Roleplay-2

 今の嵜にとって、布団の中というのは居心地が良かった。つい先程のカモミールの効果もあってか、うつらうつらとゆめうつつ。目はすでに閉じていたが、このままの状態でいれば、とぷんと現実も何も関係ない夢の中へともぐれるだろう。布団はじんわりと暖かくなり、嵜をゆるりと包み込む。それはまるで、懐かしいあの『腕の中ぬくもり』のように。


「……」


 嵜の意識は、海の中へ。





 次に目が覚めた場所は、不思議な空間であった。周りはぬいぐるみでいっぱいで、自分は似つかわしくない、フリルがふんだんにつけられた、可愛らしい服を着ていた。メガネはなく、視界はいくらかぼやけている。

 ここはどこなのだろうか。これは夢なのだろうか。そもそも思考がはっきりしているから、多分これは『明晰夢』とかいうやつなのだろう。嵜はそう結論づけて、改めて周りを見回す。

 見れば見るほど、現実感がない場所だ。ぬいぐるみはたしかに所狭しとそこかしこに詰められてはいるが、全部が全部後ろ向き。嵜には背中しか見えないようになっている。上を見れば水晶だろうか、それらしきもので天井ができていることがわかる。当然のことながら、自分の姿がうっすらと映っていた。そして改めて真正面を見れば、いつの間にやらそこには幼き姿の───


「……え」


 、『自分自身わたし』がいた。


『   』


 そいつはいまに向かって、何かを伝えようと口を開く。その表情は一切読み取れない、無表情で。じっと見つめている。真っ直ぐに、ただただ真っ直ぐに。瞳の奥は、ぞっとするほどの冷たさがあり、口元はひたすらに同じ形を繰り返している。何を伝えようとしているのだろうか、こいつは。

 嫌な汗が背中を伝う。そいつから目をそらそうと、ぬいぐるみたちの方へ視線を避けると、視界に入ってきた光景に戦慄した。


「なんで……?」


 それまで背中を向けていたはずのぬいぐるみたちは、いっせいに嵜の方へと顔を向き直していたのだ。心なしかぬいぐるみたちの目も、じっと嵜を見つめているかのようだ。表情こそ変わらないものの、視線が嵜を、確かにしている。凶器など持っていないのに、視線だけで殺してこようとする。

 どこに視線を向けたとしても、こちらを見てくる。視線でこちらを殺そうとしてくる。つう、と嫌な汗が頬を伝う。


『  い  は』

「え」


 突如、目の前の幼き自分自身が、ようやく聞き取れるレベルの声を出してきた。その声も自分自身で、とてつもなく嫌になる。とぎれとぎれに聞こえてくるその声は、どちらかというとをしているかのように聞こえた。そして、ようやくはっきりと、全文が耳に入った。


『 あいつ は ふたり いる 』

『 かたほう は ふこうのこ もうかたほう は あくまのこ』

『 あくま を おまえ は しっている 』


 その瞬間、その言葉が完璧に耳に入った瞬間。ぬいぐるみたちの腹が割かれ、黒い手がぶわっと嵜目掛けて襲いかかる。その黒い手は嵜と、目の前の『そいつ』をくらい、引きずり込んでいく。やがて黒い手は『黒い海』となり、嵜はだんだん呼吸が苦しくなっていく。それどころか、黒い海から何かが伸びて、嵜の首を締め付けている。夢の中とわかっていたとしても、苦しい。

 必死に腕を伸ばす。どこかへともわからず、腕を伸ばし手を広げる。上へ、上へ、どっちが上とかもうわからないけど、上へ。嵜は必死に腕を伸ばして───


 その手が『誰よりも安心する手』に掴まれた瞬間、嵜の意識は落ちた。





 次に目を醒ましたとき、まっさきに視界に飛び込んできたのは自室の天井だった。布団は少しばかり整っていて、顔だけをパソコンの方を見やれば、とっくに画面は真っ暗になっていた。


