第20話『上見ないでよ』

 見慣れた建物ではあるが、普段は何気なく傍らを通り抜けるだけでそれほどの意識はしていなかったが、こうして改めてみるとかなり大きな建物だと実感できた。

 七階建ての建物は、各階に一個のパラボラアンテナが設置されて、それぞれが七つの方向を向いている。一つのパラボラアンテナで一方向の電波を送受信し、ワンフロア全体で管理しているのだ。

 それは生徒たちが敷地内での情報交換を円滑にするのと、外部からのサイバーテロや入ってくる余計な情報を遮断するためである。

「んじゃ、ちょっと調べてみよっか」

「ああ、ちょっとぉ」

 今日は平日の午後であり、まだ働いている人たちがいるはずだ。風紀委員である自分が協力を要請しなければ調査はできないだろう。マリンは自分が先に行かなければと慌てて先に行くクレオを追い掛けた。

「あれ、そういえばここ……」

 マリンはその場に足を止めて周囲を見回した。

 そこは病院が強襲されたあの夜、マリンがユーリとぶつかった場所だった。もしもここから狙撃が行われたのだとしたら、ここで足を止めた時になにも気付けなかった自分の失敗だときゅっと唇を噛み締めた。

「んぅ? マリン、どうかしたの?」

「なんでもないわよ。さっさと調べましょう」

 足を止めたマリンを不思議に思ったのかクレオが問い掛けてきたが、悔しさが込み上げてきていたマリンには優しく応答する余裕もなく、少し強い口調で言い放った。

「え? あ、うん……」

 マリンの態度に少し戸惑ったように歯切れの悪い返答をするクレオに、八つ当たりをした自分に自己嫌悪に陥り、さらに強く唇を噛み締めた。

 調査するのに、二人はビルを囲むように造られた階段を上がり、屋上から崩壊した病院の位置を確認すると、病院側に面した階段や踊り場に可笑しなところはないかと調査することにした。

 マリンが上から、クレオが下から、順番に回って調べ始めた。

 かなり年季が入っていて細かい傷や錆、皹があちらこちらに見られるが、別段可笑しなところは見られない、崩れる心配のないしっかりとした造りの階段だ。

「マリン、ちょっときてぇ」

 階段に攻撃をした痕跡や、退路に繋がるものが何か残されていないかと、踏み面から蹴り上げ、手すりや壁を隈なく調べていたとき、階下からクレオの声が聞こえてきた。

「なにかあった!?」

 マリンは思わず手摺りに身を乗り出して階下を見つめると、下からクレオが見上げて手を振っていた。

 マリンはもう屋上から見て回り、四階に差し掛かろうとしていたときだったが、クレオはまだ階段の調査にも入っておらず、まだ周囲を調べているようだった。

 手摺りから一気に飛び降りたいところだったが、波動を使えないマリンがそれをやったら重症を負ってしまうだろう。急く気持ちを抑えて全力で階段を駆け下りた。

「どうかしたの?」

 階段を下り切り、肩で息を着いて乱れた荒い呼吸を整えながら、クレオに近付きながら問い掛けた。

「なんか怖いよぉ? マリン。真面目なのは分かるんだけどさぁ……」

 マリンが近付くと、クレオは何処か怯んだ様子で強張った笑みを浮かべた。

 もう飽きるほどに言われ続けた言葉だが、好きになれる言葉ではない。真面目であることは悪いことではないのに、どうしてみんなバカにしたように言うのだろう。

 マリンは一言くらい文句を言ってやりたかったが、今はそんなことをしている場合ではない。唇は尖らせてしまったが言ってやりたいことを飲み込んで本題を切り出した。

「それで? わざわざ呼びつけたくらいなんだから、なにかあったんでしょうねぇ?」

「ああ、そうそう。ちょっときて、こっちこっち」

 マリンの言葉で呼んだ目的を思い出したのか、クレオは笑顔になると手招きをしながら建物の影へ入っていった。

「こんなところになにがあるのよ?」

 身体を横にしなければ通れないような、電波塔と隣の建物の僅かな隙間を進むクレオに続きながら、マリンは声を掛けた。

「んぅ。来れば分かるよ。多分、有意義な証拠。ちょっと一人じゃ無理だから力貸して」

 クレオも身長はともかく体躯はマリンとそう変わらないのに、かなり慣れた足取りで、難なく道とも言えないような僅かな隙間を進んでいく。

「そういうことなら幾らでも協力するけど、こんな狭い道しかないのぉ?」

 足場の悪い上に脛や肩があちこちにぶつかり、不満を露にしてぶつけた。

「ん~、あるにはあるんだろうけど、きっとすっごい回り道するようだよ?

