Rain-2

「廻間さん。こちらがくだんの殺人鬼の詳細資料になります」

「ありがと一縷」

「これも私の仕事ですので」


 翌日、未だにベッドから出られない廻間に対し、一縷はどこからともなくやってきて、手にしていた資料を渡す。廻間は少し白い腕でその資料を受け取る。それなりに厚みがあった。ぺらぺらと捲ると、びっしりと殺人鬼について書かれてあった。文字が踊っている。


「……1日でよく調べたね」

「得意分野です」

「僕より情報早くない?」

「廻間さんのためです」


 一縷は手でハートを作る。真顔でやられても、とは思うが、残念なことに廻間は一縷の氷上が変わる場所を見たことがない。そもそも彼女は感情を表に出さない。そうなれば真顔でやられても仕方がないか、ため息をつくことしかできない。廻間は改めて手元の資料に目線を戻し、パラパラとめくる。


「……特にこれといった目的はなさげ、か。出現時刻は夕方から夜にかけて。年齢は不明、性別は男……確か?」

「……恐らくは」

「あってみたときに確かめるしかないか。流石に情報だけじゃ、そこまでわからんもんね。つかそこは気にするとこじゃないか。ふーむこれは中々……改めてほんっとに目的何もないんだねえ」

「ええ」


 適当に流し読みしていき、パラパラとめくる。それを繰り返していくうちに、ぴたりとあるページで止まった。それに気づいた一縷は、廻間に声をかける。


「どうされました」

「……」


 そのページに連ねられていたものは、その殺人鬼に関しての断片的な過去。まだ出てきたばかりの殺人鬼故か、情報は少なかったのだが、断片的に拾われたその人物の経歴の詳細ページで、廻間はピタリと指を止めたのだ。一縷の問いかけに耳もくれず、廻間はその断片的な情報に対し、思い出しているのか、それとも何か引っかかるのか。思考の海に溺れている。

 廻間が何を考えてるかなんて、廻間以外にはわからない。だから一縷は、ここでこうして突っ立って待つしかない。今の廻間に声をかけようなんて、それは自殺行為に等しい。なぜならば、以前こうやって思考の海に溺れていた廻間に対し、曙がしつこく声をかけたら全力で殺されかけたからだ。ちなみに一縷はその様子をこっそりビデオに撮っており、別段止めはしなかった。あとで気づいた曙からネチネチ文句を言われたが。


「……これ、尚更僕が行くべきだな」

「何か確信が?」

「そんなとこ」


 これ返すね。廻間は資料をもとに戻して、一縷に差し出す。良いのですか。資料を受け取りつつ問いかけるが、廻間は無言で首を縦に振った。そしてあぐらをかいて頬杖をつく。苛立たしげにため息を付くと、顔を下に下げた。


「ごめん一縷。ちょっと考え事したいから───」


 少しひとりにさせてくれる?と言おうとしたときには、もう一縷の姿なはかった。心を読んでいたのか、それとももう用事は終えたからと単に出ていったのか。相変わらず一縷は仕事が早いもんだ。意味もなく廻間はつぶやいてみせた。

 さて、ある程度情報は頭に叩き込んだからいいものの、生憎今日も凪から絶対安静を言いつけられている。まあ今夜は雨などふらないらしいから、言っても意味はないのだが。次の雨の日はいつだったっけか。ここ最近妙に雨が多いから、すぐだと思うんだけどなあ。廻間は天井を仰ぎ見る。そこに何かあったわけじゃない。ただなんとなく。

 あの殺人鬼。早いうちに殺しておかないとなあ。心から強くそう思う。理由としては廻間の過去にあるのだが。

 だから、、廻間はあのふたり凪と嵜にこの殺人鬼を殺させたくないと、改めて思う。自分の過去は自分で蹴りをつけなきゃならない。ならば自ら出よう。当初はそれこそ、彼らの負担を少しでも減らしてあげよう、運動がてら僕がやろう、頭をすっきりさせたいなどという理由だったが、今その理由は変わった。。そうしなきゃならない。


「って、僕が言えた義理じゃないけどな…」


 また深いため息をつく。自分の復讐を半分成し遂げるために、彼らに殺人鬼を殺させてるなんて、さっきの言葉は言えたものじゃない。なんだか無性に笑えてくる。いや笑えないか。