「ん?何か重…」


 そんな時、片側にずっしりとした重みがかかっていることに気が付き、そちら側を見やる。するとそこには


「……ぅん」


 ジャージ姿の兄である凪が、自らの隣で呑気に寝ていた。


「……はっ?」


 状況が理解できず、つい声を出してしまう。なんで凪がここで寝てるんだ、というかいつの間にいたんだ。ああ、それにしても腹が立つほど整った顔をして寝ていやがる。こんなのが自分の双子の兄だなんて正直腹が立ってくる。

 そうこうしているうちに、もぞりと凪が動いた。目元がピクリと動き、うっすらとこちらを見ているようだ。おそらく寝ぼけてはいるのだろうが、凪は嵜を視認すると、さき、と呼んだ。だが返事はしない。前に見た情報で、寝言に返事をすると脳にダメージがいく、というものを覚えていたからだ。だからあえて返事はしない。凪の次の言葉を静かに待つ。


「……おまえ、ねぞう、わるすぎ」


 そう言いつつ顔を歪ませると、またまぶたを閉じて寝てしまった。しばらく何を言われたか認知できなかったのか、嵜は呆然とする。が、ようやくはっきりとわかったようで、無性に腹が立ってきた。


「……蹴落としてやろうか」


 聞こえるようにそうつぶやいてみるも、凪は全くの無反応。もう嵜の言うことなど受け付けていないくらいには、夢の中へと落ちていたらしい。最早これ以上何を言おうとも無駄であろう。

 そう判断した嵜は大きくわざとらしくため息をついて、また布団の中へと潜り込む。耳の近くで凪の寝息が聞こえてきて、若干うざったい。けれど、それのおかげで少しはマシな夢を見れるかな、と、自分でもおかしいとは思いつつも、期待してしまう。


「おやすみ。『凪兄にいさん』」


 久しぶりに、その名を呼んで。手は世界で一番安心するなぎの手を握って。





「嵜の様子はどう?」

「お休みしていますね」

「そ。ならよかった」


 同時刻、廻間の書斎にて。部屋の主である廻間と、そこに招かれた一縷が他愛もない話を広げていた。手には一縷が入れたものであろうカモミールティー。壁にかけられていた時計はとっくに、深夜を回っている。外の月明かりが部屋をぼんやりと照らし、幻想的な雰囲気を作り出す。

 その中で廻間がもう一つ手にしていたものがある。それは古びた写真立てのようで、その中には一枚のやや色あせた写真が入っている。顔は白い紙によって覆われているため、表情の移り変わりはわからないものの、その写真立てを撫でる手は、何かを懐かしむような、求めるようなものであった。


「その写真、いつのです?」

「ん?ああ、多分2人が幼い頃のじゃない?」

「凪くんと嵜ちゃんのことですか」

「うん。いやあかわいいねえ」


 廻間がそう言って一縷に見せた写真は、今よりかなり幼い2人が映されていた。凪は若干表情が固いものの、しっかりと目線をこちらに向けている。対して嵜は、今では考えられないほどの、満面の笑顔を浮かべてピースサインをしていた。その写真を見て、一縷の自らが纏う空気がほんのりと和らいだ。


「たまたま見つけてさ。可愛くってつい持ってきちゃった」

「どこからです?」

「『開けずの部屋』」

「ああ。あの部屋ですか」


 廻間から飛び出たその言葉に、さも当たり前のようにかえす一縷。それがどうしたと言わんばかりだ。開けないから開けずの部屋。。一縷にとってはその程度の認知でしかない。


「あの部屋を、随分立つけどさ。ちょーっと興味あって入っちゃったんだよねー。まーもちろん中はきれいにされてたけどさ」

「きれいにされてなきゃ、おかしいでしょう」


 そう言い合い2人が思い出すのは、随分昔に起きた殺人事件。今となっては家だが、その昔この建物が『別荘』として扱われていたときの話だった。

 当時初老のメイドが、その部屋を掃除中に何者かの襲撃にあい、そのまま滅多刺しにされ殺害。遺体は特に何も施されず、犯人はその場から逃走。その犯人は未だ捕まっていない。

