくぐり抜け、池田山に達していた。

 省子にすれば、通い慣れたコースをふたり、省子の会社を目指して、依然縦一列を成し、急がずのんびり膝を回す事に、何等変更はない。橋を渡る時、目黒川のつつみ沿いに散見する、揺れ煌めく淡紅色たんこうしょくの樹影に、再びこころを奪われるも、目の端に流しとどめ、高層ビルの林立に飛び込んだつがいであった。その内の一棟のテナントビルに、省子が正社員として在籍し、父、忍が経営する小企業が入居している。閑静な住宅街を控えた花房山はなぶさやま通りに連なる、ビルの硝子の鏡の如き横列が、眩い引く手数多の目に見えるのは、やはり、春の悪戯いたずらだろうか。

 省子にとり、日常的な風景であるにせよ、今の池田山の風情は、目移りする程の、光に、溢れていた。学大同様、地元意識を憚らない、見慣れた街並みが、微笑み掛ける。社内の省子のデスクと、目線の高さが同じ、この通り沿いの盛り土軌道上を通過する、山手線車内の乗客達の表情が、どことなく愉し気に映り、走行音とて、歌うように軽快に刻んで聞こえる。その、遠ざかる響きが、休日の五反田駅前の喧噪けんそうに消えてゆく。春風駘蕩しゅんぷうたいとうたる、城南五山じょうなんござんの一角が、正に、春を招いて供覧にあずかっていた。

 どうにかこうにか、会社前に到着した。サイクリングの往路を、締めくくった。

 一階エントランス横の、当ビル入居者専用の、省子も出社時に必ず利用している、大型車一台分程の広さの駐輪場に、二台並べて駐めた。他の通勤自転車、オートバイ等の二輪車はなく、存外にひっそりとした、休日の会社の様子に、省子にはひとさすりの驚きがあった。共に、暑いくらいの熱感が、体の芯から伝わる心地に、最早充分愉しんでいる証しの、もうひとつ、額に薄っすら浮かぶ汗とて、愛おしそうに眺め合いながら、次なる目的地に、今度は、徒歩で、、向かう。休憩を、はさむべくもなかった。風を斬る感覚が、遺ってはいても、実際の風が、、ふたりに何かをけしかけるように、、纏わり付く。


「ハァァ、、、やれやれ、愉しかったねえ。慎一さん、大丈夫? 」

「大丈夫さあ。省子は大丈夫? 平気? 」

「全く、問題ないな! 戦う女だから! 」

「戦わなくて良いよお! おっかないなあ」

「私の口癖知ってるでしょ? 」

「うん。『許せない! 』 だろ? 」

「でもねえ、、、許す! 許してあげるね」

「そりゃありがたいねえ、アハハハ、、、漫才だな」

「ウフフ、下らない冗談で笑い合うのが、一番良いでしょ? 」

「そうだなあ。じゃあ、二番は? 」

「一番も二番もない! 」

「俺もそう想うよ」

「欲張りかなあ? 」

「それで良いんだよ」

「そうだよね……」

 一番も二番も、ただ、伴侶の存在があれば、ふたりなら、それで良かった。それしか、ないのだから、、、。互いのさり気ない手が、さり気なくその手を探し当てるタイミングの一致を、しっかり掴まえるように手を繋ぎ、五反田駅方向へ、逍遥しょうようする。国道一号線、桜田通りを横断するべく、そのまま線路沿いに歩を進めると、五反田駅東口の雑踏が、ふたりの視野の占有を、、訴えて来る。それでもやはり、人出は休日で、道ゆく通行人の足取りに、オフィス街の颯然さつぜんたる影は緩んでいる。桜田通りの広さが、人達の、信号待ちの時間を引き延ばす。一台の車の走行音が、際立って耳に届き、無批判にそれを追い駆けている、数少ない待ち人達の顔ばせは、一様に、、春に、彩られている。

 信号が、青に変わる。

 弾き出されるように、桜田通りの長い横断歩道を、闊歩して踏破すると、その角に設置された駅前交番内の、座哨ざしょう中とおぼしき、ひとりの中年の男性警察官の、大通りの高輪たかなわ方面を望む遥かな眼差しを、つがいは、遮らないように理解を示す、春の低徊ていかい趣味を漂わせ、さえずり過ぎる。寸時、ジェイアール五反田駅東口の、広い玄関口に蹌踉よろめき掛けるも、逃れるこころここに非ず、歩道橋の階段を昇り、渡り進み、更に大崎方向へ赴く、道中記の筆は、まだ、置けそうに、ない。

 階段を降りると、繁華街である。とにかく右へ、右方向へ省子は慎一の手を引き、往きたい、、そこを目指していた。会社の同僚達と、食事等でしばしば訪れる、狭隘きょうあいな裏路地を、ふたり、泳ぐ。初めての空気に触れる慎一は、視線をも泳がせこそすれ、休日故に、人影は、余り動こうとしない。溜め息ひとつ落ちていない、疎らな匂いに、鼻は敏感とはいい難い。つがいは、、日射しを恋しがった。

