第2話
一ヶ月も経たないうちに、おおきな事件に巻き込まれた。その日、自分の世界が鳩によって埋め尽くされていた。
その日もいつもの睡眠不足で、頭がちっとも働かない故に白昼夢でも見たのかと思った。それほどまでに、玄関を開けると地獄絵図だった。ホーホーという鳴き声が外を一杯満たしていた。数百羽の鳩が寄ってたかってアイちゃんに取り巻いていた。
場所は団地の前の道路である。人も車も行き交う割には狭い道である。彼女ひとりと、鳩の群れで道が塞がっていたのだ。
縁は薄いし僕を呪った子とはいえ、知人が不喜処地獄めいた罰を受けている様子を静観できるはずもなく、4階の我が家から急いで駆け降りて、灰と紺色の蠢く塊に分け行った。
剥き出しの獣臭は、僕の肺の中を永遠に留まることとなった。10歳のその日以降、犬猫の愛玩動物をはじめとして、敷地内に住まう野良、目の前を低く飛び違う燕や烏、稀に山から降りてくる猿、その他を見るだけで嗚咽が止まらなくなった。
話を戻す。いざ進めや我が身、めざすはじゃがいものように丸まった鳩たちの塊の中、嘴でつつかれて泣いているアイちゃんが湯であげられたように顔を真っ赤にして泣いていた。そのアイちゃんの顔をぐにぐにと潰す鳩の蛮行に僕は抵抗した。
いざ勇気を出さんと奮い立たせたが、脚の爪に引っ掛かれてしまい怯む。包丁の類いでそこらの鳩をみじん切りにしようかと思えど、丸腰であった。 後年、バタフライナイフを携帯した時期があったが、ここに由来する。一度も使わず、ナリだけが一丁前であったころの話だ。しかし、この時は所持していなかった。
過酷な臭いが目に染みて涙をこらえたまま、手足を振り回した。鳩はアイちゃんを痛め付けようとするばかりだ。彼女の腕の肉などは既に露出していて、ミンチにされてしまうのではないかと危ぶんだ。鳩の灰色や黒い羽が傷口に触れると痺れるたように顔を歪めて苦悶していた。彼女はその時、傷口に塩だけでなく胡椒も混ぜて抉られるような痛みなのかと思った。
その内、ようやく鳩の首を一羽だけ掴むことができた。まるでポテトチップスを握りつぶすように、頭を丸く握り潰した。苛立ちのあまり、その鳩の翼を引きちぎった。小麦粉やパン粉の類いのように細かい羽と、卵のように粘っこい血や肉片が辺りに散った。
「キャッ、イヤァ、別にそんな事しなくても良いじゃない」と、アイちゃんは言ったのだろうが、それは記憶が後から勝手に注釈を入れたに過ぎず、神経が異様に高ぶった僕には、その音が断片にしか聞こえず、つい腹立ちまかせに叫んだ。キャベツがどうした、と。
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