Chapter.3 Roleplay

 ゲームは好きだ。現実に目を向けなくて済む。内側に閉じこもっていればいい。やったぶんだけそれが反映される。やり続ければいいだけ。とっても簡単だ。ただやればいいだけなのだから、ゲームは好きだ。どんな結果でも次がある。年を経ていく毎に新作が出て、リメイクが出て。いつもワクワクさせてくれる。

 だから、ゲームが好きだ。ひたすらに時間をかけて育成させて、練習して、面を覚えて。次に挑んで難題をひょいとクリアする。その瞬間が何よりもたまらない。ゲームをやっていて、一番楽しい時だ。このときほど、楽しい時はない。

 だから。だからだから。


 ────現実もリセットできたらいいのに。





 朝食をとり終えた凪は、なぜかご機嫌な廻間を横目にして食堂をあとにする。何故か昨夜はほとんどの記憶がない。気がついたらベッドの上で寝ていた、ということだけ。そういえば夕飯を食べたあとからなんか、猛烈な眠気に襲われた気がする。誰か睡眠薬でもいれたのか?未だ抜け切らない眠気は、凪のか方に重くのしかかる。駄目だ、このまま無理やり起きて何かしようとしても、全てが徒労に終わる気がする。これは自室でもうひと眠りしたほうが良さそうだ。そう判断した凪は重い体にむち打って、自室へと戻っていく。

 その途中でふと嵜のことが気になったので、彼女の部屋に寄り道して様子を見てこよう、という考えに至った。いつもひきこもってばかりの嵜だが、食事のときくらいは外に出る。だから、昨日のことを多少なりとも覚えているかどうか。それがふと気になった。別に聞き出して何をしようというわけじゃない。ただ気になったから、様子を見に行く。それだけの話だ。

 ややあって嵜の部屋の前にたどり着く。物音のようなものはほとんどしない。やはり寝ているのだろうか。だが実際に見てみないことにはわからない。凪は意を決して扉をノックする。小気味いい音が2回。しかし返事はない。否、返事がないのはいつものことなので、凪は無遠慮にその扉についているドアノブを握り、開ける。


「おう嵜、起きてるか」


 いつもより少し低めの、思わず期限が悪そうな声で、凪は部屋の主である彼女に声をかける。部屋は薄暗く、誰かいそうな雰囲気ではなかった。ただ淡い青い光が、ぼんやりと部屋の一部を照らしている。その部分を注意深く見てみれば、そこにはそれの目の前で突っ伏している何かがひとつ。そうっと、音を立てずに近づく。


「……」

「……寝てるか」


 やがてそれを目の前にした凪は、認識をパソコンの前で熟睡を決めている嵜へと改める。ベッドに入らず、なおかつネトゲにログインしたまま目の前で寝てしまうということが、なんとも彼女らしい。だが健康的にはよろしくないな、と凪は思う。非常に悪い体勢で熟睡している嵜を、そっと抱きかかえてベッドへと運ぶ。起こさぬようにベッドの上へと寝かせたあとは、放り出されていた布団を彼女にかけてやる。いくらか呼吸が穏やかなものへとなった。こりゃ今日1日中寝てそうだな。そう改めて思う。


「さてと、俺も寝るか」


 せっかくの休日だが、ここまで眠いと仕方がない。まるまる1日を睡眠に費やすようだな。凪はそう思いつつ、あくびをしながら自室へと戻っていった。


「……おきてまーす」


 凪が完全に自室の扉を閉めたのを確認した後、嵜は目を開けてひとりつぶやく。実は最初から起きていた。朝、最初に部屋を確認しに来たときも、さっきの一連の行動の時も。ずっと嵜は起きていた。所謂狸寝入りというやつだ。嵜は体勢を変え、ベッドの横にあったサイドテーブルの上から、自らのスマフォを取る。特に何をするわけでもなく。嵜はため息をついた。


「なんか、やる気になれない」


 その言葉を聞くものは自分以外にはいない。なぜだろう。今、今この時。なぜかゲームをしたくない。というか何事もしたくない。部屋から出たくない。人と話したくない。そもそもこのまま寝ていたい。はずなのに、体は起きてしまう。寝させてくれない。


「睡眠薬は食べなかったのに」


 ぼそりと誰に言うでもなく呟く。嵜は気づいていた。昨夜の夕飯時、混ぜられていたものが睡眠薬だということに。それもかなり強烈な。だから嵜はその睡眠薬入りの夕飯を食べることなく、体調が何かと理由をつけてそれを凪に丸投げした。当の凪は不思議そうにしつつも、その夕飯を食べていたが。