 路地裏を抜けると、、、

 瀟洒しょうしゃな生活感が息く、広汎こうはんな導入部を想わせる、新しい街が展がっていた。

 清潔感溢れる、落ち着いたアプローチを控える高層マンション群の、悠揚ゆうよう迫らぬ壁面の無数の目の下、ふたりは、流離さすらう。その頂上部分の姿容しようが、池田山界隈からの眺望を集めていたと、気付いた慎一は、省子とふたり、、その足下に到達していたのである。省子の父、忍が良く知る、著しい変貌を遂げた街の直中ただなかにあっても、春の風は、、壁間へきかんを撫でるが如く、ひたすら、大人しく、うねる。かわすが如く、ねり流れる。されど風は、煌めきの韻律を忘れるまでもなく、微温ぬるく、甘く、罠と見まがう調和へと、導く。それは裏切りとて、、無言の内に許してしまいそうな、、無力を、語っている、、、


〈たとえ、騙されても、、、構わない……〉


 つがいは、想いをいつにする、、、定めしそれは、愛の盲目ではなかろう、自信が、芽ぐむ。

 ただ、春であった。ふたりは、どこまでも春を連れて、、歩いて来たのであった。芽ぐみ兆した自信を、桜に、見た。しかと、見届けた。と同時に見えた、その裏側、換言すれば底流を成すもの、、消えがての寂しさ、一抹の戸惑い、儚い、その運命故の情念の余燼よじんをも知らされた、省子と慎一であった。それこそが陥りがちの、盲目という、愛の可能性であった。

 その時、、、

 俄かに、待ち兼ねたように視界が展け、、最後に辿り着いたかの、守られた辺境たらしめるらしい、一風違った物遠い小景と、遭遇した。


 ……シンプルな親水公園のありようが、相次いで現れ、、慎一は、偶然見付けた案内表示の立て看板に、ここが、《品川区立 五反田ふれあい水辺広場》 である事を、確認した。

 群れ成す俯瞰ふかんの高みから、一気に落とし込まれたような底に佇む、ひと息のささやかな都会のオアシス、岸芷汀蘭がしていらん端境はざかいへ、春陽の直射が、従順な反映を受け容れ、光風燦爛こうふうさんらんたるを以て雪崩れていた。その、プリズムのような多面光流がなずんだ匂いが、目黒川の水面みなもに融け、遅々として下流へ往き過ぎる。光も、風も、時さえも、ここで想いとどまり、それは折節憩うばかりの、桜の小雨がはらはらと、、緑地の芝目や川面の波の目をともす、薄紅の煌めき舞い落ちる、、、。悉くのものが、ふと、立ち止まりたい妙趣に、いざなわれた桜人で、小賑わいを絶やさず、山本橋を渡る道路の先の左カーブが、人々の暖まった襟元を展げるように、尚も左前方へ延伸して消えていた。


「ここで食べようね! ここが目的地だったの。会社の仲間達と良く来るよ。桜は、少し寂しい感じだけど、水辺って、ほっとするでしょ? 私、ここが大のお気に入り! 」

「うーん、すっきりしてて、良い所だなあ、、、なるほど、落ち着く。ここ良いわあ……」

「でしょう? 」

「うん。会社のみなさん、幸せだね」

「そうなのぉ」

 高層建築群の近代的な聳立しょうりつは、数え切れない、縦横の軸の直交のグランドデザインに、さに非ぬ、曲線的なプレシャスを持ち込み、冷たさを表現してはいない。それは、直線でありながら、あたかも直線で作られた曲線が、何度も折れ、九十度の方向転換を可能にする為には、この公園の存在を必要としたように想えた。広場は、小さいなりをして、実に端然としている。桜人達の表情が、その、人工の造形美へのコンセンサスを語っている。贅言ぜいげんを要しない、そのまんまのひと時を、それぞれが贅言ぜいげんごと愉しんでいた。この街に良く似合う、小粋なフリースペースである。

 付設するレストギャラリーは、混み合っているようであったが、水面に程近い、いているフラットなベンチを見付け、ふたりは腰掛けた。川に臨めば、、忽ち、都市の河川と草色の匂いが、新しさを醸し、つがいを、包み込む。

 不揃いの硝子片が、どんなにか、川凪かわなぎ散蒔ばらまかれ、浮いつ沈みつ呼吸を繋ぐような、飽くなき反射光の隠顕おんけんを、そこかしこで、、川上から流し込まれた、飛花ひかの、薄紅膜模様のおびの、集いながらも乱れようとする、、一群が塞ぎ、取って代わった薄玻璃うすはりの暖色が、どうあれ川面の情趣を染め上げ煌めく。

 桜は満開にもせよ、流れゆく花弁は、尚もはぐれたがり、千々にれつつ人目欺き、硝子片にさえ自惚れる、桜人の旅愁に甘え、さりとて、おびの一群にすがろうにもすがれず、川下へなずさうままに、消えがてにしていたが、山本橋の陰で、、涸れて、、途切れた、、、。

 ひとひらの光は、水を得るも、最期の安堵も束の間、忘れ去られるが如く、人知れず、河口から溟海めいかいを志すのみであろうか。更に川上から漂い来る花屑は、語るまでもなく、追うまでもなく、あるがままに、ただ、流れゆく生命いのちを、自己因縁を、省子と慎一に訴え掛け、その邂逅かいこうを知らせる。

