第10話『ありがとう』

 病院から出ると、多数の風紀委員と救助された患者たちが忙しなく行き来していた。

 煤や焦げで汚れた風紀委員はその場でスポーツドリンクを飲んでいて、救助された患者はテントへ誘導されている。

「イングヴァイ、お疲れだ」

 中等部で委員長を務めているメジマが近付いてくると、四人にスポーツドリンクを差し出しながら労いの言葉を掛けてきた。

 メジマの制服に乱れも汚れもないところを見ると、外で待機して連絡や支持、誘導を行っていたのだろう。

「ああ、委員長。ありがとう。中は地獄のようだったわ……」

「だろうな。後で火傷をしてないか診てもらうといい。三人はこちらへ」

 メジマはまるで用意されていたかのように義務的に言うと、三人に声を掛けた。

「あ、はい」

「ん~……。疲れたからあんまり歩きたくないんだけどなぁ……」

「分かりました」

 三人は三様に答えると、渋々とまだ疲れが抜け切っていない身体を起こした。

「あっ、委員長。リルム君がすぐにお医者さんに診て貰えるように計らってください。

 その子、瓦礫の下敷きになっていたので検査が必要です」

 地面に座ったままで三人を見つめると、思い出したようにメジマに伝えた。

「判った。手配はしておこう」

 メジマは銀縁の眼鏡を指で押し上げると静かに告げて、三人を促すように身を翻した。

 マリンは地面に座ったままでメジマを見送ると、三人はメジマに続かずにマリンの前に立っていた。

「うん? どうしたの? ほら、委員長と行って手当てを受けなきゃ」

 立ち上がるべきだと思ったが、膝が笑ってしまい立てずに見上げた。

「イングヴァイだっけ?」

「おねえさん」

「風紀委員さん」

 三人が思い思いにマリンを呼ぶと、微笑んだ。

「うん?」

 マリンは三人を見上げると小首を傾げた。

「「「ありがとう」」」

 三人は満面の笑みを浮かべると力強く言った。

 正面切って言われると照れてしまい、言葉に詰まって返答に困った。

「うん」

 マリンにできたのは微笑みを返して頷くことだけだった。

 三人は礼を言うと少年は軽く手を上げて、小学生カップルは会釈をし、メジマの後を追った。

 マリンは地面に座ったままスポーツドリンクを飲んで、遠ざかって行く四人の背中を見つめていた。

 病院は燃え盛る炎に包まれていつ決壊してもおかしくない状態だったが、百人以上の風紀委員が避難誘導に当たっていたのだ。もう全員が安全な場所に移動できただろう。

 まだまだやることは残っているが、束の間の休息を取るくらいは赦されるだろう。

 そう、束の間だ。十分も休んだら病院や近隣の住民にあるリストと、患者や近隣住民を照らし合わせて、逃げ遅れたものがいないかを確認しよう。

 後ろ手で地面に手を着いて空を仰いだ。燃え盛る病院の熱がいまだに肌を灼いてくるが、それまであの灼熱の中にいたマリンは、それほど熱いと感じなかった。

「イングヴァイさん!」

 不意に切羽詰った聞いたことのある少女の声で名を呼ばれ、マリンは驚いて振り返った。

 声の主はユーリだ。いつものゆるい声でからかうように話し掛けられたのならばこちらもいつも通りに接することができたのだろう。

 だが、これまで聞いたことのない思い詰めたような声だったため、慌ててしまった。

「なに? どうしたの?」

 それは彼女をここまで追い詰める重大な事件が起きていることを物語っている。

 マリンはすぐに気を落ち着かせると、まずは話を聞かなければと思った。

「イングヴァイさん。スェケルスが……、友人がどこにもいないんです……。

 風紀委員の連絡網で探して貰えないでしょうか?」

 ユーリは今にも泣き出しそうな顔で俯き気味で短く告げると、学園で見かけたときの飄々とした雰囲気はなく、昼間ここで見かけたときのように弱々しく肩を落とし、ポツリポツリと小さく頼んできた。

 神妙な表情で小さく身体を震わせているユーリに、マリンはただならぬものを感じて強く頷くと、風紀委員専用の通信機にスイッチを入れた。

「スェケルス? フルネームは?」

「スェケルス・アイン。高校二年生です。今は入院のため四ヶ月休学していますが……」

 歯切れの悪いユーリの言い方がなんとなく気になったが、今は行方不明者を見つけ出すのが先決だ。マリンは立ち上がった通信機のイヤホンを耳につけると、マイクを襟元に装着させた。

