サタンクロス
だくさん
サタンクロス
窓に白い水滴がついていたが、そのままカーテンを閉めた。
まだ十八時だけど、小さな窓の向こうは既に真っ暗で、二十二時の世界と見分けがつかない。今年の夏の十八時頃は、会社の駐車場でスマホゲームをスタミナが尽きるまで同僚とマルチプレイしていた。今日は日曜日なので同僚と一緒にいるわけもないけど、平日だとしてももう帰路についている時間だ。
クリスマスイブだからというわけではないと思うけど、夜が早い気がする。きっと平日であればまだ十八時の世界の中で、その動きを感じているからなんだと思う。いくら日が短くなったとしても、まだ空はほんのり明るいし、町も動いている。でも、この部屋の中から窓枠に切り取られた世界はまったく動かないし、光に照らされたものもない。もうそこは夜でしかない。
今日はずっと家の中にいた。それもほとんど自分の部屋で過ごした。小説を書いていたのだ。
主人公の少年が白い水滴のついた窓に指で丸っこいモンスターを描いたら、そのモンスターが窓を真っ黒に塗りつぶしてしまう話だ。
少年がモンスターを描いたのは父親が運転する車の後部座席の窓だった。丸を書いて、輪郭をはみ出るような大きく釣り上がった目を書き加えただけのモンスターだ。始めは少年の指と同じくらいの太さしかなかったその輪郭は、じっと見ているうちに膨張して、窓のすべてを埋めた。少年がそのことに気づいたのは窓から少し視線を外したときだった。ふと我に帰ると、窓が真っ黒になっていた。自分がモンスターを書いていた窓だけでなく、全部の窓が真っ黒だった。少年はトンネルに入ったのだ、と思った。でも、フロントガラスも真っ黒だったので、すぐに違うと気づいた。不思議なことに、窓だけが真っ黒で車内はいつも通り鮮明に見えていた。
「お父さん、真っ暗」
「真っ暗? どこが」
「窓」
「なんだそれ」
父親は少年の言うことを聞いてくれない。でも、聞いてくれないと危ない。何かにぶつかってしまうんじゃないかと、少年は怖かった。それから少年は、外の景色が全く見えない車に揺られた。父親は少年の言うことを普段から聞かなかった。しつこく少年が話しかけても、一定の反応しか返さなかった。少年はそれが逆に怖かった。いつか、急にいつもと違う爆発的な反応を見せられるんじゃないかと思い、話しかけることをやめる。少年は車の中で、事故と父親の爆発を天秤にかけ続けた。
結局、少年は父親に話しかけ続けることもなく、車も事故を起こさないまま、大きなスーパーマーケットにたどり着いた。車を降りた少年の目に映ったのは、真っ黒な窓がたくさんついているスーパーマーケットだった。よく見ると、駐車場に停まっている車の窓も全部真っ黒だった。この日から、少年の目に映る窓はすべて真っ黒だった。
少年がまだ五歳のときに、少年は保育園でサンタクロースの話を聞いた。サンタクロースはクリスマスイブの夜にプレゼントを持ってきてくれる、という話だ。少年は一度もサンタクロースにプレゼントをもらったことがなかった。その日の夜、少年は父親にサンタクロースのことを聞いた。
「サンタさんってウチにも来るの?」
「サンタさんはウチには来ないよ」
「なんで来ないの?」
「サンタさんがそう決めたから」
そこで会話は終わった。でも少年は納得が行かなかったので母親にも同じ質問をした。母親は「お母さんはサンタさんに会ったことがないからわからないの、ごめんね」と答えた。少年は両親に聞くことを諦めた。
それから少年はクリスマスイブが近くなると、毎年部屋の窓をじっと眺めるようになった。日が短くなった冬の窓に、サンタクロースの姿を探した。少年はある日から、サンタクロースを呼び寄せる力を持ったモンスターを窓に描くことにした。元々はサンタクロースの使いだったという設定の、丸い輪郭とつり上がった目だけのモンスター。そのモンスターを描いてからもサンタクロースは少年のもとに現れなかったが、モンスターは確かにサンタクロースを呼ぶ魔力を発していた。
そのモンスターが魔力を発揮して窓がすべて真っ黒になってからは、冬以外の季節もクリスマスイブの夜の窓を見ることができた。少年は外にあまり出なくなり、部屋の中から窓を眺めるようになった。そのことについて、両親は少年に対して何も言わなかった。
少年を家に置いて両親が買い物に出たある夏の日、少年はいつもと同じようにベッドに座って窓を眺めていた。突然、窓の一部が割れて、外から手が伸びてきた。その手は窓の鍵を外し、引っ込んだ。少年が窓を見つめる中、その窓が開いた。そこには少年の知らない男が立っていた。男は少年と目が合って、動揺した。ただ、少年が騒ぐ様子でもなかったので、男は少年に話しかけた。
「こんにちは、僕。私はサンタさんなんだけど、ちょっと間違えて来るのが早すぎちゃったみたいなんだ。バレちゃうと怒られちゃうから、誰にも言わないでね」
と言って、少年が頷くのを確認すると男はゆっくり立ち去った。
割れた窓はもう真っ黒ではなかった。割れた部分から外が見えるだけではなく、ちゃんと窓全体を通して外が見えるようになっていた。部屋はクリスマスイブを終えて、夏の平日となった。
少年の両親は帰って来るなり、割れた窓とベッドに座っている少年を見て驚いた。始めは少年が窓を割ったのではないかと疑ったが、窓の鍵の辺りだけが割れているのを見て、すぐにそうではないと気が付いた。それから両親は少年の体を隅々まで見て、怪我をしていないことを確認した。
「ごめんな、お父さん、間違ってたかもしれない」
と、少年の父親は言った。
それから、すべての窓はなんの変哲のない窓になって、真っ黒に見えるような窓は一つもなくなった。少年は悲しかった。サンタクロースが好きだったわけでもない。モンスターが好きだったわけでもない。ただ少年は悲しかった。
その事件の後の初めてのクリスマスイブ、少年は部屋の窓にモンスターを描いた。モンスターは中身がすっからかんになってしまっていて、窓は相変わらず透明だった。少年はずっと窓を見つめたけれど何も変わらないので、やがて諦めて眠りについた。
その次の日、少年が目を覚ますと枕元に綺麗な包装のプレゼントが置いてあった。中身は、少年が好きなゲームソフトの番外編を描いたゲームだった。少年は喜んだ。それから少年は毎年、クリスマスイブになると窓にモンスターを描いてサンタクロースからのプレゼントを待ち、そして、プレゼントをもらった。少年は、いわゆる普通の少年となったのだった。
僕はモンスターを描くことについて考える。少年はモンスターを描いたが、果たして僕はモンスターを描くのだろうか。いや、僕は決してモンスターを描くことはできない。子供の頃であったら描いていたかもしれないが、僕はもう大人だし、モンスターを描くよりもモンスターが出てくる小説を書くことの方がよっぽど向いていることに気づいていた。だから僕は、十八時の窓にモンスターなんて描かないし、翌朝プレゼントが枕元になくても何とも思わないし、それを自覚して小説を書けることが幸せで、誇らしいのだった。
サタンクロス だくさん @dark3s1
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