 ふたりの薄ら寂しさは、、桜の身の上に、重ねざるを、、得ない。

 かむろ坂の桜も、この広場の桜も、春闌はるたくの今であっても、春水しゅんすいの如き目黒川に、落花流水の影を落として見せる、無常の営為、それが始まっている現実に、引き留められていた。桜人の無力、無抵抗の陶然自失は、言を待たず、終幕をも見届けさせずには、置かない。人は、みな、それも承知の上である。よって、来春も、、一回限りの逢瀬おうせを、誓い合う。

 さて。

 さてもつがいは、共にバックパックをけ、中身を取り出そうとしていた。

 省子が、ジッパーをスライドさせると、、、まるで、砲丸投げの鉄球の如き、アルミホイルにくるまれた、笑ってしまう程のサイズの、? らしき塊まりが、、幾つか顔を覗かせた。

 数日前の直電の、何か企んでいるような「イヒヒヒヒ……」 そのまんまの、茶目っ気たっぷりの得意顔で、こぼれそうな声はき止め、隣りの慎一へ、横目の頻回の矢を、射る、、、省子は、反応を待っている、、、勿論、慎一はわかっている。ただ、、自身の疎らな中身の、大きなひとつが、封筒の白さが、、、手を、言葉を妨げ、すがり付く。息さえ詰める代わりに、躊躇ためらいを、呑ませる。その、、中を見つめた切り、滞っている態度を察した省子は、首をかしげ、、


「どうしたの? 」

「う、うん、、省子……」

「うん」

「おにぎり、、、凄いなあ、、ありがとう。でも、その前に、見せなくちゃいけないものがある。一緒に、見よう……」

「う、うん……」


 慎一は、、、そっと、、白い封筒を取り出し、便箋の束を柔らかく、滑らせ、省子に示した。空の封筒はバックパックの中に戻し、そして、、、展げた。

 省子は、、初めて見る、由美子の律儀な文字の、癖のない、威張った所がない、それでもの容儀帯佩ようぎたいはいに、呼吸を忘れそうになる。現実が、はたと、文面に、、留まる。ふたりは、数を数えるように、、黙読した、、、。




 周藤慎一様。岡野省子様。



 慎一さん。


 あなたへの、妻として、最期の手紙になります。


 私は、

 あなたの笑顔が好きでした。

 いつも、笑っていましたよね。

 そんなあなたを見ているのが、大好きでした。

 それだけで、幸せだった。

 あなたの笑顔は、私を幸せにしたんですよ。

 だから、あなたのその笑顔は、私にとって本物、価値のあるものでした。

 本当に、幸せだった……

 この幸せが、永遠に続いて欲しいと願っていました。

 さしあたりの平穏が、私の居場所だと想っていました。

 でも、、、

 いつしか、その私の部屋の椅子が、やけに冷たく感じて……

 それでも、逃げるように駆け込むしかなくて、

 自分の事で目一杯で、

 そうしているうちに、ふと、気がつくと、

 あなたばかりか、自分のこころさえも、置き忘れでしまっていた。

 追いかけたくても、戻りたくても、もう、どんどん離れて、遠ざかって、

 でも、追いかけられない、戻れない、そんな自分に、勝てない。

 あなたから、笑顔を奪ってしまった。

 あなたの笑顔を、守ってあげられなかった。

 私は、一番大切なものを、手離してしまったのです。

 悲しかった。とても辛かった。そして、どうしようもなく、寂しかった……

 ただ、あなたに、申し訳ない気持ちで一杯でした。

 でも、どうにもならなかった……

 自分を、どうする事も出来ませんでした。

 どこまで行けば、どれだけ泣けば、分かり合えたのでしょう?

 何を話せば、よかったのでしょう?

