第9話『助けて貰うのは恥ずかしい事じゃない』
ギプスで固められた足で床を力強く踏みしめると、両手で支えた。どうやら梃子の原理を利用して瓦礫を退かすつもりらしい。
「そんな余裕なかったのよ!」
彼のことを忘れていたわけではないが、マリンにとっては彼も救助の対象であり、力を借りるという概念は微塵も持ち合わせていなかった。
「君は頑固そうだからね。今まで人に助けを求めることなんてしなかったんでしょう?
そんなに気張らなくても大丈夫だよ? 助けて貰うのは恥ずかしいことじゃない」
少年は微笑みながら、もう一本もっていた棚の柱をマリンに差し出した。
「誰が頑固よ! 私は委員の仕事をこなしているだけ」
少年から棚の柱を受け取ると梃子の原理に気付けなかったことを恥じながら、少年と同じように床と瓦礫の間に先端を突き刺して、担ぐように身構えた。
確かにマリンはこれまで、あまり他人に頼ったりはしなかったかもしれない。
自分のことは自分でするのをモットーに生きてきたし、安易に人に助けを求めるのは自分の成長を妨害するものだと頭のどこかで考えていた。
だけど、保護対象者だろうと怪我人だろうと、決して何もできないわけではない。こういう緊急事態に協力を仰ぐのは恥ずかしいことではないのかもしれない。
「準備いい? 行くよ?」
高校生の少年がマリンを見て問い掛けてきたのに対して、マリンは肯定を示して無言で頷いた。少年が順番にネルティアとリルムを見ると、同じように二人も無言で頷く。
「せ~のっ!」
少年の掛け声と共にマリンと少年が棚の柱を下から押し上げ、それに合わせてネルティアが最後の力を振り絞るようにこれまでで一番の突風を放出して、リルムは必死で床を這った。
恐らくこの場にいる全員が悟っていた。これが最後のチャンスなのだと。
これで助け出せなかったら、天井の梁が崩れ落ちて四人とも下敷きだ。
三人の力で瓦礫は持ち上がり、リルムはようやく解放されたが、皮肉にも弱っている室内が突然吹き荒れた風に耐えられなくなって天井が決壊し、天井の梁が四人に向かって降りかかってきた。
「でぇいやぁ……」
ここまで来て諦められない。マリンと少年は棚の柱を放り捨てると、少年がリルムを、抱き上げて、マリンはネルティアを抱きしめて壁に向かって飛んだ。
着地のことなど考えている余裕もなく、マリンと少年は背中から床に転がって、マリンはネルティアを思わず離してしまい、四人は床に投げ出される形となった。
倒壊した天井の残骸が容赦なく床を叩いて、四人を追うように迫ってくる。
けたたましい音と共に煤や火の粉が勢い良く舞い上がって視界を遮った。
ふと音が止んだ。弱っていた場所がすべて崩れ落ちたのだ。
マリンは床に倒れたままで、乱れた息を整えながら、今までいた方向を見つめたが、今は舞い上がる埃が邪魔してどんな状況なのか確認できない。
だが、一番手前にいたマリンが無傷で済んだのだから、他の三人も無事なはずだ。
徐々に舞い上がった埃が収まっていき、だんだんと辺りが見えてくるようになってきて、マリンは肝を冷やした。額からは冷たい汗が噴き出してくる。
投げ出されたマリンの足の、ほんの一メートル先に、瓦礫が突き刺さっていたからだ。
もしも跳躍が足りずにあそこにいたら、瓦礫に貫かれていたのだ。
そう思ったら背筋に冷たいものが這い上がってきた。
「ね、そろそろ行こ? ここもいつ崩れるか分からないし」
少し落ち着いてきて安堵に胸を撫で下ろすマリンに少年が声を掛けてきた。
少年に視線を向けると、あちこちが破れてボロボロになり、顔も服も煤だらけになったリルムと、その傍らに寄り添い肩に手を回して支えているネルティアの姿もあった。
小学生の二人はまだ恐怖が抜けていない様子で、言葉もなく、顔を強張らせている。
瓦礫の下敷きになった上に、開放されたと思った途端に天井が倒壊したのだ。
体が竦んでしまって当然だ。
「そうね。行きましょう」
正直、マリンも体が竦んでうまく動かない。床に着いた手もいまだに小さくカタカタと震えているが、気付かれないように自然な動きを装って立ち上がった。
不安にさせないように気丈に振舞うのも風紀委員の役目だとマリンは考えている。
幸い、マリンの父親は、どんな重傷を負っても絶対に顔には出さない人間だ。
そのためクールに徹する重要さも、やせ我慢の極意も伝授されていた。
立ち上がるとき、差し出してくれた少年の手を握って立たせて貰ったのだが、少年の手は冷たい汗で湿っていて、さらには少し震えていた。
平静なように見えるがやはり怖いのだと悟り、意外に思って少年を見ると、少年は怖いのは君だけじゃないと言わんばかりに微笑みを浮かべて小さく頷いた。
少年も小学生を怖がらせないように、必死で取り繕っていることをマリンに伝え、年上の男でも怖いのだから怖くて当然だと、肩の力を抜かせるために自分の手を握らせたのだ。
少年の気遣いに内心で感謝したが、思惑通りに無駄な力が抜けたことになんだか少し悔しさを感じながら、少年の手を肩に回させて支えると歩き出した。
病室を出ると、廊下はもう炎に包まれ、まるで火のトンネルのようだった。
「ひゃっ!」
それを見たネルティアが息を飲み込んだ声が背後から聞こえてくる。
壁も天井も床さえも燃えていたが、まだそれほどは大きくなく、踏み消して行けばなんとか進むのは可能だ。
「行くわよ」
マリンもこの中を進むと思うと正直足が竦んだが、時間が経てば経つほど火が回り、事態は悪くなっていき、それこそ取り返しのつかないことになる。今は進むしかない。
ましてや自分で選んで風紀委員になったのだ。違反者を取り締まり、一般の生徒を守る義務がある。怖がってなどいられずマリンは火に包まれた廊下を歩き出した。
熱気が辺りを包み込んで、吸っただけで肺が苦しくなる煙や二酸化炭素が立ち込める中を、背後の二人を気遣いながら慌てずに、だが急いで外へ向かう。
通路が燃えていれば踏み消し、燃えたものが落ちていれば足で端に避けて、小学生のカップルがちゃんと着いて来ているのを確認すると声を掛けて励まし、重い足に力を込めて諦めずに廊下を進むと、ようやく出入り口が見えてきた。
「ほら、もう少しよ。頑張って!」
「はい!」
見えてきた空を指差しながら背後を振り返って二人に声を掛けると、小学生のカップルは疲れた顔でそれでも元気良く、笑顔で頷いた。
「今度こそ本当にね……」
二人と違い、隣の少年がからかうように言いながら喉を鳴らした。
「うるさい!」
実はここまで来る最中、マリンは同じ言葉を何度も繰り返していたのだ。小学生の二人に「はい、頑張りましょう」と苦笑を浮かべられたり、「私たちはちゃんと着いて行きますので先を進んでください」と言われたほどだ。
そんなこともあって恥ずかしさに顔を染めながらも、あそこまで行けば大丈夫と言う安堵感に自然と四人の足は早くなっていった。
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