第12話『どんな星の元よ』

 階段を下りれば下りるほどに、上では病院が今も燃えて盛っているのを忘れてしまうほどに熱気は感じなくなっていき、ここが本当に特別な場所なのだと感受することができた。

 もともと火や煙は上に昇るために、地下ならある程度の安全を確保できるが、外の音もすべて遮断され、ここの真上が今にも崩壊しそうなほどに燃えているなど嘘のようだ。

 マリンは火事で燃えて穴の開いてしまった黒いニーソックスを上げながら、下手に避難させるよりはここにいたほうが安全なのではと言う疑問を抱いた。

 病院や学校と言った通常の公共の場に比べれば狭いが、人が十分に通れる階段を下って行くと、ひんやりとした空気の漂うコンクリート剥き出しの通路に出た。

 通路は狭く、両側に並ぶ部屋は病室と言うよりは、まるで刑務所か牢獄のようだ。

 病院と言うにはあまりにも粗雑な場所だった。

「ここは非公式な治療が行われているため、資金もそれほど使うわけにもいかなくてこんな風らしいです……」

 マリンが思ったことを見抜いたようにユーリが小さく囁いた。マリンの思考が即座に分かったのは、ここを訪れたときに彼女自身がそう感じたのだろう。

「こんな場所に入院させてしまうなんて……」

 ユーリが辛そうな瞳を閉じて、それでも口許には微笑を浮かべて囁いた。

 助け出そうとしている人が、ここに入院をしているのにユーリはなんらかの形で関わっているようだが、なんだか聞いてはいけない気がした。

 どう返すべきかと言葉を捜すが結局なにも思いつかず、マリンはユーリに並ぶと無言で薄暗い通路を進んだ。

 事情も知らないのに、下手な慰めや励ましは無責任な上に失礼なことだ。

「あっ、その先の廊下を左です……」

「あっ、うん」

 通路の曲がり道に来たときに、ユーリが何事もなかったように声を掛けて来た。

 マリンは小さく頷いて、促されるままに通路を左に曲がる。

「でも、ここって安全そうじゃない? 無理に連れ出す必要があるの?」

 足音が廊下の隅にまで響き渡りそうなほどの静寂に包まれた廊下を進みながら、階上の獄炎を完全に遮っているのを感じて、マリンは素朴な疑問を投げ掛けてみた。

 ユーリは微かに微笑を浮かべると、頭を小さく左右に振った。

「確かにここは外とは完全に遮断されていますが、あくまでも外との装置と連結していてです。火事でここの管理をしている機器が壊れれば、途端にここにいる生物たちは死に絶えるでしょう。

 そうなれば病院は決してここは表に出さない。スェケルスは実験体と一緒にここから二度と日の光を見ることもできず、闇に葬り去られてしまうでしょう。

 それだけは、絶対に避けたいのです……」

 この病院はこの小さな国で唯一の病院であり、病気や怪我をしたらここを頼るしかない。

 だが、ユーリの話を聞いていると、ここでは普通では赦されない、実験のような治療を施しているように聞こえる。

 もしも自分に知らぬうちに妙な薬を投与されていたら、なんて考えると背筋に冷たいものを感じた。

「大丈夫ですよ。特別房に来ることさえ普通では滅多にないことですし、そんな治療が行われているのはこの地下室だけですから……。

 この病院の医師でさえ、ここの存在を知っている人は一握りのようですし、そんな研究だか実験だか分からないような治療をしているのは一部の人たちです。

 普通に腕も良いですし、信用できる病院だと思いますよ……」

 ユーリが再びマリンの疑問を先回りするように答えてきた。どうやらユーリにはマリンの考えなどお見通しのようだ。

 きっと、ユーリもマリンと同じ印象を受け、そして信用に値するのか調べたのだろう。

「だけど、実験材料にされようと、研究に使われようと、最後に彼は元気になってくれるって、そう信じることしかできないものもいるのです……」

 そして、なぜそんなところに預けているのか? と言う疑問にさえ答えるように微笑を浮かべながら小さく囁いた。

 納得はしていないが、他に頼る場所もなくて一縷の望みを託してここに預けているのだろう。それがこんなことになってしまったのだ。ユーリの想いを考えると絶対に助け出さなければと思った。