 教えて欲しかった。


 あなたに、辛い想いばかりさせてしまって、本当に、ごめんなさい。

 私は、自分を責めました。

 それなのに、何ひとつ、動かなかった。

 もう、終わっていたんですよね。

 私に対する、自身の優しさに苦悩する、あなたのこころに、知らんぷりを決め込んでしまった。

 妻の座に、安閑としていた、私が愚かだった。

 私は、あなたの優しさに、ただ、甘えるだけの女でした。

 私に、妻の資格は、ありません。


 省子さん。


 先日は、本当に、ごめんなさい。失礼ながら、最後に、ひとつだけ、申し上げたい事があります。


 慎一さんは、

 くだらない冗談は良く言うけれど、大切な事は、言わない人。

 そして、相手にも求めない人です。

 だから、これからはずっと、いつもあなたから、「愛してる」 って、言ってあげて……

 この人なら、きっと必ず、何倍にも大きくして、応えてくれるはずです。

 大切な事は、やっぱり、きちんと言葉にして、伝えなくちゃだめ。

 私は、たとえそれが、私を傷つけるような言葉であっても、「馬鹿野郎」 の暴言でも良かった。

 慎一さんの、正直なこころからの、言葉が欲しかった。

 いっそ、私を嫌って欲しかった。

 むしろ、慎一さんを嫌いになりたかった。

 なかば同情のような、大人の優しさが、余計に痛かった。

 私は、ただ、女として、慎一さんの燃えるような、わがままな、愛の証しが欲しかった。

 慎一さんにとって、永遠に、女でありたかった。

 もっとストレートに、愛をぶつけて欲しかった、ぶつけたかった。

 やっぱり、慎一さんの子供を、産みたかった。

 だって、私は、慎一さんを本気で愛した、ひとりのただの女なんです。

 そして、「愛してる」って、言って欲しかった。「愛してる」 って、言いたかった。抱きしめて欲しかった。

 人は、大切な事を、忘れてしまうから、消してしまうから……

 本当に大切なものは、普段は近すぎて見えません。

 ただ、余りに大きくて、だから、わからなかった。

 そして、それを得る為には、果てしなく遠い旅路を、歩まなければいけません。

 とりあえずの安易な充足は、とりあえず以上でも以下でもありません。

 やっぱり、すぐ近くにあるのに、どうして、こんなにも遠い?

 私は、どうすればよかったのでしょう?

 省子さん、これだけは、お願い。


 そして、大切なものを失った時、その大きさの意味を知りました。


 省子さん。

 私が、本当に欲しかったものは、気が遠くなるほど、どんなにか、遥か彼方にありました。

 そして、その、遠くにある真の目的は、さしあたりの、目先の充足に埋没しているうちに、その姿を、消してしまいがちです。

 限りなく続く、長い作業です。

 急いでも、すぐに答えの出るものではありません。

 そして、答えはひとりとは限りません。

 だから、人は不安になってしまう、とりあえずの回答を求めたがる。

 勝ち負けではなく、多い少ないでも、早い遅いでも、上手い下手でも、出来る出来ないでもなく、比較するものでもない、あなたたちふたりだけのものです。かたちです。

 忘れないで。隠さないで。偽らないで。

 人のこころを、、

 自身のこころの中にある、本当に大切なものさえ、逃がしてしまう。

 それは、目に見えないもの、たとえば、未来……

 追放されたような、孤独が待つだけです。

 自分に甘過ぎると、周囲を取りまく悉くに、厳しい目を向けてしまう事が、多い。

 自分の本心と、正面から向き合う事は、時に、辛いかも知れません。

 でも、負けないで。

 あなたには、

 慎一さんがいる。

 あなた自身が見つけた、幸せの芽がある。

 こんなに素晴らしい事はありません。

 どうか、大切にしてください。


 省子さん。

 慎一さんを、よろしくお願いしますね。

 あなたの、その、純粋でまっすぐな想いは、私を、突き刺しました。

 そして、私は、倒れてしまいました。

 慎一さんを幸せに出来る人は、あなたしかいません。

 広い世界に、あなた、ひとりだけです。

 だから、その想いを、いつまでも胸にとどめて、忘れないで。

 いつでも、どこでも、何度でも想い出してください。

 そして、もっと幸せになって欲しい。ふたりらしく……

 私が、慎一さんにしてあげられなかった分を、あなたが、してあげて……

 私の、こころからの、一生のお願いです。


 慎一さん。

 あなたひとりの責任ではありません。

 私だって、臆病な弱い人間です。

 それを優しさと勘違いして、自分ばかりを守ってしまいました。

 真実から逃げ出してしまったのは、私だって同じです。

 虚勢という、自身の過ち、弱さを知ろうとしないこころは、真実を、本心を隠してしまう、幸せを遠ざけてしまう。

 私たち、自立出来なかったんですね。


 でも、私は、

 いつか、いつかきっと、

 次に愛する人には、きちんと言葉にして、行動というかたちにして、愛を伝えたいと想います。

 素直に、「愛してる」 って、伝えたい……

 そして、昔の慎一さんのような、優しい笑顔に包まれて、生きていきたい。

 幸せに、なりたい。

 私だって、夢のままに、終わらせたくありません。

 私にだって、逢いたい人、一緒にいたい人がいるはずです。待っていてくれる人がいるはずです。

 今はまだ、何も出来ないけれど、

 私も、ふたりに負けないぐらい、幸せになります。

 そして、今度こそ、しっかりと、愛を繋ぎます。

 迷った時、、

 したい事ばかりじゃなく、すべき事を選びます。

 だって、人生は一度きりだから、

 私らしく……


 慎一さん。

 十六年もの長い間、

 私を妻にしてくれて、

 本当に、どうもありがとう。

 そして、本当に、ごめんなさい。

 あなたに逢えてよかった。

 あなたの妻でよかった。

 最後まで添い遂げられなかったけれど、

 あなたとの楽しい日々の想い出は、

 私の一生の宝物です。



 さようなら


 周藤由美子


 追伸

 しばらく、周藤の姓のままでいさせてください。そして、誰かの妻になった時、あと一度だけ、その便りの筆を、執る事をお許しください。




 当然の、しかるべき今がある。過去の証左の、今がある。ならば、今の証左も、過去にある。故に、過去と現在は繋がり、当然、そこに立脚する未来がある。人の生涯は、ただひとつを以て流れている。ひとつ流れ来て、ひとつ流れゆき、どこまでもひとつに変わりはない。人生を考える時、人を想う時、その、ひとつの始まり、過去に謝せずして、在りし日を称えずして、何ものに、〝ありがとう〟 と〝ごめんなさい〟 を捧げるのか? 根拠のない、かたちばかりの優しさに、如何なる意味がある? 更に、その無意味もどきに意義を与えて、何ものかを作ろうとしても、所詮、そのひとつを以て流れるだけではないか、、、そんな流れ、そんな優しさなど、、要らない。