「……」


 あんなもの。あんな『日記帳』すら見なければ。今こうして何もせずということなど、なかったはずだ。いつものように凪に叩き起こされ、いつものようにオンラインゲームにログインして、いつものように周回をしていたはずだ。なのに。


「なんでこんなにも何も……やりたくないんだろ」


 嵜は布団の中へうずくまる。どうしようもないモヤが、嵜の中に残り続ける。なんと言えばよいのだろう。だるい、めんどくさい、とは違うもっと別の何か。表現したくとも、見合う言葉が出てこない。


「…はあ」


 もう何もかも、あの日記のせいだ。あの日記さえ見なければ。見つけなければ。何も知らなければ、いつものように生活できたというのに。とにかくもう何もしたくない。知りたくなかった。なんで律儀に日記に残したんだ、なんで律儀に日記も残したんだ。あんなの燃やしてしまえ。それか埋めておけ。ぐるぐると頭の中を回る言葉。ただそれを口から吐いてスッキリさせよう、なんてことは思うまい。嵜はギリ、と奥歯を噛みしめる。強く、強く。


「近親相姦した親から生まれたとか、最悪すぎでしょ私ら」


 ぽそりと呟く。ああ駄目だ、そんなことを言ってしまったら、また日記の内容が頭の中に蘇ってくる。もう嫌だ。何もかも忘れて、眠ってしまいたい。それはもう気が遠くなるほどに。いっそいちど眠って、そのままこの世が終わればいいのに。それほどまでに、嵜の受けたダメージは計り知れないものであった。

 なにせいくら死んだとはいえ、実の父親が自分たちの前に、よりにもよって近親相姦で子供を作っていたなんて知りたくもないだろう。誰であれそのような事実はただただ、気味が悪い以前の問題だ。根本的に親という存在自体否定したくなるだろう。まさに嵜はそのような状態なのである。このことは、凪には知らせちゃいけない。そんなことも、心のどこかで強く思う。こんなことを話したら、凪はきっと───


「嵜ちゃん」

「……一縷?」


 ふと、上から声をかけられる。布団から出てそちらを見れば、そこには一縷。手には良い香りがする紅茶のはいったティーカップ。わざわざ持ってきてくれたのだろうか。片方のティーカップを、一縷は嵜へと差し出す。


「……」

「カモミール。落ち着くと思って。それと睡眠薬は入ってないからね」

「ほんとに?」

「わかりやすいものに入れないよ」


 ────嘘つけ。と言い出しそうになったのを必死に堪え、一口飲む。確かに睡眠薬らしきものは入ってはないようだ。それよりとても良い味だ。そういえばカモミールには、心を落ち着かせる作用があると聞いた。それも狙っているのだろうか。

 一縷は嵜が飲んだのを確認し、手近な椅子に座り、自身もまたカモミールを飲む。


「いきなりなんの用」

「なんとなく気になって来てみただけ。ネトゲ、ログインしっぱなしだけど大丈夫なの」

「別に、いい。どうせすぐにやるから」

「……」


 そこで会話は途切れてしまった。あとに続く話題というものを、あいにくお互い持ち合わせてなどいなかった。否、あったとしても無理に続けようなどということはしなかったであろう。沈黙の時間が、ただただ流れ続ける。

 その流れを壊したのは、嵜のある一言であった。


「何もしたくねえ」


 そうつぶやいた嵜が手にするティーカップの中のカモミールは、静かに揺らめく。円を描き、広がっていく。嵜はそれをただ静かに眺める。残り半分も行っていないカモミールを、嵜は飲むことなく眺め続ける。

 だが一縷はそれに答えることなく、カモミールを飲み干し、嵜の顔を覗き込もうともせず、彼女の次の言葉を待っている。何をつぶやくでも、何か言うわけでもなく、待ち続ける。なんの意味があるか、それを待って何をするか、それは一縷しか知らないことだ。

