同年 玄簡

 放学(休日)は月に三、四日。先輩たちは思い思いに過ごしていたが、人より時間がない玄簡は、放学の日も一人で復習をし、書物を読み、詩を練っていた。

 体調にかげりはない。今やすっかり頑健になった。修猷館の人々にとっては、玄簡がかつて病弱であったことなど思いも寄らないだろう。

 が、十九までという定めが消えたわけではあるまい。

 駆け抜けられるようになった――と、思い定めていた。患い、悶々としながら朽ちていくのではなく、存分に学び、その喜びをかみしめながら死んでいける。

 書物を残すとか、大きなことがしたいと、以前は思っていた。今は、死後のことをあまり気にかけていない。気にかける暇がない。読むこと、詠むことが、面白い。

 八月十五日。中秋の名月とされる日。修猷館では毎年、博多湾に小舟を浮かべて、月見を楽しんでいるという。

「たまには休みなさい」

 という南冥先生の言葉もあって、玄簡は久々に、学問から離れて過ごすことにした。今日だけは詩の題材も探すまい。

 亀井両先生の仲裁がずっと先延ばしになっていたが、今宵、輝く月の下でなら、それも叶うかもしれないと、玄簡は考えていた。


 夕闇の中、修猷館の面々は、五艘の小舟に分かれて乗りこみ、漆黒の博多湾へ漕ぎだした。

 南冥先生は当然のように玄簡を自分の舟に乗せた。

 昭陽先生も一緒に――と、玄簡は思ったが、大人たちと年長の先輩たちは別々の舟に乗ることになっているようであった。

 南冥先生は屋台で買ってきた団子をつまみに、徳利から直に酒を飲んでいる。

 沖へ出ると、各船、提灯の灯かりを落とした。

 光がほとばしるような満月であった。杵をつくうさぎの模様がはっきりと見える。

「月へ行ってみたいと思いませんか」

 と、だしぬけに南冥先生が言った。

 驚いた玄簡は、

「月へ、行く?」

 と、おうむ返しに言った。

 そもそも月が場所であると、今まで考えたこともなかった。

「地球儀を見せたことがあったでしょう」

「はい」

「月もきっと地球のような玉の形をしていて、人が住んでいるのだろうと、私は思っているのですよ。あちらから見ればこの地球が月のように見えているはずです。そして、遠い異国の船が日本へやって来たように、いずれ地球と月の間でも行き来が始まるでしょう」

「しかし、月は天にあります」

「ええ。数十年では無理でしょうが、数百年あればわかりません。今からおよそ千七百年前、志賀島の金印を漢の国から授かった頃、日本人はこんな未来を想像もしていなかったはずです。彼らはまだ鉄さえ知らなかった。刀の切れ味を見たら、妖の仕業とでも思うでしょう。人間の技術は進歩しています。この先千年のうちには、きっと空を飛ぶ乗り物が作られ、月へも行けるようになります」

「では、先生。月と我々、どちらが先に相手方へたどり着くか、競争ですね」

 と、玄簡が言うと、南冥先生はそれには返事をせず、ただ玄簡をじっと見た。

 何かまずいことを言ったのだろうか。

「やはり君は賢い。その通り。先んじるべきです。異国との交易を長崎に限って、長い間自分たちの殻に閉じこもっていたこの国は、世界ではすっかり遅れを取っています。そこへきて、朱子学以外は学問と認めないなどと、狂気の沙汰です」

 朱子学派の批判であるのに、南冥先生の目が穏やかなままであることを、玄簡は不思議に思った。

「玄簡くん、あなたはいずれ、家業を継ぐのですか?」

「内山の父のことですか?」

「いえ、それは姓を借りているだけでしょう。実家は日田の掛屋でしたね」

「はい。しかし、父は弟に継がせようと考えているようです。私には、思う存分学問をしてこいと」

「そうですか。では――」

 南冥先生は一口、酒をあおると、

「――私のあとを継ぎませんか?」

 と言った。

 静かな海上で、その声はよく通った。

「……南冥先生のあと取りは、昭陽先生でしょう」

 と、玄簡には、当たり前のことを言うのが精いっぱいだった。

「あれはだめです。朱子学派に迎合しています」

 と、南冥先生は、今度こそ氷のような冷たい目で言った。

「ですが、学問で身を立てようとする以上、やむを得ないことなのでは」

「徂徠学派は必ず復活します。異国が本格的に日本に迫ってくれば、いつまでも伝統ばかり守っている場合でないと、幕府も気づくでしょう。恐らく数十年以内に、流れが変わります。その時、玄簡君、あなたに、徂徠学派の先頭に立ってほしいのです」

 玄簡の中では、光栄さよりも、不安が勝っていた。

 同じ舟の先輩たちには、間違いなく聞かれている。聞かれてもかまわないというつもりなのだろう。

 けれど、昭陽先生には? 舟の位置はそう離れていない。潮騒が遮ってくれているだろうか?

「いかがですか」

「……」

 昭陽先生の様子を窺いながら、玄簡は考えた。

 亀井南冥の後を継ぐ。学問を志す者には、このうえない大出世である。

 いつか金吾と討論をした時、自分は自然と徂徠学派に近い考え方をしていた。ここで南冥先生の誘いを受けるのは、四極先生や金吾には自然なことと思えるだろう。

 けれど、そもそも学派というものについて、玄簡は引っかかるものを感じている。いがみ合うばかりで、対話がない。相手の考え方は間違っていると決めてかかり、自分を省みない。

 心情的には徂徠学派に寄っている。が、朱子学派への憎しみという「古いもの」にいつまでも固執しているのでは、朱子学派と同じではないかとも思う。

「今すぐに決めなくてかまいません。ゆっくり考えてください」

 南冥先生の言葉に玄簡が返事をするより先に、笛の音が聞こえてきた。

 吹いているのは昭陽先生だった。

 本職の楽士にもひけをとらないという噂に違わず、透き通るような、見事な音色。

 玄簡は安堵した。南冥先生の話が聞こえてしまっているのではないかと思ったが、この様子なら、どうやら杞憂だったらしい。

 昭陽先生の横笛の音は、舟の揺れと同調し、ときに相克し、複雑なうねりを伴って玄簡の耳に響いてきた。

「……?」

 不意に、奇妙な想像が浮かんだ。

『御伽草子』を題材にした祇園祭の山鉾。まるで生きているかのような、精巧で力強い源頼光の人形。その首がぽろりと落ち、竹ひごで組まれているはずの胴体から血が噴き出した。酒呑童子の人形が動き、醜悪な口を大きく開いて、血まみれの頼光の上体にかじりついた。

 強烈な吐き気に襲われ、玄簡は海へ身を乗り出し、こみあげてきたものを吐いた。その嘔吐が終わらないうちに、硯で殴られたかのような頭痛が生じ、腕の力が抜け、耳の横を舟べりに強く打ちつけながら倒れた。

 全身が震える。視界がかすむ。心臓があばらの外へ出たがっている。

 猛烈な耳鳴りの向こうで、南冥先生や先輩たちの声がする。

 玄簡。大丈夫か、玄簡。

 げんかん?

 誰だそれは。

 俺の名は寅之助。

 いや、俺は頼光。

 まだ志なかば。愛刀童子切安綱にかけて、こんなところで力尽きるわけには……。

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