第3話
手を振り回して、いかにもだだっ子のような振る舞いをして、鳩の退散をこうた。
鳩の糞を頭に浴びて、鳩の蹴りを顔面でくらい、鳩の啄みを延髄で受け止め、アイちゃんを救いだした。僕は妄想した。アイちゃんが僕を抱き締めてアツいキッスをするのを。うわさのキッスである。情熱がありしびれてとろけるキッスである。
残念ながら、はじめてのチューとならずだった。お互い鳩の糞尿のどしゃ降りをもらい、頭に羽が何本も絡まっていて、何より尋常ではない悪臭を放っていた。さっきは耐えれたはずが、性欲の誤算を加わり、男の癖に涙が出そうになった。
鳩の塊から小太りの一羽がのこのこ這い寄ってきた。
デブ鳩は翼を広げると、その赤い眼の濃度を上げて、色が静脈血から動脈血くらいまで変色させると、幽鬼を思わせる呻き声をあげた。鳩の塊が展開した。
一斉に羽ばたき広がる様は、麺棒で生地を伸ばしていくような心地よさがあった。羽ばたいて羽ばたいて、こちらに背を向けた鳩たち。デブの鳩を中心に横に広がった。孔雀の尾羽のごとく広がったため、最初は威嚇かとおもったが違った。デブの鳩がアイちゃんの頭を掴み、鳩の壁にむかって思い切り投げ飛ばした。
アイちゃんは悲鳴をあげる間もなく、汚れた灰の鳩の背にのって、朝日に向かって飛んで行った。消えるのはすぐだった。デブ鳩があの日の鳩なのかもしれないと、少し思った。
鳩の糞や羽を水色の作業着を着たお婆ちゃんとともに清掃することとなった。鳩を虐めた咎めとのことで、そのように理解してくれるなら有難いことであった。あの事象を、混じりっけなく説明することは、僕には不可能である。強固だが、それゆえに言語化をも阻む体験であった。
近くに駐車していた花山さん家のご主人が主に僕を叱りつけた。まあ、辺りに散った一羽の鳩の死骸をもって薫くんの嗜虐性は証明できるだろう。虐待した上に、自分の車が糞や羽で汚れ脚の引っ掻き傷などで相当なダメージを負ったとしたら、今の僕なら彼の気持ちが察せないでもない。ローンを組んで家族のために買った車がキテレツな少年に汚されたのだから。
では、アイちゃんのご両親とその兄弟(年子の兄)はどのような反応を見せたかというとこれまた以外なことであった。何もしないのである。彼女のことをしらせるも、薫の精神が錯乱していると親に通達された。
いちおう、自分の母親にはアイちゃんが拐われた旨を伝えたものの、そのような子は知らないし鳩にたかられてただけでしょと言った。飯時で台所に立つ母の顔は見れなかったが、僕を謀る気配はなかった。外では鳩がプフォッファファッホーと繰り返し鳴く夕方の音が響いていた。
翌日、学校のクラス名簿に名前が載っていたため担任である増田の婆やに聞いてみたところ、何故か記載されてるだけでミスプリントだよとこたえたため、僕もアイちゃんのことは忘れることにした。ありふれたことである。
僕の視力がAから1以下の数値にまで突き落とされたのはこの頃である。黒板にある、「月」と書かれたラミネート加工の印字が正確に視認できなくなった。涙が流れているのかと思いハンカチで拭いもう一度見るが、月の中の線の量が一つの筋に見えた。むしろ欠伸をして涙をためると正確に二本線が見えた。月が見えなくなることで、僕の小学校の時代は終わる。
雷の、それも他と変わりない一筋の光の中に天使がいた。翼が燃え上がりキナ臭さを放ちながら地に落ちるころには誰が見ても死体となっていた。地上におちて初めて認識されたときに少女と判明した。
ヨシコという世間の目からみれば小母さんな女性が発見した。落ちた少女を介抱したのが彼女である。ただヨシコも近づいたはいいけれど、明らかな死体に戸惑いを隠せなかった。公衆電話から警察に連絡を入れてた。市民の義務を果たしたため、この場から離れようとした。されど、幼い子供を思うと自然に足が向いた。窓ガラスを叩き割ったような雷鳴が響いた。
ヨシコは仕方なく、着ていたレインコートで少女を覆ってあげた。コーヒーの懸賞で当てたコートのため、惜しむ気持ちはあまり無かった。雲の隙間から流れ出た突風により、コートが吹き飛んでしまいそうになった。
以上のことは、ヨシコさんから後で詳しく聞いたものだ。当時と変わらないアイちゃんを覚えていたのは、彼女にとって悲惨なことであったが、僕だけであった。
目を瞑った。少女の惨状をみて涙が流れたためである。目を開けたとき、激しい光と、その中に黒い点が見えた。その黒い点は、しかし明瞭な輪郭を保持していた。どこからか、少年は可哀想だなという声が聞こえた。すると、今まで落涙と思っていたものの粘度が変化した。爆音がひびいていた。視界が暗転していく中で、アイちゃんの腹を突き破り一羽のデブい鳩が現れた。鳩の目はアイちゃんよりも赤かった。
稲光と雷雨の中、一羽の鳩が飛んでゆく。僕の世界から光は失われた。
鳩の閃き 古新野 ま~ち @obakabanashi
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