 道も分からないし。こっちから行ったほうが手っ取り早いよ。絶対」

 クレオは小さく肩を竦めて苦笑を浮かべると、すたすたと先に進んでいく。

 良くこんな歩き辛い場所を簡単に歩けるななどと思い、もしかしたら普段、学校の風紀委員から逃げ回っているのかもしれないとぼんやりと考えていた。

 気が付くとクレオとの距離は離れてしまっており、マリンは狭い道を見つめると意を決して足を踏み込んだ。

「こっち。こっち」

 クレオは建物の裏手に入っていくと、マンホールの前で止まって指し示した。

「マンホール?」

「そそ。地下下水のメンテナンスは、普通水道局員の大学生が定期的にやっているから、だいたい決まった場所しか空けられないんだけど、ここ最近開けた痕跡がない?」

 クレオの言葉にマリンはマンホールに視線を落として注意深く状況を伺った。

 使われていないマンホールと言うのは、蓋の回りにある淵に細かい砂や埃などが入り込んで埋まってしまっている。以前、砂の詰ったマンホールの蓋を開けようとしたことがあるが、それらが邪魔をしてなかなか開けられなかったことがあった。

 だが、このマンホールは蓋の回りには深く溝が刻まれており、それはクレオの言う通り最近開けられた証拠と言えるだろう。

「そうね。蓋の回りに砂とか詰ってないもの。最近開けられただろうけど、その水道局員の人が開けたんじゃないの?」

「水道局員が開ける場所はこと前に報告されてるけどここは開けないはずだよ」

「報告? なんであんたがそんなのを知ってんのよ? あなた何者?」

 水道局員が管理をしていることくらいなら、情報通なものなら知り得る情報ではあるが、その点検箇所までも把握するものは数少ない。職員たちと議事会と呼ばれている選ばれた生徒たちだけだ。

 議事会のメンバーは中、高、大学生の中から選出されているが、メンバー全員の容姿は模範生として全校生徒に公表されている。その中に彼女の姿を見たことはないのに、そんな情報を握っていることをマリンは訝しみ、眉を潜めて問い掛けた。

「それ、今追求すること?

