同年 求馬

「『農家益』は読みました。『老農茶話』も、『農具便利論』も」

「ありがとう。でも、百姓でもないのに、どうしてまた」

「とても大切なことだと思ったからです。書物を読むばかりが学問ではないということを教えられました」

「いやぁ、どうも恥ずかしいな。子ども時代を知っている人に読まれるというのは」

 その日、日田義太夫という男がふらりと訪ねてきた。数瞬の間があって、求馬は思い出した。巨体はさらに大きくなっていたが、優しい眼差しは変わっていない。

「まさか大蔵永常という人が、あの徳兵衛さんだったとは」

「俺の方では、咸宜園の求馬という人の噂を聞いて、寅之助のことなんじゃないかと思っていたよ。あの頃からお前はずば抜けていたもんな」

「いえ……」

 俺は、安利と、金吾と、塾生たちと、たくさんの人に支えられてようやく立っているに過ぎない。土蔵にひきこもったまま、比喩でなく腐り果てていてもおかしくなかった。

「そうだ、寅……いや、求馬。お前に会えたら一つ、謝りたかったことがあるんだ」

「謝る?」

「俺が両親に連れ戻されたとき、さほど親しくもなかったのに、世の中を変えてくれなんて大仰なことを頼んだだろう。あとで思い返してみたら、なんて自分勝手なことを言ったんだと、恥ずかしくなった」

「そんな……俺は、俺の方こそ恥ずかしくなりました。何のために学問をするのか、わかっていなかった。今でもわかっているとは言えません。人が飢えず、不当に奪われず、努力したぶんだけ報われる世の中であるべきだとは思います。でも、一体どうすればそれを実現できるのか、その道筋はいまだ見えていません。書物から学んだことを、淡々と伝えているだけです。誰か俺の代わりに、見つけてくれと」

 なんて話しやすい人なのだろう。日頃溜めこんでいたことが、口をついてすらすらと出てくる。

 長福寺にいた頃は、徳兵衛を平凡な百姓の子として軽んじていた。そのことをいま頃になって求馬は激しく悔やんだ。

「俺のあんな頼みごとを、お前は覚えていてくれたのか」

「……」

 義太夫は――ただ優しげなだけではない。言いしれぬ凄みがある。

 きっと大切な人を失ってきたのだろう。お互いこんな歳になれば、そう珍しいことではないが。

「それなら、求馬、改めて一つ頼みがあるんだが、聞いてくれるか」

「何でしょうか」

「弟さんに偶然会った。それで、人集めに難儀しているという話を聞いた」

「……」

「稲だけじゃない。どんな作物も、人も、水がなければ生きていけない。塩谷代官と弟さんの計画は、正しい。水が通れば血が通う。手を貸してやってくれないか。もちろん俺も人足に加わる」

「……」

「二人の間には、他人には言いにくい何か、隔たりがあるんだろう。それは俺にも何となくわかる。けど、お前がそれを飲み込んでくれさえすれば、たくさんの百姓の命が救われるかもしれないんだ」


 翌日、咸宜園の中庭は、人という人で埋めつくされた。

 塾主の求馬から大切な話があると、前日、義太夫と塾生たちが大声で触れまわってくれたのだった。

 久兵衛や金吾の姿もある。義太夫と塾生たち以外、これから何が起こるか知る者はいない。

 求馬は、考槃楼の二階の障子を取り払い、軒先から群衆に語りかけた。

「みなさん、聞いてください」

 長年の講義で鍛えられた求馬の声は、遠くまでよく響いた。

「今日は折り入って頼みがあります。私の弟、久兵衛はいま、三隈川から花月川につながる井路を作ろうとしています。どうか弟の仕事に力を貸してやってほしいのです」

 一瞬にして、群衆の視線が久兵衛に集まった。

 久兵衛はただ驚き、あ然としている。

 それから、何人かの百姓がつまらなそうに去っていった。

「弟も言っていたことですが、井路ができれば、豆田の町中を流れる城内川の水量が増えて、舟を浮かべられるようになります。田島村の人々ばかりでなく、皆さんも便利になるのです」

「けどよ、そんなことのためにわざわざ重労働をしたいとは思えねえな」

 と、野次が飛んだ。

「子どもたちに、誇りたくはありませんか? この水は、俺たちが山を掘って引いてきた水なんだと。人のためになる仕事をやり遂げたんだと、胸を張りたくはありませんか。子どもたちだけではない。井路は、残ります。この先何十年も何百年も、ここに立派な人々がいたということを証明し続けます」

