同年 徳兵衛
「またお前か。いい加減にしろ」
と、門番が言った。
自分より背の高い相手は、徳兵衛にとって珍しい。棒を持つ腕は太く、陽に灼け、赤銅のようである。
「お願い致します。どうしても砂糖の作り方を教えていただきたいのです」
と、徳兵衛は頭をさげた。
「ならんと言っているだろう」
「お願い致します」
この頃、砂糖は貴重品で、ほぼ中国からの輸入に頼っていた。国内で唯一、砂糖づくりに成功していたのが、この南の果ての薩摩藩である。
「死にたいのか、お前は? 製糖の技術を盗もうとして死罪になった者が何人もいる。これほどかたく守っている秘密をどうして、どこの馬の骨とも知れないお前に教えてやらねばならんのだ。もうあきらめろ」
「こりゃ潮時かもしれんぞ、徳兵衛」
と、伊兵衛が後ろから声をかけた。
「確かに俺は甘いものが食いたいなと言ったが、何もそこまで砂糖にこだわることもなかろう」
「いえ、砂糖がいいのです。腐らず、売れる。砂糖の作り方がわかれば多くの百姓が救われます」
「話ならよそでしろ。邪魔だ」
と、門番。この人物ばかりはさすがの伊兵衛も懐柔できなかった。
「お願い致します、なにとぞ」
「くどい! さっさと消えんとこの棒で打ちすえるぞ!」
「何をもめている」
と、現れたのは、門番とは対照的に、ずいぶんと覇気のない、青白い顔をした武士であった。声をかけられるまで、その場の誰も近づいてきたことに気付かなかった。
「これは、御殿様!」
と、門番は慌ててかしこまった。
徳兵衛はあまりのことに驚き、門番に着物のすそを引っぱられるまで、ただ立ち尽くしていた。
「何があった?」
「は、この者たち、日田から来たとのことですが、その、砂糖の作り方を知りたいと」
「なんと、真正面から来たのか。これは驚いた」
と、薩摩藩第九代藩主・
「申し訳ございません。ただちに追い払いますゆえ……」
「うん……」
と、斉宣は少し考えたのち、
「そこの二人、話を聞こうか」
と言った。
ソテツやレイシ(ライチ)が生い茂る藩営植物園「吉野薬園」の東屋で、
「堂々とした盗人もいたものだな」
と、斉宣は言った。
「盗もうというのではありません。出所は明らかにします。熊本で教わったと必ず言います」
徳兵衛は淡々と言った。
藩主という立場があまりにも上、雲の上の存在で、その恐ろしさが実感できなかったせいかもしれない。
「栄誉を守ってくれるのはありがたいが、なぜ砂糖の作り方が秘密なのか、理解しているか? 誰にでも作れるものになってしまったら、価値がさがるからだ」
「はい」
「それを承知で、教えろと」
「はい」
「うーむ、面白い」
と、斉宣はさほど面白くもなさそうに言った。
「砂糖で儲けているのだからここは豊かだと思っているか? 確かに収入源はある。が、金はいくらあっても足りない」
薩摩藩は幕府から、いやがらせとも言えるような大規模な手伝普請(土木工事)をたびたび割り当てられている。
特に、宝暦四年、木曽三川の治水事業は、多数の死者を出すほどの難工事で、現場が遠く離れていることもあり、大変な出費となった。
また、薩摩は台風の通り道でもある。
「常に備えが必要なのだ。薩摩の領民たちを守るため、砂糖の製法は独占する」
「恐れながら申しあげます」
と、伊兵衛が口を開いた。
「この図体の大きな子どもは、自分や、自分の故郷の金儲けのために、砂糖の製法を知りたがっているのではありません。日本中の百姓を救おうとしているのです」
「日本中?」
と、斉宣は眉間にしわを寄せた。
「技術を分かち合えば誰も飢えなくなると、単純な、安易な考えです。それを大真面目にやりとげようとしています」
伊兵衛の改まった話し方を聞くのは、徳兵衛には初めてのことだった。
「日田往還の宿場町で盗賊に遭った時、刀を抜いた私にこいつは〝助けてやってくれ〟と言いました。食うに困るからこんなことをせざるをえなかったのだと。一歩間違えれば自分が死んでいたにもかかわらず」
「……」
「砂糖の製法をお教えくだされば、いつか、何らかの有益な情報を、この薩摩にももたらすことができるでしょう」
「いつか、何らかの……か」
それから、かなり長い沈黙が続いた。
斉宣の肩にトンボが止まり、はねを休め、また飛び立った。
「君は、私の親戚の……名は何と言ったかな」
と、斉宣は伊兵衛を見て言った。
親戚?
徳兵衛は驚いて伊兵衛を見た。
「伊兵衛でございます。ご無沙汰しております、伯父上」
「弟は息災か」
「は、元気でやっております」
「親戚になら教えてやれる。砂糖づくりの工程、自由に見ていくがよい。ただ、君も何かと忙しかろう。あまり長居はしないことだ」
「ありがとうございます。この御恩は生涯忘れません」
「たかが砂糖で、何を大げさな」
と言って、南国の木々が放つ、むせかえるような香りの中、斉宣は去っていった。
「伊兵衛さん、確か筑前のお生まれでは」
「ああ、実は御殿様の甥っ子だったのだ」
「それは、これまでとんだご無礼を」
「今さっき御殿様ご本人に啖呵を切ったお前が何を言う」
と、伊兵衛は笑った。
「さて、伯父上のお許しもいただいたことだし、砂糖の工場を見に行こうか」
「はい!」
伊兵衛が徳兵衛に、御殿様が機転を利かせてくれたのだと説明したのは、薩摩を脱したあとであった。その方がぼろが出ないと言ったが、単に面白がっていたという方が当たっているであろう。
のちに徳兵衛が書いた『甘蔗大成』には、このとき学んだ砂糖の作り方が詳細に記されている。
――砂糖キビの肥料は三度に分ける。苗を植える前に一番ごえとしてたい肥をすきこんでおく。二番ごえは人糞と油かす。三番ごえは干したイワシを用いる。
収穫の時期を見極めるには、両手で茎を折ってみればよい。ポキンと折れれば頃合いである。
砂糖キビの茎から汁をしぼるには、ろくろという圧搾機を使う。ろくろは水車もしくは人力で動かす。
しぼりとった汁を鍋に入れ、松の薪を用い、強火で煮立てる。小さな泡が出始めたら、石灰を加え、しゃもじでかき混ぜる。やがてねばり気が出てくる。汁を少量、水の中に入れてみて、指で丸められるぐらいの固さになったら、火を止める。
別の鍋に移して冷やせば、砂糖の完成である――
厳重に守られていた薩摩の秘密をどうやって知ったのか、という点については、著書の中では一切触れられていない。人に訊かれても決して語ることはなかったという。
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