第11話『これから俺が行って来る』

「イングヴァイさん、C棟はA棟に入らなくても回り込むように進めば行けます」

「そう、判ったわ!」

 病院はA棟とB棟が平行するように建っていて、奥にC棟が横向きで建っている。

 カタカナのコを横から見たような佇まいだ。

 A棟が外来と大怪我の入院病棟、B棟が病気を患っている人の入院病棟になっている。

 だからマリンはA棟を突っ切ってC棟へ行こうとしていたが、ユーリの言葉でA棟を迂回してC棟へ向かった。

 A棟ももう崩壊寸前だ。他に道があるのならわざわざ天井が落ちてきたり、柱が倒れてきたりする中を駆け抜ける必要はないのだ。

 水の加護を受けた聖獣の血族や、教員たちのバケツリレーなどで消火活動は始まっていたが、消防車はまだ到着しておらず火が消える兆しさえ見えない。

「はぁあああ!」

 マリンは燃えて崩れてきた壁の残骸を、鎌を横一線に振って切り裂くとそのままC棟に向かって駆け抜ける。

[イングヴァイ、ダルホだ。医師が口を割った。特別房にはやはり地下室があるらしい。

 スェケルス・アインはそこで人体実験のような治療を受けているようだ。

 これから俺が行って来る。助け出してやるから安心しろ]

 C棟の目前にまで来たとき、通信機からダルホの声が聞こえてきた。一緒に怯える男性の声が聞こえてきたが、それがきっと口を割ったと言う医師の声だろう。

「もう向かってます!」

 どういう経緯でダルホが医師からその情報を得たのか分からないが、一度自分が回って下した地下室はないと言う判断を、マリンの言葉で改めて調べなおすその行動力こそが、彼は見習うべき相手だとマリンは思った。

[向かっている? 無茶をするな!]

 通信機からダルホの制止を掛ける怒鳴り声が聞こえてきたが、止まるつもりなど毛頭にない。マリンは通信機の回線を切ると、イヤホンとマイクを外して制服の胸ポケットに押し込み、鎌でC棟の壁を切り裂いて中に飛び込んだ。

 建物の中はすでに火が回っており、天井でも柱でも炎が揺れていて、壁や床にさえ炎が閃を引いて焼いている。熱気が激しく、呼吸さえもままならない。

 今、こうしている間にも崩れてくるのではないかと恐怖を覚える惨状だった。

「どっち!?」

 口を開くだけで体内を焼かれるような苦しみに耐えながら、短く問い掛けた。

「右です!」

 ユーリが緊張で強張った声で短く返してきた言葉に、マリンは病院の廊下を右に向かって駆け出した。

 燃え盛る柱がゆっくりと倒れて道を塞ごうとするのを、マリンは大鎌を振って切り裂き、道を切り開くと、右へ右へと向かっていく。

 息をする度に熱い空気が体内に入ってきて、肺を焼かれそうだ。

 それでもマリンは自分の意思で動き回ることができるからまだいい。この中に自分で動くこともできないものが取り残されているのだとしたら、それはもう炎獄だ。

 一秒でも早く助け出してやらなければと思いマリンは全力で廊下を走った。

「そう。そのまま前進して。壁際の窓を私で叩いてください」

「窓を叩けばいいの? 判ったわ」

 大鎌から聞こえてくる声に素直に頷くと、床に燃え移っている炎を踏み消して、猪突猛進で廊下を走り抜けながら大鎌を手元でクルクルと回転させて、振り翳すと力いっぱい窓に叩きつけた。

「はぁあああああああ!」

「ちょっと、イングヴァイさん……、強過ぎです」

 ユーリが焦った声で訴えてくるがもう止められない。マリンは構わず窓を突き破るつもりで大鎌の柄を打ちつけた。

 簡単に砕くことができると思っていた窓ガラスは割れることもなく、鈍い音を立てて弾き返してきた。

「ひゃんっ!」

「つぅっ!」

 マリンとユーリはほぼ同時に声を上げると、腕が痺れて力が入らなくなり、大鎌を床に落としてしまった。

 鎌の柄で窓を叩けば当然ガラスが割れる。ユーリの狙いはガラスを突き破ることにあると踏んでいたために、全く力の加減はしていない。

 叩き付けた力がそのままマリンの両腕を襲い、痺れる両手を握り締めながら床に転がる鎌を睨みつけると、鎌が光の粒子と化してどんどん崩れていき、一ヶ所に集結すると床に屈み込んだ人の形を象り、色が着いてユーリに戻る。