 自由。

 展げる自由と、守る自由。プライドと責任。感覚と論理。とかく、展げる自由を尚も展げる事によって、自由を守ろうとしがちである。今、かかる過去の自由が、今というタームを引き寄せ、束の間の今は、陰に隠れていた、かつての優しさに気付き、されば引きられつつ重なり、それでも、桜ひとひらの薄玻璃うすはりの、微細な一点にじらい薄らぎ、もっと大きな自由、永遠の幸せなる、光彩陸離こうさいりくりたるわたの原へ懸想けそうして、いざ往き繋がらんと、正に、生まれたての今を離れ、ふたりの目の前を、、流れゆく、、、流れ流され、引きられるままに、小さな嗚咽おえつぼかされた、淡い涙の雫諸共もろとも、音もなく、その身を滑らせ揺曳ようえいする端から、どうせ、、消えようとしていた。

 何れ遥か彼方への道ゆきに待つ、忘却なるカルマが、当てもない、終わりのない無常を知らしめる、その涙に暮れくずおれるふたりは、、立ち上がり、そして、、ほとりに佇み、ただいつに、、煌めき綻びる欠片を、川面に、落とし込む。ふたりの出逢いの、あの、、中目黒日の出橋の省子の落涙が、、そして、、隅田川の夕景に重ねしふたりの想いが、、寸暇をはさんで、今、帰宅の靴音を揃える。自身はどうあれ、ひとりしかいない、自身に、帰る。自身は、ひとつしか、ない。ひとつは、ひとつに過ぎず、それを誤魔化し難しがる無意味もどきは、シンプルに非ぬ、面倒なだけの空費と知る。遠回りである。


 ……ふたりの目が、留まった桜、、こころの目の桜、、、都会の片隅の、落花啼鳥らっかていちょう一掬いっきくの涙であった。

 小さなひとつを大切にする事によって、絆を繋いだのだ。ほんの数分足らずの中に、それは、あった。日常の何気ない一齣ひとこまに、それは、息く。人は、小さなひとつに始まり、夢を追い駆け、大きな夢を見たがるも、つづまる所、小さなひとつに往き着く。帰る。みな、同じ、小さなひとつの存在である。わかり合えるだろう? ……。小さなひとつであろうと、小さなひとつたればこそ、小さなひとつの為に、小さくひとつとどまって欲しくて、咲く、、桜、、、

 桜は、雪、、、最期の、春の雪、、、。

 刹那に燃え、火を注ぎ、中庸の薄紅を成すも、その、覚めらぬ夢を裁ち、儚く、慎ましい薄ごころの身の程を知り、降るが如く、、散る。

 疲れ、マンネリ、面倒臭さ、限界、責任からの開放、頑張っている自分自身に向けて欲しい共感、、、。逃げてばかりの桜は、悉くをのがしてしまった。泣かせてばかりの桜は、悉くに泣いていた。互いに、そうではない、違う自由が羽搏はばたいていた、苦い日々を踏み越えて来た。窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず。多くの事を、学んだ。

 何事も、理由がある。偶然なんかじゃない。遂げられない、為しがての想いの陰には、是非もなく、対象をり替えた燃焼がある。その人を愛せないのは、、悉くを他者や環境の所為せいにしてばかりだから。その人を恨めないのは、、他の誰かを愛しているから、、、。他者に言寄せ、時にこころ寄せ、満たされたがる。それもわかっているのに、、偶然の所為せいにしてばかりで、矛盾を矛盾で埋めるなんて、不幸が不幸を必要とするなんて、人間不信の、嘘の塊まりの亡霊の如きに怯えるなんて、、余りに、虚しい。報われない努力を、無駄と決め付けるだけの、悲憤慷慨の、、どうせ、あんなの、こんなの、そんなのと、、自身と他者の人のこころを、軽く扱う。環境に罪を着せ、無理矢理、穿ほじくる。歪める自身と、同化させる。

 自らの千慮一失せんりょいっしつは、時に、自らの所為せいにし、自らを呪い、自らを偽り、逃げ、畢竟ひっきょう、自らを失い、挙句、他の所為せいにし、その自由を奪いもしよう。好ましからざることわりに、かしぎたがりもする程に、、いと、悲しき。普遍性の成立過程からの逸脱には、冷たい非寛容が、待っているかも知れない。時とすると、恨み、ね、そねみ、ひがみ、嫌み、そしる。

 権利を主張するのも当然、自らに好都合な、優しい世界観に浸るのも自由、されど、ひとりではない、他者とて存在する現実、それに対し、謝し、譲り合い、そして、許す、、寛容なこころを忘れず、これに責任たるを以て、現実にとどまらない限り、どこまでも流れ彷徨う旅路に、陥ってしまう、、、。自らを、特別な存在にしたいのなら、自らにとり、特別な存在を、愛する事から出発したい。人ならば、失くす事が出来ない、矛盾。人を蝕む、自家撞着じかどうちゃく。プライドだけの感覚的に過ぎない、拡大解釈。責任という論理を逸脱した自由は、この、、桜ひとひらの、薄ごころのように、、小さい方が、良い。涙のひと雫は、、小さい方が、良い。若気の至り程、大きいものは、ない。素直に、、頭を下げる、べきである。