 開けずの部屋は、そんな凄惨な事件が起きた部屋なのである。だからこそ、廻間はその部屋を『閉じた』。『傷口』が、えぐられないように。とは言ってもそんな事件が起きた部屋がある別荘だったものを、家として変えるのはいかがなものか。


「仕方ないじゃないここしかなかったんだもの」

「廻間さん?」

「なーんでーもなーい」


 自らの問に自ら声に出して答えた廻間。そんな様子は一縷にとっては不思議なものに見えたようで、張本人に問いかける。だが廻間はさらりと流した。別にどうということでもないものだから。


「嵜、朝には元気になってるといいね」

「凪くんも添い寝していますし、大丈夫じゃないですか」

「というか、あの年になって兄妹で一緒に寝るって、すごいね…」

「それだけ仲がいいんですよ」


 柔らかな談笑をするうちに夜はふける。カモミールは朝の訪れとともに消えていく。





 ゆっくりと目が開かれる。目の前には未だ夢の中にいるであろう、自らの兄。時計を見ればとっくに朝の6時を回っていた。そういえば今日は平日じゃなかったか。なら目の前にいる凪を起こさなければならない。あいにく自分は、学校には行きたくないので、今日も今日とて部屋に引きこもるのだが。


「……起きろー、学校でしょー」


 ばしばしと叩いてやる。それのおかげかわからないが、凪は多少身じろぎをしてゆっくりと目を開ける。顔は急に起こされたせいか不機嫌一色ではあったものの、嵜の顔を認知すると、ふっとその色をなくす。腕を動かし目を擦り、あくびをして体を起こす。

 そして嵜の頭をサラリと撫でる。


「はよ……」


 ややかすれた声で凪は言う。頭を撫でられるなど、もう何年ぶりだろうか。嵜は突然のその凪の行動にビタリと固まった。その後辛うじて出たのは、たった3文字だった。


「な、何を」

「ん……一縷から聞いた。お前がやたら魘されてるから、どうにかしてくんねえかってよ……んで具体的に何すりゃいいんだって聞いたら、添い寝しろって言われたから……した。そんだけ」


 なんと、添い寝はあろうことか一縷からのアイデアだったらしい。添い寝なんて普段自分からしそうにない兄が珍しく潜り込んできていたのはそのせいだったのか。あとで一縷に色々と言わなければならないらしい、と嵜は思った。


「つか、お前寝相がやばくなるくらいに魘されてたぞ。なんの夢見たんだ?」


 段々と言葉がはっきりしてきた凪が、訝しげに嵜の顔を覗き込む。当の嵜は目を少し伏せてひとつ深呼吸をして、一言。


「ネトゲのアプデしたらOSがぶっとぶ夢見てた」


 とだけ。何言ってんだお前?と返した凪を尻目に、嵜はまた布団の中へと潜り込んだ。なんだかとても眠い。あれだけ眠れなかったのに、ものすごく眠い。

 本当はそんな夢なんて見ていない。とてつもなく嫌な、怖い怖い夢を見た。なんてことはどうしても言えなくて。それが羞恥心か、恐怖心か、それともからくるものかはさておいて。凪や廻間には、あの夢の内容は言いたくない。嵜の中のが『言うな』と言っている、気がする。だから、言わないままでいようと決めた。


「二度寝」


 それだけいって、嵜はまた眠りについた。

 アプデでOSが吹っ飛ぶのも怖いけど、自分でいられなくなるのはもっと怖い。だから。


 ───今だけは、なんの夢も見ないでいたい。





「……お前、嘘つくのは下手なんだな」


 深い眠りについた妹を見て、凪は一言。本当は気づいていた。嵜がその程度の悪夢では済まない夢を見ていたことなど。魘されていた時の顔と、苦しそうな寝言を凪は知っている。すっと嵜の方へ手を伸ばし、さらりと撫でる。

