『みんな再起不能になるんだって』
教室のドアを開けると、生徒が全員起立をしていて始業の挨拶をしているところだった。
理事長室で仕事の話をしている間に休み時間は終わっていたようだ。
授業に遅れるなんて、風紀委員としてはあるまじき行為かもしれないが、状況が状況だ。赦されるだろう。
「マリン=イングヴァイ、理事長室に呼ばれていて遅れました」
「話は聞いている、席に着きなさい」
「はい」
咎められるかも知れないと少し思ったが、どうやら教師にはちゃんと話が伝わっていた
らしく、マリンは安心して自分の席に戻った。
始業前の挨拶の途中で加わり、みんなと一緒に着席すると授業が始まった。
「ねぇねぇ、マリン。さっきの呼び出しなんだったの?」
授業が始まって間もなく、隣の席のノノがヒソヒソと小声で話し掛けてきた。
「うん? なぁに?」
マリンは定番ではあるが窓際の一番後ろの席だ。籤運が良いのか悪いのか一番前の席を
引き当てたのだが、黒板が見えないという視力の弱いクラスメイトと代わったのだ。
「さっきの呼び出しってなんだったの?」
ノノはコカトリス族の少女であり、毛先に行くほど黄色掛かる赤毛が特徴的な少女だ。
マリンと同じ三つ葉で、ことあることに競い合っている仲である。
「ああ、何かの調査の依頼だった。私の麒麟の力が必要なんだって」
「えぇ、ずるぅい。マリンよりあたしのが強いのにぃ」
「なんだとぉ!?」
この学園はその性質上、月に一度、武闘大会が行われる。力を身に着けた生徒の成長を見るためと、得た力を実戦で試してみたいと言う生徒の欲求を満たすためにだ。
もちろん三つ葉は三つ葉同士、二葉は二葉同士で対戦を組まれてトーナメント方式で戦闘が行われている。
あくまでも喧嘩ではなく武闘大会であるため、当然規則は厳しく定められている。
その大会で確かにマリンはノノに負け越してはいるが、まだ三回しか大会には参加していない。戦績は一勝二敗、それも実力はほぼ均衡していて、マリンよりもノノのほうが少しだけ打たれ強かっただけである。
それでも結果は結果だ。言い訳をするつもりなどないが、こんなにあからさまに強い弱いを決めつけられるほどの差はなく、マリンは思わず大声を張り上げた。
教室の生徒たちが一斉にマリンに注目し、黒板に何かを書いていた神経質そうな教師が振り返って、冷たい眼でマリンを一睨みすると黙れと言わんばかりにコホンと小さく咳払いをした。
途端に恥ずかしくなって俯くとマリンは椅子に座った。他の生徒たちが失笑している声が耳に届いてくる。顔がじんじんとするほどに熱を帯びて、耳まで熱い。失態だ、と内心で叫びを上げながら頭を抱えた。
「なにやってんのよ」
ノノが笑いを噛み殺しながら小声で声を掛けてきた。
誰のせいでこうなったと言わんばかりにマリンはノノを睨みつけたが、ノノは小刻みに身体を震わせて必死に笑いを噛み殺している。
「あんた、覚えときなさいよ」
なおも笑い続けるノノを横目で睨んで小声で告げると、ムッとした表情で黒板を見つめ、ノノは無視をすることにした。
「ねぇ、マリン。依頼ってどんな内容だったの?」
笑いが収まったのかノノが再び小声で声を掛けてきたが、あれだけ笑われた後で普通に会話をする気にはなれず、聞こえない素振りで黒板を見つめた。
「マリン、マリンってば……。笑ったの怒ってるの? だったら謝るからぁ……」
ノノは謝罪してくるが、その態度は全くと言っていいほどに反省をしているようには感じられない。実際、悪いだなどと微塵にも思ってないのだろう。
「ねぇ、マリン……」
なおも語り掛けてくるノノに、このままでは授業に集中できないと、マリンは軽くため息を吐くと、頬杖を着いてノノに視線を向けた。
「依頼内容は極秘事項でしょう?」
「え? そうなの? つまんなぁい……」
「面白いとかつまらないとかの話じゃないでしょう? 下手に教えたら私が怒られちゃうわよ!」
「だけど、依頼を内密にしなきゃだめなんて聞いたことないよぉ? マリンだって秘密にするようにとか言われてないんでしょう? なら大丈夫だよ。きっと……」
「だからと言って依頼を受けた人や、達成した人がその話をしたりしないでしょ?
