『興味を持ってくださったんですか?』
午前中の授業が終わり昼休みになると、マリンは風紀委員室に向かった。別に義務と言う訳ではないが、風紀委員のほとんどが朝のホームルームの前、昼休み、放課後は風紀委員室に集まって情報交換をしている。
風紀委員室に来ないものも校内を巡回していたり取締りをしていたりと、この学園の風紀委員は真面目なものが多い。真面目であること以外に取り得のないマリンにとって、風紀委員室は居心地のよい空間だった。
人は恋人や配偶者に自分にはないものを求めると言うが、同じ目的を遂行するときは自分に似た思考を持つものを選ぶ。そのほうが自分の求める状態に迅速に物ことを運ぶことができるし、何よりも意思疎通ができるからだ。
なにかを途中で引き継いだとしても次に取るべき行動がだいたい分かるし、相手もある程度理解してくれているために安心して任せることができる。きっと付き合う恋人も、結婚する旦那さんもマリンは真面目な人を選ぶだろう。
生徒会室を始め各委員会の委員室は別棟にある。マリンは渡り廊下を通って委員室へ行くと、早々に弁当を食べ終え学園の巡回を始めた。
昼休みは学園で一番長い休憩時間なため、普段は顔を合わせない生徒たちが接触する可能性が高く、突発事故が頻繁に起きる。風紀委員としては目が離せない時間帯だ。
マリンは校舎を出ると学園の敷地の見回りをしていた。学園の敷地とは言ってもこの学園は町一つほどの面積を持っている。当然、風紀委員が見回る範囲も広くなる。
マリンは学園の東側を見回る班のリーダーになっている。普段は数人で一組となって見回りをするが、それは放課後や夜の話であり、昼休みは任意のためマリン一人だ。
見回り中、ユーリが一人で歩いているのを見掛け、声を掛けようとしたが学園で会ったときとは違う雰囲気を漂わせていて阻まれた。
人を小馬鹿にしたような微笑みは浮かべておらず、顔を伏せて俯いている。
危うささえ感じさせる覚束ない足取りでゆっくりと進み、指先で目尻を拭うような仕草をした。
(泣いているの……?)
マリンはユーリを凝視しながら、なにが原因で泣いているのか気になって顔を上げた。
(病院……? あの子、何処か悪いの……? それとも友達になにかあったとか?)
ユーリが出てきたのが赤い十字を掲げている白い清潔そうな建物であることを確認して、内心で呟いた。
この学園は、もちろん校舎にも医務室はあるが、居住区にはこうして病院が設置され、その性質上、どんな種族が担ぎ込まれても処置できる医療スタッフが揃っている。
全寮制なために、生徒が学園外で怪我や病気をしたときや、緊急を要する事態にも対応できるためにだ。
事情は分からないが、泣いているところはなるべく人に見られたくないだろう。
涙は女の武器だと言うが、少なくともマリンは泣き顔を人に見られたくない。
悔し涙や悲しくて流れる涙は特にだ。だから、今は声を掛けるべきではないと、マリンはそっとその場から離れようとした。
「あらあら、イングヴァイさんじゃないですかぁ。奇遇ですねぇ。見回りですか?」
病院の敷地から出ようとしたとき、背後からユーリが呼び止めてきた。
まさか彼女のほうから声を掛けてくるとは思っていなかったため、小さく驚くも泣いているのを目撃してしまったのは触れないようにしようと思いながら、マリンは振り返った。
「あ、うん。そう、私は見回りの最中よ。あんたはお見舞いかなにか?」
詮索をするつもりはないが、ここで聞いてみるのは自然の流れだろう。話したくなければ理事長室で見せたように適当に受け流すはずだ。
「あら、私に興味を持ってくださったのですかぁ?」
世間話程度に声を掛けたマリンを横目で見つめると、ユーリは相も変わらず口許に薄い笑みを浮かべて茶化してきた。
マリンはやっぱりはぐらかしたか、と小さく鼻を鳴らすと視線を前方に向けて、これ以上茶化されるものかと足早に歩き出した。
「別に興味なんて持ってないわよ。昼休みが終わるまでに校舎に戻りなさいよ。
遅れたら減点するから!」
ツカツカと強い足取りで地面を蹴って歩調を早くしながら言い放つと、背中でユーリの「はーい」と言う声を聞きながらその場を後にした。
ユーリがそれ以上なにも言わなかったのも、追いかけて来ようともしないのも、彼女は今は誰かと一緒にいたい気分ではないのだろう。
マリンは気になって角を曲がるときにちらりとユーリを盗み見すると、ユーリは俯きながらマリンとは違う方向に向かって歩き出していた。
その足取りは弱々しく今にも崩れてしまいそうな危うさがあったが、ろくに会話をしたこともないマリンが心配するのはただのお節介だろう。後ろ髪を引かれる思いではあったが、そのまま巡回を続けた。
昼休みの学園の巡回は任意であるが、昼休みの終了時間には校舎の前で遅刻者を取り締まるのが風紀委員の日課である。
マリンも敷地内の巡回を終えて学園に戻ると、他の風紀委員と共に遅刻者の取り締まりに当たった。
取り締まりは警邏を終えたものが始めるのが規則となっていて、予鈴が鳴るまで続けられる。勿論、その時点で戻ったものは遅刻にはならないが、予鈴と同時に学園の門を閉めれ、間に合わなかった生徒は締め出しを食らう。
締め出された生徒は生徒手帳で認証しないと門を開けることはできず、そこで生徒手帳を使うと自動的に減点されると言う仕組みである。
ちなみに、校門は自動ドアだ。
他の風紀委員に倣って、戻ってくる生徒に「急いで」や「もうすぐ予鈴なるわよ」などの社交辞令的な言葉を交わしていると、ユーリが校門を潜って戻ってきた。
病院の中庭で見せた危なっかしさはなく、いつも通りに口許に薄く笑いを浮かべている。
マリンと目が合うと、ユーリはゆっくりと近付いてきた。
「取締りですかぁ? 毎日ご苦労様です」
ユーリはマリンの前で止まると礼儀正しくぺこりとお辞儀をしたが、どうにも茶化されているようにしか思えない。なんだか内心で「何の得にもならないことをよくやる」と思われていそうで素直に喜べないのだ。
「遅れなかったようね?」
「それはもちろん。イングヴァイさんにあれだけ念を押されればさすがに」
冷ややかに言うマリンの言葉にも表情一つ変えず、ユーリは大袈裟に肩を竦めて見せた。
「いい心掛けじゃない。それなら早く教室に戻りなさい。もうすぐ予鈴鳴るわよ」
「そうですね。そうします」
ユーリはくすくすと高い声で喉を鳴らすと、「それではがんばってくださいね」などと労いの言葉を掛けながら小さく手を振って、校舎へ入っていった。
その後姿を見送りながら、いつもと変わらない様子に安心するも、病院での姿が頭を過ぎり、どこまでが強がりなのか分からず今にも折れてしまいそうな危うさを感じた。
心配ではあるが、強がるのは弱みを見せたくない人の特徴でもある。それほど親しいわけでもないため、踏み込むのは阻まれた。
ユーリを尻目に見ながら、風紀委員の仕事をしていると予鈴が鳴り響き、風紀委員も取締りを切り上げるとそれぞれ自分の教室に戻った。
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