崖際で踊る男

御手紙 葉

崖際で踊る男

 その人は崖の上で踊っていた。長い黒髪を揺らせて膝を折りながら、くるくると回っている。雨乞いをする呪術師のようでもあり、夜更けに行われる祭りのようでもあった。

 彼の姿をしばらく眺めていたが、本当に奇妙な光景だ。四十歳ほどのいい歳をした男が、子供のように跳ね回っているのだ。僕は最初、動物か何かが、跳ね回っているのか、と思った。だが、それはある意味正しく、今の彼はまさにそのような跳ね回り方をしていたのだ。

 僕は柵の前に立って彼にずっと注目していた。彼はルーティンを続けるように何度もそれを繰り返していた。星の巡りが絶えないように、ずっと繰り返される「不変」のようだ。

 それは幻想に過ぎなかった。いつか彼は疲れて立ち止まり、膝に手を当てることだろう。彼が「不変」に成り得ないように人間として宿命づけられたものだった。十分ぐらい見ていたけれど、結局、彼のペースは乱れることなくて、僕の頭の方がおかしくなりそうだった。

 彼が纏っている空気に触れていると、心がざわつき始めた。そして、そこから離れようとすると、僕はふと思い留まり、後ろへと振り返った。彼の踊りを遮ろうかと思ったけれど、男に掛ける言葉などなかった。「頑張れ」、と応援するならまだしも……。

 僕が逡巡しているとそこで、額に冷たい感触が広がった。それまで清々しい程に晴れ渡っていた青空が、いつの間にか灰色の薄雲を漂わせていた。それはやがて小雨に変わって、次第に激しくなり、最後には土砂降りとなった。そこからさらに膨れ上がり、矢のように降り注ぐようになった。体を打つ雨粒はどこか石礫のようで、深く体の芯まで響いた。

 彼はそれでも、踊り続けていた。そこでふと僕は我に返る。何故そこに立っていたのかと自分の正気を疑ったけれど、ようやく体の硬直が解けた。でも、男の足音はまだはっきりと聞こえている。車のドアを開いて最後にまた彼の方へと振り返った。

 もはや彼は「不変」と化していた。それは錯覚だとわかっていても、「不変」としか言いようがなかった。土砂降りの雨に打たれて、僕の頭の中はごちゃ混ぜとなり、変人のことなど考える余裕はなくなってしまった。

 雨は轟々と吹き荒ぶ風を纏って、天上へと達しようとしていた。暗雲で埋め尽くされた空は光がなく、海の黒々とした輝きがいつまでも、僕の背筋を冷たくさせる。彼は雨乞い師だった。結局、そう結論付け、ドアを閉じた。

 大雨が降る予報など、どこの局もやっていなかった。見た限りでは、彼は踊りを止めることなく、不変の円を描き続けていた。全く奇妙な話だと思った。僕は自分の日常に帰る為に、現実へと意識を強制的に戻した。


 了

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