第5話
裏路地の汚い階段を降りた先、腐りかけた木のドアの向こう。そこにその「バー」はあった。
薄暗い店内、水を多く含んだ木で作られたカウンターテーブル、壁に埋め込まれた大量のアルコール嗜好品、そしていかにもな装飾に身を包んだバーテン。
古いフィルムフィクションでしか見たことのない「バー」という空間がそこにはあった。
「まさか本当に……全部本物ですか?」
カタヤマは自身のコートを畳みながら、得意げに微笑む。
「断っておくが、古いカビついた酒を並べているわけではない。ちゃんと俺達が製造した酒だ、安心して飲むといい」
アルコール類の民間製造が衰退して久しい。こういった類の娯楽施設はとうの昔に絶滅したと思っていた。
「どうやって……これほどの量を」
「別に不思議な事はない、ここはそういう街なのさ――」
彼はそう言うと僕に手を差し伸べ、上着を要求する。
僕はとりあえず素直に脱いで渡す。彼はそれを手際よく畳み、背後の壁のフックにかける。
「――ところで、君、名前は? 私はカタヤマ、カタヤマクニヒロ」
昇華者としての本名か、偽名を答えるか少し考える。むやみに情報を渡すのは危険と考え、偽名を伝えることにした。
「オクダです」
僕が昇華者ということは彼は知らないだろう。
つい数分前に僕を襲った二名の男は、僕達より先にバーの中へと担ぎ込まれ、いまだ後ろの革張りのアンティークソファーの上で気絶している。
「オクダさん、飲酒の経験は?」
「ありませんね」
「それはもったいない、酒の旨さは飲み手の場数にも影響されるんだ」
彼は僕の隣に座ると、慣れた様子でバーテンに何かを注文をする。
「ブルーハワイを二つ」
バーテンは静かにうなずくと、振り返り、酒の準備を始めた。
巨大な銀コップに液体を手際よく注ぎ込んでいく、その様子は何処と無く不慣れなようにみえた。
「あまり客は来ないようですね」
「年中閑古鳥が鳴いている。今日日酒を飲む人間は減った――」
カタヤマは苦笑いを浮かべる。
「――二十年前に興った禁欲ムーヴメントは今もなお続いている。肉欲や酒を断ったほうが侵略者に評価されると信じてるバカばかりだ」
侵略者、人間至上主義者たちは上位存在をそう呼ぶ。上位存在を一切信用していないのだ。人間達を家畜に貶めた卑しい異星人としてしか見ていない。
「……だが効果はあったんでしょう? 断酒や計画生殖を行うようになってから昇華者の発生率は増えた、そう聞きますが」
「『発生率が増えた』という噂があるだけだ。正確な統計データは存在しない。今度政府の資料を調べてみるといい、完全な横ばいグラフが見れるはずだ」彼は微笑む。「みんながみんな信じてるんだ。無根拠な話を」
不思議なことに彼の微笑みには、知識をひけらかす者の示す独特な傲慢さは欠片も無かった。
ただ寂しさだけが張り付いているように見えた。
「どうして……人々や、政府までもが、そんな事実無根の話を信じているんですか?」
「人間がそういう生き物だからだよ。深い無明の洞窟中に生きる盲目の赤子、それが人間の本質だ」
その手で触れられるものが世界の全て、そう思い込んで生きている愚かな物達。
「無明……」
「別に珍しいことでは無いんだよ、太古から人間は繰り返してきたことだ。『宇宙は地球を中心に廻っている』『肌の色で人種の優劣が決まる』『石油は近い将来無くなる』『地球の温度が上昇してるのは人間の経済活動が原因だ』『資本主義は社会主義よりも優れている』『鉄片と木片は同じ速度で落下する』。皆そういった、ある種の風説を盲目的に崇拝しつづけた。人は原始の時代よりずっと無明の暗闇の中で生きている」
小さくガラスの鳴る音がした。
みると青い色の液体が注がれた二つのグラスが、僕とカタヤマの前に置かれていた。
綺麗な青色、だが嘘くさい青だ。
製作者の「美しい蒼」という意図が見える、鬱陶しい映像美。
「人類を覆う無明に乾杯」
一応グラスを軽く合わた後、口をつけて見る。
芳醇な果物の香り、そしてアルコールの独特なエグ味が舌の上に広がる。
「どうだね?」
「まずいです」
僕はそう言ってグラスをカウンターの上にもどす。
「このブルーハワイという酒はね、遠い昔、未成年の子供達でも飲むことが許され、また頻繁に嗜まれていたものなんだよ」
僕は思わず眉を顰める。
「こんなにアルコール度数の高いものが?」
「それほど、飲酒という行為は今より身近だったのだよ。人の文化に根付いていた」カタヤマは口にその青い液体を付ける。「だから禁欲ムーヴメントが起きたとき、直ちに全ての民間醸造プラントが閉鎖されたわけではなかった。たとえば醸造が根幹産業だったこの地区とかね」
「そしてその消費あるいは需要を、貴方達人間至上主義者が支えていた……と」
