Chapter.4 Rose

 狂気とは、他人から理解されない。狂人もまた、他人から理解されない。だが狂気も狂人も、本人にとっては別段普通のことでしかない。故に。自分が普通のことだと思っていても、他人から見ればそれは逸脱した行動にしか見られない。

 それでもなお、その行動を続けるのには、理由がある。何故ならば


 ───それが当人の『』だからである。


 普通はその人間が生きていた環境の中で形作られる物差しである。例え世間の普通が当人の普通と違っていても、当人にとってはそれまで生きていた上での『普通』が当たり前なので、世間の普通を突きつけられても理解しがたい。周りがおかしいだけであり、自分の『普通』が『当たり前』なのだと。

 普通ほどこの世で便利な言葉はない。普通と言ってしまえば、それらはすべて『当たり前』になる。たとえ自分ができていて他人ができなくとも、またはその逆も然り。『普通』ならば仕方ない。それが当たり前なのだから。べつにいいじゃないか。それでまかり通ってしまう。


僕はこの言葉が嫌いなんだよねえ」


 ばさりとそれまで読んでいた本を投げ出した。投げ出された本は、読まれていた部分を下にしてぐしゃりと地面に落ちた。それをつまらなさそうにと、ため息をついて椅子にもたれかかる。

 外はきれいに晴れていた。柔らかな日の日差しは、彼───廻間の部屋に差し込まれていた。暖かく、彼の部屋を優しくてらしてはくれるが、今の廻間にとっては鬱陶しいものでしかなかった。窓につけられていたカーテンを閉める。


「あー……暇だわ」


 読んでいた本を投げ出した途端、特にやりたいこともなくなってしまった。凪を呼び出そうにしても今日は学校に行っているし、嵜はきっとネトゲにハマっているか、寝ているかのどちらか。そんな嵜を無理やり呼び出しても、いいことはひとつも起こらないだろう。一縷は呼べばきてくるだろうが、特にさせたいこともない。曙は論外だ。


「学校で何してんのかなー……」


 そんなことをつぶやいてみるも、拾う者は誰ひとりとしてもいない。





 「という所で時間が来たから今日はここまで。各自復習しとけ」


 四角い部屋の中、人が密集された空間で鐘と思しき音が鳴る。その中にいたひとり──凪は、ペンを置いてそれまで広げていたノートとテキストを閉じる。

 ここは、県立 桜庭さくらば高等学校。偏差値は中の中から上あたりの至ってな学校だ。そこに凪は高校3年生として毎日通っている。本来ならば嵜も、この高校に通っているはずだったのだが、生憎本人が『あの様子』なのでそれは叶わなかった。凪としては少し複雑なようだが。


「あー終わったー、次なんだっけ?」

「古典だな」

「うわ、ヤマナカじゃん…眠くなんじゃん絶対」

「飲むか?」

「いや俺凪みたいにブラックコーヒー飲めねえから」

「じゃあこっちでも食っとけ」

「お、ガムじゃんサンキュー!」


 前の席の男子生徒が凪の方へ振り向き話しかける。それとなく返答をしながらガムを1枚差し出すと、例を言いながら受け取り、それを口にほおばった。


「くっそ辛いけどな」

「んぐっ!?」


 ついでのようにそうボソリと付け足すと、数秒しない後に男子生徒は苦悶の表情を浮かべて口を押えた。何も言わずにティッシュを差し出すと、さっとそれを取ってそれの中にガムを吐き出す。心做しか息切れしているのは気のせいだろうか。恨めしそうに凪を見やる。


「さ、先に言えよ…」

「何も聞かずに食ったのお前だろ」

「いやそれでも先に言えよ…」

「でも目は覚めたろ」

「お蔭さまでな!嫌なくらいにぱっちりだわ!」


 それならいいだろと凪は言うが、男子生徒は口の中ビリッビリだわ!と文句を言う。しょうがない、次からは別のを出してやろうと思った。


「つかさー、ぶっちゃけ凪って好きなやつとかいんの?」

「唐突すぎんだろ、さっきまでの勢いどこいった」


 さて次の授業の準備でもするかと思い、テキストとノートを準備し始めたところで、思わぬ爆撃を食らう。当の本人は水を飲んで少し回復したらしく、「すごく気になる」と顔に出しながら問いかけてきた。もちろんその男子生徒は準備などひとつもしていなかったが。

 凪はため息をついて答える。


「いねーよ」

「まぁたまた!1人や2人いるだろ?ん?ん?」

「それ聞いて何すんだよ…」

「これをいい機会に立っても座っても黙っても喋っても腹立つレベルで女子共にキャーキャー騒がれる、スーパーウルトライケメン凪の弱みを握ろうと思って」

「バカだろ」

「アダッ」


 なんとも醜い恨みの籠った言葉をつらつらと並べる。それに対し凪は若干呆れたような声で言いながら、男子生徒の額に無慈悲なデコピンをくれてやる。それが結構痛かったようで、打たれた額をおさえつつ暴力反対!と訴えた。