 誰彼の別なく、無言のうちしまって置きたい事の、ひとつやふたつ、あるのが普通。他者たる人ならば、それに気付き、眺めるように計らうのも、極く普通。人の一瞬に、、永遠の種子を供するこころも、また、、普通でありたいものである。ただ、その永遠を夢見るが故に、落としてしまった、一点の無言は、この、桜ひとひらの如く、薄らぎ、何れ忘却の中へ消えゆく、、それでも、、儚いにもせよ、、永遠である。無言は、、無に、帰する。愛する事、幸せと、同じ、、、。ならば、真実の愛は、初めから、無言なるものを、存在させないかも知れない。

 隠し、偽り、騙し、薄らぎ、失くし、、、そして、忘れてしまうのだろうか? 無言に始まり、紆余曲折を経て、忘却を仄めかす無言のうちに終わり、どうせ、何れ、消えてしまうのだろうか? 無くなってしまうのだろうか? あんなにも楽しかった、満たされていた、愛していたこころは、、記憶という、時間の旅路の壮途に就きたがり、悪しき想い出諸共もろとも、ただ、この上なく薄らぎ、流れ彷徨い、、、ゆく。何も言えず、、通り過ぎるしかなかった、縮こまるしかなかった、寂しいひとひらが、、、ゆく。黙ったまま、見ている事しか出来ない、そんな自身にしてしまった、やり切れない空白への罪悪感に、それでも、、やはり、見ている事しか出来ない、その、ひとひら。気付いた時には、もう、、、周りに、誰もいなかった、遅過ぎた涙の寂栞さびしおりが、この、目黒川なる、一編の寸描すんびょうし挟まれた軌跡を、忘れて欲しくない、忘れまい、、、それぞれの想いが、、流れて、、ゆく。消えようとして、、流離さすらう。取り返しが付かない無言のまま、自分をどこへ持ってゆく? 何にすがり、まだそうする? ……。喚び留めてくれる人が、いるのだろうか? ……そうされたいなら、それに相応しい行動が、あったはずである。

 日常の抑圧は、何かの、どこかの、拡大の始まり。そして、膨張、時に、暴発。そんな、怖ろしく非情な、非合理なそれは、最早、不条理でしか、ない。悲しみでしか、ない。うちなる虚像をぶっ壊せない、そんな実像という、罪深いカルマの孤立空間へ追放され、その狭隘きょうあい地点を必死に守るしかなく、そこで、耐え忍ぶ、、、抜け出さんとして、、、。他人ひとを拒む、地図からも消えたい峡谷にて、折々プロテクトのやいばを振り上げ、何を招き? 何を拾おう? でも、、、


〈諦めないで、、負けないで……〉


 ふたりの無言が、こだました。それぞれの中に、いい聞かせるように、跳ね返った。

 桜は、知っている。ふたりの目は、それを、見ている。見えないものが、まるで生きているように濃厚に、一瞬を切り取ったように見える、感じられる、目。されどおごらず、利口振らず、甘え過ぎず、そして許せるこころの目が、それを、見ている。その桜が、、散り、、流れる、、、流れゆく、小さな嘘の無言を、小さな寛容に生まれ変わった無言が、そっと、どこまでも、見送っていた。

 ……省子の特大おにぎりは、慎一には昔懐かしい、母特製の、全面海苔でくるまれた、〝爆弾おにぎり〟 ではなかろうか? ひと口、、食べれば、省子の味、特別な人への愛の味がするはずである。

 ふたりの愛が、、由美子を、許そうとしている、、ならば、由美子に許されたと想えばこその、、今の幸せであった。こころから、許して欲しい、、許し合える、、、



「由美子さん、桜、、観てるかな? ……」



「きっと観てるよ、、、横浜の桜を……」


 

 ふたりのこころはオーバーフェンスして、冬の向こう側の季節、ふたりの世界、春に、落ちていた。

 これからずっと、手を繋いだまま、ふたりだけのものではない、その春を、拾い集める。それは、、、恨みごころの強迫を許さず、他人ひとあらを拾わぬ故に遺る、幸せの芽、、、。拾うべきもの、他人ひとの長所なり。さすればあらとて愛しかろう、こころの目。幸せのリテラシー。拾うものありて、誤るべからず。絶対の条件、約束、責任といえよう。自らの深部へのキュリオシティをいざない、その途上にあって、廉直れんちょくな学びと出逢った時、、満たされ、そして、癒しを知り、他人ひとへ外向く目は、大人しがりもしよう。その上、全体の流れさえ、見えて来るような、、、弱きをくじかず、強きになびかず、弱きに強からず、強きにくみさぬ、反骨の魂、、、。ただの優越感は、差別意識をも生む。無責任な愛が、、桜のように、桜と共に、桜となって、、、散り、流れ、去りゆく、、、

