同年 寅之助 15歳

 焦りすぎた。意識の外で溜まっていた疲れが、突然爆発した。せめて月に数日、塾の定める放学の日ぐらい、きちんと心身を休めるべきだった。

 しかし、過ぎたことを悔やんでも仕方がない。

 ようやく、ものを考えられるぐらいには回復した。少しずつでも学業を再開しよう。

 ――と、南冥先生がくれた書物を開いた。そのときだった。

 文字がかすんでいる。

 読めない。

 いや、目を凝らせば、どうにか読むことはできるが――。

「嘘だろ」

 視力が落ちている。劇的に。

 その衝撃と、小さな文字をにらみ続けた反動で、倦怠感が倍以上になった。

 文字が読めなくては、学問などできるわけがない。

 今のところ、かろうじて読めはする。文字の大きい書物ならもう少し楽に読めるだろう。

 が、恐らく、この視力は消費する。削れていく。見ようとする行為に、以前は考えもしなかった負荷がかかっている。ろうそくの灯かりなどで小さな文字を読めばたちどころに失われていくだろう。


 この時代にも眼科医はいる。

 しかし、何故か眼科の技術は一子相伝という伝統があり、医師の数が極めて少なかった。どうしても治療を受けたい者は、はるばる医師のもとまで出かけていき、順番待ちのために何日も、ときには何ヵ月も逗留しなければならない。

 肝心の技術も、当然ながら科学的な西洋医学ではなく、経験則に基づくものである。治療の成功率は決して高くなかっただろう。

 端的に言って、目の衰えは受け入れるしかなかった。


 ああ、それならもう、だめだ。

 終わった。何もかも。

 福岡へ戻って南冥先生のあとを継ぐなど到底不可能だし、自分自身の喜びのための学問すらできない。

 学問一筋だった。この道を失ったら、他に何もない。

 中途半端な高さの、鋭く尖った岩山の頂に独り、取り残された。これ以上、昇ることも降りることもできない。

 希望に燃えた記憶は今や真っ白な灰になった。風の中にさらさらと消えていく。

 こんなことなら、学問などするんじゃなかった。

 どうせ十九までの命だ。もうここで終わらせてしまおうか。

「二度目が危ない」

 と、長作先生は言った。

 スズメバチ、どこかに飛んでいないか。

 俺は昔、一度刺されているぞ。格好の獲物だ。ほら、刺しにこい。

 死ねば楽になれる。土になれる。土になって、詩人が一首詠みたくなるような景色の一部に――


 ――ふざけるな。くそ。冗談じゃない。

 あまり根を詰めては目が悪くなると、どうして誰も教えてくれなかったんだ。

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