第38話『無の世界だね』
茨が消えても傷はズキズキと痛みを訴えてくるが、締め付けられる拘束からは逃れられて安堵に息を着いた。心配になってクレオを見ると、クレオは地面に着地していて、片膝を着いてすでに応急手当を始めている。
青年は感嘆に息を飲み込んで、子供のように瞳を輝かせて自分の両手や、白い光に包まれた世界を見回していた。
「凄い……。波動が全て消えた無の世界。アハハハ。まさかこんな切り札を隠し持っているとはね。これは波動術以上のSSランクのレアなスキルだよ。
いいねぇ。どうだい? 僕と一緒にタロットに来ない?」
「タロット?」
聞きなれない言葉にマリンは青年を睨んで問い掛けた。
「僕たちの組織だよ。『全世界平和維持協会』なんて大仰な看板を掲げておきながら、その実、宇宙を支配しているつもりでいる『アニマムンディ』を潰すための組織さ。
僕たちは、あの偽善者どもに正義の鉄槌を下すために集まった選ばれた存在さ」
アニマムンディとは世界中に、いや宇宙中に支部を持つ、恐らくこの世で一番大きな組織の名称である。『戦争撲滅』を掲げ、各国の戦争を始め、テロや内乱の鎮圧に奮闘している組織の名称である。
加入国は平和を保っているのだが、それを快く思わないものも少なくはないようだ。
「冗談! 誰があんたたちの仲間なんて。願い下げよ」
マリンは痛む体を震わせながらも必死で体を起こして、まだ興奮が抜けていない様子で、瞳を爛々とさせて嬉々としながら語ってくる青年の提案を、大きく顔を逸らして一笑した。
「そう。残念だよ。だったら君にもここで死んで貰わなくちゃいけないね。
こんな危険な能力、野放しにするわけにはいかない」
青年は冷ややかな笑みに戻ると、この空間内では波動が使えなくなったため懐から拳銃を取り出してマリンに向けてきた。
もともと波動の使えない状態で訓練を受けてきたマリンには、この白い世界の中ででも普段と変わらない身体能力を発揮することができる。
波動術者の身体能力に違和感を覚えることはないが、普段波動を纏っている術者たちは、波動を消されると鉛でも背負ったような体の重さを感じるらしい。
タイミングさえ計りそこなわなければ、マリンは銃弾でも目視し、かわすことができるが、それは通常ならばである。満身創痍と言っても過言ではない今の状態では避けきれるか怪しい。
回避のタイミングを逃さぬように、マリンは青年の持つ銃口の角度と、引き爪を引く指の動きを注意深く伺っていた。
(拳銃は脇を不安定にさせれば命中率がかなり下がる。
相手は右利き。私が左へ駆け出せば……)
銃の角度は正確にマリンの左胸に向けられている。頭でなく胸なのは、頭よりも体の方が大きく、直撃をかわしたとしても体のどこかには当てることができるからだ。
オートマチック拳銃であろうと動くものを撃ち抜くのは難しい。マリンの命運は一発目を如何にかわすかに掛かっていた。
青年は口許に笑みを浮べて、ゆっくりと引き金に掛けた指に力を込めた。
「ねぇねぇ、私を忘れないでよ」
マリンが地面を踏みしめて地を蹴ったのと同時に、クレオが宙を舞い青年の背後から蹴り掛かった。青年は口の端を吊り上げて拳銃をもう一挺取り出すと、クレオに向けて二挺同時に撃ち放つが、マリンもクレオも銃弾をかわし青年から距離を取ることに成功した。
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