 マリンが叩き付けた所がそこだったのかユーリは屈みこんだままで額を押さえ、瞳には涙さえ浮かべている。

「なによ! 窓を突き破るんじゃなかったの!?」

「誰もそんなことは言っていませんよ……。イングヴァイさん、激しすぎです……」

「だって、窓を叩けって……」

「ああ、あれはカモフラージュで窓に見えますが、認証キーを打ち込む操作盤なのです。

 もっと優しくしてくれていたら、私なら打ち込めたのですけど……」

「そういうことは最初に言っておきなさいよ……」

 マリンは然ることながら、鎌になっていても痛みは感じていたのかユーリも呻くように言葉を吐き出しながら、今の状況も忘れて互いに文句を言い合っていた。

「だいたい、この火事で窓ガラスが割れないわけないじゃないですかぁ……」

 よほど痛かったのか、ユーリは額を撫でながら立ち上がると、窓際まで歩いていきと窓に手のひらを押し当てた。

「装置が壊れていなければ良いのですけど……」

 少し不安そうに窓を見つめたままで小さく囁くと、スキャンするようにユーリの手のひらが触れている場所に機械的な光が走った。

 その直後、ピピピと目覚まし時計のような電子音が鳴り響いて、複数の重い機械音があちこちから聞こえてきた。

「なに?」

「大丈夫ですよ。地下室への扉が開いている音です。特別房で、さらに特別な処置を行われている場所なので扉も厳重なのです」

 なにが起きているのか分からずに、周囲に視線を巡らせるマリンを横目で見て小さく笑みを浮かべると、窓に手のひらを当てたままでユーリが静かに告げた。

「特別房で、さらに特別な処置……?」

 特別房とは、怪我や病気ではない、目には見えない力で著しく身体能力や生命力が激減したものが入院する場所である。呪術の類と言えば分かりやすいだろう。

 医者と言うよりは祓い師といったほうが正しいようなものたちが看病をしていて、力が強ければ強いほどに患者の回復は遅くなる。

 何度も儀式を行い、それでも良くならないものも多々いる。そんな病棟だった。

 そこで行われる『さらに特別な処置』と言う言葉がなんだかピンと来ないで、マリンは小首を傾げるとユーリに向けて問い掛けていた。

「その話はまた後でにしましょう。今はスェケルスを助けることに集中してください」

 何かが動くモーター音が止むと、ユーリが寂しそうな笑みを浮かべながら吐息と一緒に小さく囁いて、再び足元から粒子と化して崩れて行き、大鎌に変貌を遂げるとマリンの手元に飛んできた。

「そうね。あなたの知り合いも、いるのなら他の人も、全員助けるわ」

 マリンは大鎌を握り締めて強く言うが、辺りは病院の隅からこれと言って何も変わっていなかった。だが、地下病棟というのだから地下だろうとマリンは大鎌を振り翳した。

〈はい。ありがとうございます。

でも、さすがにエレベーターは危険ですので階段で行きましょう。

 壁際まで行ってください〉

火事の影響で装置が壊れたのだろうと床を切り裂いて地下に行こうとしていたマリンは、ユーリに声を掛けられて動きを止め、従うように壁際へ向かった。

どうやら、装置は壊れていないようだ。

「なにかが変わったようには見えないんだけど?」

 壁際に立ち炎と煙に包まれた廊下を眺めて、熱気に焼かれながら刺激臭と煙に喉の奥を膜で塞がれるような感覚に陥りながらも、冷静に他人ごとのようにその光景を見つめていた。