「どうしようかなあ……流石に抜けるわけにも行かないし」

「どこにだ?」


 大げさに寝転がって声を大きくしてつぶやいてみると、唐突に第三者の声が廻間の耳に入ってくる。そしてほんのりといいにおいが鼻腔をくすぐる。そちらを見ればそこには、出来たての料理を手にして凪がしかめっ面で立っていた。まさか聞かれてたか。


「いつの間に…」

「『抜けるわけにも~』のとこから」

「……そ、か。で、その料理は?」


 持ってきた料理を部屋の机の上に置くと、凪はベッドのそばにある椅子に腰掛けて、しかめっ面のまま彼を見やる。まるで睨んでいるようにも見える。


「誰かさんがレバー隠しやがったからな。レバニラだ」

「……そっかぁ」

「犯人はめどついてるけどな」

「……ですよねー」


 廻間は顔をそらす。凪は変わらず廻間の方をじっと見る。ため息をついたあとに、廻間に問うた。


「で?どこに行くって?」

「え?ああ、気晴らしに散歩でもと」

「阿呆か。今朝も貧血でぶっ倒れたくせによく歩き回るとか言えんな。つか絶対安静にしてろっつったろうが忘れたか」

「返す言葉もございません……」


 凪の言うとおり、廻間はこの日もまた朝、突然の貧血で倒れ込んだのだ。その時あの悪夢を見ることはなかったから、単に体調が悪かっただけなのだろうと廻間はそう思っていた。現に今はそれなりに体が軽い。普通に外を出歩ける体力は戻っているだろう。だが目の前の家族は、それを許してはくれなさそうだ。

 過保護だなあ、とは思わないけど、流石に心配しすぎじゃないかな、とは思う。法律上では成人してるんだし、まだ若い方に入るんだから、それなりに体力はある。なんなら徹夜を3日連続でしてもいい。その後確実に地獄を見ることになるだろうけど。それでも、それでも目の前の彼はしかめっ面をして、廻間の額のあたりを指で弾いた。ただし、かなり力を入れて。バチンといい音がなる。


「っだぁーっ!いったぁーっ!!なにこれ!!なぁにこれぇ!!」

「痛いようにやったからな」

「鬼!悪魔!凪!」

「意味わからん。で、だ。いつまた昨日とか今朝みてえにぶっ倒れるかもわからんのに、その状態で外で歩くつもりか。完璧に治してからにしろ。根本的にお前血が足りてねえんだよ。だからレバー食えっての」

「(君は僕のお母さんか)ほんっとに返す言葉もないや……」

「いいか。俺がいいって言うまでは絶対、絶対に安静にしてろ。でなきゃ嵜も巻き添えにして殺すぞ」

「はい……すいません……」


 食っとけよ。そう言い残してお母さん───もとい凪は部屋をあとにした。残された廻間はちらりと、レバニラ炒めが乗せられたお盆を見やる。このまま食べないのも、失礼を通り越して無礼に値する行為だ。ベッドから降り、そそくさと席について


「いただきます」


 箸を手に取り、食べ始めた。





「あ、凪だ」

「嵜?」


 廻間の部屋を出たあと、凪はたまたま通りがかった嵜に声をかけられる。嵜は普段よりはしっかりとした目で、凪をすっと見やる。手に持っているものがこれから消費されるであろうエナジードリンクでなければ、その図はさらにいいものだったろうが。

 やがて口を開き、沈黙を破ったのは嵜の方だった。


「アレの見舞い?」

「……アレ呼ばわりはどうかと思うが、まあそんなところだ。レバニラ炒めを置いてきた」

「ふぅん」


 帰ってきた返答に、嵜はすっと凪から視線をそらす。意味有りげなその行為に、凪は問う。


「どうした」

「別に。ちょっと調べものしてて、今は息抜き中」

「……調べもの?」

「ん」


 短く答える嵜。口を半開きにしながら、エナジードリンクのプルタブを開ける。それをぐいっと飲むと、凪にまた視線を戻した。


「凪。ひとつ言っとくね」


 ひと呼吸おいて、彼女は言う。


「───家族って、甘いものじゃないんだ」


 、その言葉は凪の鼓膜に響く。そしてこびりつく、へばりつく。くっついて離れない。存外しっかりとした口調で、また放たれる。


「突然……何言ってんだお前は」

「別に。言っておきたかっただけ」

「……」

「あんまり。詮索しないほうがいいよ。後悔する」


 それだけいうと満足したのか、嵜は来た道を戻っていった。まるで最初から、凪にあの言葉を言いたかっただけに見える。そのために外に出てきたのかもしれないが。おぼつかない足取りで、嵜は戻っていく。恐らく、いや確実に、自らの部屋へと。