きっと、その話は他言無用なのが暗黙の了解なのよ」
「そんなの知らないもん」
興味津々でしつこく追求してくるノノに対して、マリンが溜息混じりで答えると、ノノは唇を尖らせて不機嫌そうに言ってそっぽを向いた。
自分から話し掛けてきておいて勝手に話を切るノノに軽く嘆息すると、気を取り直して授業に集中しようと黒板を見つめた。
「あ、そうだマリン……」
クラスの空気が静寂に戻ると、待っていたかのように隣からノノが声を掛けてきた。
「授業中でしょ!」
マリンは横目でノノを一瞥すると、小声で語調を強くして嗜めた。
「依頼って、ユーリ=フィロティシアも行くの?」
ノノはマリンの言葉など聞かずに話を進めてくる。マリンはなんでこう自分勝手なのが多いのかと嗟嘆をすると、諦めてさっさと話を終わらせることにした。
「分からないけど、理事長室には呼ばれてたわね。でも、あの様子だと請けないんじゃない?」
「それならいいんだけど、もし一緒になったら気をつけた方がいいよ?
知ってる? あの娘の噂……」
「噂? 知らないけど……。なんか掴みどころのない人ではあるわね」
「彼女ねぇ、鎌の付喪神らしくて、使用者を探してるらしいんだけど……」
付喪神と言うのは九十九の年の月日を重ねた物質に魂が宿り、自分の意思で動けるようになったものである。人はそれを妖と呼び、粗末に扱ったものは人間に復讐をしに来るのではないかと恐怖を抱いていた。
余談であるが、百年生きた生物が霊的に進化して変貌したものは物の怪と呼ばれている。
それらを一括りにして、妖怪という言葉が生まれたのだ。
だから、付喪神はもともと使用者を必要とする道具であり、妖となった後でも協力者がいるものは通常以上の力を発揮するといわれている。
だから、彼女が使用者を探していたとしてもなんの不思議はない。
「うん……」
なんの問題があるのか分からず、マリンは相槌を打ってノノの言葉に耳を傾けた。
「鎌になったあの子を使った人って、みんな再起不能になってるんだって……」
「再起不能……?」
付喪神は所有者を選ぶと言われている。付喪神が認めなかったものが無理に使っても、本来の力を発揮できずに多大な疲労のみを伴う、という説もある。
仮にこれまで彼女が認めなかったものが無理やりに鎌になった彼女を振り、その結果を迎えたのだとしても、再起不能は言いすぎだろう。
「そう。ある人は魂を抜かれた廃人みたいになって、またある人は特殊能力を失って戦えなくなって、そのまた違う人は気が狂って力を暴走させて今も特別房で拘束されているっていう話が流れてるの……」
「噂でしょう? どうせ脚色されて大袈裟に流れているだけよ。だいたい、使用者を再起不能にして彼女になんのメリットがあるのよ」
あまりに突飛な話にマリンは呆れて溜息を洩らしてノノを見つめた。
付喪神は使用者次第では実力を何倍にも高めることができる。だが、使用者が戦えなくなれば付喪神は一でしかないのだ。そんなことをする意味がない。
「それがね、彼女は普通の付喪神と違って使用者の魂を吸って強くなるんだって……。
彼女を振ったら最後、魂も力も全部吸い尽くされちゃうらしいよ?
それで着いた渾名がデスサイズ。あんまり近付かないほうがいいよ?」
「デスサイズ……? 死神の鎌ね……? へぇ、それは怖いわね」
随分と大層な渾名だな、などと思いながらマリンは適当に相槌を打った。
「なによ、それ……! 本気にしてないでしょう? 人が心配して忠告してあげてんのにその反応はないんじゃない? もう勝手にすれば?」
マリンの対応が気に入らなかったのか、ノノは不貞腐れたように唇を尖らせると、つまらなさそうにプイッと顔を反対側へ向けた。
その横顔を見つめて小さく肩を竦めると、噂を拡張させて広めたいだけでしょうと内心で呟き、自分も授業に集中することにした。
ノノは結構、噂や都市伝説が好きで、良くマリンや友達とその手の話をしているのだが、話すたびに面白おかしく大袈裟になっている傾向がある。
だから、今回もむだに話を大きくしているのだろう。だが、だからと言って全くなにもないところから話を作ったりはしないことも知っている。
ユーリには普通の付喪神とは違うなにかがあるのかも知れない。
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