第65話『おぅ、よろしくな』

 マリンは姿勢を正して迎えたが、ユーリとクレアは顔を向けただけだった。

「もう準備はいいのかい?」

 道化師は近付きながらマリンとユーリを交互に見つめて小鳥のように小首を傾げた。

 その対称にクレオが入ってないのは、彼女が準備済みなのは分かっているのだろう。

「はい。何時でも行けます」

「まぁ……」

 マリンが姿勢を正したまま口を大きく開けてお腹から声を出してはっきりと応えると、ユーリが気のない声で続いた。

 ちょっとやそっとで怒るような人ではないことはこれまでの会話で分かっているが、道化師はこの学園の、いや例え学園しかない小国とはいえ、一国の統括者だ。そんな人を相手にその態度は頂けないと横目でユーリを避難したが、ユーリも道化師も気にもとめていないのか素知らぬ顔で会話を進めていく。

「それじゃあ少し早いけど出発してもらっていいかな?」

「はい。大丈夫です」

「うん。じゃあ、行こうか」

 道化師の言葉にマリンが頷くと、道化師はゆっくりと頷き返して軽い口調で言うと、踵を返して歩き出した。

「えっ? 理事長も一緒に行くんですか?」

 ここは全員を集めて労いの言葉を掛けて送り出してくれるところだろうと思っていたが、道化師が先頭切って歩き出したのを見て、マリンは驚いて思わず問い掛けた。

「ううん。ボクは訳があって一緒には行けないんだ。ちょっと紹介したい人がいてね。

 駐車場まで一緒に行くよ」

 頭だけで振り返っていつも通り軽い口調で言うと、正面を向いて理事長室を出て行く。

 マリンは二人が着いてくるのを背後に感じながら、理事長に続いて部屋を出て廊下を進み、ふとどこかで聞いた噂を思い出していた。

 道化師の家系は代々魂を国と同化させて守っているために実体はなく、学園に存在している姿は、見ているものによって異なると言う都市伝説のような話だ。

 小国でありながら、領土拡大のために攻め込んでくる大国の猛攻を受けても落とされることなく今も存続し続けているのは、代々の国王が書いて字の如く身を削って守り続けてきたからだ。

 話し半分に聞いていたが、もしもそれが本当の話だとしたら、国を出られないと言うのも合点がいくし、素顔が見えないのも納得がいってしまう。

 それは道化師がいる以上なにがあってもこの国は安泰だと言うのこと意味しているが、逆に言えば道化師は国のために全てを捧げなければならないことを語っていた。

 そして、王が血筋で受け継がれていくものであるのなら、次はクレオが国と一体化して生きて行かなければならない。クレオがそんな決められた人生を納得しているのかと言う疑問が頭を過ぎったが、もしも受け入れていないとしてもマリンにはどうすることもできない。これは答えを求めてはいけない疑問だとマリンは思った。

 四人は長い廊下を進んで学園の外に出た。

 学園は城だった建物の内部を改装して作ったものだが、外装は九割、王城のままである。

 その城の横手にある駐車場へ行くと、教員用の乗用車が並ぶ中、一際大きな装甲車が停まっていた。

 四人が近付くと装甲車の運転席のドアが開いて、中から一人の男が出てきた。

 年は四十前後だろう。頭にメッシュのような少量の白髪が混ざっている迷彩服の男だ。

 男はゆっくりと歩み寄ってくると、道化師と握手を交わした。

「彼はディヴル。これから君たちを現場まで連れて行ってくれる運転手さんだよ」

「おぅ、よろしくな。ガキ共……」

 道化師が紹介すると、成人大人でも背の高いほうに部類される道化師よりも、頭一つ高い位置から不精髭が雑多に伸びた口許を吊り上げて、ディヴルが野太い声で言った。

 初対面でいきなりのガキ呼ばわりに不快感が込み上げてきたが、ここで争っては今後に支障を来たすかも知れない。マリンは笑顔で挨拶するべきだと思いながらも笑顔を作ることができず、憮然としたままで『よろしくお願いします』とだけ告げた。

「車はあれだよね?」

 クレオはディヴルにそれだけ確認すると、横暴でガサツな物言いも気にした様子もなく、慣れた足取りで装甲車へ乗り込んでいく。

 そのやり取りからクレオはディヴルに現場まで送って貰うのは初めてではないのだろうとなんとなく察した。

「安全運転でお願いしますねぇ?」

 ユーリも何食わぬ顔で一声掛けてから車に乗り込んだが、明らかに勘に触っているのがディヴルを見る冷ややかな視線でマリンには分かった。

 本当ならあまり関わり合いたくない人種の人間だが、これから任務というときにわがままを言うわけにはいかない。現場まで送って貰うだけだと我慢するべきだろう。

 そう自分に言い聞かせて、ユーリに続いて装甲車に乗り込む。

「それじゃあ、行ってくるね」

 クレオが窓を開けて、まるでドライブにでも行くように手をひらひらと振りながら軽い口調で道化師に伝えた。

「うん。よろしく。がんばってきてね」

 自分の娘が戦いに送り出すと言うのに、返答する道化師の口調もやたらと軽い。

 もう慣れっこなのか、それとも元々がこういう親子なのか、マリンは二人の関係を図りかねていた。

 最後にディヴルが運転席に乗り込みエンジンを掛けた。

『行ってきます』の意を込めてマリンも道化師に向けて軽く会釈をすると、道化師は小さく片手を上げて返答してくれた。

 普通の車よりも数倍重い、お腹に響いてくる大音量の低いエンジン音を発しながら、ハンドブレーキを下ろす音が響かせると装甲車は現場に向けて発進した。

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