「あいつ……?」


 あの言葉を言ったとき。心なしか嵜の瞳に、『後悔』の文字が浮かんでいた気がする。





 後悔した。あんなもの見つけて、興味本位で見つけなきゃよかった。なんて馬鹿なことしたんだろう。あんなもの、見つけなければ、調べなければ───。

 嵜は凪に会って自室に戻る際、ひどく後悔していた。とてもとても、後悔していた。世の中には知らなくてもいいことがあるという言葉があるが、まさにそのとおりだった。なんで知ってしまったんだろうか。記憶ごと抹消したい、できたらしたい。できるわけないけど。


「……」


 事の発端は前日に遡る。丁度廻間が倒れたときと同時刻だろうか。嵜は普段通りオンラインゲームを楽しんでいるとき、偶然目の端で見つけてしまった一冊の本のようなもの。それが後悔の始まりだった。

 やめておけばいいのに、嵜はそれが気になって、オンラインゲームを中断して手に取る。いくらかホコリをかぶってはいたが、ポフポフと払ってやればそれなりに読める字が表紙に踊っていた。


「日記……」


 たった2つの文字が、そこにあった。誰のだろうか。ものからしてかなり古いものだとは思うけれども。嵜は内心どきどきしながらその日記帳を真ん中から開く。

 そこに連ねられていた文字は、いくらか丁寧なものだった。


『妹が久しぶりに帰ってきた。どうにも新天地での暮らしが合わなかったらしい。しばらくはここで暮らすそうだ。妹を気遣いながらも私は喜んだ。また彼女とともにくらせるときが来るとは』

『妹が最近美人になった。口に出していないつもりだったのに、出ていたようでそれを当の本人に聞かれていた。穴があったら埋まりたいとはこのことか』

『妹が』


「……シスコンかよキメえ」


 うげえとなりつつも、嵜はその日記帳をペラペラとめくる。中に連ねられていたいたのは殆どが妹自慢のようなもので、度を越しているんじゃないかと思えるその内容に、嵜は心底うんざりした。なんだこのシスコン。読んでるだけでも気持ちが悪い。よくこんな内容を書こうと思ったなこいつ。

 だが嵜は手を止めることを知らずに、パラパラと日記帳をめくる。一応途中から読んではいるものの、最後まで見ておこうと思ったからだ。


『妹が可愛い。妹に愛しているといえば、彼女もまたはいと笑顔で答えてくれる。ああ、なんと可愛らしいことか』


「ここはもういい。最後あたり…」


 その選択が、後の嵜にとって『最大の後悔』になった。



『───妹が妊娠した。相手はいない。誰かと言われれば心当たりがある。私だ。一線を超えてしまった。超えてはいけない垣根を超えてしまった。妊娠3ヶ月。心当たりがありすぎる。まだ腹の膨らみは目立っていないから、なんとかごまかせるだろうが、このあとだ。どうすればいいだろうか』



 その文章が目に入った瞬間、嵜はピタリと手が止まった。なんだこいつ、ついに近親なんちゃらとかいうやつをやってしまったのか、行き過ぎた兄妹愛は勘弁してくれと思った矢先だ。まさかやってしまうとは。どうするんだこいつは。というかご丁寧に日記に書くなよ、と思った。最もなのだが。ここで止めるわけにも行かないので、嵜は心して次のページをめくった。見ると日付がかなり飛んでいる。何かあったのだろう。否、何かないとそれはそれで不安になるのだが、今までの内容を見るに。


『結果として妹は死んだことになり、生まれた双子の一方はこのことを知る身内に引き取られ、もう一方は知り合いが経営している孤児院へと引き取られた。これでよかったのだ。妹は死んだことになってしまったが、これしかない。妹のためにも、子のためにも、私のためにも、家のためにも。許してくれ。せめて歪な狭間に生まれてきてくれた子に、謝らせてくれ』


 なんと身勝手な人物だろうか。何だか無性にむかっ腹が立ってきた。この日記帳燃やしてしまおうか。妹は死んだことにして、近親でやらかした子供は手を離れていき、親も知らずに育ち、こいつはこいつでこれでいいとほざきやがる。生きているとすれば銃弾をぶち込みに行きたい。というか、狭間?なんか引っかかる。

 呆れて日記帳を閉じようとしたところで、まだ続きがあることに気づいた。こんなことになってまで、書き続けていたのか。何がしたいんだか。嵜はページを破りそうになる指を抑えて、続きを読むことにした。



