第6話

 骨の軋む音が空からなりひびいてた。

 見上げると、巨大な怪奇鳥が空をゆったりと羽ばたいてるのが目に入った。

 羽の先端から先端までの長さがゆうに100mはある、肉と筋肉を持たない黄ばんだ骨だけで構成された謎の存在だ。上位存在「テムズナーク」の眷族と言われているが詳細は不明だ。確かなことは、この鳥は「審判の日」に上位存在と共に顕れ、世界中を飛び回り、軋む関節からぼろぼろと崩壊した欠片が地上へとばらまく、そしてそれらは「剥離体」として珍重される。

 僕は怪鳥を凝視する。その肋骨の中に住まう謎の生物たちと目があった。それらは腕をなくした人間のようなシルエットで、表面は水銀のような奇妙な物質で覆われている。肩のあたりについた複数の瞳で僕を見ている。

  上位存在は全員が全員こんな具合だ。意味不明で、圧倒的で、大げさで、そして有毒だ。人類は未だに彼らを語ることがろくにできずにいる。

 今、ここ住居区画の広大な4号三叉路に人影は僕の一つだけ。街は死んだように静まり返り、黄ばんだ乾燥骨が降る乾いた音と、それを蹴散らす僕の足音だけが虚ろに吸い込まれて行く。なぜこんなにも人気がないのかというと、この降り注ぐ剥離体が猛毒であるから、焙煎処理が施される前の剥離体は人間に馴染み過ぎる為に昇華を引き起こすことなく速やかに人間の脳を破壊する。

 この猛毒の世界を歩けるのは、上位存在と同じ構造の肉を受けた、昇華者だけだ。

「よく考えたな、ディクロノーシス。これなら盗み聞きの心配はない」

 4号三叉路を抜けた先、監査局手前のバス停にオギワラは座っていた。先日駅で僕を出迎えてくれたときとは装いが違う、全身は防護服に包まれ、顔は最高級の環境マスクによってこの毒雪の中での活動を可能にしていた。重金属で充填されたその環境マスクからは表情はよみとれず、代わりに表面に塗布されたナノレイヤーに情報が映し出している。

「たまたまですよ、偶然怪鳥が来たのが今日だっただけだ」

 僕はそういって彼の隣に座る。

「それで、赤女はどうだた?」

「何も知らない、その一点張りでした」

「嘘ではないのか?」

「わからない、ただキョウゴクとそれなりの仲で、なおかつそれを隠したがってる気配はある」

 オギワラの顔面部分のレイヤーに「笑」の1文字がデカデカと映し出される、

「ただの痴話喧嘩でなければいいがな」

「えぇ、そう願います。それと、彼女を監視してる組織がいるようだ」

「だれだ?」

「轟商会」

 感嘆、の文字が激しく点滅しながら彼の顔の上で踊った。

「なるほど……確かあそこの現会長は……」

 彼は「興味」の文字を浮かび上がらせながら考え込み始める。

 一見この感情表現システムは間抜けだが、極限環境下労働での低技術者たちの使用道具として大層重宝がられている。つまり僕のような感覚の鈍い者には便利な物で、彼はわざわざ気を使って装備してきてくれているのだ。

「明日、商会の連虫からも話を聞いてみようかと」

「期待しておく。ところでそんな情報をどこから?」

「人間史上主義者達と会いました。捜査の手を彼らに広げないことを条件に教えてもらった」

「信用するのか、そいつらのことを」

「何か隠してる気配はありますね、探りは入れ続けるつもりですよ」

「はははッ、昇華者になってもその性格の悪さは健全か」

 彼の顔に「笑」の文字が表示される、先程よりも複雑なデザインだ。

「それで、そちらの首尾はどうなってますかね。例の博物館男」

「右手に追跡器具を埋め込んだ猟犬を8匹使った、『拿禰』地区の守堂の歴史上もっとも派手な追跡戦を行った。結果はつい四時間前にここに捨ててあった、切断された右手が八つ詰め込まれたゴミ袋だ」