「こちら中等部風紀委員会所属、マリン・イングヴァイです。

 風紀委員各員に情報の提供をお願いします。四ヶ月前より入院しているスェケルス・アイン、十七歳を探しています。ご存知の方はいらっしゃいませんか?」

 懸命に通信機に向けてスェケルスの所在を求めるが、『分からない』や『ここにはいない』などの言葉しか返ってこない。

 そもそもこんな状況だ。仮に目の前にいたとしても一人一人の名前まで認識されているのは数が限られている。

 思わず歯噛みをしたところに、マリンの顔を覗き込んできたユーリと目が合い、慌てて視線を逸らした。スェケルスは見つかってはいないが、簡単に伝えることはできない。

 現場が混雑していて見落としているだけかも知れないのだ。落ち着いたら近くにいる可能性だってある。この状況でその話は安易にできないことをマリンは知っていた。

[ねぇ、マリン。その人がどこに入院していたか分からないかな?]

 通信機越しにノルンが聞いてきた。そうか、と一縷の期待が胸に過ぎった。

 助けた人の名前は分からなくても、回った場所ならみんな把握している。

 誰かが回った場所なら、助けられている可能性は格段に上がる。後はその人が脱出した場所の最寄りの避難場所に行けば見つけ出すのは難しくはないだろう。

「ねぇ、そのスェケルスって人はどこの病棟に入院してたの?」

 だが、残念ながらマリンはスェケルスと言う人物がどこに入院していたのかは知らない。

ユーリに振り返ると通信機のマイクを押さえて問い掛けた。

「C棟の……、地下二階です……」

 ユーリは一瞬瞳を見開くと言い辛そうに眉根を寄せて、俯いて零すように囁いた。

 なんで病棟を教えるのにそんなに躊躇うのかマリンには分からなかったが、ユーリのそんな態度を見ると、なんだか聞いてはいけないことを聞いてしまったような気になった。

 しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。マリンはマイクを離すと口を近づけた。

「C棟の地下二階! どなたか回った人はいませんか?」

 マイクに向けて教えられた通りに叫んで脳裏に違和感が走った。

(地下……、二階……?)

 病院の地下とはマリンの知る知識では、霊安室に使われていることが多い。

 もちろん、病院関係者でもない自分の知識など偏ったものだということも自覚しているし、本当にそう使用されていたとしても病院の全部が全部そうだとは限らない。

 つまらない偏見は振り払い、今はスェケルスを探すことに専念しようと頭を切り替えた。

[C棟? 特別房か!? 高等部のダルホだ。そこなら俺が回ったが、地下病室なんてなかったぞ?]

 通信機から野太い男性の声が聞こえて返答してくれた。ない、と彼が判断した理由は分からないが、それは回ってないと言うことだ。もしも本当にスェケルスがそこにいるのなら、まだ避難はできていないと言うことになる。