「だったら早く助けてあげないとね。なんの病気かは知らないけど、治るために入院した病院で、火事なんかに巻き込まれるなんて割りにあわない」

 マリンは口許に笑みを浮かべてユーリを見つめると、元気付けようと力強く頷いた。

 ユーリは一瞬、驚いたように顔を上げてマリンを見返すと、それまでとは違いいつも通りの皮肉っぽい笑みで喉を鳴らした。

「まぁ、それは仕方がありませんよ。

彼はそういう星の元に生まれたような人ですからねぇ」

「どんな星の元よ……」

「不幸を呼び寄せる星、ですかねぇ……」

「嫌な星ね……」

「そうですね。あ、ここです……」

 ユーリは口許に笑みを浮かべたままで喉を鳴らしながら答えるが、通路の角を曲がると急に小走りで駆け出して一室の前に立ってマリンに一声掛け、両手で扉の取手を掴んで何度も体重を掛けなおしながら開け始めた。

「その扉、重いの?」

 前後に開くタイプではなく横にスライドさせる扉なのだが、ユーリの姿を見ていると、まるで電源の入っていない自動ドアを開けているようで、手伝うべきだと近付きながら問い掛けていた。

「ええ、少し……」

 小さく微笑んで答えるユーリに並んで扉を掴むと、体重を掛けて開けようと力を込めた。

 扉は、なるほど二人でならゆっくりとだが難なく開いていくが、女子一人ではかなり重いものだった。これではユーリがてこずるのは無理もないだろう。

「イングヴァイさん、もうそろそろ大丈夫ですよ?」

 扉から手を離して小さく息を着くユーリに声を掛けられて、顔を上げると人が通るには十分なくらいに扉が開いているのを確認してマリンも扉から手を離した。

「なんか、あまり力ないわよね? あんた……」

 恐らく扉を開けるのに使った力は同じくらいであろう。それなのに、ユーリはマリンの数倍は疲弊しているようだ。

「はい。私はか弱い女子ですので……」

「ああ、そう。いいわ、行きましょう」

 心配して聞いてみたが、軽口で返してくる彼女に真面目に心配するのが無駄なように思えて、溜息と一緒に吐き出すと僅かに扉が開いた病室の中へ足を踏み入れた。

 病室には明かりがついておらず、部屋の隅でなにか機械が小さな光を放っているだけだった。病室であるからには真ん中にはベッドがあるはずだ。マリンはぶつからないように壁際を歩いて部屋の奥へ進んだ。

 暗闇に目が慣れてきて、部屋の中央にあるベッドとそこに横たわる人の輪郭が判別できるようになってきた頃、部屋の電気が煌々と点灯した。

「うっ!」

「電気はまだ通っていますねぇ……」

 暗い室内に馴染みつつあったところに突然明かりをつけられて、目に痛みにも似た感覚を受けて思わず小さく呻きを上げたマリンに、それを知ってか知らずか扉の傍らから笑みを向けてきた。

