第7話『そんなの関係ないだろう?』
現場は慌しく行き交う人々で酷く混乱していた。
逃げ惑う子供たちの波が時として救助を妨害してしまうも、上級生が下級生の手を引いているのを見るとこんな状況でも和んでしまう。
先行したノルンが風の道で何度も往復をして、病院の中から入院患者を抱いて避難させているのが見えた。ノルンは必死で頑張っているが、一度に連れて行けるのは一人であり、幾ら体力を持て余しているとはいっても、限界が近いのは明らかだった。
「あんたは避難してる子たちを誘導して! 高校生や大学生が来るまででいいから!」
マリンはユーリに言い放つとノルンの手伝いをするために病院に向かって駆け出していく。彼女も誰かの安否を願っているのなら、必ずまずは避難所に向かうだろう。
それなら、小学生や幼稚園児の誘導くらいしてもらっても罰は当たらない。
「でもイングヴァイさんは……? あっ、お気をつけて……」
背後から声を掛けてくるユーリに向けて片手を上げて答えると、引き止める医者の制止を振り切って燃え盛る病院の中へと駆け込んだ。
病院の中は今にも崩れそうなくらいに炎に包まれている。
さっき見かけた波動の光は、間違いなく病院を強襲したものだったのだと実感した。
壁には大砲で撃ったような大きな穴が幾つも連なっていて、そこを起点に火の手が上がり、壁や天井を飲み込んで放射状に広がっていた。
それも病院の一階が集中的に狙われていて、退路を断つのも計算も入っているのだろう。
「酷い……。なんで病院にこんなことするのよ!」
中に入ったマリンは思わず足を止めて吐き捨てた。
よりにもよってとの思いが頭の中を駆け抜ける。
ここには動けない人がたくさんいる上に、多くの危険物も取り扱っている。
それを見越して攻撃したのは分かっているが、卑劣な行為に悔しさが込み上げてきて強く奥歯を噛み締めると、せめて一秒でも早く取り残された患者を助けようと、炎に巻かれた病院の中を駆け出した。
何かの薬品が熱で焦げて黒い煙を立ち上げながら異臭が放つ廊下を、ハンカチで口を覆いながら奥へと進んだ。
黒い煙と赤い炎に包まれ、焼けた火の粉が飛び交う風景は、もともとあった清潔感の漂う白い建物の面影を一切残しておらず、地獄絵図を連想させている。
柱が燃えてへし折れた廊下の奥に、動く人影を見つけてマリンは駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
人影は右足にギプスを巻いたマリンより年上の男性、いや、まだ少年と言ったほうが相応しい年代の男だった。男は呼吸が苦しいのか口を手で押さえて俯き、壁に手を着いて身を預けたまま動けないようだ。
声を掛けると焦点の定まっていないどこか朦朧とした瞳でマリンを見つめ、なにかをしゃべろうと口を開いた途端に物凄い勢いで咳き込んだ。
悠長に話を聞いている場合ではない。マリンは蹲る少年の隣に屈むと、少年の腕を肩に回させて立ち上がらせた。
「ふぅ……、僕のことはいい……。早く逃げろ。崩れるぞ!」
少年は苦しそうに咳き込みながらもマリンを睨んで突き放そうとしたが、年下の少女を押し退けるほどの力も出ていない。
「いいから! 私は風紀委員よ。大人しく誘導に従って。だいたいあんたそんなんじゃ動けないでしょ?」
マスク代わりにはなるだろうと少年にハンカチを押し付けると、少年を支えるようにして歩き出した。自分よりも体躯の大きな人を移動させるには、下手に抱き上げようとしたり、おぶろうとしたりはせずに、支えになるのが効率がいい。
風紀委員と言うのは学園の敷地では、中学、高校、大学、関係なく大きな権限を持っている。警察と消防を兼ね揃えているようなものといえば分かりやすいだろう。
危険を伴うわりにはこれと言って優遇されることもない上に、回りのものからは煙たがられる損な役割である。
だが、一般の学生たちは風紀委員の指示には従う義務がある。マリンが風紀委員を強調したのは、少年にこれ以上はごねさせないためだ。
「そんなの関係ないだろう? 風紀委員だって怪我をすれば痛いし血も出る。
俺でさえこんなに苦しいんだ。いいから、さっさと逃げろよ」
少年は躊躇うようにハンカチを見つめたが背に腹は変えられないのか、口を押しつけてマスクの代わりにして荒い息をつきながらも、マリンを見つめて低く言った。
「ここで逃げるくらいなら始めからこんなところに来ないわよ。わたしのことを心配してくれるなら今は避難することを考えて!」
マリンは肩に回した少年の手をギュッと強く握り締めると、じっと正面を見据えて炎の渦のような廊下を歩き出した。
燃え盛る炎の熱風が肌を焼き、まるで自分たちの縄張りへの侵入者を廃除するかのように襲い掛かってくる黒い煙と煤を払い退けながら先に進む。
炎で焼けてへし折れそうなほどにひしゃげた柱を避けるように傍らを通り抜けて、暫く進むと、扉の奥で物音が聞こえてきた。
この炎で何かが焼けて崩れた音だとも思ったが、もしかしたら逃げ遅れた誰かが取り残されているかもしれない。風起委員として放っておくわけには行かずに、足を止めた。
「悪いけどちょっと待ってて。中を確認するから」
「中を……?」
廊下でもなるべく火の手が伸びていない場所へ移動させると、床に座らせるようにゆっくりと下ろして、扉まで行くと武術の構えを取り蹴り飛ばした。
炎に焼けて脆くなっていた蝶使いは簡単に弾けて、扉はあっさりと倒れた。
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