「私は田島村の者ですがね、求馬先生」

 と、群衆の一人が言った。

「お気持ちはありがたいです。けど、水が通って今より米がたくさん作れるようになったところで、どうせ年貢も増えるんだから、自分らの取り分はそこまで増えるわけじゃないんです。だったら、山を掘るなんて大変な工事をわざわざすることもないだろうって、うちの村でも話してるんですよ」

「年貢の取り方は改められるべきです」

「べきです、と言って、変えられるものでもないでしょう」

「武士のあり方を変えれば、重い年貢を取らなくても国は成り立ちます。例えば、参勤交代には莫大な費用がかかっています。あれをやめるだけでもずいぶん違うはずです。もともとは御公儀が諸国の力を削ぐためのものでしたが、いまや百害あって一利なしです」

 求馬はこの主張をのちに『迂言』という著書にまとめている。

「徳川憎しで反乱を起こす国などありません。もし憎むとしたら、それこそ参勤交代のせいです」

 そのとき、群衆の一角がどよめき、割れた。人々の間を進んできたのは、塩谷代官その人であった。

「ご高説、聞かせてもらったぞ、塾主。俺はこれでも百姓の味方のつもりだ。今の話にもおおむね賛同する。しかしお前は、将軍様を前にしても同じことが言えるのか?」

「言えます。言ってみせます。咸宜園は、弟のおかげで、塩谷代官の庇護を受けています。恐れることは何もありません」

 この言葉に、塩谷代官はニヤリとしただけで、何も言わなかった。

「みなさん、どうかお願いします。世の中をよくするために、私もできる限りのことをします。弟に力を貸してやってください」

 静まり返った中から、

「しょうがねえ」

 という声があがった。最初に野次を飛ばした男であった。

「俺はやるよ。まぁ、代官のいらっしゃる前でいやとも言えねえしな」

 笑いが起こった。

 その中から、やろうという声が続いた。

 求馬はふと、久兵衛を見た。

 久兵衛は、その視線をかわすように、頭をさげた。


 こうして小ヶ瀬井路掘削工事が始められたが、作業は困難を極めた。

 取水地点から即、文字通りの山場が待ち受ける。大地が拳を握るように、阿蘇山の灰が固まってできた源ヶ鼻げんがばなの岩盤はおそろしく頑強で、人足たちのノミをたやすく跳ねかえした。三月一日からの二十日間で進んだのはわずか八尺五寸(約二・六メートル)。人数を大幅に増やしての続く七日間でも二尺八寸(約〇・八メートル)しか進まなかった。

 必死の思いで源ヶ鼻を抜けたら、次は会所山よそやまである。ただ掘ればいいというものではなく、酸素を送るための竹筒や、落盤を防ぐための石垣も組まなければならない。

 久兵衛は毎日現場に通い、人足たちを励まし、ともに土を運んだ。雨の日も蓑をまとって作業をした。

 苦節三年、ついに達した。玖珠川から流しこまれた水はぐんぐん走り、山の下を這い、花月川に注いだ。泥だらけの人足たちは勝鬨をあげた。

 筋金入りの旅人であった義太夫は、このときできた仲間たちと共に農業の研究に励み、生涯日田を離れることはなかった。

 一方、久兵衛と塩谷代官は、立ち止まらなかった。井路の通水を見届けると、すぐさま周防灘沿岸部の新田開発に乗り出したのである。疾風の日々であった。のべ十四もの新田が開かれ、その一つは「久兵衛新田」と名付けられた。

 そして、咸宜園をおおっていた暗雲もようやく晴れた。塾生は再び増え始め、一時は二百人を超えた。ただし、ここには皮肉もある。新事業を強力に推し進めた塩谷代官が、一部の百姓たちから負担が重すぎるとして訴えられ、左遷されたのである。長年求馬を悩ませた官府の難は意外な形で幕を閉じた。

 日田を去るとき、代官は、

「苦労をかけたな、博多屋」

 と労った。

 久兵衛が涙を流したのは、小ヶ瀬井路の着工以来、そのときが最初で最後であった。


 私塾と、事業。

 それぞれの働きが認められ、兄弟は揃って永世苗字帯刀許可という栄誉にあずかった。

 しかし、二人の間柄は、依然いびつなままであった。

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