 嵜はちらりと一縷を見て、また口を開く。声の調子をわざと落として。


「何もしたくねえ。なんにもしたくねえ。あれだけやってたネトゲも、詰みゲーも何もしたくねえ。それなのに眠れない。よくわからない」


 ぽつりぽつりと放たれたそれは、しかし確固たるもののように言葉となる。頭に思いついたものを口から吐く。それだけでよかった。だがスッキリとはせず。むしろ何もしなくない、という欲求が更に深まった。本音を言うならば、さっさと一縷に部屋から出てってもらって、自分一人の時間がたんとほしいのだが。あえてそこは言わない。言ったとしても一縷はそのとおりにしてくれるだろうが、そもそもそれを言うこと自体、人間としてどうなんだそれはとなることなので、黙っておく。


「あー。なんにもしたくねえ」

「しなければいいよ」


 突然一縷は口を開く。あまりにも突然のことだったので、嵜は思わず目を少しだけ見開いてしまう。

 それに構わず一縷は続ける。


「したくないなら、しなければいい。嵜ちゃんが何もしなくたって、とやかく言ってくる人はこの家にはいない。だから何もしなくていい。したくないならしないでいいんだよ。したいって思ったときにすればいいだけじゃん。それでいいんだよ」

「……」


 『』。至極単純なようで、全く思いつかなかった。したくもないのに何かをやろうとしても、いいことなど1つもない。なら、。やりたくなったときにやればいいだけの話。不思議なもので、その言葉は嵜の胸にストンと落ちた。ああ、なんだそれだけの話か。その結論に至るのは、かんたんなようで、難しいことだった。思いついたとしても何かやらなければ、という気持ちが上回り、その結論を捨ててしまうからだ。

 連続ログインボーナスがどうした、結局できなくなれば意味がないし、ただ入るだけのゲームはやっても意味がない。むしろやる気がなくなったその時はやらなければいい。またやる気が起きたときに入ればいい。それだけだ。


「……そか」

「うん。だから今はんだ。人間そういうときも必要なんだよ。今の世の中生きづらいもの」

「そうだね」


 そこは否定しない。というか今まさに自分たちがそうだ。嵜は残りのカモミールを一気に飲み干した。それを察した一縷は嵜から空になったティーカップを、嵜のてからひょいと取ってみせる。そして椅子から立ち上がると、嵜に振り返ることなく、部屋をあとにした。

 残された嵜はぼふりとベッドにまた横たわる。したくないならしなくていい。何もしない。何もしないで今日という1日を終わりにしよう。だってやる気がないから。何もやる気になれないから。これでいいんだ。たまにはネトゲやコンシューマーゲーをやらない日があっても、それはやる気がないから仕方ない。仕方ないのだ、


「……」


 嵜は静かに目を閉じた。





 一縷はティーカップを片付けたあと、廻間のもとへと向かう。今回もまた頼まれていたから。

 廻間の部屋の、扉の目の前に立ちノックを軽くする。するとすぐに中から返事が聞こえてきたので、一縷はドアノブを回し扉を開き、中へと入る。部屋には椅子の背もたれに体を預ける廻間がいた。一縷の方へ顔を向けると、声をかける。


「おかえり。どうだった?」

「何もしていません」

「へ?」

「何もしていません」


 告げられた報告内容(と言っても一言だが)を耳にするなり、廻間は間抜けた声を上げる。どう聞いても一縷はそう返すのみ。何もしていませんってのは、どういう意味なんだい?そう問うても、何もしていません、と返されるのみ。これじゃあ埒が明かない。


「とりあえず落ち着いてる?嵜は」

「ええ。穏やかです」

「それならいいか」


 落ち着いているのならばそれで良し。廻間は答えを出してまたさらに背もたれに体を預ける。睡眠薬効いてなかったのかな、それとも食べてないとか?まあいっか。起きてるならそれでいいし。


「でさ一縷。昨日2人の夕飯に混ぜた睡眠薬、あれは大丈夫なの?」

「大丈夫です。合法なものばかりですので」

「一応そこは全部合法って言っとけよ……」


 多少危うい発言をした一縷に、廻間はため息をついて頭を抱える。そもそも夕飯に睡眠薬混ぜるって時点でおかしいか。


「さてとそんじゃ僕はもうひと眠りいこうかな」

「おや、では私は廻間さんに子守唄を」

「要らないかなー」


 冗談を言い合いつつ、2人は寝室へと向かっていった。勿論寝るのは廻間だけである。

 今日は比較的、穏やかな日になりそうだ。





「って思ってたんだけどなあ」

「よう廻間……テメエ夕飯に睡眠薬盛ったんだってな?」

「いやそれ一縷だから!僕何もしてないし」

「殺す」

「とんだとばっちりだ〜っ!」



続く

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