同年 玄簡(寅之助) 14歳

 何もかもが珍しく、心が躍った。

 福岡城。初めて見る「城」。秀吉が朝鮮攻めの時に手を焼いた「晋州城」を参考にして建てられたものだという。軍記物の好きな玄簡は、素人ながらに、この城を落とすのは確かに難しそうだと、想像して楽しむ。

 初めて見る「城下町」。商人が中心で和やかな日田と比べ、空気がどことなくきりりとしている。道場のそばを通った時、中から聞こえてくる激しい物音に、思わず聞き惚れた。木刀でのチャンバラごっこや素振りしかしたことがなかった玄簡は、竹刀での打ち合いがこれほど凄まじい音を立てるということを知らなかった。

 そして、初めて見る「海」。日田盆地に住む玄簡にとって、風景の一番奥には、いつも当たり前のように「山」があった。福岡の北には、その山が、ない。限りなく広く、常に動き、不思議な香りがする。地図の上でしか見たことがなかった。この国はこんなものに囲まれていたのかと思うと、それこそ海原のように、視界が開けていくのを感じる。


 修猷館で受ける指導も刺激的だった。

 句読にこだわらず、解釈を重視するという意味では、四極先生の教え方に近い。

 規範となるのは「服労・徳班・責善」。机上の空論をこねくりまわすのでなく、世の中の役に立つ学問をしようと、最初に教えられた。金吾が「医者を目指す」と決意したのは、この方針のもとで学んでいた影響もあったのかもしれない。

 厳密に言えば、金吾が学んでいた亀井塾は潰されてしまってもうないのだが、同じ亀井家の学者が指導しているのだから、学風は亀井塾を踏襲していると見ていいだろう。

 玄簡を夢中にさせたのは、「奪席」と呼ばれる討論会だった。漢文を読みあげ、ある部分の解釈について二人が討論し、審判役に勝ちを認められた者は、一つ上の「席」に移動する。すなわち、席順で優劣があらわになる。はじめはずっと末席だった。それが悔しくて、励んだ。強い人を観察した。初めて席を奪った時の喜びは格別だった。

 修猷館は、良くも悪くも、生徒に委ねられている。規範はあっても規則はなく、罰則もない。奪席で負けても席順がさがるだけで、何を言われるわけでもない。長福寺にいた頃、元俊先生が皆の前で徳兵衛を叱ったのは、一種の優しさだったのかもしれないといまは思う。修猷館は遅れる者を救わない。素行が目にあまる者は、指導されるのでなく、退学となる。

 玄簡が入学してすぐの頃、色々と親切にしてくれた先輩がいたが、やがて万引きだの覗きだの、悪い遊びに誘われるようになった。断ってもしつこく誘われた。それがある日、突然いなくなった。退学になったのだと、他の先輩が教えてくれた。

 合理的ではある。ただ、少し冷たいとも思う。

 四極先生は、玄簡の気分が優れず、学問に身が入っていない時、

「おら、シャキッとしろ」

 と、喝を入れてくれた。おかげで怠け心は吹き飛んだ。

 修猷館に四極先生のような指導者や先輩はいない。諭さず、追い払う。

 その冷たさは、亀井南冥先生の気質によるものかもしれない。


 玄簡は南冥先生に贔屓された。あからさまだった。幸い、ねたんで嫌味を言ってくるような先輩はいなかったが、玄簡の方では気兼ねした。

 南冥先生は、誰が相手でも丁寧な言葉を使う。玄簡や生徒たちにはもちろん、実の息子である昭陽先生にまで敬語なのには驚いた。酒好きで――玄簡が気に入られていたせいかもしれないが――いつも穏やかだった。

 ただ、朱子学派を批判する時には、ぞっとするほど冷たい目になった。自分の塾を潰されたのだから不自然なことではない。とは言え、その変貌ぶりには目を見張った。

「彼らはクズです」

 と、語尾だけは穏やかなまま、刃物で刺すような言い方をした。

 また、どうやら昭陽先生を煙たがっているらしいことに、玄簡は気づいた。昭陽先生が何か話しかけても、南冥先生はごく短い返事しかしない。南冥先生から昭陽先生に話しかけることは滅多にない。自分で言えば済むような言伝を頼まれたことも何度かある。

 あの親子の間柄について、藤左仲ふじさちゅうという古株の先輩に尋ねてみた。

「南冥先生はあまのじゃくなところがあるからなぁ」

 と、左仲は言った。

「亀井塾を潰されてしばらくは、そりゃもうひどい有り様だったんだよ。一日中酒を飲んで、ぶつぶつ恨み言を言ってばかりいた。いまの先生からは想像もつかないだろ」

 玄簡は頷いた。

「そんな南冥先生を、昭陽先生はかいがいしく世話してた。よく嫌にならないなって感心したよ。もし昭陽先生がいなかったら、南冥先生はとっくに体を壊しててもおかしくなかったと思う」

「では、なぜ南冥先生は昭陽先生を避けるのでしょうか」

「だから、あまのじゃくなんだよ。正面切って感謝するのが恥ずかしいんだろ」

 左仲は玄簡の二つ年上。二十人いる生徒たちの中で、句読の覚えは一番遅いが、奪席では常に主席という、不思議な少年だった。

「そうだ。君が仲裁してやればいいんじゃないか?」

「はい。できれば、そうしたいと考えています」

 玄簡には南冥先生の気持ちがわかる。

 土蔵の二階で腐っていた頃、友達がみな疎遠になっていく中、安利と金吾だけがずっと声をかけ続けてくれた。今思えばあの二人にはずいぶん助けられていた。なのに、当時は邪険にした。

「頼むよ、玄簡。君が来てくれてよかった」

 自分も南冥先生も、この左仲のように、温かい心をさらりと伝えられればよいのにと、玄簡は思う。

 左仲をはじめ、修猷館では仲間に恵まれた――好ましくない仲間が退学になったせいとも言えるが。今まで学問の友と呼べるのは金吾しかいなかっただけに、非常に喜ばしいことだった。

 南冥先生と昭陽先生は、何と言っても実の親子なのだから、仲裁はそう難しいことではないだろう。

 と、この時点では、気楽にかまえていた。憧れの遊学は、まだまだ続くはずであった。

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