第6話『意地っ張り』
病院に近付けば近付くほど、生き物のように蠢く赤い光と、肌を灼くような熱風がマリンの最悪な予想を裏付けてくるようで、ぎゅっと奥歯を噛み締めた。
なんでこんなことをするのか分からない。学園の最高権力者である理事長の家や、治安を守る警察署なら、或いは仕方がないと諦めが付いたかも知れない。
だが、病人や怪我人が治療のために身を寄せる施設を攻撃するなど赦せない。
中には自由に身動きができないものもいるのだ。一秒でも早く駆け付けて、人々の避難の手助けをしなければと言う焦燥に掻き立てられる。空を飛べないことが悔やまれた。
その時、辺りを飲み込むように焼きながら広がって行く、忌々しい炎のゆらめく光が、一人の少女を照らし出した。
身長はマリンよりも一回り小さく、なんの装飾のない真っ白なワンピースに身を包んでいる。膝の辺りまで伸ばした黄金色の長い髪とスカートの裾をゆらゆらと揺らしながら、怯えるでもなく、悲しむでもなく、無表情で炎に包まれた町を見つめていた。
(小学生……?)
視線を少女に奪われて前方が疎かになってしまったマリンは、脇から飛び出してきた人影に気付くのが遅れて衝突してしまった。
「わっ」
「きゃっ!」
勢い余って地面に尻餅をついてしまったが、腕やお尻がズキズキと痛むのを我慢して立ち上がり、ぶつかってしまった人影へと歩み寄る。
「あっ、すみません。大丈夫ですか? ちょっと余所見をしてしまいまして、あっ……」
「いえいえ、お気になさらず。こちらも急いでいましたのでお互い様です。あら、イングヴァイさんじゃないですか……。こんな夜までパトロールですか? 大変ですねぇ」
差し出したマリンの手を握りながらぶつかった少女、ユーリがにこりと微笑んだ。
ユーリは部屋で寛いでいる時に慌てて飛び出してきたのか、グレーのスウェットの上下に、薄いピンクのカーディガンを羽織った姿だった。
「あんたこそこんな時間に、そんなに急いでどこに行くのよ?」
マリンはユーリの手を握り締めると引き上げて、立たせてやりながら問い掛けたが、昼間、彼女が泣きながら出てきた病院が燃えているのだ。
目的地は聞くまでもない。無駄な質問だったとマリンは思った。
「ああ、病院が燃えているようなのでちょっと野次馬をしに」
ユーリは立ち上がるとマリンの手を離して服の埃を払いながら、口許に薄い笑みを浮かべて冗談っぽく言うが、額に浮かぶ汗からしてかなり急いでいたのは明白だ。
「意地っ張り」
「なんの話ですか?」
「別に……」
マリンが零した言葉に、白々しく小首を傾げて問い掛けてくるユーリから視線を逸らすと憮然として溜息混じりに吐き出した。
今のユーリには野次馬などではなく、誰かを心配して急いでいたという状況証拠があちこちに見受けられる。それを指摘して論破するのは難しくないだろうが、強がることで自分を保っているのだとしたら、それを崩す権利はマリンにはない。
「それより急がなくていいのですか? これだけの規模だとノルンさんだけでは大変なんじゃあありませんか?」
ユーリは空が赤く染まった方向を指差しながら言ったのんびりとした口調に、マリンはハッとして病院を見つめた。
遠くから消防車の音が近付いてくるがまだ到着はしていないようだ。
病院がいまだに赤々と燃えているのを見てマリンはきゅっと唇を噛み締めた。
今、こうしている間にも助けを求めている人がいる。病院の患者は勿論、近隣には小学生や幼稚園が住む孤児院もある。
ノルンも軟弱ではないが混乱した状態では何が起きるか分からない。もしかしたら怪我をしてしまっているかも知れない。
こんなところで話し込んでいる場合ではなかった。
「そうね。急ぎましょう!」
「あら、ここで待っていろではないのですねぇ?」
駆け出したマリンの隣を並んで走り出しながら、ユーリがくすくすと喉を鳴らした。
「来るなって言ったところでどうせくるんでしょう? だったら目の届くところにいてもらったほうがいいわよ。いざって時は手を借りられるしね」
マリンが冗談混じりで言うと、ユーリが「まぁ」と言葉を洩らしてくすくすと喉を鳴らした。
彼女は彼女で誰かの身を案じて病院に向かっているのだ。勿論、力を借りるつもりはないが、すべてが想定通りに進むわけではない。
現場にいる以上アクシデントは付きものである。思いも寄らない事態に陥ったときに、助けを求められる相手は多いに越したことはないのだ
そう言えばとさっき見た少女の姿が脳裏に蘇り少女がいた場所を見たが、そこにはもう少女の姿はなかった。きっと近くの寮に住む小学生だったのだろう。
酷く冷たい眼差しを向けていたように思えたが、きっと遠目で分からなかっただけだ。恐怖のあまり感情を表に出すことさえ叶わなかったのかも知れない。
あの少女の恐怖を拭うためにも、早く消火せねばとマリンは走る速度を速めた。
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