「その通り。面白い話でしょう? この地区の人間至上主義者の大儀は『侵略者からの人類の独立』ではなく、『酒を楽しむ』を屋台骨に結成されたんだよ」
彼の話は嘘ではないだろう。
人間至上主義者とて一枚岩ではない、全員が全員上位存在抹殺のような過激な思想を掲げているわけではない。「計画生殖の部分的撤廃」、「謝肉祭の再解釈」など細かい要求を掲げる輩もいると話には聞いている。
「随分お気楽な反政府組織ですね」
嫌味に聞こえるかもしれないが、それは僕の本心だ。
彼もそれを読み取ったのか、表情を曇らせる様子はなく、むしろ饒舌に言葉を続ける。
「まぁね。だが今はもう違う」
「と、いいますと?」
「風説の変化だ」
「風説の変化? どういう意味ですか?」
「元来俺達は『酒を禁止する』という風説のカウンターカルチャーとして誕生した。敵とする風説ありきの組織だった。だが時代とともに風説が変化した」
「変わってないでしょう? 今も禁欲の文化は根強く残っているはずです」
上位存在への感謝、人類の愚かさへの戒め、地球への贖罪。それらの意味をこめて禁欲的な生活を好む人間はいまだに多く、この煙の街の住人の大半が古い修道僧のような日々を過ごしている。
「変わったよ。人々が飽きたんだ、今の主流の文化『飲酒は悪』に抵抗することに。今の若者達は酒に興味を失い、いまだに古い思想を抱え警察と闘争を行う俺達の事を疎んじるようになった」
彼は実に旨そうにカクテルを口に運ぶ。
まるで、そうやって旨そうに飲むことが義務であるかのように。
「新人の勧誘に苦労しそうですね、ひょっとして僕を連れてきたのは勧誘が目的で?」
僕はへらへらと笑いながらそう茶化す。不快に思ったのか、後ろのソファーに座っていた男が一人こちらを睨むのを感じた。
「君をここに連れてきたのは、俺達を良く理解してもらうためさ――」
彼はそういうとグラスを持ち上げ、僕の視線の前に掲げる。海の様な青の向こうに、カタヤマの瞳が揺らめいている。
「――俺達はこのカクテルと一緒さ。かつては人々に必要とされ、量産され、持て囃された。だが時代ともに飽きられ、見捨てられ、疎まれ、忘れさられようとしてる。このカクテルも俺達も何も変わっちゃいないのに――」
彼の言葉にはこれまでにない程の感情が込められている。
「――所詮人は無明の中の生き物だ。真の解なぞ見出せないから、適当な風説を気分で選び、それがまるで真の解のように称える。そして飽きれば即捨てる」
疲弊した怒り、恨み、悲しみ。色あせ錆び付いき膿み疲れた鉄像のような思い。
「……同情でもしてほしいんですか?」
「いいや、理解をして欲しい。我々は組織として老い過ぎた。だから守人『キョウゴク』を拉致ったり襲ったりするような気概も力ももう無い。今回の事件の犯人ではない。そんな理解をね」
僕は思わず声を出して笑ってしまう。
「いや、失礼。面白い冗談だなと思いまして」
「本気だよ、ふざけてるつもりなんてない」
「僕を追い廻して、発砲までして、よくそんな弱者ぶった口が利けますね」
「あれは弱者ゆえの行動だ、窮鼠猫を噛むというだろう」
彼はグラスの中身を飲み干す。口調は相変わらず冷徹だが、行動の節々に荒々しさが匂ってきた。
「ちゃんと納得のできる説明をしてもらいたいものですね」
「さきの襲撃は一部の部下が先走った結果だ。この組織が潰されることを恐れた」
「『キョウゴク誘拐犯』の濡れ衣を着せられ、犯人とされることを恐れたと?」
「そんなところだ」
「バカらしい。守人拉致の容疑から逃げるために、守人を殺しては意味がないでしょう」
「少なくとも時間は稼げる、この組織を解散して名簿を燃やす程度のはね」
僕は思わず彼をジッと見つめてしまう。
「解散するつもりなんですか」
「だから俺達のことはそっとして置いてくれると嬉しい。今回の事件には無関係であり、そして直ぐに消えるのだから」
「そちらにばかり都合の良い話ですね」
彼の表情から笑みが消える。その代わりに、硬質な緊張が広がる。
「もし、俺達を放っておいてくれるなら、相応の情報を提供する」
情報と庇護のトレードか。まぁ悪くはない。
彼らが「無害な弱い組織」であることに疑問は拭えないが、現状キョウゴクに関する情報はかなり不足気味だ。
「どんな情報ですか?」
「キョウゴクの彼女、赤髪の女『クドウ』を監視している集団がいる」
素晴らしい情報だ。
僕は思わず身を乗り出したくなる衝動を抑える。
「どんな組織ですかそれは」
「……取引は成立、ということでよろしいですね?」
なんなら美味しい酒も一本付けましょうか? 彼は緊張の滲む顔から、無理にそんな軽口を叩いてみせた。
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