『婚約者が来た。理想の女性だった。名を撫子(なでしこ)というらしい。彼女はとても聡明で、話していてとても楽しい。この人こそ求めていた未来の妻だ』

『彼女と私の婚姻が正式に決まった。式は来月。随分と早いが、それもまあいいだろう。本当ならば妹にも見てほしかったのだが、それは叶わない。だがいつまでも気にしていては前に進めない。今はただ、目の前のことをこなすだけだ』

『彼女との間に子ができた。式を挙げてから半年。早いものだ。まだ妊娠2ヶ月らしい。ああ、早く会いたい。診断は双子だというから、思い切って名字にかけた名前をつけようと思う。そう、これは彼女とも話し合って決めたことなのだ。名を───』



 次の瞬間、嵜はその日記帳を投げ捨てていた。じっとりとした冷や汗が体中から吹き出て気持ち悪い。体が寒い。息も絶え絶え、目も焦点が定まらないし、指先もこれでもかと言わんばかりに震えている。


「………嘘でしょ?」




『名を、凪(なぎ)と嵜(さき)。』






 嵜が凪と出会い、一連の会話から十数分が経った頃。廻間の部屋では空になった食器を前に、手を合わせる彼がいた。


「ごちそうさまでした」


 普通に食べきれた。レバーなのかこれと疑うくらいに食べやすかった。さすが凪。参りました。廻間はひとり、誰にあてるでもなくそう思う。これで少しでも血が増えてくれるといいんだけど。


「後でこれ片付けないとなあ」

「私がやりましょう」

「さすが一縷今までどこにいたんだ」


 何気なくつぶやいた時、どこからともなく彼女はやってくる。そして空になった食器を手にして、何も言わずに部屋をあとにした。相変わらずだなあ、廻間はそう思う。

 さてこれからどうしたものか。絶対安静とは言われたけれど、やることがなさすぎて暇だ。散歩したいって言っても、きっと却下されるのだろう。そうなると本当にやることがない。本はすべて読み終えてしまったし、他に何があるかと言われても、天井を凝視するくらいか?いやそれは暇つぶしにもならないだろう。

 廻間は席からたち、ベッドに戻って寝転がりながらあれこれ考える。だが、どれもこれも暇をつぶすには不十分なものばかり。どうしろと。


「そういや今日の天気は晴れだったよなあ……あの殺人鬼、出るわけ無いか」

「いえ、そうでもありません」

「うおぉ一縷か。びっくりした」


 にゅっと背後から出てきて声をかける一縷。まるで壁をすり抜けて来たかのような登場に、廻間は前に倒れ込んだ。その状態の廻間を助け起こすと、一縷は手にしていたタブレットを操作し、あるページを見せた。天気予報のページだった。


「夕方、かなりの確率で雨が降るそうです」

「あれ?予報変わったの?」

「南から来る前線の影響がどうとかで」

「ふぅん……」


 ひょっとしてこれ今日のうちにいけるのでは?期待に胸をふくらませる彼に対し、一縷は諭すように冷水を浴びせる。


「凪くんから絶対安静を言われていますよね。抜けるにしてもどうするおつもりで?かなりの確率で部屋を見に来られますよ」

「……一縷は味方だと思ってた」

「体調面をしっかり治されてから、事を動かしましょう。またいつ何時、倒られても可笑しくはありません」


 良いですか、と釘を差したところで、一縷はひと呼吸おいてまた話し始める。


「───とまあ、凪くんは言われるでしょうが。私は廻間さんを手伝います」

「えっ」


 いきなりの手のひら返しに、諦めて寝ていようかとした廻間は思わず一縷を二度見する。あれ?言葉が変わってるぅー。これが噂の手のひら返しってやつか。呆然とする廻間に、構わず話し続ける。


「廻間さんの代わりの人形っぽいものはすぐに作れますので。凪くんと嵜ちゃんにお食事かおやすみ前の紅茶に、睡眠薬も混ぜておきましょう。朝飯前です。ご安心ください、使う睡眠薬は合法(にすらなってない)です」

「んー括弧書きで何かやばいものが書かれてそうなんだけどあえてスルーしておくよ。まあ、ありがとう助かるよ一縷……」


 というかあのレバニラ炒めお昼ご飯だったのか。随分豪華なお昼だったな。昨日一縷がレバー隠してたの、お昼前に見つけたんだろうなあ。申し訳ない気持ちになりながらも、廻間はベッドから立ち、背伸びをする。クローゼットの前に行き、それを開いてしばし漁ると服を引っ張りだした。手にされていたのはいつもとは違う色のパーカー。そしてTシャツ。