んぅ、それは……。まぁ、話せば長くなるから追々話すよ。

 だからその話は後にして、とりあえず、この蓋外してみようよ?」

 クレオは屈んでマンホールの出入り口を塞ぐ、鉄の円盤を掴んで見上げてきた。

「えっ、うん。そうね……」

 どこか腑に落ちないものを感じながらも、彼女の素性よりも敵を割り出すことが優先だと判断して、彼女の前に屈むとマリンもマンホールの蓋を掴んだ。

 マンホールの蓋とは鉄製で、それも結構な大きさがある。

 溝に砂がぎっしりと詰っていたこともあって小学生の頃はまったく動かすこともできなかったが、中学生になった今、それでも重くはあるがどうにか動かすことができた。

「よいしょっと……」

 どうにか二人掛かりでマンホールの蓋を立てると、クレアの掛け声に合わせて持ち上げて脇へとずらし、二人でマンホールを覗き込んだ。

 底は見えないくらいに深いが、水の流れる音が響いてくる。端には梯子が埋め込まれており、奥から異臭が込み上げてきてマリンは顔を顰めた。

 とは言っても住人のほとんどが少年少女であるこの国は、衛生面でかなり気を使われており、腐敗臭ではなく、強力な消毒臭だ。

「私は行ってみるけど、マリンはどうする?」

 クレオは立ち上がると、マンホールの梯子に足を掛けて高さを確かめながらマリンを見上げてきた。

 マンホールの中は暗く、ひんやりとした空気を漂わせていて生理的な恐怖を訴えてくる。

 中には昨日、病院を襲撃した犯人が潜んでいる可能性もあり危険も高い。

 だからこそクレオは悪戯に危険に巻き込んだりしないため、強要したり強請ったりはせずに、マリンに決断を委ねたのだ。

 しかし、ここで引き返す選択肢などマリンにはない。恐怖はある。危険だと言うのも分かる。だがそれ以上に、襲撃者を捕らえなければと言う使命感が勝っていた。

 犯人を野放しにしておいてはまた町が襲撃されるだろう。もしかしたら、あの病院以上の甚大な被害を蒙ることになるかも知れない。

 そうなれば多くの人が傷つき、居場所を失くし、悲劇が繰り返されるのだ。

 それを阻止するのに躊躇う理由がマリンには見つからなかった。

「いくわ。行くに決まってるじゃない!」

 マリンはクレオの問い掛けに強い意思を宿した瞳で見返して答えると、クレオは微笑みを浮かべて頷いた。

「うん。じゃあ行こっか。だけど、無理はしないでね」

「あんたもね」

 マリンは嬉しそうに見つめてくるクレオに向けて微笑みかけると、労いの言葉を掛けて来たクレオを労ってやった。

「ん? 私は大丈夫だよ。でもありがとう」

 マリンの言葉にクレオはきょとんとして見つめてくるも、すぐに笑顔に戻った。

 『私は大丈夫』。未知の敵を相手にするのに、そんな自信に満ちた言葉を発するクレオにマリンは疑惑を覚えた。

 ただ、単純に自分の実力を過信しているだけならば、マリンがフォローをしてやれば済むことだが、彼女からは強いものが持つオーラを感じる。

 うまくはいえないが、ある程度の実戦の経験があるものには落ち着いた気配がある。

 彼女からは幾つもの戦場を乗り越えた、百戦錬磨の達人のような気配を感じた。

 それならさらに疑問は深まる。どこまで深い戦いに身を投じているかは知らないが、どこの誰だかわからない相手を軽視するとは思わなかった。

 だとしたらクレオはすでに相手を知っているか、戦う理由がないかのどちらかだ。

 これまでもクレオは様々なことを知っていたし、相手のことも掴んでいるのかもしれない。相手の総勢力が分かっているのならば、自分の実力と比べて優劣を見極めることは可能だろう。

 それなら彼女の言葉も分からなくもないが、それでも突発事故でなにが起きるか分からないのが戦場だ。軽く考えすぎではないかと言う感は否めない。

 ならば戦う理由がないのだろうか?

 相手は昨日あんな事件を起こしたテロの集団だ。事件を再発させないためにも、憤慨をぶつけるのでも、学園のものならば戦う理由など幾らでもあるはずだ。

 偵察だけが目的なのだろうか? しかし、それならマリンの同行を赦さないはずだ。

 ならば、テロリストの仲間なのだろうか? それならば戦う必要はない。

 だが、それならば被害現場にいたことが酷く不自然になってくるし、学園の人間であるマリンにここを教える必要がない。

 罠か? と言う考えが一瞬頭を過ぎったが、正直、今のマリンの実力では罠に嵌める価値もないだろう。

 そもそも、ただの学生にしては情報量が多過ぎる。

 クレオの心意や素性が掴めずに、マリンはクレオを訝しんで見つめた。

「ん~? どしたのマリン? いかないの?」

 すでにマンホールを下り始めていたクレオが、目から上を出してマリンを見返してくると、不思議そうに問い掛けてきた。

 行くと言ったのにその場に佇むマリンを見て、躊躇っているとでも思ったのだろう。

「行くわよ! って言うか、一人でさっさといくな!」

「だから、ちゃんと声掛けたじゃん……」

 現状を把握して声を荒らげるマリンに、クレオはブツブツと文句を言いながらマンホールの壁に埋め込まれている梯子を下っていった。

「上見ないでよ!」

 スカートのため、下から見上げれば下着が丸見えになってしまう。

 女子であるクレオなら男子に見られるよりはダメージは少ないが、それでもやはり気になる。先に行くクレオに忠告をしておく。

「ほ~い」

 クレオは気にした様子もなく降下していく。

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