 誰しもすぐ隣りに、ささやかに息をする、清かな存在がある。米粒の如きそれは、ともすれば、あなたの温かい手を、待っているかも知れない。守るべきそれは、限りなく広大な、果てしなく続く、自由への転機であるかも知れない。みはるも含めて、ただ、家族の幸せを祈った。併せて、由美子の事とて、、無理からぬ所である。

 省子と慎一は、、こころの中で、幻を見るように呟く。もう、逢えない過去に贈りたい。


〈……過去よ、、ありがとう……〉


 桜色の決心となって、未来を誓った。

 かつて、葬り去るしかなかった自らの自由は、今正に、家族の愛によって、幸せというかたちをして、生き返った。家族の為の、一死の意味が、そこに、あった。

 幸せは、家にある。

 人生を創る。ならば、家を、家庭を創る。家庭が一番、自分の事は後回しで充分である。先ず、みんないつも笑顔でいられるように、家族を幸せにする。自分自身だけの幸せではない。自分自身など、別に、笑わなくても構わない。みんなの笑顔を眺めていれば、それで、良い。寂しくても、良い。みんなが幸せなら、自分なんか、、、最後で良いではないか。たとえ伴侶がいなくても、良いではないか。自身を第一に守ろうとする時、軋轢あつれきが生じる。流れゆく、桜ひとひらのように、静かに通り過ぎ、笑っていられれば、みんなが、和む。

 ただ、愛すれば、それで良い。理由や見返りは、重要ではない。人たれば、愛するこころが、ある。愛を、素直に行使すれば、それだけで良い。底流に、寂しさが、、あるなら、、恨みごころの寂しさだって、、良い。恨んでしまったものは、仕方ない。成功者だって誰だって、人は、みな、、、寂しい。人間は、世界は、寂しさで繋がっている。寂しさも、何れ想い出になる。楽しい想い出とて、、想い出は、、何れ、どうあれ、どうしようもなく、、寂しい、、、。その寂しさを、素直に表現しないから、杜撰ずさんな議論を招く。その寂しさを、寂しいままに、そのままにしないで欲しい。それもまた、〝幸せの芽〟 である。寂しいから、、、愛する。寂しさには、、、愛が、ある。恨みという、潜在的挑発さえも、全ては、愛の陰にしまえる。はらの虫も、やがて治まりもする。逆境という危機、、黒を、白に変える事も、決して不可能ではない。しかし両者は、表裏一体。故に、時として、難しい。

 愛は、、、考える。

 同じ頭を使うにしても、神経を使うそれとでは、ある意味、違う。感性ではなく、理屈。選択ではなく、計画。拡散ではなく、創造。そしてつまり、言葉ではなく、、、物語。よってつづまる所、創るという事。有形無形に関係なく、欠くべからざる悉くのかたちを創る。価値あるものは、愛がなければ創れず、寂しさが、それを追い駆ける。尤も、満たされた時、妥協してしまうものだが。

 そんなに、難しい事だろうか? 真っすぐ一本、立つ事が、、、自身の始まりに、感謝する事が、、、曲がらないから、膨らむ、展がる、そして、繋がる。その時々の個人の最良の投機性が、時代行動が、歴史という現象をとどめ、事実を遺す。

 愛は、悉くを創り、恨みは、悉くを、、、創れず、時に、壊す。正直過ぎる、肉体と金、、それ故存在する、人の世の無情、人間の矛盾。たとえば、、恨みに始まり、酒に溺れ、無茶を通し、何れ嘘に沈み、やがて嘘のような無言の陰に隠れる。許せず、拒み続ける、無言の涙、、、。愛さないから愛されない、大切にしないから大切にされない、本心を、真実を供さないから、、失う。そんな道理をも忘れてしまったこころを、ただ、黙って見ているしかない優しさが、、余りに、悲しい。こんなにも、無力。恨むのも、自由。なれど、、かくなる自由を、自身に許して良いものか?

 全体へ転嫁しがちの個人主義、、、正しく、不条理といわずして、他に、言葉を知らない。穏やかでは、いられない。個人が、聞いて呆れる。過去を、蔑ろにしてはいけない。根っ子が、崩れる。どこまでも揺るぎなく、平らかたらん事を、祈って、止まない。

 都塵とじんの如き微細な一点は、愛によってのみ、拡大されるべきである。

 小さな自身故に、小さな過ちに気付かぬ体の、山と積もった矛盾をも、愛は、包む。さればきっと、結論を急がず、固定化せず、無責任の穴の前で立ち止まり、考え、ともすれば穴に堕ちる、黙って見ているしかない個人主義をも、、許す。愛という自由、愛という幸せ、自由という愛、幸せという愛、自由という幸せ、幸せという自由、、、そんな結論に至る過程に、、ひと握りの、、寂しさを、、、。それは、どこまでも深く、愛と自由と幸せを理解する。選択に直結せず、考える、慇懃謙譲いんぎんけんじょうの薄ごころである。日々悶々は、恨みに堕ち兼ねない。もし、そうなったとしても、糧に出来る程、人間は強い存在とは想えない。愛という善に頼る。善き事を為さぬ故、悪しき変な事に走りがちであろう。それもまた、人である。