「もう出かけられるのですか」

「いや?準備だよ。今のうちに出しておこうとね」

「変装のための化粧はなされるのですか」

「いや、いいかな」


 廻間は素顔を覆い隠していた白い紙を取り、ふっと微笑んでみせたあとに、口元を閉めた。


「───この面みたら奴も思い出すだろうなって、思っただけ」





 雨が降る。ざあざあ雨が降る。雨が降る中、黄色い雨合羽を着た人物が突っ立っている。何をするわけでもなく、ただそこにぽつんと突っ立っている。何を待っているのか、何に期待しているのか。ただそこに立っている。

 しばらくしてその人物がいる方向へ、人がやってきた。その人物も色こそ違うが雨合羽を着ていたが、フード部分が大きすぎてまともに前が見えてないのか、ふらついている。黄色の雨合羽は目の前の雨合羽が近くに来るのをひたすらにまつ。隠れて見えないが、手の中にスタンガンを用意して。

 ふらつきながらも目の前の雨合羽が、黄色の雨合羽にいよいよ接近したとき、それは動いた。ただ、スタンガンで目の前のそいつを殺そうと。目的はないけど殺そうと。それのためだけに動く。狙うは、露出している首元。そこを最大電力でバチンとやれば、大抵の人間はひとたまりもない。たとえそう、


「───って思ってただろ」


 その時。ガシリとスタンガンを手にする腕を掴まれた。その衝撃でスタンガンは手から滑り落ち、地面へ叩きつけられる。もうまともに動くことはないだろう。驚きのあまり目の前を見れば、そこには狙っていたはずの雨合羽を着た人物。ばさりとフードが脱げる。

 その顔に、黄色の雨合羽は目を見張った。


「やあ。久しぶりだね───僕はこの通り生きてるよ。お陰様でね」


 は黄色の雨合羽のフードを外し、お互いに顔が顕になる。いつの間にやら雨はやんでいた。空には黒く染まった雲が、落ちてきそうなくらいに重なっている。


「十数年前は世話になったねえ。よくもまあ僕をあれだけ嬲ってくれたもんだ。まあそのお陰で、復讐っていう生きる目標はできたからいいけどさ」


 そいつはせせら笑う。会えたことが、とてもとてもと言いたげに。黄色の雨合羽はその顔を改めてみて、歯をカチカチ鳴らし始めた。冷や汗は流れ、カタカタと体は震え始める。そんな、そんなはずはない。なんてこいつは今、


「あの時。たらい回しにされてた僕を引き取って、毎晩毎晩慰み物にして、殴って蹴って放置して。ようやくできた友達もお前が殺したもんね。僕の目の前でさあ。そんで友達の両親に殴られて蹴られてボロボロになった僕を、さらに嬲ったもんねえお前は。いま現状、何してんだか知らないけどさあ、雨合羽の殺人鬼だっけ?おっかしいねえ。何するつもりなのか知らないけどさあ、お前少年趣味あったよねえ?殺してるのさ、調べてみたらほっとんど少年から青年って感じの人ばっかり。遺体持ち帰ってんだろきっと。そんでナニしてたんだろ。ケラケラ。つーかさあ、あのときの天気も雨だったねえ。ケラケラ」


 その笑顔は復讐と怨嗟にまみれていた。ケラケラと笑う音ですら、殺意がこもっていた。ケラケラ、ケタケタ、カンラカンラ。まるで壊れた人形のように、壊れたラジオのように笑い続ける。、恐ろしさが増されていた。黄色の雨合羽は畏怖する。なんでこいつは笑っていられるんだ。なんでこいつは生きてるんだ。なんでこいつは───


「僕がここに来たのはただ一つ。お前を殺すため。たったそれだけのことだ。ケラケラ。ケラケラケラ。


 気がつけば目の前には、ナイフと思しき刃物が突き立てられていた。そして最後に聞いた音は───



高らかに笑う、の声だった。





「お疲れ様です。お早いお帰りで」

「色々とむかっ腹立ってたから、さっさと終わらせたかったんだ」


 一言も喋らせなかったよ。笑いながらそういう廻間の顔には、未だに怨嗟は消えていなかった。よほどだったのだろう。

 廻間は今、彼自身の部屋にいる。一縷の協力で窓から入ったのだ。どうせ素顔は一縷と曙にはバレているわけだし、今更だから別に構わない。廻間は血のついた雨合羽を一縷に渡し、そそくさと着替えを始める。