「ちょっと、急に電気なんかつけたら目が……!」

「あら、すみません。それなら消しましょうか?」

「大丈夫、視界はすぐに回復するから」

 白く霞んでいた視界が徐々に回復していき、ものの輪郭を捉えられるようになると瞳を凝らしながら声の聞こえてきた方向を見つめて、小さく吐き捨てた。

 ユーリはなにも答えなかったが、小さく吐息を洩らしたのを音と気配で感じた。

「イングヴァイさん……。これが、この施設が取った、闇に魂を縛られてしまった人を生かす方法です」

 ユーリがゆっくりと近付いてきてベッドの傍らに立つと、瞳を辛そうに半分伏せてベッドを見つめて小さく告げてきた。

「闇に……?」

 マリンはまだ焦点が定まっていなかったが、ユーリの尋常ならぬ言葉に立ち上がってベッドに視線を向け、あまりの光景に瞳を見開いた。

 ベッドに寝ているのは、マリンより少し年上だろう少年だった。年上と言ってもそれほどは離れていないだろう。中学三年生か、高校一年生くらいだ。

 金髪で、線の細い小柄な少年だった。

 少年の体を覆わんばかりに、至るところに点滴用のチューブが刺されていた。

 頭、喉、手、足、胴体といった、本当に全身にだ。

 そのチューブの先に繋がっているのは、見慣れた点滴用のビニールの袋ではなく、ガラスのカプセルに入れられた見たことのない植物の実だった。

 植物から抽出した果汁を全身に注入しているような、そんな光景だ。

 その他にも、マリンには用途の分からない医療器具が取り付けられ、口には酸素マスクを据え付けられて、どうにか呼吸をしているような状態だった。

 胸も腕も痩せ細っていて、筋と皮だけのミイラのようだ。

「驚きましたか? この人はある理由で受ける必要もない呪いを受けてしまい、自分では考えることもできなくなってしまった悲しい人です。

 この世で最も生命に満ち溢れている樹木。その中でも特に強く大きな生命を宿すと言われた世界樹、『ユグドラシル』。

その実の持つ生命力を使用すれば、縛られた魂の代用になるかもしれないと、この施設の職員に言われ、淡い可能性に賭けてみたのですが全く変化はありませんでした。

 だから、もういいのです……」

 ユーリが翳りのある笑みを浮かべて、疲れたような口調で弱々しく吐き出した。

 呪術で蝕まれた体を植物の力で回復させたなどと言う話はこれまで聞いたことがない。

 呪いを断ち切る方法は、浄化するか、術者を捉えて解呪させるかなのだ。

 恐らくそんなことはユーリも承知の上で、何人もの霊媒師を尋ね、それでも救うことはできず、藁にも縋る思いでこの施設を頼ったのだろう。

 その結果、求めていた成果を得られずに、ダメだったと言う悲しさと、やっぱりかと言う諦めが入り混じったような面持ちで、ユーリは小さく呟くようなか細い声で囁いた。

「もういい? まさか、これを外したら死んじゃうとか言うんじゃないでしょうね?」

「はい? なにを言っているんですかぁ? そんなわけないじゃないですかぁ?

 もういいって言うのは、この病院での処置の話ですよ。この人は、どんな手を使っても、何年かかろうとも必ず元に戻します」

 口許に笑みを浮かべて強く言うユーリの瞳に揺るぎない意思を感じると、安堵で自然と頬を弛ませていた。

「そう。だったらまずはこれを外すわよ。見てるだけで痛そうだし……」

 マリンは少年の身体を蝕んでいるようにしか見えない、電気の配線のようなチューブを握り締めると、ユーリを見つめて微笑みかけた。

 マリンは過去、病院で医療器具の補助がなければ呼吸をすることもままならない人を見たことがある。仕方がないこととは言ってもすごく不自由に見えて、外してあげたいと思った。

 それがいけないことだと言うことも、着けられた人に取ってはそれが命綱であることも分かっていたため、そのときは我慢したが今はその必要もない。

 そんなこともあって、マリンはすぐにでも少年からチューブを外してやりたかった。

「なんだか楽しそうですね」

「そう? そんなことはないわよ?」

 戸惑ったように言葉を洩らすユーリに満面の笑みを向けて、二人で一本一本丁寧に少年の体からチューブを外していく。

 やはり針で身体に刺されていたため、引き抜くと多少の血は出たが、幸い少年の病室にはガーゼや絆創膏、包帯の類は揃っていてすぐに処置することができる。

マリンもユーリも、細心の注意を払っているとはいえ腕に突き刺さった針を引き抜いているのに、少年、スケェルスは薄目を開けてぼんやりと天井を見上げているだけで僅かな反応も示さなかった。

 魂を縛られている人間というのは、すべての感覚が麻痺してしまっているようだ。身体には体温がある。血も止血をしたらちゃんと止まった。普通に生活している人間となんらかわらない。感覚や意識、思考があるのかは分からない。

 ただ、指一本動かすこともできなくなってしまうのだと言うことをこの時始めて知り、どんなに体が正常に活動していても、これでは悲しいと思った。

「手伝って貰っても良いですか?」

 手当てを終えた少年の腕を肩に回させて、抱き起こしながらユーリが声を掛けてきた。

「あ、うん。ごめん。ぼんやりしちゃった」

 苦笑を浮かべるとユーリへ駆け寄り、反対の腕を自分の肩に回させると、ユーリと目配せをしてゆっくりと立ち上がらせた。

「驚きましたか?」

 三人で並んで歩くのがやっとの幅しかない狭い廊下を出口に向かって歩いている最中、ポツリとユーリが問い掛けてきた。

 普段はわざわざ三人で歩くことなどないが、今は二人で少年を支えているため、必然と並んで歩くことになる。

「正直、かなりね」

 ここで驚いてなどないと言っても、乾いた嘘だと簡単に見透かされることだろう。相手への敬意と些細なことで動揺などしないと言う虚勢のために否定をしたかったが、意味がないから正直に頷いた。

 ユーリは辛そうに小さく微笑むと、俯き加減に顔を伏せた。

「彼がこうなったのは私の所為なのです……」

 廊下を歩きながら、吐息を吐くようにポツリと囁いた。

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