第5話 待ち合わせ
翌朝、出勤しようと電車に乗り込んだら、目の前に彩が居た。
「あれ、おはよう。どうしたの?」
彩はリクルートスーツではなく、白系のワンピース姿で、大きなバッグを持っており、見た目いかにも大学生といった感じだ。
「いえ、これから学校なんです。もし、変な人が居たらと思って、この車輛に乗ってみました」
「えっ、それって俺のこと?」
「ウフフ、違いますよ」
彩はオヤジジョークが分かったようで、軽く笑うと俺の前に来て、背中を扉のところのコーナーを背にした。
満員電車の中では、俺の胸に抱かれるように彩がいる。
オッサンとしては至福の時だが、彩はどう思っているのだろうか。
季節は大分涼しくなったとはいえ、それでも満員電車の中は蒸し暑い。
「結構、きついが大丈夫か?」
そう彩に話しかけると、彩は俺を見つめるように顔を上げた。
しっかりと俺を見た彩は、しっかりした口調で、
「はい、大丈夫です」
「駅はどこで降りる?」
「えっと、東京で」
「学校は東京駅の近くなの?」
「いえ、成城学園前です」
「えっ、反対方向じゃんか」
「ええ、時間的にもまだ早いので、十分間に合います」
「そんな、早く出て来て、満員電車に乗るより、ゆっくり出て来た方が良かったんじゃないか?」
「ちょっと、したい事があったので…」
「そうか、試験とかもあるので、大変なんだな」
「ええ、まあ、そんなところです」
「東京~、東京~」
電車が終着駅に着いた。
乗客が一斉にホームに出る。
俺と彩もホームに出た。
「それじゃ、これで。気をつけて学校に行くんだよ」
「ええ、は、はい。あ、あのー」
「うん、何だい?」
「えっと、今日の夜も来ていいですか?」
「へっ、まあ、特に予定はないけど」
「では、また来ます。昨日と同じ時間でいいですか?」
「ああ、かまわないけど」
「そ、それじゃ、会社のところで待っています」
乗客が少なくなったホームで彩はそう言うと、地下に続く階段を降りて行った。
これはデートのお誘いなんだろうか?
いや、そんなことはないだろう。
何か就職関係の疑問やもしかしたら、あの親父の悪い癖を聞いて貰いたいのかもしれない。
その日の俺は年甲斐もなく、仕事が手に付かなかった。
「杉山さん、杉山さん」
「あ、ああ」
「どうかしました?夏バテですか?」
見ると同じ課の田中主任だ。
「あ、いや何でもない。疲れているのかもしれないな」
「今日は金曜日ですから、明日、明後日と静養して下さい」
「ああ、そうだな。俺も歳なのかもしれないな」
「杉山さんはまだ若いですよ」
「お世辞でも、ありがたく受け取っておくよ」
そうか、今日は金曜日だった。
昭和の頃なら「花の金曜日」とか言われていたが、平成の今ではそんな事はない。
もっとも独り者の俺には金曜日も何も関係なく、土曜日は洗濯や家の掃除をやって、日曜日には一週間分の食材を近くのスーパーに買い出しに行くのが、決まり事だ。
そして、月曜日には新しい一週間が始まる。
だが、この金曜日は違う。そんな予感がしている。
それは彩が待っていると言ってくれたからだろうか。それとも俺の心の中に何か期待する物があるからだろうか。
いつになくウキウキしている自分に驚く。
「くそっ、こんな日に限って」
昨日、クライアントに設計図を届けに行った係長と若手が帰ってきて、クライアントから追加の要求を出されたとかで、見直しすることになった。
クライアントは今日中に海外にメールをしたいので、今日の夜までに仕上げて来いと言うのだ。
日本が金曜日でも海外では木曜日だ。
今日中に送れば、金曜日の朝には向こうに着く。
そうすれば、金曜日に開催する向こうの会議にかける事ができる。
その理屈は分かる。分かるが、こっちだって予定があるんだ。何で、金曜日の夕方になってから手直しが入る。
昨日、言ってくれれば良かったじゃないか。
俺のところに書類が回付されてきたのが、6時半だった。
彩との約束の時間だ。
こういう事なら電話番号のひとつも聞いて置くんだった。今となっては連絡の手段もない。
追加となった個所は今までも経験のある内容だったので、設計の確認も滞りなく出来たが、既に時間は8時を回っている。
彩は既に帰ったか。
今日も帰りのコンビニで何か夕食を買って帰ろうかと思い、会社の勝手口から表へ出た。
会社の正面玄関は6時半で閉まる。その後は、勝手口から出入りすることになっている。
正面玄関も閉まった事だし、既に彩はいないと思いつつも一途の望みを込めて、正面玄関に回ってみると、白系のワンピースを着た彩が立っていた。
「彩ちゃん」
「あっ、杉山さん」
「ごめん、ごめん、飛び込みの仕事が入って遅くなった」
「ああ良かった、来てくれないかと思った」
「本当にごめん、お詫びに何でも言う事を聞こう」
恐らく今日も食事に行こうとか言われるんだろうな。
「では、一緒に観覧車に乗って下さい」
「えっ、観覧車?」
「そうです。観覧車です。この近くに最近できたんです」
最近オープンしたビルの側面にできた観覧車だ。TVでもやっていたので、出来た事は知っていたが、その観覧車に乗る事はないと思っていた。
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