「くそー、でもいいなって思う女子はいるだろー?ほらうちの学級委員長とか」

「……あぁ、薬袋みない?」

「そうそうそう!美人だし何やっても優等生だし」

「何やっても優等生ってお前な」


 ちらりとその学級委員長である薬袋という女子生徒を見やる。

 薬袋みない つばさ。彼女は、凪の所属するクラスの学級委員長である。品行方正で文武両道。学校行事にも積極的に参加し、リーダーシップ力のある、今どき珍しい絵に描いたような学級委員長だ。何かしら問題を起こすような素振りもなく、教師陣からも高い評価を得ている彼女は、男女共に好かれやすい性格をもしている。弱点という弱点は一切ない、まるで本当に───


「(完璧な人間…)」


 そんな彼女を、凪は少しだけ苦手としている。そんな人間なんているわけが無いのに、どうしてああも存在できているのだろうかと。


「(どっかしら人間は本性をむき出しにすることがある。)」


 その時、件の薬袋と目が一瞬あう。彼女は少しだけ微笑み、凪に向けて会釈をした。それに対し、凪はひらひらと手を振るのみ。笑いかけはしなかった。


「凪?」

「お前授業の準備はいいのか。あと2分だぞ」

「げっ!」


 やべえやべえと焦りながら、男子生徒はようやっと机に向き直る。これでよく分からない攻撃を受けることもないだろう。ため息をついて、差し出していたはずのブラックコーヒーを飲んだ。


 妙にを受けながら。





「『謎の行方不明者続出』…ふむふむ?」

「わざわざ私の部屋に来てまで読むか」

「たまにはいいじゃん」

「とても良くない」


 時を同じくして、嵜の部屋。薄暗い彼女の部屋に今日は珍しく廻間が来ていた。廻間は適当な場所に腰掛けると、いつの間にか手にしていたタブレットで興味深い記事を見つけたのか、ふむふむと読み始める。それを心底鬱陶しそうに嵜が言外に出てけと言うが、そんなことは知ったこっちゃないと居座る。

 廻間が目にしたのは、最近地元で増えているという謎の行方不明者という記事。ターゲットは皆、若く健康的な女か男。それも少しふくよかな、という点が共通しているらしい。必死の捜索も虚しく、ほとんどが手がかりゼロ。痕跡すら掴めていないらしい。


「これは匂うねえ、匂いまくりだねえ!」

「風呂入れや」

「僕じゃないから!違うから誤解だって!」

「そんで次のが見つかりそうだって?」

「んま!察しのいいこと。でもまだ確定したわけじゃないよー」

「へーさっさと調べてきなよ」

「他力本願!」


 嵜は相変わらず布団から出ずにひときわ大きいモニターに向けて、コントローラーをガチャガチャ動かしていた。目線はずっと一点のみ。


「流石に電気つけようよ…」

「つけたいなら付ければ」

「視力今以上に悪くするよそれじゃあ……」


 溜息をつきながら廻間は部屋の電気のスイッチを付ける。少しばかり眩しさに目を瞑るが、それも直ぐに慣れる。これで少しはタブレットも読みやすくなるかなと安心した。


「さーて続き続き……って、ん??」


 満足した廻間は元の位置に戻ると、タブレットを操作して記事の続きを読み始める。しかし引っかかる単語を端に見つけ、そこで手が止まった。

 『行方不明者の中に県立桜庭高校の生徒も含まれている』という一文。桜庭高校といえば、凪が現在通っている高校だったはずだ。その高校から行方不明者がいるらしい。


「いやたまたま偶然ってこともあるけど……うーんなんか妙に嫌な予感するなー」

「桜庭高校なら妙に嫌な奴いたよ。ちらっと見ただけだけど」

「えっ追突すぎるけどマジ?つかいつ見たのさ」

「ロケテやってるゲーセン行く途中でコンビニ寄った時に、それっぽいのを」

「どんな人?」

「メアリー・スーみたいな」

「オッケー詳しいことは凪から聞こうか」

「すげー分かりやすく言ったつもりだけど」


 何か有益な情報が得られるかと思いきや、予想もしなかった答えが返ってきたため諦める。それに対し嵜は不服な声とともに、盛大な舌打ちをかます。わざわざしなくても、と思ったがここで反論しようものなら、確実に話が長くなるなと踏んでやめる。そうなるなら情報を集めてた方が良さそうだ。