 彼はそう言って僕らの座るベンチの下を指さした。

 今度は僕が笑う番だった。

「かなり強い相手なんですね、その博物館男は。守人がまるで歯が立たないとは」

 オギワラの表面に浮かんでるのは「真剣」の文字だ。

「あぁ、そのとおりだ。少々死人を出しすぎた。警察に本件を引き継ぐことになったよ」

「守人達はお払い箱ですか?」

「だったら良かったんだがな。情報が出揃うまでは警察の手足にされるようだ」

 可愛そうに、と僕は同情する。指揮権を警察に取られた以上、本件はどう解決されようとも守堂の手柄にはならない。無駄骨もいいところだ。

「大変ですね。辛くなったらこれを飲んでください」

 僕はそう言ってカバンの中から酒瓶を取り出して見せる。

 彼は「困惑」の文字が出現させながらそれを受け取る。琥珀色のガラス瓶は怪鳥の黄ばんだ骨粉にまみれ、不気味なコントラストを観せていた。

「酒か、こんなものをどこで?」

「人間至上主義者から貰いました、奴らの密造酒です。随分と酒にうるさい人で辟易しましたよ」

 僕は瓶を彼に差し出す、オギワラは躊躇なくそれを受け取った。この男はこう見えてなにかと享楽系の人間だ、一度違法薬物に浸かり過ぎて職を追われかけるほどに。

「ほう」

 注目、の文字とともに視線の方向を示すガイドポインタが表示される。どうやら丹念にラベルを読み込んでるようだ。

「それで、博物館男の見当はまったくつかないんですかね? 守人の猟犬を狩れるほどのやり手だ、候補はそうないでしょう?」

「一応は旧軍閥の亡霊共の仕業と想定されている、にしては不可解な点が多いがね」

 彼は注目の文字が激しく点滅させて瓶を観察しながら、上の空気味にそう答える。

「旧軍閥? クーデターですか。でもそれと天才科学者の失踪はあまり結びつかないんですが……」

 彼の顔がこちらを向く。レイヤーの表示が消え、真っ黒な無が映し出される。

「ここから先の話は他言無用だ、いいね――」

 僕は黙って頷く。

「――キョウゴクは一時期上位存在の『剥離体』についての研究に携わっていた」

「えぇ、頂いた資料で知りました。オズリアックの体表を用いての研究でしたよね? 災厄に巻き込まれて中止になったとか」

 災厄に巻き込まれ、研究メンバーたちが彼を残し全員死亡、剥離体も培養に失敗して死亡、研究は中止。そう読んだ。

「どうも、その研究が『中止』になった本当の理由は災厄とは別にあるらしい。俺も詳しくは知らないんだが、何か想定外の物が偶然精製されたとか」

「なんですか? その想定外な物とは」

「だから知らないってば、知りたくもない。多分博物館男はそれのデータが狙いなんじゃないかな」

 彼は顔面の暗黒に「恐怖」の文字を浮かび上がらせる。

 オギワラでも知らないレベルの機密事項、それを博物館男は知ってるのか。ひょっとして警察上層部の人間が関わってるのかも知れない。

「深く考えるなよディクロノーシス、お前の仕事はキョウゴクを見つけることだけだ。それ以上は警察の領分になったんだ」

「はいはい」

 僕は立ち上がる。足元の毒雪がガチョウの羽毛のようにふわりと舞い上がった。

「話はまだ終わりじゃないぞ、ディクロノーシス」

「はい?」

 僕は戸惑う。博物館男の新情報無く、ぼくの捜査の進捗情報はすべて伝えたはずだ。

「人間至上主義者に気をつけろ」

「えぇ。もちろんそのつもりですよ」

 彼は右手に持っていた酒を掲げて見せる。

「これは密造酒ではない、アーベン社が20年代後期に製造した物だ。どこかの倉庫で放棄されてたものを掘り出したのだろう」

 僕の思考は一瞬固まり、言葉がでてこなくなる。

「わかるかディクロノーシス、これは密造酒よりも遥かに高品質で貴重な物だ」

 彼はそう言ってラベルと瓶底をコツコツと叩いて見せる、よくわからないがそれらから之が本物の酒であることが読み取れるらしい。

「なぜ……人間史上主義者達はそんな嘘を僕に」

「さぁね、奴らは酒の知識がないわけじゃないんだろう?」

 怪鳥の声が鳴り響いた、「ガラーン」という、まるで古びた鉄の鐘楼を打ち鳴らすような。骨が再び降り注ぐ、風がアスファルトの上に堆積した骨粉を巻き上げる。その量は凄まじくオギワラの姿が見えなくなる。

「それで……今我々守人は比較的暇だ」

 雪吹雪が途切れる。再び彼の姿が見えた。

「それなら……この区画内の醸造プラントを調べてくれませんか? 特に放棄されたものを中心に」

 彼の顔に「満足」の文字が浮かび上がる。どうやらこの旧い友人は、警察を出し抜く事を目論んでいるようだ。

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