 たとえば、、そんな、通り過ぎようとする、静かなる主張には、、静かなる、一掬いっきくの寂しい祈りを以て、応えるにかず。眺めるこころも、また、優しさという、愛を温め得る故の、人、、である。大切なもの、価値あるもの、誇れるもの、称えられるもの、、、有形無形にかかわらず、愛に起因するプライド、即ち優越意識こそ、、、尊い。愛に根拠を求めない、無意味もどきといわざるを得ない、プライドとて、理解出来よう。


 真実の愛は、偶然という感覚を、必然という論理に変える。

 それぞれが、それぞれを待っていた。それぞれが、それぞれの為に、怖ろしいぐらい暖かく柔らかな、一瞬で融かしてしまうような雨となって、、惜しみなく降り注ぎ、包み込む、その、、当たり前の、さり気なさ、、、。余人に非ず、自身が創った愛と感動だけが、繋がる事を許される、正しく、絆、、、。それは、どこまでも過程という、謙虚な必然のプライドに裏打ちされた、未完成である。

 人は、人を幸せにする為に、生まれて来る。人を幸せにする為に、生きている。他人を、幸せにする。さすれば、自分も幸せになる。寂しさが、それを創る。謙虚さが、怖れが、常にさらされている、矛盾という危機との距離感を、管理する。辛くても、言えなくても、諦めない、、、諦めない。自身に対する危機感、つまりコンプレックス、問題提起こそ、、愛である。若い内に覚えなければ、若気の至りとなり、引きりもしよう。稀に、自分で自分を騙し続けようものなら、本当の自分が、わからなくなってしまう。

 本心に内向かず、満足の程を外向くこころ、虚勢に求めた時、無言という、拒絶という、防衛の傘の下に逃れ、現実は、硬直する。本物は遠ざかり、近付こうともせず、その現実から解離するばかりの、妄執なる孤独の海は、ただ、冷たく、寂しい。後年、、はたと、、気付く事になろう、過ちに、てらいが消えたベテランの顔は、正直である。

 ただ、、諦めめた内向くこころは、喪失の、不在の、そして、忘却の充足へ、自らを委ねるだけなのか? 内も外も、満足には変わりはないはず、、人はいつも、満たされたいだけ、、時の流れは、外向くこころの過ちをも、そして忘却さえも、無言を添え、内なる充足の旅へいざなう。こころは、、何れ、、外からうちへ、、帰る。時に、その無言は、慚愧ざんきを求めるように、変わってゆく、、、広く、浅くでは、届かない。狭く、細く深めれば、末広がる技術を、欲す。


 それでも、、、寂念涔々しんしんが、内省が、ここから本物を創りたがる。

 寂しさは、、こころの友、、こころの栄養。

 人は、、デラシネ、、、自身の善人顔の陰に隠れる、穏やかならざる、決められない、寂しい一点。

 そして、また、静かに、通り過ぎてゆく、、、

 人生は、一瞬。

 愛を、大切に守りたい。

 現実にしろ、想い出にしろ、 有形無形に関係なく、守るものがあれば、矛盾とて、自ずと、、桜のように、散り、、流れる、、、

 その先で、きっと待っている、何かを、誰かを、温かい涙と共に、再会を喜び合うように、信じられる。

 寂しさという、一本道をゆく旅人は、曲がろうとしない、曲げないその為に、変わる事を辞さず、更に相応しい一本故の、発見、創造と出逢うだろう。

 静かに、通り過ぎよう。

 たとえば、、言えない無言には、謙虚という、押し付けてはいけない、道理の優しさの、言わない無言を、、、

 本来、言えない、、、言えない。

 自身は、自身の主人あるじではあるが、主役にこだわり過ぎるべきでは、ない。

 そうしなくては、いけないのではないか?

 みな、いつか、、想い出だらけの、ベテランとなるのだ、、、自身のこころから逃げるのは、実に、難しい……。



 悲しくて

 寂しくて

 泣きたいなら

 泣きたいから

 涙

 涸れるまで

 他人の分まで

 泣くがいい

 涙と

 人は

 同じ

 微細な一点の

 転機

 きっかけ

 それを求めて

 こころの目から

 生まれてくる

 小さな

 しずく

 誰を

 しあわせにした

 自分を

 どう想う

 どこから

 始まった

 自慢できるもの

 大切なものは


 何?


 寂しさが

 ある

 愛が

 ある



 無言。

 それは時に、言葉ではなく、態度という、こころの、嘘、、、

 そうではない自身を、それでも、、信じたい、、守る為に隠れる、、問題をり替えたい、、匂いが、する。

 自身に対する、自身という、、加害者の声を、、罪と、罰を、、、



 あなたは

 誰をしあわせにしましたか?

 誰に、、、

 しあわせをもらったのですか?

 自分をどう想う?

 どこから、、、

 始まったのですか?

 自慢できるもの

 大切なものは

 何ですか?



 ……省子、おめでとう。いつまでも、永遠に、幸せに、、、泣いたって、良いんだよ、、、



 君は、家族に、幸せをもらったのです。






 目黒川 完

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目黒川 小乃木慶紀 @keikionogi

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