「(あとで一縷にも頼むか)」


 廻間は記事を閉じて、嵜の部屋からそそくさと出ていった。


「……電気消してけや」

「アッ、ごめん!でも視力悪くするから電気つけてゲームしなさい!」





「というわけで一縷よろしく」

「わかりました」


 自室に戻ると早速廻間は一縷を呼び出し、一連の事件について調査するように命じた。詳細を承諾するとすぐに一縷は外へと出る。あとは帰ってくる凪に色々と話を聞いて見よう。そう思った廻間は軽く伸びをして、そこにいるであろう人物を呼び付ける。


「趣味悪いね曙」

「君ほどじゃないけど」

「んでなんの用?」

「ああ、さっきまで話題になってた謎の行方不明者続出事件なんだけど」

「え?何?もう情報掴んでんの?」

「いやそうじゃなくて、それと同じくらい気になるのがあって」


 どこからともなく現れた曙は、手にしていたタブレットを操作して、廻間にある記事を見せる。


「……『の殺人鬼』ぃ?」

「噂になってる程度だけど。なんかそういう話が出回ってて、もう記事にもなってるみたいだから話しておこうかと」

「食人鬼ってことだよね?一体どこからそんな話が…」

「なんかしきりに騒いでた人がいたみたいなんだ。『人喰いだ、人喰いに殺される』って」

「えぇ……」


 曙から話された内容を理解すると、廻間は心底呆れたような間抜けた声を出す。まるで人喰いの現場を本当に見たかのような言葉じゃないか。というかその程度で記事にするとか、よっぽど暇なのかネタが無いのか。

 とか思っていたらとんでもない爆弾が待っていた。


「その叫んでた人、行方不明になってて足取りつかめないみたいだよ。桜庭高校の生徒さんらしいけど」

「それを早く言えー!」


 がたっと勢いよく立ち上がる。それに吃驚しつつも曙はどうどうとおさえる。なんてこった、これ凪やばいんじゃないのか?


「騒がしいぞお前ら何やってんだ」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てていたのが聞こえていたのか、いつの間にか帰宅していた凪が無遠慮に入ってくる。はて、と廻間は首を傾げた。今はまだ凪が帰ってくるような時間ではないはずだが。なんでこんな早く帰ってきたのだろうか。もしかして体調が悪いとか、だろうか。


「謎の行方不明者続出事件だっけか。それにうちの生徒が何人かいたらしくてな。授業切り上げて全員帰宅だとよ」

「ああ、なるほど」

「まあ僕達もさっきまでその話してたんだけど」

「は?なんかあったのか?」

「いや凪のとこの学校の生徒さんが巻き込まれてるから見過ごせないなと」

「んで?俺になにか話を聞こうとでも思ってたのか?」

「察しが良くて助かるよ…嵜もだけど。『メアリー・スーみたいな生徒』ってわかる?」

「は?メアリー・スー?」

「嵜が、『桜庭高校になんか嫌な奴がいた』って言ってたから特徴聞いたらそれだって」

「メアリー・スーって確か二次創作で言う、品行方正でなんでも出来て、周りの人間からも厚く慕われていて、そいつが死ねば誰もが涙するって言う、原作ぶちこわしキャラクター…のことだよな」


 そんな奴いたか?というか例えがマニアすぎるだろ。そう思いつつも周りの人間にそんな人物がいるか考えてみる。ぽんぽんと何人か浮かんだものの、そこまでの人間ではないと判断して切り捨てる。そうして残った人間が、『ひとりいた』。

 品行方正で文武両道、男女問わず人気で教師陣からの信頼も厚い、そして積極的に行事に参加し、まるで絵に描いたような優等生。


「……薬袋か?」

「えっ!?マジ!?桜庭高校にメアリー・スーいんの!?」

「メアリー・スーはもういいだろ。そんでなんで薬袋がそれと繋がるんだ?」

「いや何となく気になったから聞いてみただけ」


 はあ、とため息をつく。


「(そういやあの…何だったんだ?)」


 ふと凪は思い出す。授業が始まる前、薬袋と一瞬だけ目があったあと。どこかからか妙な視線を、ちくちくと受けた。それも獲物を狙ったかのような視線。上等な肉を見つけたかのような、それも


「(……薬袋がいた辺りから来てたような気がするが)」


 まさか薬袋が、その例の行方不明者続出事件の犯人だったりとか───


「(さすがに考えすぎか)」


 頭を振ってその考えを打ち消した。そうだとしても早合点がすぎる。今は考えるのをやめよう。何をしたって結論は出てこないだろう。


「じゃあ俺は部屋に戻るから」

「あ、はーい」


 そう言って廻間の部屋をあとにした。妙な胸のモヤモヤは無くならなかった。



 凪は知らない。目があったあと、彼女がどんな目で見ていたかなんて。

 彼女、薬袋の目は一切───なんて。





「ところでよくメアリー・スーなんて通じたね?」

「嵜のせいだ」

「その嵜、電気つけないでゲームしてたけど」

「わかったあとで締めとく」



続く

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