 理由は分からない。あまりにも日常からかけ離れているため、思考が麻痺してしまったのかもしれない。そんな風に考えている自分に、マリンが一番驚いていた。

「床の下ではちゃんと侵入者防止の隔壁が開かれましたよ。

 さあ、壁を私で軽く叩いてください。まずは連続して三回」

「こう?」

 マリンは言われるままに鎌の柄で壁を叩くと、ユーリはその後も壁を叩くように指示して来た。マリンはそれに従い、時には何度も、時には一度、壁を叩いた。

 叩いているうちに、それがなにかの歌のリズムになっていることに気が付いたが、それはマリンの知らない曲だった。

 民謡の様でいてテンポが良く、その時の気分によっては楽しさも懐かしさも感じさせるような、そんな深みのあるリズムだった。

「はい。これで開きます。壁を押してみてください」

「え? ああ、うん……」

 さっきあれだけ強く叩いても僅かなズレさえ生じなかった壁を押してどうにかなるとも思えなかったが、言われるままマリンは壁を押してみた。

 何か小さな音が聞こえるとまるで忍者屋敷のように壁が回転して、階段の踊り場のような場所が目の前に広がりマリンは目を丸くさせた。

 こんな仕掛けはちょっとやそっとでは作れるようなものではない。それだけこの地下病棟は徹底して隠蔽されているのだ。

 そんなところでどんな治療がされているのだろうと生唾を飲み込んだが、今はそんなことを言っている場合じゃない。マリンは階段へ足を踏み入れようとした、その時だった。

 天井が崩れて炎に包まれた瓦礫がマリンの頭上から降ってきた。

「イングヴァイさん!!」

ユーリが悲壮な叫びを上げたが、このタイミングで自分の上に瓦礫が降ってくるなど想像もしていなかったため、マリンは次の行動に移れずに落ちてくる天井を見上げていた。

燃え盛る瓦礫が熱までも感じられるほどに接近してきたとき、強い力で引かれてマリンは強引に階段に連れ込まれた。

瓦礫が床に打ち付けられて埃を巻き上げながらけたたましい音を上げたが、途中で回転扉が閉まって音が遮断された。人間の姿に戻ったユーリが足で扉を蹴ったのだ。

「大丈夫ですか!?」

珍しく慌てた様子でユーリが詰め寄ってきた。マリンはなんだか集中ができずにぼんやりとしながらユーリを見つめ返した。

 手足が小刻みに震えているのが分かる。あの瞬間、マリンは自分でも知らない内に死を受け入れてしまったのだ。だから、今、生きていると言う実感が沸いていなかった。

「イングヴァイさん!」

 ユーリが間近から強く名前を呼んできた。今、マリンは床に仰向けで寝ているユーリに抱きしめられ、豊満な胸に顔を埋めている。

 あの瞬間、先に階段に入ったユーリが、素早く人間に戻ってマリンを引っ張り込んで抱きしめてくれたのだ。そのため、マリンは瓦礫に潰されず、床に叩きつけられることもなく怪我もしないで済んでいた。

 しかし、ユーリはそうはいかないだろう。それでも気さくに声を掛けてくれる彼女にマリンは我に返った。

「あっ、うん。大丈夫よ。ありがとう」

 マリンはユーリに微笑み掛けると、さすがに重いだろうとユーリの上から下りて立ち上がった。

「イングヴァイさんでも思考が停止することがあるのですね?」

「あの状況なら、誰だってああなるんじゃない? 

ああ、そうでもないか……。いや、だけどあいつらは普通じゃないしなぁ……」

 安心したのか、さっきまでの切羽詰まった様子のない、いつも通りの何かを含んだような笑みを浮かべて、茶化してくるユーリから視線を外して吐き捨てるように言ったが、脳裏に家族のことが過ぎり溜息を洩らした。

 どういうわけかマリンの家族は父も母も兄たちもやたらと戦闘に長けている。麒麟の血脈を引いているために人から迫害を受けたわけでもないが、遠く離れたこの学園を選んだのは、力を使いこなせるようになって劣等感を無くしたいからだった。

「どなたの話ですかぁ?」

 口篭るブツブツと言っているマリンの表情を覗き込むようにして、ユーリが楽しそうに問い掛けてきた。

「なんでもないわよ。さぁ、行くわよ」

 危険を承知で飛び込んで来ておいて、実際に危険な場面に直面したときになにもできなかった自分に腹が立ち、気合いを入れるために両手を頬に打ちつけるとユーリに短く告げて地下へ伸びる階段を下り始めた。

「は~い」

 背後で真剣味の欠ける間延びした声で答えたユーリの声が聞こえた。

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