 昨夜、さて眠るとするかと床につくまさにその瞬間。どこからともなく一縷が音もなしにやってきたのだ。慣れてはいるものの、流石に多少なりとも驚いてしまい、消そうとしていた小さな明かりをごとりと落としてしまう。


「凪くん。実は」

「ちょっと待てその前に明かりを拾わせろ」


 凪は話をしようとする一縷を制止して、落としてしまった明かりを拾い上げる。ふう、とひとつ息をつくと、何があった?と先を促した。


「はい、実は嵜ちゃんが」

「嵜が?」

「随分と魘されている様でして。凪くん助けてあげてください」

「いや助けろって具体的にどうすりゃいいんだ、おこしゃいいのか?」

「いえ、そうでなくて。添い寝してあげてください」

「……はぁ?」


 なんでこの歳にもなって添い寝なのだろうか。もっと他に方法はないのか。べつに魘されているのならば、起こせばいいのではないか。そう反論したが一縷の考えは変わらなかった。


「たとえ起こしたとしてもそれは一時的な逃避に過ぎません。また眠りについたとき、同じ夢を見ないとも限りません。ですから、側にいて一緒に寝てあげたほうが、悪夢も和らぐのではないですか。人肌というのもありますし」

「なんか上手く言いくるめようとしてねえか?」

「とにかくお願いします。あのままじゃ確実に夢の中で」


────


 その瞬間、凪は部屋から飛び出していた。一縷の言ったあの一言が、嫌に凪の耳にこびりつく。冷たい氷河のようなあの声で、凪に言い放った一縷はとてもとても怖かった。それから逃げる目的もあったけど、それより『嵜が夢の中で死ぬ』ということが、何故か現実味を帯びていてどんなものより怖かった。頼む、まだ『』でいてくれ。

 勢い良く嵜の部屋の扉を開けると、ベッドの上で眠っているはずの嵜が、妙な寝相でいた。顔は苦痛に歪み、口からは助けを求めるか細い声が流れていた。確かに、これは夢の中で死んでもおかしくなさそうだ。起こしたとしても、またこうなってしまうのだろう。妙な確信があった。

 凪は意を決して一縷の言うとおりに、嵜の布団へ潜り込み、彼女をやわく抱きしめる。背中を一定のリズムで叩いてやり、できる限り嵜の苦痛を和らげようとする。


「んなに抱え込むな、昔っから変わんねえのな」


 ぼそりと呟く。変わらない、嵜のクセ。多分治ることもないんだろうな、とは思うがそれにしたって抱え込みすぎるのは良くない。お前が抱え込んでるものを、俺も抱えたいのに。お前はどうしたってそれをさせてくれない、しない。


「……頼むから、お前のをさせてくれよ」


 震えた声で祈るように囁いたその言葉は、響くことなく溶けていった。そして凪も、やがて眠りに落ちていった。


 そして目覚めて今に至る。嵜に起こされるとは思わなかったが、当の嵜がちゃんと起きていたのだから、とりあえずのミッションは成功したのだろう。凪はぼんやりと思う。彼女の頭をそのまま撫で続けてやれば、ふにゃりと寝顔が柔らかくなる。


「いい夢見ろよ、嵜」


 ふっと微笑むと、凪は一気に背伸びをして学校へ向かう準備を始めることにして、嵜の部屋をあとにしようとする。


「……ありがと、凪」


 途中から起きていた嵜の、普段は絶対に口にしない感謝の言葉は、凪の耳には届かないようにと祈って絞り出したものだったが。




 本人にとっては残念ながら、彼の耳にはしっかりと届いていたのだった。




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