 だが、ダルホは風紀委員の先輩であり、これまでも緊急時に置いて数多くの誘導や救助の実績を持っている有名人である。彼が見落とすなんて考え辛い。

 しかし、ユーリが嘘や勘違いをしているようにも見えない。

 地下病棟がなければないでそれでいい。しかし、もしも存在していたのなら、そこにいる患者を見殺しにしてしまうことになる。

 確かめるだけ確かめてみようとマリンは立ち上がり、病棟に向かって歩き出した。

「イングヴァイさん……?」

 急に歩き出したマリンを小走りで追い掛けてくると、ユーリが不思議そうに問い掛けてきた。

「あんたの言ってたC棟、風紀委員の先輩が回ったんだけど地下室には行ってないんだって……。だから、あんたの探しているスェケルスは今もまだそこにいるわ。

 ちょっと行ってくるからここで待ってなさい」

 病院は火が回り、すでに八割近くが炎に包まれている。

 中はさっきとは比較にならないほどに火の海だろう。この中を行くのは自殺行為だと自分でも分かっている。

 だけど、間違っているとは思わない。それが最善だと思うのだから。

「待ってください。C棟の地下は、大きな声では言えないような特殊な治療が行われているため、非公開にされているんです。

 だから、一部の人間にしか出入りは赦されていませんし、普通では入ることができません。あなたの先輩が見つけられなかったのもそのためです。

 だから、イングヴァイさんが行ったところで救助はできないでしょう。

 こんな状況ならもしかしたらと思ったのですが、どうやら医師たちは彼らを見捨てたんですね……」

 ユーリはマリンの隣に立って同じように燃え盛る病院を見つめると自嘲を浮かべながら疲れたように溜息と一緒に吐き出した。

「だからなに? あんたも見捨てろって言うの?」

 お前には助けられないからやめろ、とそう言われた気がしてマリンは横目でユーリを一顧して低く問い掛けると、ユーリは頭を左右に振ってにまっと嬉しそうに微笑んだ。

「いいえ。助けて頂かないと私が困ります。ただ、イングヴァイさんだけでは先輩と同様、地下室の存在にも気付けませんよ。だから、私も一緒に行きます」

 ユーリはなぜかいつもの調子を取り戻していて、なにを考えているのか読めない含み笑いを浮かべるとマリンを見つめてきた。

「なに言ってるの! 見なさい! あれを……。あんなところに連れて行けるわけないでしょう? 危険なのよ!?」

「だけど、イングヴァイさんだけでは地下室を見つけることもできない」

 痛いところを突かれてマリンは喉で小さく呻いた。ダルボが見つけられなかった地下室への入り口を見つけ出せる自信がマリンにはない。ましてや、病院は炎に巻かれている。

 探している時間さえ限られているのだ。

「それに、崩れる天井や柱を払えるものがあったほうが良いでしょう?

 私が一緒なら、道案内と払う棒、両方が手に入れられますよぉ?」

 続けて言うユーリに、マリンは再び喉の奥で唸りを洩らした。

 一緒に行って貰うのが効率的だと頭でははっきりと理解している。しかし、風紀委員である自分が一般生徒を危険な目に晒すわけには行かなかった。

「風紀委員と言っても私たちと同じ中学生じゃないですかぁ……。一人で抱え込む必要なんてありませんよ。助け合いましょう?

 それに、私はスェケルスに一度命を救われているんです。だから今度は私の手であの人を救い出したい。だからお願いします。私も連れて行ってください」

 煮え切らないマリンを後押すように、ユーリが頭を深く下げた。

 マリンは返す言葉もなく、小さく溜息を吐いた。自分一人の力では、小学生一人瓦礫の下から救い出すこともできなかったが、怪我をした高校生の力が加わっただけで、四人とも無事に帰還することができたのだ。

 今回も同じだ。悔しいがユーリの言う通りマリン一人では救い出せない。

 だけど、場所を知っているユーリが協力してくれればきっと助け出すことができる。

 マリンは微笑みを浮かべると、ユーリを見つめた。

「そうね。あんたの知り合いなんだし、そういう事情なら手伝って貰うわ」

 ユーリの言葉で大切なことを思い出したことが悔しくて、マリンはプイッとそっぽを向いたままで短く告げた。

 ユーリが表情を綻ばせて顔を上げると、マリンを見つめた。

「ありがとうございます。イングヴァイさん。

 それで、私は大鎌なんですけど、ちゃんと扱って下さるのでしょうね?」

 ユーリはいつも通りのなにかを含んだ笑みを浮かべたまま、表情を伺うように覗き込むと、体が紫色の光の粒子になって解けて行き、光の粒が集結すると一本の、なんの飾りもない黒い大鎌になった。

「私はこれでも武芸百般なんでもこなせるのよ。武器の扱いなら任せなさい」

 マリンは大鎌になったユーリを掴むと、手元でクルクルと回して柄の先で地を叩き鼻を鳴らした。

 確かに鎌の扱いは難しい。もともとは武器ではなく農作業用の道具としてこの世に誕生したのだから、武器として扱ったり製作されたりするのは間違っているのかも知れない。

 それでも、長い柄と刃は強い殺傷力を備えている。

 最初に武器として取り扱ったのは、年貢を納められずに国に抗議したレジスタンスだろうが、今では槍や薙刀と並んで武器としても認識されている。

 だが、元々の用途が武器ではないだけにその扱いは難しく、仲間を斬ってしまったり自分を斬ってしまったりするものが後を絶たない。

ユーリはそれを懸念しているのだろうが、攻撃力が乏しいのは自分で自覚しているために、マリンは体術や武器の鍛錬を重点的に置いてきたのだ。

 ユーリに言った言葉は虚勢ではなく、これまでの経験による自信からくる言葉だった。

「くすくす。それは頼もしいですねぇ」

 本当にそう思っているのかどうか分からない声で、ユーリが喉を鳴らした。

 ユーリの声は耳を通さずに直接頭に響いてきて、その声は他者には聞こえない。

 これが、意思を持つ武具との対話なのだ。

「行くわよ」

「はい」

 大鎌になったユーリに短く告げると、マリンは炎に取り込まれた病院に向かって走り出した。

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