寛政8(1796)年 徳兵衛 21歳
行く先々で、徳兵衛は百姓たちの様子を紙に書きとめた。それはまぎれもない学問であった。
同じ田んぼでも、村によって、仕事のやり方は異なる。使われている農具も、肥料も違う。働く人々には酷なことだが、優劣があるにちがいない。
父は伊兵衛の伝えた稲架がけを突っぱねた。けれど、あれは意地を張っただけだ。大した手間や資金がかかるわけではなく、稲架がけをしない理由はない。稲の干し方に関しては日田より庄内の方が優れている。
最良のやり方を集めれば、収穫量は必ず上がる。問題は父のように、よその真似を嫌がる百姓が多いと思われることだけれど、それはさておき、まずは自分が各地の技術を知ることだ。
どこへ行っても、伊兵衛は非常にありがたい存在だった。
概して百姓はよそ者を歓迎しないが、
「精が出ますなぁ」
伊兵衛がそう一声かけるだけで、一気に距離が縮まる。話が聞きやすくなる。自分一人ではこうはいかなかった。
旅の中で徳兵衛は、稲作の改良とともに、副業が極めて重要であるという認識を強めていった。
ある村では、畑のすみに
肥後の熊本藩で、一つの理想を見た。徳兵衛にとってはなじみ深いろうそく作りが、藩の指導のもとで行われていたのである。
藩の指導で、空き地という空き地にハゼが植えられた。工場も藩が経営していた。百姓たちはろうそくを作る技術がなくても、ハゼを管理して実を持っていけば、工場で買いとってもらえる。
この頃、ろうそくは灯かりだけでなく、髪油や家具のつやだしにも用いられるようになり、消費が増えていた。ろうそく作りから得られる利益は、百姓の暮らしを楽にしたばかりでなく、藩の財政をもうるおした。
徳兵衛は興奮にふるえた。新しい方法を学び、効率を考え、需要に応える。百姓の仕事は産業なのだ。先祖伝来のやり方にこだわり、百姓とは貧しいものだとあきらめていては、何も変わらない。
ちょうど伊兵衛が最初に貸してくれた路銀も底を尽きかけていたので、しばし留まり、ろうそくの工場で働くことにした。
その間、伊兵衛は伊兵衛で、文字が書けない客に代わって文を書く〝代書〟の仕事をしたり、いつものように子供たちと遊んだりしていた。
「細川さまは偉い」
と、工場の職人たちも、ハゼを売りに来る百姓たちも、みな口々に藩主をたたえた。
熊本藩六代藩主・細川
「働いた分はきちんと賃金を支払ってくださる。それに、ろうそくという選択も見事だった」
「よく売れているようですね」
「それもあるが、それだけじゃない」
「というと?」
「何だかわかるか?」
と、徳兵衛の横で働く職人は嬉しそうに言った。
「いいえ」
と、徳兵衛が素直に答えると、職人はますます嬉しそうに、
「ろうそくは腐らない」
と言った。
新たな発見に、徳兵衛は魅了された。
そうか。腐らないから、遠くまで売りに行けるし、余っても取っておける。副業として作るならぜひそういう作物にすべきだ。
だが、ろうそくばかり作られては値が下がってしまう。傷みにくくて需要のある作物、他に何があるだろうか?
「ほら、手ぇ止まってんぞ」
と注意され、徳兵衛は慌てて仕事を再開した。
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