 あの後、遺体は自らの手で処理した。奴が今何をしているのか、どこで暮らしていたのか、そんなことはもうどうでもいい。問いただしたところで、死人は何も語らない。


「2人は?」

「眠っておられます。まだ夜の8時ですが」

「お風呂は?」

「既に入られたあとでした。睡眠薬がきいて良かったです」

「(合法なんだよね?)」

「(合法ですよ)」

「(直接脳内に…!)」


 とまあそんな茶番をしつつ、廻間は着替えを終え、再び白い紙で素顔を覆い隠す。これでいい。これでいいんだ、僕は。やっと廻間が戻ってきた。


「それじゃあ一縷。僕はもう休むよ。色々と疲れたや」

「貧血の方は大丈夫ですか」

「うん。調子いいよ。でもねとかないと、凪にどやされそうだからね」

「そうですか。では私は失礼します」

「うん。おやすみ一縷。まだ早いけど」


 そういったときには、もう一縷は部屋にはいなかった。相変わらず早いんだから。廻間は少し笑うと床につく。


 今日は雨だというのに、あの悪夢は見なかった。





 翌日。スッキリと目が覚めた廻間はさっさと着替えて食堂に降りてきた。だが先に降りてきたであろう凪は、見るからに眠そうであった。どうしたの、とわけもなく聞くと、凪は目をこすりながら朝食を出し席に座り、ため息をついて話し出す。


「なんか……昨日の夜、紅茶飲んだあとから記憶がねえんだよ……気がついたらベッドの上だった」

「…大丈夫なのそれ?」

「大丈夫だったら良かったんだけどな。なんか寝たっていう感じがしてねえし、今ものすげえ眠い。こんなことなかったんだがなあ……」


 廻間は確信した。これ一縷の睡眠薬の影響だ。睡眠薬ってここまで強いものだったっけ?いや、そこまでしないと効き目が出ないんだろうけど、これは流石に強すぎでしょ一縷?凪、めっちゃくちゃ眠そうじゃん。ここまで眠そうな凪、ほっとんどみたことがない。

 廻間はコーヒー作ってこようかと声をかけるも、既にその手にはコーヒーのはいったマグカップが握られていた。恐らくブラックの。苦味がかなり強いコーヒー。


「……深刻だね」

「ああ……つかお前貧血は?」

「え?もうなんともないよ。ばっちり」

「そか。ならいいんだが」

「ねえ。それよりもさ。嵜は?いつもなら凪が叩き起してくるでしょう」

「てこでも起きねえ。ありゃ1日熟睡コースだな」

「……」


 これ、もしかして曙にも同じ睡眠薬盛ったんじゃなかろうか。あとで曙の部屋を覗いてこよう。出されたコーヒーを一口飲んでそう決心する廻間。そのコーヒーは想像よりかなり苦くて、思わずうぇっとなる。手近にあった砂糖入れからダイスの形をした砂糖を、いくらかポチャンポチャンといれ、くるくるとかき混ぜてしばらくすれば、ちょうど飲みやすくなる。それを見ていた凪からは、よくそんな甘いもの飲めるな、としかめっ面で言われたが気にしない。たとえ子供舌だと言われようが、これは僕の好みの味だ。文句あるか。ふん、と鼻息を荒らげる。


「お、晴れたのか」

「え?うぉ眩しっ」


 凪がめざまし代わりにカーテンを開けると、強い日差しが窓から差し込んできた。その日差しをもろに食らった廻間は、たとえ素顔を紙で覆い隠そうとも眩しいものは眩しいらしく、思わず顔を窓から逸らしてしまう。

 凪は廻間の方を見てへっと笑うと、廻間は負けじと凪に目がすごいことになってるぞ悪魔ーと返す。だが誰が悪魔だ、と容赦ないデコピンを御見舞された。


「こんだけ晴れてりゃ、お前も一安心か」

「……ソーデスネ」


 いいから早く閉めて眩しい。痛む額をさすりながらそう訴えるも、席移動するか我慢しろと返され、廻間はお気に入りの席から渋々移動して、朝食を摂り始めた。もちろん、白い紙は外さずに、慎重に、ゆっくりと。


 今日の朝食はトマトリゾット。





「……ねえ、お父さん」


 嵜はひとり、日記帳を閉じて部屋でつぶやく。



「どうして私達に隠してたの?」



答えを返すものは、誰もいない。



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